「暁の誓い」観劇記。

と云うわけで、予告どおり観劇記。
東池袋あうるすぽっと(豊島区立舞台芸術交流センター)で上演中の「暁の誓い」です。
ネタばれを含む&毒吐いてます(しかし畳まない)ので、ご注意!


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またしても山南役と一緒の観劇です。
明治九年三月、廃刀令施行直前、釜さん、鳥さん、ガタ、陸奥、一ちゃんの五人が函館に集結する。五稜郭に出ると云う“土方歳三の亡霊”を退治するために――と云うおハナシ。
作・演出はカニリカ放送作家らしい――そう云や、ロビーに番組絡みの花とか来てたよね。
役者さんは、特撮系の人やらお笑いの人やら、あとStudio Lifeの人もいるわ。Studio Lifeは、以前「ロミジュリ」の暗い過去(笑)があるので(本館の日常雑記ブログに感想を書いたことが)、さてどんなもんかいと云うカンジだったのですが。


……えーと、うーんと、飾らずに申しますが、何か学芸会っぽいと思っちゃった……
いや、役者さんが下手とか云うのではなくって(鳥さん役の萩野崇さんは特に良かった――が、鬼役の徳井健太と云う人は、軽すぎて駄目だ)、何と云うか、演出が。うんまァ、脚本も(以下略)だったんだけどさ、特に初手のところ、舞台としてはどうかなーと云う。
っつーかアレだ、これTVドラマだったら、カメラアングルとか、カットの仕方とかで見れる流れだったと思うんだけど、舞台はさ、アップとかできねェから。その辺でメリハリが全然なくって、どうよと云う。
台詞まわしはスムーズでしたよ。スムーズだったから、逆に引っかかりがまったくなくなって、なだらかに上下する乗物に乗ってるような感じだったと云うか。あれが、舞台ではなくラジオドラマとかだったら、もっと効果音とか音楽とかがつがつ入れてやったら、それなりに聴けたんじゃないかと思いました。音楽、オリジナルで作ってるっぽいのに、超もったいねー。


個人的に、物語は(どんな表現手段であれ)一種のジェットコースターだと思ってる(純文はこれには当て嵌まりません)のですが、その基準からすると、この話は心臓の弱い人でも超余裕なコースターですわね。刺激が足りん。
いくつかの山と谷、途中に緩やかな下り坂と一気に奈落へ落ちるための急な登り傾斜、があるのがいい物語だと思うのですが、この話には、それがとっても欠けていた。
話として、まとまっていなかったわけではないんですが、それよりも、破綻すれすれのパッションが欲しかったなー。
っつーか、昔語りとかもっと削って良かったんじゃ? もちろん、歴史的な事実で、知っておかないと話の説明がつかないことがあるのはわかるのですが、一ちゃんと鬼の回想なんぞなくても良かったんじゃね?
それよりも、いよいよ亡霊が出たあたりの立ち回りとかを、もっと音楽で緊迫感を上げて、でもって、見得を切る的決めるとこは決める感じでアレコレした方が、もっと盛り上がったと思う。


あとね、結局(釜さん、鳥さん、一ちゃんはともかくとして)ガタと陸奥が函館くんだりまで出てきたのは、何の意味があったのか、それの説明は入れるべきだったと思う――陸奥狂言回しでも何でも構わんのですが、あの流れであのラストだと、ガタと陸奥である必然性がわからんので。別段、他の連中でも構わんだろ、とか思っちゃうわけですよ、あれだとね。
それに絡むところなのですが、“土方歳三の亡霊”の処理も戴けなかった。あれが鬼の亡霊じゃないのはいいとしても、それならそれで、こと切れる前に、食い詰めた侍崩れ(精神病んでる)の恨みごとのひとつも云わせておいて、それから廃刀令と、西南戦争やそれに続く士族の反乱の予感的なものをにおわせた方が、“史実に基づく”(って、新聞の紹介に書いてあったのよ)話としては良かったんじゃないの? ガタや陸奥は、その後第二次世界大戦にまで至る、軍国主義へのレールを敷いた人たちなんだから、その辺のこともきっちり取り上げないと、あの二人を出した意味がないと思うんだけど。
あのラストだと、廃刀令施行直前に日時を設定した意義も消えちゃうし、ガタや陸奥の存在意義もなくなっちゃうと思いましたよ。
鬼の、冥界からの声(? “俺の分まで生きろ”とか云う)やら、各人の謎のトリビア的略伝なんぞほっぽって、そう云う時代のうねりをすこしでも入れた方が、すとんと腑に落ちたんじゃないのかなァ。
ともかくも、あれじゃあ、いつ終わったんだか判然としないラストで、消化不良でしたわ。


