神さまの左手 10

 舞台の上は、光に満ちていた。
 色鮮やかな衣に身を包んだ役者たち、それを照らす数知れぬ蝋燭の焔、その焔の光を跳ね返す数多の飾り――
 確かに、それは天国の写し絵と云っても良かっただろう。
 ダナエ役の役者が細い声で、ユピテル役の役者が朗々と、台詞を曲に合わせて歌い上げれば、絢爛たる雲間の仕掛け――それは、かつて上演した『天国』と同じように、神々の居ます天上を表していたのだが――に配された諸神役たちが、一斉に天の声としてユピテルの歌に唱和する。
 雲間の仕掛けには、何枚もの真鍮の飾り板、小さな鏡、磨き上げた硝子片、などが装飾として取り付けられており、ゆらゆらと揺れるそれらのものが、蝋燭の光を映してあちこちに光を振りまいていた。
「――ユピテルよ!」
 ダナエの叫びとともにどろどろと太鼓が鳴り、やがて鉦の音が鳴り響くや、黄金の衣をまとったユピテルが、雲間の仕掛けより舞台の上へと舞い下りてくる――
「……すげぇ!」
 サライが、緞帳の端を握りしめて、そう呟くのが聞こえてき、レオナルドはかるい満足を感じていた。
 黄金の衣をまとったユピテル――それは、すなわち黄金の雨へと姿を変じたと云う、神話の故だった――が、青銅の塔へと入り込み、幽閉されたる乙女・ダナエを、その衣の裡に覆い隠す。
 鳴り響く楽の音、ふたりは交わり、月満ちて、ダナエは運命の子・ペルセウスを産み落とす――
 レオナルドの横で、サライはきらきらと眼を輝かせ、華やかな舞台に見入っていた。
 役者たちは期待どおり、豊かな声で、各々の歌を歌い上げている。
 ユピテルによって、天上へと召され、不死の女神となったダナエの歌う星々の歌、デルフォイの預言に怯え、アルゴスから逃れゆくアクリシオスの、流浪の歌、ペルセウスの歌う勲の歌。
 彼らの朗々たる歌声は、煌く舞台いっぱいに響き渡り、普段、教会で聞くミサ曲とはまた異なる壮麗さで、観客たちを、そしてこの小さな“画家の弟子”を、確かに魅了したのだった。
「すげぇ、すげぇよ、先生……!」
 レオナルドの作った昇降機が、星となったダナエを天上へ運び去る――光背を模した黄金色の卵の中に、ダナエが収まり、宙空へと浮かび上がると、観客席から、そして傍らの少年の口から、感嘆の声がこぼれ出た。
 レオナルドは、ひどく満足だった。
 もちろん、観客の感嘆の声もそうだったのだが、それよりも、この隣りにある少年、レオナルドを“ただの画家の先生”としか見なしていない小生意気なサライが、素直な感動を口にしたことが、何よりも彼には嬉しかったのだ。
 そう、大人の評価には、多分に肩書や地位に関するものも加算されている。レオナルドが、イル・モーロの気に入りでなかったなら、観客たちは、果たしてこれほどの歓声を、この舞台に対して上げたかどうか。
 その点、子どもは素直な反応を返してくる。面白ければ面白いと、つまらなければつまらないと、何の飾りも衒いもなしに、感じたままを投げ返してくるのだ。
 今、こうしてサライが感嘆の声を上げていると云うことは――すなわち、向こうの桟敷に居並ぶ人びとにとっても、この舞台が素晴らしいものであると感じられたのだと、レオナルドは確信していた。
 舞台はそろそろ終幕に近づいている。アクリシオスが、老いた身体を引きずりながら荒野を歩いていると、雲間から光が射しこみ、彼の姿を照らしだす――その光とともに、降りそそぐ声。
 アクリシオスの顔が天に向けられ、その手が高く掲げられる。
「ダナエよ……!」
 その叫びとともに、雲間――それをかたどった黄金色の幔幕――から、あの卵型の昇降機が現れ、その中からダナエの姿が――
「ダナエよ……!」
 泣き伏すアクリシオスと、それを慰めるダナエの歌声が、絡み合いながらやがて合唱へと変わってゆく。
 鳴り響く楽の音、雲間から舞い散る紙吹雪と、おびただしい花弁。
 慰めの歌から、ユピテルの栄光を讃える歌へと変化してゆく合唱が、やがて高らかに響き渡ると――ゆっくりと緞帳が下りてきて、役者たちを、舞台を、すべてを覆い隠していった。
 合唱の最後の音と、楽の最後の音が、ふっつりと消え。
 一瞬の沈黙ののち、幕の向こうから聞こえてきたのは、歓声と、割れんばかりの拍手だった。
「やったぞ!」
 レオナルドは叫び、近くにいたタッコーネと抱き合って肩を叩きあい、引いてきていた役者たちと抱き合い、さらにはサライを抱え上げて、ぐるぐると回って歓喜した。
「聞いたか、サライ、あの歓声を!」
 レオナルドは叫んで、サライを高く抱え上げた。
「聞いたよ、レオ!」
 サライの声も、歓喜に満ちていた。
「見たよ、あんたの“天国”を――あんた、やっぱり天才だ、すごい、すごいよ、レオ……!」
 抱きしめてくる、小さな腕。
「そうとも、私は天才だ……!」
 誰が認めずとも、自分にはわかっている――この自分、レオナルド・ダ・ヴィンチは天才なのだと――そうして、この小さな“画家見習”にも。
「見ていろ、サライ、私はいずれ、この名を世界に轟かせてみせる!」
 昂然と頭をもたげるレオナルドを、少年は、真摯なまなざしで見上げてきた。
 拍手と歓声は未だやまず、遂にはもう一度緞帳が引き上げられ、ダナエとユピテル、アクリシオス、ペルセウスを演じた役者たちが、歓呼に応えて愛想を振りまいている。
 その様をじっと見つめながら、レオナルドは、確かな一歩を踏み出すことができたことを、実感をもって噛みしめた。


