神さまの左手 15

 リラ・ダ・ブラッチョの弦をひとつ爪弾いて。
「さて、本日は、いかなる歌をお聞かせ致しましょうか?」
 レオナルドが問いかけると、居並ぶご婦人がたは、さわさわと囁きをかわし。
 やがて、ひとりが口を開いた。
「例の“モルガンテ”をやって下さいな、マエストロ」
「いや、それよりも」
 と、向こうに腰を下ろした貴公子が云う。
「この間の東方の旅路の話がいい。例の、巨人の国が出てくるあれさ」
「それより、贖罪の騎士のお話がいいわ」
 別のご婦人が、口を挟んでくる。
「私は、氷の山の物語の方が好きよ」
「あら、音楽は“岸壁の精霊”の方が綺麗だわ」
「それより僕は、獅子王の物語が好きだな」
 てんでに希望を口にするかれらに、レオナルドはにっこりと笑みかけた。
「ご希望が戴けるのは何よりですが、私の手は二本しかございませんぞ」
 云いながら、ぽろぽろと簡単な節を鳴らしてやる。
「それに、何も一曲しかやらぬとは申し上げてもおりません。さぁさ、順番です。はじめの曲は、何が宜しいですかな?」
 なおも笑みながら問いかけると、紳士淑女はまなざしとまなざしとで言葉をかわし。
「……それならば、贖罪の騎士の物語を」
 貴公子のひとりが云って、レオナルドを促すように頷いた。
「承知致しました」
 レオナルドは、にこやかに云い。
 リラ・ダ・ブラッチョを大きくひとつかき鳴らすと、そのまま朗々と声を張り上げ、贖罪の騎士の歌を歌いはじめた。
 昔、十字軍の遠征に従軍した騎士が、不在の間の妻の不義を疑って、遂にかの女を死に追いやった。後に妻の潔白を知った騎士は、独り、贖罪の旅に出る――
 ――不義など。
 物語に一喜一憂する人びとを見やり、レオナルドは心中で皮肉な笑いをこぼす。
 不義など、この場には掃いて捨てるほどあるではないか。謀略をもって兄を弑し、跡を継いだ甥を幽閉し、この世の春を謳歌するイル・モーロの宮廷には。
 今、かれの目の前で物語に酔いしれる男女にしてからが、どれほど貞操をかたく守っているか、知れたものではない。ちょっとした恋の駆け引きなど、かれらにとっては他愛もない遊びのうち、配偶者の他の人間と褥を共にしようとも、元の鞘に無事収まれるなら、それは“不義”とは呼ばれないのだから。
 しかしながら、かれらを心のうちで軽蔑してはみるものの、それに媚びへつらって生きるレオナルドもまた、かれらより“上等な人間”だとは、どう考えても云い張れはしないのだった。
 結局のところ、宮廷において、レオナルドの果たす役割とは道化のようなものだ。歌を歌い、面白おかしい小咄を語り、あるいはちょっとした手妻を見せる――それは、レオナルドが本来望んでいた“技術者”としての立場とは、ひどくかけ離れたものだった。
 だが――“馬”を完成させることができれば、それも変わる。
 スフォルッツァ家の威光を表す青銅の馬――かつてない姿の騎馬像を鋳造し得れば、レオナルドの名声は一気に高まり、このような道化めいた仕事もすこしは減ってくれるだろう。
 それまで、今しばらくの辛抱だ――とは考えてみるものの、やはり、この仕事がかれの性に合っているとは、とても云い難く。
 また、目の前で、この即興歌に一喜一憂する人びととの間に、越えられぬ距離を感じてしまってもいた。
 かれらは皆浅はかで、提示されたものごとに対して、深く考察しようとは考えない。鳥はどうやって空を飛んでいるのか、水は何故渦を巻くのか、人はどのようにして目の前の物体を“見て”いるのか。すべてを自明のこととして、そのわけを考えてみようともしないのだ。
 だが、レオナルドには、それらを“自明のこと”と片づけてしまうことができないのだ。
 花の雄蕊の描く渦、流れ落ちる水の渦、風の流れと鳥の翼のかたちの関連、光とものの見え方に至るまで――すべては、何らかの法則に従っているように思われる。
 その法則を“神の御業”と云ってしまえば、すべてはそこで終わってしまう。だが、技術者をもって任じるからには、その法則を細部まで解き明かし、それをあらたな技術へと繋げていく、と云うのが、すべての良き技術者のあるべき姿ではなかろうか。ちょうど、過去の優れた技術者たち、ブルネレスキやアルベルティのような人びとが、そうあろうとしていたように。
 だが――イル・モーロの宮廷の中では、そんなことを語り合う相手もない。
 ――サライは、今ごろ何をしているのだろうか……
 ふと、あの“小悪魔”の顔が、脳裏をよぎった。
 あのこまっしゃくれた少年は、今まで出会ったどんな人間とも違っていた。
 サライは、学識や教養を持たぬ代りに、それを補って余りあるほどの直観力を持っているようだった。そしてその故に、ほとんど先入観を持たずに、素直なまなざしでものごとを見つめることができるようだった。
 それはまったく、奇跡のようだと云っても良かっただろう。
 レオナルドはあまりにしばしば、人びとが先入観によってそのまなざしを曇らされているのを目にしてきていた。どれほど学があり、また明晰な頭脳を持っていても、先入観に目を曇らされていれば、大切なことも見落としてしまう。そうして、人がしばしば誤った答えに到達し、そして失敗していくのを、かれはいくたりも見てきたのだ。
 だが、サライは違った。
 同業のものたちと話してすら伝えることのできなかった、レオナルドの思いを、あの少年だけは易々と見抜き、またそれに対する的確な異論を返してくる。かれは、決して自らの思い込みを前提にしては物事を語りはしない。それ故に、レオナルドの言葉に素直に感じ入り、疑問があればそれを口にし、納得できれば素直に頷く。
 “打てば響く”と云うのともすこし異なる、だが、サライは確かに、深いところで繋がり合える相手だった。
 あるいは、サライこそ、かの古のギリシアの哲人が云った、“神代の昔にひとつの身体であったものたち”のかたわれであるのかも知れなかった。そうでなければ、これほどレオナルドとぴったりと重なる意識を持ってはいないだろう。
 ――早く帰って、サライと話をしたい……
 こうしていると、自分がひどく淋しい人間のように感じられるのだ。
 その気分を払拭するために、はやく自分の家へ帰りたかった。
 このような、鍍金のごとき教養を振りかざすものたちの間などではなく、心からわかり合える人間と、一緒に語り合いたかった。
 そうは云っても、思うようにならぬのが宮仕えの身の切なさで。
 レオナルドは、にこやかな笑みを貼りつけながら、そっと胸の裡で溜息をこぼした。