ちょっと話は擦れるのですが、この間の月曜日(十三日ですね)に、5/1公開の「GOEMON」の試写会に行ってきたのですよ。
正直、良かったかと訊かれると、「好みじゃねェ」っていうお話だったのですが――それでも、あれは“プロのお仕事”だなァ、とは思いました。アクションは過剰だし、CGバリバリで、FFとBASARAと無双を足して3で割ったような話だなァとか、そう云うカンジだったのですが。
うん、正直、ヒロスエは全然良くないと思ったし、キリタニ監督だっけ、あの人のいろんな人物解釈も、自分とはあわねェと思った。
でも、それを加味しても、「GOEMON」はよく出来てたなァと思ったのです。
まァ、細かいアレコレ(初手の五衛門と才蔵のアクション長すぎ、とか、茶々のキャラがイマイチ、とか)はいろいろあったのですが、それでも、それを超えて、あの話は認めるべきものがあった。好きか嫌いかって云われたら、好きじゃないですよ? でも、あれはよく出来た映画だったのは認めます。
あとね、昔見た、鴻上プロジェクトの舞台とか。男二人、女一人の三人のうち、誰か二人がいつも恋人同士で、しかもその一方が精神を病んでると云う。それが、恋人の組み合わせも、精神を病んでいる人物も、どんどん入れ替わって――下手をすると、精神を病んだ恋人をやさしく抱きしめた次の瞬間、抱きしめている人間が“精神を病んだ恋人”にされるという、そう云う舞台でした。あァ、これは舞台でしかできない話だな、と云う。
私が、舞台とか小説とか漫画とかに求めてるのは、そういうものだ。好き嫌いを凌ぐ価値、好きではなくとも認めざるを得ない何か。
別段純文的価値でなくても全然良くて、例えば劇団四季の舞台だってそれに分類されるんですが。エンターテインメントの極みとかね。
そう云うものが、私は見たいのです。そうでなければ、一部の同人作家の書く物語にあるような、人物や物語の背景や、そう云ったものに対する溢れんばかりの愛だとか。
そう云うもの、求めてます。小手先のものなんかいらない。プロの仕事か、アマチュアの愛、下さいな。


えーとえーと、役者さんに関しては、一番良かったのは、前述のとおり、鳥さん役の萩野崇さん。史実の鳥さんっぽく(まァ、本人はもっと天然だけどね/笑)大らかで、なるほど、この人中心な構成なのねと納得。その割には、イマイチ主軸っぽい話の作りじゃなかったけどな(苦笑)。
釜さんの弓削智久さんは、まァまァイメージ、かな。ちょっと熱血過ぎだけど。
一ちゃんの出合正幸さん――ごめん、キャラ設定のせいで、どうもアレだ。一ちゃんが鬼ラブをあからさまに! と、その辺違和感感じちゃって、っつーか、別れ際も喧嘩別れだったしなー。
ガタの高根研一さん、……うぅ〜ん……まァStudio Lifeの人だなァと云うか、少々(まわりに較べて)演技がオーバーだったので、それが鼻についた感が。ガタのキャラ立ても厭な奴キャラだったので、余計にそう云うカンジだったのかも。
陸奥の吉村崇さん、この方お笑いのひとなのか――はじめ、ミスキャストかなーとか思ってたのですが、お話の中的にはいけた。
で、お笑い的にその相方らしき徳井健太と云う人がアウト。いっそ、カッコつけずに崩してくれて良かったのに、と思った。鬼が出てくるとこ、真剣キツかったですよ……


そう云えば、私どものお隣りに坐ってたの、何かどっかのプロダクション系? の偉い人っぽかった――えーと、どちらの方で?
あと、帰りがけ、たらっと歩いてたら、サンシャインシティ近くで、鳥さんの人が、リーマン風の人と連れ立ってるのと遭遇しました。うーん。


とりあえず、1時間45分の舞台が、えっらい長く感じました。
結局、TVの人は、舞台には向かない、と云うことで終了。


さてさて、この後は、先生の話の続きに戻りますよー。