北辺の星辰 35
十一月一日、歳三率いる松前攻略軍は、知内に宿陣した。
先鋒、本隊合わせて八百を超える大軍である、小さな集落は、幕軍の兵士で溢れかえった。
ともかくも、無事に宿営することができるとわかって、歳三は、正直胸をなで下ろしていた。この行軍中も、雪はひどく降りしきり、兵たちが疲弊しきっているのがわかっていたからだ。
ともかくも、屋根のある場所で眠れる――交替で、ではあったのだが――と喜んでいた矢先の夜半過ぎ、かれらは、松前藩兵と思しき一群に襲撃を受けた。
夜襲自体は退けたものの、歳三は、何かがおかしいと感じていた。
先だっての渋谷十郎との会談は、ほんの数日前のことだ。あの会談では、渋谷が宿に戻ったのは、有川宿陣の翌朝のことであったから、よしその日の昼前に有川を発ったとしても――そして、渋谷の脚が、雪に不慣れな歳三たちより速かったとしても――、せいぜいが、今日あたりに松前に帰参できたかどうか、と云うところであるに違いない。
そして、松前からこの知内までは、まだ結構な距離があるはずなのだ――故に、渋谷が松前に帰参した上で、松前侯に注進して、歳三たちを襲撃させたとは考え難い。
そうであれば、考えられることはただひとつ、松前藩が、何らかのかたちで、歳三たちの出師を知り、攻めこまれる前にと先手を打って攻撃をしかけてきた、と云うことだった。
何が起こったのか、知らねばならぬ――そう考えて斥候を放ったが、その答えは、異なるところからもたらされた。
「我が海軍の蟠龍と回天、海上より福山城を砲撃、只今交戦中です!」
そう、歳三に告げたのは、榎本配下の海軍兵だった。
「いつの話だ!」
思わず怒鳴ったのは、そのような作戦を聞いていなかったからだった。
箱館出立前の協議では、こちら人員や兵糧の消耗を防ぐため、まずは可能であれば話し合いによる和睦を、交渉決裂の際には、陸海軍共同での松前攻略を、そのような流れで話がまとまっていたはずなのだ。
それが、何をどうして、このようなことになったのか。
「さ、昨日のことです」
歳三の権幕に怯えてか、伝令の兵は、しどろもどろに云ってきた。
「え、榎本総裁が、“海軍にも活躍の場を与えてやらねば”とおっしゃって、この度の攻撃となり……」
「……陸軍に、ひと言の断りもなしの開戦とは……」
歯噛みするが、戦端が開かれてしまったものは仕方がない。
「総督、いかが致しましょう」
額兵隊長の星や陸軍隊の春日、彰義隊の渋沢成一郎らが、窺ってくるのに、歳三はわずかに沈黙した。
とは云え、考えたところで、既に戦いははじまっている。指揮系統が違うとは云え、“箱館駐留幕軍”の攻撃を受けたとなれば、最早和睦を結ぶなど、望むべくもあるまい。その途を鎖したのは、紛れもなくこちらの側なのだ。
となれば、やるべきは、でき得る限りはやく松前へ赴き、海軍を援けて松前を攻め落とすことのみだ。
「――已むを得ん、松前へ進軍する」
肚を決めて、歳三はそう吐きだした。
「和睦の線はなくなった、かくなる上は、できる限り迅速に松前へと進み、海軍の助力を得て、かの地を落とすのみだ。――出立するぞ!」
「応!」
不満の声のないことに胸をなで下ろしつつ、歳三の胸の内にわき上がったのは、榎本ら海軍組への、拭い難い不信感だった。
そもそも、渋谷十郎と会談の席を設けたのは、榎本や松平の指示だったのだ。幕軍は、軍資金、兵糧ともに心許ない故、でき得る限り戦闘は避ける方向でいってくれとのことであった故に、歳三も慎重を期していたと云うのに――海軍が先走って攻撃を仕掛けたとあっては、こちらの面目も丸潰れだ。
歳三は元々、あまり海軍組を好いてはいなかった――それは、戊辰の戦いの初めのとき、将軍慶喜を大坂より脱走させた沢が、その中に加わっていたせいでもあったかも知れぬ――が、今回の一件で、その思いが強くなるばかりであることに、怒りのような感情がわき起こる。
――せめて、最低の取り決めくらいは守ったらどうなんだ!