† † † † †


ルネサンス話、続き。
イル・モーロの宮廷における先生。


この辺のあれやこれやは、白水社の分厚い本を参考にしたりしなかったり。
万能の天才様は、歌も歌えます、鍋も直せます、兵器も作れます、もちろん絵も描けますよ。ま、この時期の“芸術家”っつーか職人、はみんなそんなもんだけどね(笑)。先生の場合は、鍋を直すと、余計な機能も付いてくる(笑)。
ところで、昔の即興楽人のレパートリーってよくわからないので、ひとつを除いて、他はみんな創作です。ホントにあった歌(っつーか)は“モルガンテ”。例の“サライ=小悪魔”のネーミングの元になったと云われている詩。ルイジ・プルチの作ですね。
歌――歌を書くって難しいよね……絵について語る方が、個人的には何倍も楽、そう云えば。


しかし、本館にログを載せるために過去に書いた部分を読み返したのですが――うぅうむ、この話は、(漫然と書いているだけに)あんまりまとまってないなァ……っつーか、これは金の取れる文ではないね。まァ、取ってないから許して、って感じではありますが。
多分、打ち出しして、話の連結をきちんとチェックしてないからだと思うんだけど……うぅうむ、これはなァ……(すみませんねェ、こんなん載っけてて)
いずれ直したい、けど、まずは進行させてから、かなァ……鉄ちゃんの話と一緒かよ……ははは……
あ、ログ、13まで本館にUPしてますよ〜。


そう云えば、4月1日発売のPenで、先生の全絵画作品+解説、を第一特集にするっぽいんですけども……一昨年ならまだしも(「受胎告知」が来てたしね)、何で今年、先生の特集よ? 没後500年は、まだ10年先だし、今度のルーヴル展だって、先生絡みは来やしないってのに……
ま、とりあえず事前発注(って云うか)はN販に云ったからな。どれだけ動くか不明(や、全国的には動くと思うけど、うちの店舗的に)なのですが、私は確実に2冊買う気なので。保存用と読書用とね(笑)。
それにしても、Penかァ……ホント、どんだけ動くかなァ……


ところで、この間神保町に行ったら、東京大学出版会発行の「大日本古文書 家わけ三 伊達家文書 一」が出てた――大体こういうのって、全巻セット(伊達家文書の場合は全十巻)で売ってるのが普通なんだけど。
とか思いながら、駄目もとでとN販Webセンターをあたってみたら、他の必要な巻数も在庫がある……(っつーか、版元にもまだあるっぽい)
さァて、これは戦国(not BASARA)をやれと云う神のお告げか?
しかし、伊達は結構、山岡荘八ので満足してるんだが――猫絡みとかその辺書けばいいんだろうか……うむ。
とりあえず一を買ってみました(お蔭で、ライブ、もとい“ワンマンショー”に遅れそうになった……)。ついでに二も発注中。
さァて、このブログのカテゴリに“戦国”が加わる日は来るのかしら……


この項、終了。
次は、またしても、同居バトンサルベージ編〜。