北辺の星辰 33

 五稜郭入城の翌々日、すなわち十月二十八日、歳三は、額兵隊、陸軍隊を率いて、松前攻略に赴くことになった。
 先鋒の彰義隊は、既に前日、松前に向かって出立している。歳三率いる本隊には、砲兵及び工兵が随従し、後軍は衝鋒隊の半数が、副長の永井蠖伸斎を長として従軍することになっていた。
 島田魁ら、蝦夷上陸時の馬廻り組は、どうやらそのまま従軍するつもりのようで、
「――おめェらは、まだついてくるつもりか」
 島田がいそいそと出陣の支度をしているのを見、歳三は思わず眉を寄せた。
「何を云われますか!」
 島田は、きっと顔を上げて云ってきた。
新撰組本隊は、箱館に留め置かれる由。されば、我々が副長をお守りすべきであるのは明らかです。いいから、黙ってお許し下さい」
 確かに、森常吉に託した新撰組本隊は、引き続き大鳥の配下にあって、順当にゆけば、箱館の市中警備を任されることになるだろうとは、榎本からも聞いていた。
 市中見回りは、元々新撰組職掌であったのだし、大鳥の配下となるのも、森が隊を率いていれば、さほどがたつきもするまいと考えていた――そう云う意味では、森は、大鳥に対して、特に含むところもなかったはずだからだ。
 そう考えてみれば、あるいは、島田たちが歳三の馬廻りをつとめるのは、会津での感情的な齟齬のあるかれらを、大鳥が嫌って弾き出したものか――いや、大鳥と云う男は、そこまで陰険なことをするようには見えはしない。大方、島田本人の云うとおり、歳三のまわりに旧新撰組の姿がないことを案じての、島田の発案に違いなかろう。
「――市村、君も来るのか」
 島田とともに、小姓のひとり、市村鉄之助がいることに気づいて、歳三はさらに眉を寄せた。
「はい、此度の戦いには、是非私もお供させて戴きたいのです」
 少年は、頬を紅潮させて云うが――正直に云えば、歳三は、かれを伴うことに乗り気ではなかった。
「……君には、ここに残って、玉置のことを任せたいと思っていたのだがな」
 何と云っても、市村はまだ十五歳だ。歳三の感覚から云えば、まだ新撰組の正規の隊士として扱うには若すぎたし、何より、労咳を患って臥せっている玉置良蔵のこともある。異郷で病に臥す玉置はさぞ心細かろうと、田村銀之助と市村とに、かれのことを任せて征こうと考えていたのだ。
 だが、市村は頑として譲らなかった。
「玉置君のことは、田村君ばかりでなく、本隊の安富さんも気をつけて下さるとおっしゃいました。――決して、副長の足手まといにはなりません、何とぞ、私をお連れ下さいませ」
 そう云って頭を垂れる、その顔は、一歩も引かぬ決意をみせていた。
 島田は、にやにやと笑って、止めるそぶりもない。
「……おい、おめェも何とか云ったらどうだ」
 それをじろりと睨んで云うが、島田は肩をすくめただけだった。
「市村君の決意が固いのは、御覧のとおりですからねぇ。副長が止められないものを、俺なぞには、とてもとても」
 相変わらずのにやにや笑いとともに、そんなことを云ってくる。
「……この野郎」
 面白がっているのは明白だったが、それをなじったところで、市村は翻意するはずもない。
 ――……仕方ねェ。
 歳三は、深い溜息をついた。
「……いいか、市村、俺ァおめェだけを守ってやるわけにゃあいかねェんだ。なるたけ気をつけてはやるつもりじゃいるが……最悪、おめェの身はおめェで守らなきゃあならねェ。それを肝に銘じてくるんなら、従軍しても構わねぇぜ」
「私は、副長をお守りするために行くのです。決して足手まといにはなりませんし、己の身は己で処します」
 見つめてくる、つよいまなざし。
 そのまなざしのつよさに、歳三はふと、遠い昔を思い出した。
 遠い昔、多摩の片隅で、まだ何になるとも知れぬ鬱屈を抱えて過ごしていたころ――近藤と出会ってしばらくあってのことを。
 あのころ、かれと近藤は、ひとつ違いの友人で、沖田は七つ下の子供でしかなくて。
 年長ふたりが遠出するたび、沖田はふくれっ面で見送っていた。
 それがある日、どうしてもと云って、かれらの遠出についてきた――子どもの足では辛い道のりを、沖田は泣言ひとつ云わずについてきた。足にできたまめが潰れて血が流れていることに気がついたのは、随分経ってからのことだった。
 その時の、沖田のまなざしを憶えている。絶対に帰らぬと、つよく思い定めたあのまなざしを。
 市村のまなざしは、あの時の沖田のそれと同じものだ。
「……そこまで云うなら、仕方ねェな」
 そこまで肚を据えているのなら、歳三が何と云おうと、この少年は引くまい。
 頷いてやると、市村はぱっと顔を輝かせた。
「……ありがとうございます!」
「礼はいい、気を入れて励めよ」
「はい!」
 市村のことよりも、歳三が気にしていたのは、陸軍隊の春日左衛門のことだった。
 春日は、先日の云いようのとおり、五稜郭へ入城するなり、野村利三郎の一件を、大鳥と榎本に注進していたのだ。
 それ自体は、野村の侠気を惜しんだ榎本の仲裁により、事なきを得たのだが――それが、まだ春日の中にわだかまりを残していることは想像に難くなく、それもあって、正直、かれと話をするのが億劫になっているところはあった。
 無論、揉め事を起こした野村、及び相馬主計は、陸軍隊から引き抜いて、歳三の配下に組みこんではいたのだ。
 だが、それもまた春日の気に障るであろうことは、考えるまでもなく、その上、すぐさまの雪中行軍となれば、その心持たるや推して知るべし、だ。
 とりあえず、まだしも気が楽な額兵隊の星恂太郎に、榎本らの決定を伝えると、かれはあらかた予期していたものか、特に不平不満を口にすることもなしに、
「了解致しました」
 と頷いて、早速準備に取り掛かった。
 ほっとした気分でそれを見やり、歳三は、春日の許へと足を向けた。
 こちらにも、すぐさま出立の旨を伝えると、意外にも、春日はあっさりと頷いてきた。
「かしこまりました。すぐに準備を致します」
 一瞬、その素直さに、気持ち悪ささえ感じた歳三だったが、考えてみれば、春日が野村の一件を注進した際に、榎本たちは他のものからも話を聞いたに違いないのだ。そうであれば、榎本は、春日に対しても何らかの注意を与えただろうことは、容易に想像がついた。
 おそらくは、それで春日は、ややおとなしくしているのだろう。
 ――この調子で、松前攻略終了までは、いてくれよ……
 歳三はそう願いながら、自身も出立の準備をするために、割り当てられた宿舎へと戻っていった。



