北辺の星辰 39

 江差駐留は、短期間で終わりを告げた。
 別動隊である一聯隊が、中山峠越えで館城を攻略、鶉村を経て、乙部方面へと進軍したからだ。
 松前藩士たちは、一聯隊に追われるように北上していったが、もはやこの地で戦うと云うよりは、いかにして主を無事に落ち延びさせるかと云う、その一点に総力を注いでいるようで、そうであるならば、これ以上陸軍を無駄に疲弊させる謂れはないと、榎本が判断したからでもあった。
「これ以上の追走は、一聯隊に任せておしまいになればいい」
 榎本は、開陽の座礁で曇りがちな顔を、それでもにこやかば風にして、そう云ってきた。
「一聯隊を率いる松岡君は、私もよく知っていますが、中々優秀でしてね。かれに任せておけば間違いはありません。それよりも土方さんには、松前の事後処理をお願いしたいのです」
 正直に云えば、それはそれで、厄介ごとを押しつけられたような気分であったのは間違いなかった。
 いくさばかりでなく、ちょっとした小さな事件――それは、例えば京において不逞浪士のひとりを取り押さえでもしたときなど――であっても、事後処理と云うのはとかく七面倒になりがちなものだ。
 まして、自分たちが攻撃した街の、いくさの事後処理など――面倒にもほどがある、と云うのが歳三の正直な気分だった。
 だが、
「――承りました」
 それでも、そう頷いたのは、結局のところ、これ以上榎本ら海軍畑と作戦をともにすることに、それ以上の面倒くささを感じたからに他ならなかった。
 一聯隊を率いる“松岡四郎次郎”は、例の松前攻略時に先制攻撃を仕掛けてくれた松岡磐吉と同一の人物だった――この一点をもってしても、歳三の気分をげんなりとさせるには充分だった。
 ――松前の時と同様に、先走られて、こちらの思惑が無駄になるのなんぞ、もう御免だ。
 おまけに、その松岡の独断専行を、おそらく榎本らは咎めぬだろう、と思えば、馬鹿馬鹿しさも一層のものになる。
 そうとも、榎本とても、松岡のことを四の五の云えはしないのだ。かれは、江差攻略に必要もなかった開陽を動かし、挙句の果てに座礁させて己の力を削いでしまったのだから。
 ともかく、海軍畑とはさっさと離れるに越したことはなかった。
 十一月十八日、歳三は、額兵隊、衝鋒隊彰義隊を率い、松前へと帰陣した。
 松前では、消失してしまった城下町の復興の最中だった。町人たちは、家屋敷の立て直しに必死で、この街を今後支配することになる幕軍には冷ややかなまなざしを向けてくるばかりだった。
 街を焼いた悪人ども、と云わんばかりのまなざしに、歳三は、何ともやるせない気分になるのを感じていた。
 城に火を放ったのは幕軍ではなく、松前藩兵であったのだが、しかし歳三たちが攻め寄せてこなければ、城を焼かねばならぬ事態になりはしなかっただろうから、批難に一理あることは否めない。
 それにしても――街のものたちのまなざしの冷やかさに、歳三は、この先の幕軍蝦夷地支配に不安を感じざるを得なかった。
 その土地を久く治めていこうと考えるなら、そこに住まうものたちを敵に回してはならないのだが――とは云え、幕軍が、外地からの侵略者であることは確かだったから、それで制圧した土地の人間とうまくやるなど、あり得ない話であるのかも知れなかった。
 ――だがまァ、それァそれで、正しいのかも知れねェなァ。
 そう、そもそも、歳三のなすべきは、この蝦夷地で幕軍を敗北させることなのだ。
 であるからには、下手に土地のものに受け入れられるよりも、むしろ反感を買う方が後々のためになるだろう。完全に反発されて、ここで薩長と戦うことすらままならぬようではいかにも拙いが、さりとてあまり味方されても、今度はこちらに遺恨が残ることになる。まなざしが冷やかなくらいで丁度良い、と考えておくべきなのだろう。
 ともかくも事後処理を進めているうちに、箱館より、人見勝太郎率いる遊撃隊が松前に入ってきた。
「榎本さんから、松前を引き継ぐようにと云いつかりまして」
 と、人見は、にこやかに云ってきた。
「土方先生に、是非とも凱旋将軍として、五稜郭に入って戴きたいのだそうです。――箱館市街には、外国人の居留地もありますから、そちらへ威を示したいとの意向なのだと思われますが」
「ははァ、なるほど」
 日本のほとんどを敵に回すようなことになった以上、外国の後ろ盾を得て、この不安定な蝦夷地支配を実のあるものにしよう、と榎本は考えたのか。
 なるほど、発想としては正しいのかも知れないが――勝や、薩長の輩も、諸外国勢力の介入を避けてことを運んだのを考えれば、これが後々厄介な事態を引き起こすことにならぬとも云い切れぬ。
 ――良順先生が危惧されたことも、諾なるかな、だなァ……
 仙台で別れる間際に、松本良順医師が口にしていた言葉を思い出す。
 ――俺ぁ、奴のあの考えの甘さが、どうにも気にくわねぇんだ。
 松本医師の云うとおり、まったくもって榎本は考えが甘い。
 今回の開陽の件など、まさしくそれが顕著に出た例だとも云えるだろうが、とにかく目先の利に捉われがちであるし、立てる作戦も、すべてが最良の結果を出した上でないと進まないようなものを組んでくる。
 ――まァ、それで、俺の本当の目的にも気がつかねェんだろうが……
 それにしても、頂点に立つ榎本があの様では、蝦夷地支配もそう長い間継続させることはできるまい。
 榎本が頼みとしている諸外国の勢力も、いずれ、幕軍の支配の実効性の薄さに気づき、江戸入りした薩長の輩、あるいは朝廷のものたちと手を結ぶことを考えるだろう。
 そうなれば、いよいよ幕軍は孤立し、自分たちの力のみで薩長軍と戦わねばならなくなる。その先にあるのは、敗北のみ。
 ――……それァそれで、俺としちゃあありがてェが、な。
 どのみち、敗北こそが歳三の最終的な目的であれば、それはそれで構わぬ話ではある。
 だが、幕軍が力を出し切り、死力をつくした上での敗北でなければ、それもまた、後に禍根を残すことになるに違いない。
 最終的に敗れ去るとしても、最後の戦いまでは、士気を高く保たねばならぬ。
 そのためには、このような茶番のひとつやふたつ、つき合ってやらねばなるまいか。
 なおも凱旋の意義について語る人見にうすく笑みを返してやりながら、歳三は、胸のうちでそっとひとつ吐息した。



