神さまの左手 16

※若干女性向けの表現があります。畳みません(それほどでもないので)が、自己責任でお読み下さい。



 レオナルドとそのような関係になったのは、本当に、ふとしたはずみからだった。
 いつものように絵のモデルをしていたサライの肌を、レオナルドの手が滑っていった時、それが際どいところへ滑り込んできたことを、かれは意外だとも、不快だとも思わなかった。
 周囲の大人が、そのような行為に耽っていたのは知っていた――もちろん、男女のそれではあったのだが――し、男同士でそのような関係になるものもあることも知っていた――何しろ、下手をすると、サライは父親に、そのような趣味の金満家に売りつけられていたかもしれなかったのだから。
 それを思えば、相手が神さまのようなレオナルドであったことは、サライにとって幸いだったと云っても良かっただろう。好きな人が、自分に好意を持って触れてくれる、それならば、見も知らぬ金持ちの老人――金があって、子どもを買うのは、年寄と相場が決まっている――にどうにかされるより、何倍もましだったろう。まして、相手は“大好きなレオ”なのだ。
 悪戯を仕掛けてきたレオナルドが、後になって、後悔するような顔をしたことに、サライは気がついていた。
 大方、大人の義務がとか、男色の禁がとか、そんなことを考えたに決まっている。
 だから、ことが終わった後に「内緒だぞ」などと云ってきたに違いないのだ。
 まぁ、内緒にせねばならぬのは当然のことだ――男色を為したことが教会に知れれば、レオナルドもサライも、下手をすれば死なねばならなくなる、が、共通の秘密を持ったことは、サライに隠微な安堵をもたらした。
 これで、レオナルドがサライを捨てることはなくなるのだ――もちろん、今まででもその不安を感じたことはそれほどなかったのだが、これでその心配は一層小さくなった。
 レオナルドは、ことが教会に知られるのを恐れて、サライを手離すことはないだろう――それは、まだ稚いサライにとっては、安心感のもとでしかありはしなかった。
 結局サライは、まだ年若い少年にしか過ぎなかったのだし、そうである以上、たとえレオナルドの許を離れたとしても、身を売るなり盗みを働くなりして食い扶持を稼いでいかねばならなくなる。そうであれば、かれが官憲に捕まったところで、火刑やら絞首刑やらに処されることになるのだ。
 それならば、このまま、己の愛する――そして、もちろん向こうも自分を愛してくれている――レオナルドの許に留まるのが、もっとも幸福に近い道筋であることは目に見えていた。
「――レオ?」
 ことに及んだ翌朝、珍しく遅く起きたサライがそう呼びかけると、レオナルドはびくりとして、罪悪感と後悔と、後ろめたさの入り混じった表情を、こちらに向けてきた。
「おはよう、レオ。腹へったよ」
 その表情に気づかぬふりで、にかりと笑ってやれば、レオナルドは安堵を滲ませて、
「あ、ああ、すまんすまん。今、朝食にしよう」
 ほっと吐息まじりにそう云ってきた――まったく、わかり易いことだ。
 レオナルドのことだ、どうせ“いい大人が、幼い子どもに手を出してしまった、どうしよう”だの、“これが教会に知れたら大変なことに”だの、そんなことを考えていたに決まっている。
 ――俺が、あんたのこと教会なんかに突き出すわけねぇってのにな。
 己の“神さま”を売るような真似などを、誰がしたりするものか。
 教会の神よりも何よりも、サライにとっては、レオナルドこそが絶対だった。それは、単にレオナルドに拾われたから、などと云う簡単な理由からではなく――譬えて云うならば、魂の根源のところに刻みこまれた何か、生まれる前から思い定めていたかのような絶対的な思い、そのようなものに突き動かされてのものであると云っても良かっただろう。
 パヴィアで出会ったとき、確かにサライを拾うと決めたのはレオナルドであったのかも知れないが、そのレオナルドについてゆくと決めたのは、他ならぬサライ自身であったのだ。
 望まねば、サライは遠いミラノまで来ることなどなかっただろうし、父親は、むしろサライと云う金づるを手放すことを渋ってすらいた――実際、それでレオナルドは、父親にかなりの金を渡していたはずだ――くらいだったのだ。
 その父親の意思を振り切って、レオナルドの手を取ったのはサライなのだ。
 この上、より一層レオナルドとともにあれると云うのなら、かれと寝ることなどに、何の抵抗があるだろう。
 だが――レオナルドは?
 ふと、サライは不安になった。
 サライは、レオナルドのものになることに抵抗などなかったが、では、果たして当のレオナルドはどうなのだろうか。
 レオナルドにとっては、サライと寝ることは戯れのひとつに過ぎず、サライのこともまた、飽きれば打ち捨てたままにすると云うのだろうか――描きかけのかれの絵の数々のように?
 ――……そんなはずねぇよ、な……?
 サライは、ぶるぶると頭を振って、自分に云い聞かせた。
 そうだ、確かにサライとレオナルドの関係には、優劣がある。レオナルドが、サライのことを“要らない”と思えば、そこでふたりの関係はおしまいになってしまうのだ。
 ――あんたは、俺を要らなくなる日がくると思ってる……?
 サライはそっと、朝食の席を整えるレオナルドを見やり、心の中で問いかける。
 この“天才”レオナルドにとっては、サライの存在など――戯れに拾ったに過ぎないものなのではないか。
 だが、問いかけようにも、もしも肯定されたならと、そればかりが恐ろしく、サライはじっと、レオナルドを見つめるより他なかった。
 と、
「……どうした、サライ?」
 レオナルドが、皿を置く手を止めて、そう問いかけてきた。
「……いいや」
 サライは、首を振った。
 こんな懸念をレオナルドに云ったとて――疎ましく思われるのが関の山だ。
「ちょっと考えごとをしてただけさ。――で、俺は何を手伝やいいんだよ?」
「それならば、チーズを出してくれ。今日は遠出するからな、栄養をとっておかないと、大変なことになる」
「はいよ。――で、遠出って、どこまで……?」
 探るように問いかけると、
「街道の西の村までだ。そこの石工に、珍しい石を見せてもらえることになったのでな」
 なるほど、それは、それなりに“遠出”だ。
「へぇ……じゃあ、頑張って食べなきゃじゃん、レオ」
 置いて行かれる――そんな不安を押し殺して、気のない風を装って、サライが云うと、
「他人事のように、何を云ってる」
 レオナルドは、肩眉を上げて、そう云ってきた。
「え? でも……」
「お前も行くんだ、当然だろう? ……もちろん、差し支えなければ、の話だがな」
 気遣うようですらあるその言葉に、サライは、落ち込んでいた気分が一気に浮上するのを感じた。
「――行ってもいいのかよ?」
 もう一度、念押しに問いかける。
「当然だ、お前は私の助手なのだからな」
 さらりと返されたその言葉に、心中で快哉を叫びながら。
「……仕方ねぇな、ついてってやるよ」
 サライはそう云って、悪餓鬼よろしく、掌で鼻の下をこすり上げた。