 明けて二十八日早朝。
 旧幕陸軍七百余名は、松前攻略に向け、雪の中を出立したのだ。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
松前攻略に出発。の、準備だけで終わる……


うんまァ、島田が過保護だと云う話。
今=小噺じゃあ、すっかり責任被りたがらない男だと云うのに――ここだけ見ると、超↑責任感強そうで(笑)。いやァ、あの島田、どこ行ったかな(笑)。
でもって、鉄ちゃんも久しぶりに。
何と云うか、鬼視点で書いてると、情勢の変化に目を奪われちゃって、そばに誰がいたの、誰とどこで泊まっただのと云う情報が、二の次三の次に(苦笑)。ホントは多分、仙台とかでも、鉄ちゃんずっと傍にいたんだろうけど――まァ、釜さんとのやり取りに較べると、どうしてもウェイトが、ねェ。
まァ、これから暫く、ちまちまと登場する、ように頑張ります……
っつーか、止めろよ、島田。こんなとこだけ、今=小噺と同じだな……


そう云えば、八月も末になってようやっと、『浦賀与力 中島三郎助伝』(木村紀八郎 鳥影社)が出たので、今の職場最後の社販でGET。この次の職場では、こう云うマニアックなものは客注切らなきゃだからな……
えェと、土居良三さんの評伝的、かちっとした文で読みやすそう。
そしてほぉら、中島さん、冗談ばっか云ってる人だって、凌雲先生が! 桂さんが! ふふふ、やっぱ兄貴でしょう、中島さん。
っつーか、釜さんとかと一緒に脱走する時、長男が「女子供だけを残しては、物乞いでもするより他なくなるので、自分は(母や弟妹とともに)残ります」と云ったから、刀持って追っかけまわした、って本当ですか、中島さん。まァ、そんな人だけどさ……苦労してるんだねェ、恒太郎君……英次郎もあんな(=親父そっくり)だしねェ……
しかし、鳥さんと中島さんは買ったけど、そう云や釜さんの評伝は買ってないなァ――こないだ、藤原書店から出てたのは知ってるんだけど。講談社学術文庫で、『シベリア日記』も出てたけど。うぅむ。


ところで、このあいだ『幕末最強は誰だ!』とか云うムック(B6で¥500-くらいのアレ)が出てて、中見たら、「総合力では鬼が最強」とか書いてあって吃驚したのですが――沖田番に云わせても、やっぱ鬼が幕末最強らしい。何と。
西郷どどんはカリスマはあるが感情に流されるし、久保さんは逆にカリスマがないので恐怖政治に走りがち、頭脳ならますじだけどカリスマとやっとうができず、杉はカリスマはあるが若干理想に走り過ぎるらしい。うさぎちゃん(笑)はうさぎちゃんだし、他も一長一短ありなんだそうだ、そうかー。
確かに鬼、カリスマもあるしやっとうも(最強ではないけど)できるし、指揮もとれるし作戦も練れる(大したことないけど、まァ負けはしなかったからにゃ)、その上謀略までできちゃうぞ! となれば、確かにある意味最強か――しかし、あんまり最強感がないのは何でだろ。
しかしまァ、何と云ってもああいうのって、勝ち組で、なおかつ生き残らなきゃあ意味がないんで、そう云う意味では――でも、あの本の「結局最強は久保さん!」は、イマみっつくらい納得がいかんのだが……どうですかのう。


この項、終了。
次はルネサンス話、今度こそ『ダナエ』の舞台〜。