 慶応四年――あるいは明治元年十二月十五日、歳三は、額兵隊などを率いて、箱館五稜郭へと帰還した。
 先行する衝鋒隊彰義隊を露払いとした鳴物入りの凱旋は、この日行われていた全島平定の祝賀会に花を添えるものとなったのだった。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
松前攻略完了。


松岡四郎次郎が磐吉とイコールになっておりますが、別に混同しているわけではありません。どうやら同一人物らしいと云う(電波)情報を貰ったので、そのラインでいってます。
っつーか、真剣に“四郎次郎”がどんなひとかわかんなかったんで。そんな人いたっけ、的な。“磐吉”は逝って良し殺って良しの相手なんだけどね、ふふ……
つかアレだ、鬼の海軍畑に対する不信感ってのは、間違いなくこの松前江差攻略で培われたよね。
まァともかく、松岡磐吉=四郎次郎の件に関しては、“二人”の行動が重なってないこと、と妖しげな筋からの裏付け情報とで、今後同一人物として扱っていきますので、宜しくお願い致します。「別人!」とか云われても、私の知ってる限りでは同一人物なんで。


しかし、こうやって蝦夷地制圧まで書いてきてみると、意外と先は短そうな気も……そうでもないのかな……
だって、制圧後の箱館は(割合)暇だったって話だし(鬼が居眠りできるくらいにはね)、その後の戦いったら、宮古湾→二股口→箱館市街戦、で、間に鉄ちゃんとの別れとか、武蔵野楼とか挟んでもそんなには……
とりあえず、当初の予定通り(?)60章くらいで終了、か。
問題は、書き直し中の鉄ちゃんの話――今、元の文章を再利用しつつ、五兵衛新田転陣あたりまで来ているのですが……えーと、何か流山前までで100kb(txt換算)越えそうなカンジが……元の話だと、入隊〜流山までで4章くらいだったのに、書き直し分だと10章近いよ……(汗)
さァて、こっちは最終的に何章で終わるのかな……ふふふふふ(汗)。


ところで、「アサギ 新選組刃義抄」を読んでたら、ついでに引っかかったのが、やはり「ヤングガンガン」連載の「死がふたりを分かつまで」。原作は「スプリガン」の人だ。
主人公の片割れが、盲目の剣士・土方護、って――えーと、やっぱそっちから引っ張ってますか?
とりあえず、気になって気になって、遂に9巻まで一気買いしてしまいましたが、やはりすっげ面白いわ。っつーか、すみません、「アサギ」よりこっち。
座頭市と、一ちゃんと万ちゃんと総司を足して3で割りつつ、他の部分はかなり鬼(ガラの悪さとか、情けと容赦がないところとか)、か? な感じの主人公(男)。
っつーか、本篇もさることながら、巻末漫画でアシさん(過去の)に井川×護とか云われてた主人公(男)の立場って一体……っつーか、作者に直で云うとは、ねーさんつわものですね……
ま、主人公(男)のディテール(笑)は措いても、ふっつーに面白いので、お勧め。「スプリガン」好きだった沖田番には、今度そっと貸してやろう……


この項、終了。
次はルネサンス――えーと、そろそろ女性向け……?