神さまの左手 12

 ともかくも、馬をどうにかせねばならぬ。
 レオナルドの頭を悩ませていたのは、まったくこの一点に尽きた。
 と云うよりも、馬がはかどらないので、それから逃避しようにかかっていた、と云ってもいいだろう。
 騎馬像のバランスが問題なのだが、何をどう考えても、これが最良だと云う答えが出てこないのだ。
 むろん、従来どおりの歩行する騎馬の像を作るのであれば、それはまったく容易にできただろうが――それでは、レオナルドの作りたい騎馬像ではなくなってしまう。
 結局のところ、レオナルドが作り出したいのは、現実を模した、現実以上に美しい、すべてを内包した何か、だったのだ。動きを秘めた騎馬の像、今にも動きださんとする美しい少女、天上とはかくやと云う、光輝く刹那の舞台。
 自分の知っているすべてを注ぎこんだ騎馬の像――それは、見るものの目の前で、走り、歩み、跳び、止まる、そのすべての動きを為し得るものになるだろう。青銅の像は動かずとも、見るものの心のうちで、如何様にも動くことができるだろう。
 が、それのために必要な、二本の足以外に馬を支える“第三の支柱”の案は、レオナルドの頭の中にまだ降りてきはしなかった。
 こう云う時は、ぐだぐだ考えこんでいても仕方がない。
 レオナルドは、何か気晴らしになるようなものはないかと、あたりを見回した。
 大量の紙挿みと木箱、レオナルドが考案して試作した機械や道具の数々が、ところせましと置かれている。
 サライに云わせれば“ガラクタばっか”であるのだが、レオナルドには、どれも愛しい己の作品たちであって。塵として破棄することもできずに、こうして積み上げてあるのだった。
 改良を加えた織機、より重い荷物を引き上げるための滑車、ご婦人方に贈るための、ちょっとした模造の宝石など――ひとつひとつ、試行錯誤した記憶の詰まったものばかりだ。
 ――捨てちまえば?
 などとサライは云うが――冗談ではない、この記憶の詰まった愛しいものを、手放したりなどできるものか。
 ひとつひとつ検分していきながら、それらを選っていたレオナルドは、ふと、その中に、細いひごと薄い布で作られた、鳥を模したものを見つけて、目を見開いた。
「凧、か……」
 懐かしいな、と呟いて、それをそっと引き寄せる。
 レオナルドは昔から鳥の飛ぶのを見るのが好きで、鳥のように空を飛べたらどんなにいいかとよく夢想していた――もうずっと昔、ほんの子供だった時分から。
 そのかれの夢想を、わずかでもかたちにしてくれたのが、この凧だったのだ。
 鳥のように羽ばたいて空を飛ぶことはできないが、凧は、風を受けてどこまでも高く昇ってゆくことができる。
 軽さを得るために、そのつくりはひどく壊れやすいものになっているが、それでも、この凧は、幾度もレオナルドを天の高みへと誘ってくれた――そして、今も。
 ――そうだ、凧を揚げに行こう。
 レオナルドは思い立ち、凧と凧糸を手に取った。
 馬のことは、ここでうだうだと思い悩んでいても、妙案に辿りつけるわけではあるまい。
 それならばいっそ、馬のことはすっぱりと忘れて、違うことに意識を傾ければ良いのだ。
 妙案と云うのは、ひょんなところから生まれてくるものだったし、その“ひょんなところ”をつくるためにも、別の何かに心を向けることが肝要なのだと、レオナルドは、長年の経験からわかっていたのだ。
 そうと決めれば、善は急げだ。
 レオナルドは立ち上がり、サライのいる部屋を覗きこんだ。
「いるか、サライ?」
「あ? 何だよ、レオ?」
 少年は、気に入りの長椅子に寝そべって、絵物語の本を見ながら、菓子を頬張っていた。
 その少年に、レオナルドは、意気揚々と凧を掲げて見せてやった。
「凧を揚げに行くぞ!」
「え〜?」
 対するサライは、眉を寄せた渋い表情だ。その顔には、あからさまに“面倒くさい”と書かれている。
「何だ、その顔は。いいから来なさい、面白いぞ」
「だって、凧って、街中じゃあ揚げられないんだろ」
「当たり前だ。だから、市門の外へ行くのではないか」
 街中のこんなところで凧など揚げては、どこの鎧戸にぶつかるやら、どこの洗濯物と絡まるやら。
 第一、このあたりは、路地が入り組んで、風の吹きぬける場所もない。それは、フィレンツェの街中よりは風通しが良いのは確かだが――風を捉えるために走る場所も、このあたりにはありはしないのだ、それでどうやって、巧く凧が揚げられるのだと?
「……それが厭なんだよなぁ」
 遠いじゃねぇか、とぶつぶつ云いながらも、サライは身を起こし、上着を取って、肩に引っかけた。
「だが、凧上げ自体が厭なわけではないだろう?」
 レオナルドが云ってやると、サライは微妙な表情で肩をすくめてきた。まるで、
 ――さぁね?
 と云うかのように。
 とは云え、明確に嫌いだと云う返答でなかったので、レオナルドは気を良くしていた。
 何のかんのと云いつつも、やはりサライも子どもなのだ。そうである以上、凧上げが嫌いなはずはない――レオナルドは、訳もなくそう確信していた。
 確かに、サライは都市部であるパヴィアの出身で、子どもらしく遊びまわることもなく、こそ泥や掏りに勤しんでいたのだから、凧上げをしたこともないのだろうが――しかし、一度やってみれば、きっとかれとても夢中になるに違いないのだ。
 この、ひごと薄布で出来た、人の手になる“鳥”は、風に乗って空高く舞い上がり、この世事にばかり長けた少年を、見事虜にしてくれるだろう。
 その時サライは、レオナルドと同じ空への憧れを、胸に宿してくれるだろうか?
「……では、行くぞ!」
 ひごと薄布の華奢な“鳥”を抱え、レオナルドはそう云って、サライの手を引いて市門の外へと駆けだした。