これでは――いささか性格に問題があるとは云え――、春日左衛門の方が、同道者としてはよほどましだと思う。少なくとも春日は、作戦自体に重要な齟齬をきたすような独断専行は、決して行いはしないからだ。
ともかくも、こうなっては先を急ぐより他ない。
幕軍は知内を発し、翌日には先鋒隊が一ノ渡にて松前側の仮砲台を攻略、そのまま福島の松前藩兵を敗走させる。
翌々日の四日には、歳三ら本隊も福島に到着し、いよいよ松前へ攻め込むこととなった。
先陣は彰義隊、歳三率いる本隊には陸軍隊、砲兵隊、工兵隊と島田ら旧新撰組数名、後陣には額兵隊を配し、吉岡から荒谷へと進軍した。
五日の朝、松前の東を流れる及部川にさしかかった幕軍は、対岸に布陣していた松前藩兵と交戦する。
松前藩兵は必死で抗戦してくるが、幕軍の持つ新式の銃器には抵抗しきれず、開戦から四時間後の午前十一時過ぎに、幕軍が優勢になってくると、かれらは自陣を捨てて退却した。
幕軍は勢いに乗り、及部川を渡河、一気に松前城下へと兵を進める。
歳三は、額兵隊を、松前城に向き合う高台に立つ、法華寺に進ませ、そこに大砲を引き上げて、城を直接砲撃させた。
その間に、彰義隊を搦手側の城門へさし向けるが、攻めあぐねているらしく、城門あたりからこちらへの砲撃が、一向已む気配がない。
と、彰義隊の渋沢より伝令が送られてきた。
「我が隊、城門に迫るも、敵は門の内より大砲を撃ちかけ、撃っては城門を閉めると云う策に出て、苦戦しております!」
「他に、城内へ入れそうなみちはないのか!」
「近くに、別の門はございますが、そちらも小銃による銃撃が激しく、とても侵入するには……」
云われて、歳三は眼下の松前城を眺めやった。
なるほど、ここからほぼ正面、鍵形に曲がった道を上がったところに、門がひとつ見える。だが、伝令兵の云うとおり、城壁の銃眼からか何からか、盛んに小銃を打ちかけているさまもまたよく見える――なるほど、これでは、あの門を攻めることは難しかろう。
となれば、やはりここは、なだらかにのぼるあの馬坂から、何とか攻め込んでいくより他あるまい。
馬坂のあたりを眺めやりながら、歳三はその攻略法を考えこんだ。
――待てよ、城門を閉めている間なら、兵を進めることはできるんだな?
