北辺の星辰 31

 翌十月二十六日、歳三率いる間道隊は、湯ノ川を発し、五稜郭へ入場することとなった。
 途中、民家を探索し、箱館府兵のものと思しき銃器を押収、そののち、再び兵を五稜郭へと出立させたのだが。
 触れを出させたにも拘らず、先鋒が動こうとしない。
 この日の先鋒を務めるのは、陸軍隊と指示していたはずなのだが、
「……陸軍の連中は、何をやってやがるんだ?」
 馬上で歳三が呟くと、
「何やら、向こうで揉めているようですな」
 傍についていた島田が、遠くを見透かすようにして云った。
 なるほど、そう云われれば、前方が騒がしいように思える。
 そういえば、陸軍隊には、相馬主計と野村利三郎がいたはずだ。仙台で合流した時の話では、野村は、陸軍隊隊長の春日左衛門を嫌っているようだった。
 よもや――と、歳三が考えたとき。
「命令もなく先鋒を務めようとは、どのような了見か! 下がれ、下がって指示を待て!」
 先の方から、春日のものと思しき声が聞こえてきた。癇性を感じさせる声は、あからさまな苛立ちを滲ませている。
「隊長殿は、我らを弱兵とお思いか!」
 返されるのは、野村の声。
 春日と合わぬ合わぬと云うとおり、ひどく苛立った声だった。
「野村!」
 相馬の声が、焦りを含んでたしなめる。
 が、野村は構わず云い募った。
「鷲ノ木よりこの方、隊長殿は、一度たりとて我らを先鋒としてお使いにならぬ。怯惰と思わるるはこの身の恥、せめて一度は先鋒をお申しつけ戴きたく!」
「それを決めるは、私の一存だ。貴様の意のままになることではない、下がれ!」
 苛々と、春日が叫んだ。爆発寸前の感情が、その声を不安定に響かせた。
「隊長殿の一存で、とは、それは軍法を私することではないのか!」
 野村が、叫びざまに刀を抜き放った。これまでの鬱憤を、ここで晴らそうとするかのように、糾弾の言葉を叩きつける。
「そうであれば、今、我らが先鋒するは、軍法違反にあらず、隊長殿の私された軍法を糺していると同じこと。もし、我らを軍法に背くとおおせなら、隊長殿も、軍法を私していると云うことで、罪はおありのはずだ!」
「無礼な! そこへなおれ!」
 春日もまた、刀の鞘を払った。
「良かろう、貴様のごときは、手許においておくわけにはいかん――ここで軍法を破り、令に背くの罪人として斬って捨て、見せしめとしてくれるわ!」
「おっと、これは大変だ」
 島田が、やや緊迫感に欠ける声で、そう呟いた。
「暢気なことを云ってる場合か」
 向こうでは、野村と春日の間に、幾人もの人間が割って入り、宥めようとしているようだ。その中には、相馬主計の姿も見える。
 だが、ふたりは引き離されようとしつつも噛みつきあうことを止めず、どころか、引き止める腕を振り切って、斬り結ぼうかという気配だった。
 流石に慌てて、歳三はふたりに駆け寄り、その間に割って入った。
「止めねェか、ふたりとも!」
 大喝すると、抜き身をかざした両人の目が、ぎらぎらとしたままでこちらを向いた。
「春日君、野村も、軍法に背くと云うなら、ふたりとも同じことだろう。俺の命に背いて、出立すべき刻限にも、まだ動こうとしてもねぇんだからな」
 歳三の言葉に、ふたりからは返る言葉もない。
 だが、拙いと云うことには思い至ったものか、睨みあっていたまなざしは逸れ、ふたりはいかにも渋々とした様子で、刀を鞘に納めた。
 歳三は、ふたりを交互に睨み据え、
「――ともかくも、この一件はひとまず俺が預かる。先陣は、額兵隊に変更だ。異論はあるか」
 問うと、ふたりからの返答は、いずれも、
「――ありません」
「……ございませぬ」
「よし。では、出立する」
 頷くと、野村はすぐさま己の隊に戻っていったが、春日はまだそこに留まっていた。
「――何か」
「土方先生、私は野村のこれまでの態度には、いささかならず憤りを覚えておりました。大鳥総督とお目にかかった際には、この旨、必ず注進させて戴きますゆえ」
 その絡んでくるようなまなざしと口調に、歳三は眉をひそめ、不機嫌に唇を歪めた。
「……今は、俺が預かると云ったはずだが」
「――然様で」
 とは云ったものの、春日の口調もまなざしも、とても納得したもののそれとは思われない。
 これは、後々まで引っ張りそうだと思いながら、騎馬のもとへ戻ってゆくと、
「――お疲れ様です」
 などと云いながら、島田が澄ました顔で、騎馬の隣りに立っていた。
「おめェ、結局俺にごたごた振ってきやがって」
 渋い顔を作って云ってやれば、
「いやいや、私などには荷が重いですから」
 などと、適当なことを云ってくる。
「この野郎」
 その、悪気のかけらもない顔に、歳三は微苦笑しながら云うより他なかった。
 島田の手を借り、馬上の人となる。
「出立!」
 その声とともに、変わって先鋒となった額兵隊の隊列が、白い大地の中をゆっくりと動き出した。
「……それにしても、野村にも困ったもんだ。話にゃあ聞いちゃあいたが、あれじゃあ、今後のことにも差し障るぜ」
 馬上から、互いにそっぽを向いている野村と春日を見やり、溜息をつく。
「――野村は、どういたしましょう」
 島田の声は、かすかに笑いを含んでいるようだ。
 歳三は、すこしばかり考え込んだ。
 先刻のやり取りを聞いた限りでは、野村に非があることは否定できない、が、春日にも諌められるべきところがあるのも、また確かなことであるようだ。
「……正直、奴にばかり問題があるってェわけでもなさそうだ。大鳥さん次第だが、俺の下におくことも、考えに入れておくべきだろうなァ」
 溜息まじりに云うと、島田がまた、くくっと笑いをこぼした。
「その場合には、上に誰を配するかが問題になりましょうな。――野村も、やや依怙地なところがありますからなァ」
「なァに、あれくらいなら、かわいいもんだ。要は、あのふたりを一緒にしておかなけりゃあ、何とでもなるんだからな」
「違いありませんな」
 ふたりは、顔を見合せて、くつくつと笑い合った。
「野村はそうとして、相馬の方はどうする」
 見たところ、相馬は、春日と特に問題を起こしてはいないようだ。そうであれば、このまま陸軍隊で、と答えるのかも知れぬ。
「本人の希望を聞いてみては? 陸軍隊に留まりたいのであれば、そのままと云うことで」
「……安富が向こうだからなァ、戻ってくれりゃあありがてェが――本人がうんと云わねェなら、仕方ねェなァ」
 嘆息すると、島田がまた、くくっと笑った。
「何だ」
「心配なさらずとも、相馬は戻りますよ。あいつが、副長の下に戻りたくないわけがありませんや」
「……馬鹿云うねィ」
 島田の戯言は措くとしても、相馬が陸軍隊から引き揚げてくれれば、歳三としてもやりやすくなるのは確かなことだった。
 もっとも、その分陸軍隊の統率をとるためには、内部の情報が足りなくなる可能性はあったのだが、
 ――まァ、春日さんをきちんと押さえておけりゃあ、そっちァ構わねェんだろうがなァ。
 それに、相馬の進退も何も、無事五稜郭への入場がかなって後のことだろう。
 幸いにも、湯ノ川から先の道中は、さしたる障害も、敵襲もなく。
 大鳥率いる本隊とのかね合いで、ややしばらく待機させられることにはなったが――それでも、この日の午後には、歳三たちは、五稜郭への入城を果たすことができたのである。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
例の、野村と春日さんのあれこれ。