† † † † †


ルネサンス話、続き。
凧上げを、この章に入れるかどうかで悩んだのですが、長くなり過ぎるだろうから、分割で――だって、先生、凧上げる時に語らずにはいられないに決まってるからね! (笑)


しかし、馬から逃避したいのは、Just私。っつーか、早く「晩餐」の依頼がこないかしら……
っつーか、この気分転換の仕方も、私と同じ。そうして、いろんなことに手をつけちゃうので、ひとつのことが中々終わらないんですよね、ふふふ……
遂にこないだ、友人ども(筆頭は山南役)から「連載持ちすぎです!」って云われちゃったよ、ふふふふふ……


そうそう、本日、8チャンネルで、何か“ダ・ヴィンチの幻の絵画発見か!?”とかやってましたが……
TV画面で見た感じでも、あれ、先生の真筆じゃないよね。下絵(カルトン)は先生かも知れないけど、多分画板に写すところから着彩までは、全然違う画家だわ。厳密には、“レオナルド派”でもないと思う――だって、スフマートっぽくないじゃん。
第一、絵が拙いもん! ティッツィアーノ以前のヴェネツィア絵画的、デッサンもおかしいよ、な感じでしょう。本当に先生の筆なら、すくなくとも「音楽家の肖像」くらいの絵(服とかの色塗りは措いといて)にはなってると思うんだけどな。
しかし、本当にあの絵、転写が拙い……元々の画家の腕が悪いんだろうなァ、あれ。聖母の顎のあたりのラインとか、キリストの腕のラインとか、結構おかしかったもん。
プレディス兄弟とかソドマとか、あるいはメルツィやルイーニクラスの腕があれば、あんなことにはならんだろうに……って考えると、プレディス兄弟って、絵が巧かったよなァ。ロンドンの「岩窟の聖母」も、アンブロジアナ絵画館にあった婦人像も、本当によく描けてたもんなァ。


この項、終了。
次は――ストレートに阿呆話かなァ。とすると、ちょっとアヤしいネタになりそうな……