城門を閉めている間は、大砲は門の内だ。と云うことは、砲撃自体は、その間は止んでいると云うことになる。
砲撃と砲撃の間が、どれほど空いているのかはわからないが――その間に城門の近くまで寄ることができれば、小銃で門の内側を銃撃することが可能なのではないか。
「――小銃隊を編成し、閉門している間に、門のそば近くまで進ませろ」
歳三が云うと、伝令兵は、驚いたように顔をひきつらせた。
「し、しかし、総督、大砲に当たれば、死ぬのはひとりふたりでは済みませぬ……!」
「だが、大砲は、そうそう小回りの利くもんじゃねェ、近づいちまやァ、意外に中てられねェもんだろう」
歳三は、鳥羽伏見の折に感じた、大砲の不利なところを思い返しながら、云った。
「あとは、城壁の上からの小銃にさえ気をつければ、できねェことじゃあねェ。――なァに、彰義隊の諸君にばかり、危ない目には合わせねェよ。……春日さん」
「はい」
途端に緊張した面持ちになる春日左衛門に、歳三はにやりと笑いかけた。
「君も、俺と一緒に出てくれ。城の裏手から乗りこんで、後ろががら空きになってる奴らに、ひと泡吹かせてやろうぜ」
そう云ってやると、かれは驚きに目を見張り、やがて、
「……承知仕りました!」
と、頷きを返してきた。
と、隣りに控えていた島田が慌てたように、
「ですが、総督、それではこの法華寺の陣は……」
「星君の額兵隊と、砲兵隊、工兵隊が残ってるだろう。ここの指揮は、星君に任せた。宜しく頼む」
「はいっ!」
若い星恂太郎は、背筋をぴんと伸ばして礼を返してきた。
――ま、春日さんを残しておくよりァ、星君に任せた方が安心だな。
“隊長”としての格に関しては、歳三の見るところ、春日よりも星の方がありそうな風だったのだ。かれはきっと、この攻略戦が終了するまで、無事にこの陣を守りきってくれるだろう。
「……総督、私どももお供して宜しいのでしょうね?」
と、島田がじろりとこちらを見る。
すっかり保護者の気分なのか、と苦笑しつつも、歳三は頷いてやった。
「あァ、構わねェさ。――では、陸軍隊、新撰組、出るぞ!」
「応!」
上がる声に頷いて、歳三は、己の佩刀を握って立ち上がった。
† † † † †
鬼の北海行、続き。超↑ひっさびさ〜。
いよいよ松前攻略、のはず……
えーと、そう云えば前回のラスト、私め、何見て書いたんだっけな……あんまり前の話なので(汗……二ヶ月近く前……)思い出せない……とりあえず、『新選組日誌』でないことだけは確か(今回、それと歴史群像の戊辰戦争+新人物の方の「新選組全史」下巻を見てます)なのですが(←判明しました。リンク貼ってる福島町史+今回と同じ「新選組全史」下巻だ)。
っつーか、えーと、細かく資料を読んでくと、これどうよって云うネタがぞろぞろ出てくるんですが、今回の松前攻略もそうですね。
っつーか、渋谷十郎と和睦の交渉を(望み薄とは云え)した以上は、十一月十日までは攻撃をしないと云うことで、箱館府内で話がついてたんだろうに――何だ、これ。期日前に海軍が攻撃って、どんだけ烏合の衆だったの、っつーか、この無計画な出兵って何だ。
っつーか、あァ、こりゃ海軍畑が嫌いにもなるよなー、と、ちょっと納得しちゃいましたよ、ふふふ……
タロさんが釜さんの手綱取りに苦労してたってのが、何となくわかってきますよね、ふふ……
しかし、久々だからってわけじゃあないけど、やっぱ戦争のシーンは、描写が難しいですね。個人的には、権謀術策渦巻く権力闘争、の方が、書きやすくて好き。……とか云ってるから、まわりに“狐キツネ”と云われるんだろうか……そうか……
あ、権謀術策の他には、人事関係のことを考えるのも好き。星さん、春日さん、成沢さんだったら、成沢さんが一番ウェイトが重そうだけど、使い勝手(失礼)が良さそうなのは星さんですよね。春日さんは――ちょっと目を離すのがヤバそうなカンジ……だから、冥界再編時も、傘下に入れてないんですよねェ、ふふふ……
とりあえず、本日、神田小川町の「時代屋」に行きました。
イートで、あり得ないほどいろいろ食っちまいましたが、それはまァあれとして。
例の幕末維新十二傑ビールと云うのを頼もうと思ったのですが、ものがなく。それはともかくとして、あのビールのラベルの種類! 何で、かっちゃんや大隈重信や福沢諭吉や、板垣退助がいて、桂さんがいないのか、と云うことに、激しい疑問を覚えました。だって、維新三傑のひとりなのに! ……どんだけ人気ないの、うさぎちゃん……(涙)
この項、終了。
次はルネサンス――中々馬に行きつかないな……