えーと、まァこの辺は、結構鉄ちゃんの話のコピペ+加筆って感じかなー。ある程度かつかつ書いてましたからねェ。まァ、それでもちょこっと変えてますけども。元ネタが一緒だから、まァ大差ないですわね。
しかし、読み返してみて、野村の口調が硬くてびっくりです。どうも野村って、ぐだぐだした喋り(や、まァ勝さんほどではないですけども)ってイメージなので、硬いと別人みたい(笑)とか思いつつ、まァここはこれでいいのかなー。
島田がアレですが、えェ、こんな奴ですとも。他所様のサイトとかで、いろいろ身を張ってる島田を見ると、“こんな島田だったらなァ……”と思わずにはいられないくらい、うちの島田はこんなんです。身体はあんまり張らないし、責任も(自分が決めたライン以上は)あんまり被らない。で、伍長くらいがいいんだよね、奴的にはね。出世させようとすると嫌がるタイプ。
そう云う意味では、相馬の方が責任感は強いよね。強すぎて(以下略)ですけども。一長一短ありとは、まさにこのことですね……(苦笑)


そう云えば。
「ナ.イ.フ.マ.ガ.ジ.ン」に載ってた居合刀の広告見て思ったんですけども――
今どきの居合刀って、もしかして、かなり長めに作ってある……?
や、こないだの静嘉堂の刀剣展の解説に、“刀の標準サイズは二尺三寸”って書いてあったのに、居合刀の広告では、二尺二寸〜三寸って、“子ども用”って書いてあったんだもん……大人向けは、二尺七寸〜八寸くらいみたいです。って、腰に差してたら抜けなくね?
そう云えば、昨年の高幡不動での演武会の時も、居合の人たち、微妙な差し方してたような気がしてきました――っつーか、居合は居合でも、やっぱ実戦じゃなく“武道”=型、なんだなァと云うか。実戦であのスピードなら、中井さんとか万ちゃんとかには斬られちゃうだろうなァ。
まァ、二尺七、八寸あった方が、見場としてはカッコいいんだろうけども。でも、サイズ的には“野太刀”って部類だと思うんで、そうなると背負わなきゃだよねェ。
背負うと云えば、某時代小説の書き方本の中で、“忍刀は、左肩に柄が来るように背負わないと抜けない”とか書いてありましたが――左肩に柄があったら、却って抜けないんだけどなー。鞘をぴったり身体に密着させてなければ、右に柄があっても抜けるんだけどなー、と思いながら読みました。
まァその本は、他にもいろいろ刀に関しては怪しげなことが書いてあったので、これ真に受けたらどうよ、と思ったんだけど……刀のサイズが違ったりすると、確かに抜けなかったりはするんでしょうけどもねー。
まァ、実戦でガツガツ戦った刀って、大概すぐ駄目になって処分しちゃうから、それでああいう怪しげな話が罷り通るんだろうけどねー。ははははは。刀は、まァ消耗品だよねェ。“武士の魂”だろうが、道具だもんなー。


この項、終了。
次はルネサンス。何か迷走してると云うか……