† † † † †


ルネサンス話、続き。
あああああ、もう10なのに、まだ二人が出会ってから半年しか経ってない……


バルダッサーレ・タッコーネの『ダナエ』上演、ですが、以前にも書きましたとおり、この話が実際どんな科白まわしだったかはわからないので、本当のギリシャ神話のダナエから類推して――っても、まァ大したことは書けない、っつーか先生の手掛けたのは、演出じゃなくて舞台装置+衣装が中心だもんなァ。
さて、歌詞なしの描写で、どれだけのことができるものだか……限界に挑戦、ってのもどうよ。
正直、最近、芸術の描写より、戦場とか政治謀略とかの描写の方が楽でたまりません。っつーか、先生の話は、いっつも難しいよ……絵の話は楽なんだけどなー。
こっちも早く、ボルジア公とかの出てくる、権謀術策の世界へ――って、それ本編(『レオナルドの薔薇』)じゃん。どんだけ先よ……


そう云えば、すっかり書き忘れてたのですが、こないだ(っても、先月の話ですが)、ジョン・エヴァレット・ミレイ展見にいってきたのでした(ただ券有)。オフェーリアの絵で有名なあの人です。
えぇと……ぶっちゃけ、オフェーリアの頃の絵は、そんないいとは思わなかった。っつーか、イラストみたいなんだよね、初期の絵って。細部まで描きこみすぎてて、綺麗だけど、どこにポイントがあるのかわからないっつーか。
後半の、肖像画ばっか描いてる時期のは、結構深みが出てきてて良かった、と云ってもいいかも。まァ、正直、それでもやっぱ、コローの絵の方が何十倍もいいんだけどね――その辺が、ルーブル所蔵の画家と、そうでない画家の違いなのかなァ……ルーブルが最高の美術館かどうかについては、異論のある方も多いかとは思いますが(ウフィッツィとかもいいラインナップだしね)、しかしながら、一定以上の水準を超えるものしか扱ってないとは思うのですよ。美の都パリを代表する美術館なわけだしね。


そしてつい先日は、山本タカトさんの個展を見にいってきたのですが――この人の絵って、何かハリー・クラーク風だよねと。ハリー・クラークと高畠華宵を足して二で割ると、こんな感じだなァと云うか。
まァ、ハリー・クラーク大好き(ある意味ではビアズリーよりも)なので、もちろんこの人の絵も好きなのですが、何と云うか、うむ、絵によって結構好き嫌いが出ちゃうなァと。島原の乱モチーフの絵は好きだ、が、初期の美少年ものはイマイチ……しかし、最近のもまた微妙で……結局、画集買ってないことに、すべてが表れてますね、ははははは……
でもまァ、草森紳一氏の『歳三の写真』は、タカトさんの表紙目当てで買っちゃったけどね! (表題作は、角川文庫の『烈士伝』に入ってるから) タカトさんの鬼、カッコいいですよね。本物よりずっとね、ふふふふふふ……


この項、終了。
次は阿呆話、どれにしようかな……