† † † † †


ルネサンス話、続き。


それっぽい内容になってきましたが、まァ“本番”ないしな、と思って、敢えて畳みませんでした。
12歳に悪戯ってどうだろう、と思ったのですが(や、今なら世間的には犯罪だけどさ)、考えてみたら、12歳って“やりたい盛り”の入りがけだよなー、とか思ったりして。まァ、それだって犯罪には違いないんだけども(苦笑)。
しかし、何かこう、書いていくと、先生は多分“やっちゃったー!”とか真剣に考えてたと思うんだけど、サラはこう……前向きだな(汗)。
まァ、確かに子供って、こういう打算とか考えるとこはあるけども。
うーむ……とりあえず、良い大人は先生の真似しちゃいけませんよ! (笑)


ところで、ここんとこの阪コミさんとテレ東の、企んだかのような“ふたりレオナルド・ダ・ヴィンチ祭り”は何だったんだ……
っつーか、まだ没後500年にはちと早いぜ、とか思ったんですが――何だろうねー、人気なの、先生?
一瞬、「天.使.と.悪.魔」映画化のせい? とも思ったけど、ありゃどっちかっつーとみけらにょろだ、っつーかもっと云うとガリレオさんだろって云うか。
つか、みけ、あんま人気ない(や、先生に較べるとね)よねー。ぐあああぁぁぁとか云ってるから?
ここ暫くの新撰組祭り(だよねェ)もそうだし、戦国の伊達好きもそうだけど――ああ云うタイプって人気あるのか……そう云えば3人とも一様に“美男子”って形容が記録に残ってるよなァ。
まァ、ゲームの伊達(みんな渡辺謙似)はカッコいいよね。私も好きだ。史実の殿は、確かに好みだけど、どっちかっつーと政治家に多いタイプの顔だけどな(笑)。あれで性格が自分とほぼ同じでなければ、ホントに惚れたのだが……「独眼龍政宗」見るのは、ホント、羞恥プレイだ……


この項、終了。
次は、阿呆話、ではなくて、観劇記で〜。