北辺の星辰 40

 祝賀会の会場は、人、人、また人であった。
 聞けば、箱館に駐留する各国領事、また海上に停泊している各船将も、榎本が招待したのだと云う。
 なるほど、云われてみれば、異国の人間の姿もあちこちに見えるし、聞こえてくる言葉も、訛りでは済まぬ異国の響きを持っているようだ。
 各国の要人たちも、また榎本や松平、大鳥などの幕軍幹部たちも、皆晴れやかな装いでこの場に臨み、祝賀の杯を掲げている。
 ――それに較べて、俺のこの格好ときたらどうだ。
 長い戦闘の日々に擦り切れた己の衣服を見て、歳三はそっと吐息した。
 確かに、今日この日に帰還するようにとの榎本の書状には、同時に、そのまま祝賀会に出席してもらいたいので、それらしい装いで帰ってくるようにと添え書きがしてはあった。
 だが、そもそも洋装などこの一着しか持たぬ身であれば、“それらしい装い”と云われても、せいぜいが綺麗に髭をあたり、行軍の埃を叩き落してくるくらいがいいところなのだ。
 その上、語学に暗い歳三は、各国の要人たちが何を話しているのかなど、まったくわからぬような有様だ。
 そんなこんなで、祝賀会がはじまったばかりだと云うのに、歳三はもうこの場から逃げ出したくなっていた。
 これが、膳を並べての宴席であったなら、まだしも良かっただろう。己もひとも、各々割り当てられた席が存在し、席の移動も、酌をして回るくらいのものであったなら、まだ。
 ところが、今回の祝賀会は、各国の領事などを招いていると云うこともあって、欧米風の大皿盛り――“ビュッフェ形式”と云うのだと、榎本は得意気に云っていた――での宴となっていた。しかも、これは立食形式、つまりは、皿や杯を手に、好き勝手に卓を移動する形式の宴なのである。
 これはと思う人と語らうのに適した宴席だと、榎本らは云うのだが――語らう相手もない歳三にとっては、迷惑極まりないものだった。
 しかも、新撰組の連中でもいればましだっただろうが、生憎とこの祝賀会に参加できるのは、各隊の幹部以上の人間だけなのだ。島田たち、気心の知れた人間は、兵舎の方で酒肴を供されていると聞いている。
 ――できれば、あっちに行きてェんだがなァ……
 しかしながら、一応この祝宴の“主役”の一人であれば、そのようなわけにもゆくまい。
 歳三は溜息をついて、どこか壁際の、目立たぬ場所にもぐりこもうと、あたりを見回した。
 と、
 ――あれァ……
 すこし先に、江差で出会った初老の男――中島三郎助の姿が見えた。
 見るからに気難しげな中島の気性がそうさせるものか、かれのまわりにもまた、余人の姿はない。独りで悠々と杯を傾け、時折あたりに鋭いまなざしをおくっている。
 これは好機かも知れぬ、と歳三は考えた。
 普段、海軍畑とは疎遠なので、わざわざ訪ねていこうにも、敷居の高い感がある。だが、今この時であれば、すこし言葉をかわしておけば、次に出会った時に話をしやすくなるだろうし、うまくいけば、知人の範疇にくらいは入れてもらえるやも知れぬ。
 何より、この憂鬱極まりない宴席で、言葉を交わしたい相手が見つかったことに、歳三は心底ほっとしていたのだ。
 中島の傍に歩み寄り、そっと頭を下げる。
 と、相手は面白そうに唇を歪め、
「おう、何だ、勝の狗」
 と、例の呼び名を口にした。
 歳三は苦笑して、人差し指を唇にあてた。
「それは、ここら辺では勘弁願います」
 歳三が、勝の命で動いていることは、江戸を脱した当初はともかく、今となってはほとんど知るものもいないのだ。
 正直、このことが中島の口から他のものたちに知れて、著しく士気を下げるようなことになれば、非常に拙いことになる。
 死力を尽くして戦い切ってこそ、後に遺恨を残さずに済む方法であると云うのに――そんなことになれば、死力を尽くすどころの話ではない。
 だが、中島は、ふんと鼻を鳴らしてきた。
「勝の狗は勝の狗だろう。――まぁ、何でも構わんが」
 そう云うと、かれは硝子の馬上杯を、薄い唇に押し当てるようにして呑み乾した。
「……で、お前はここで、何をやってる? 今日の主役のひとりだろうが」
「……いやァ」
 云われて、歳三は頭を掻いた。
「お恥かしい話なんですが、私は学がないもので……異国の領事なんぞと云うお偉いと同席するのは、少々荷が重いんですよ」
「何を云う」
 中島は、にやりと笑った。
「聞いているぞ、お前、江戸で公方様の警固を任されたそうだな。そのお前が、たかが異国の領事ごときに、引け目を感じるとも思えんのだがな」
「……そのようなことは、決して」
 将軍の警固は兵卒の仕事だが、異国の領事との応接は官吏の仕事だ。つまりは、こう云ったことは、まったく歳三の職掌にはなかったと云うことだ――すくなくとも、今までであれば。
 だが、中島は、かるく肩を竦めただけだった。
「どうだかな」
 意外に買い被られたものだと思うが、同時に、そのように買ってくれていることを、嬉しくも感じる。
 中島のような人物には、評価されること自体が難しいので、その人物の目に、多少なりとも価値があると映るのは、確かに喜ばしいことなのだ。
 買い被りだと思いながらも、歳三は、浮きたつ心を抑えきれなかった。
「御目を疑うようで恐縮なのですが、しかしながら、中島殿は私を買い被られておいでです。私は本当に、つまらぬ野良犬なのですよ」
 結局のところ、歳三はやはり、本当の意味での“武士”ではあり得なかったのだ。所詮は多摩のバラガキだ、喧嘩や戦はできるとしても、このような異国のものとの交渉などには、まったく手も足も出はしない。それは、やはり学のある、異国の事物のわかる人間のすることであって、歳三などの出る幕ではあり得ないのだ。
 だが中島は、また別の意見があるようであった。
 唇を捻じ曲げ、何か云おうとするような素振りをし――やがて、思い直したように口を閉ざすと、「ふん」とひとつ鼻を鳴らした。
 歳三が、何を云おうとしたのか訊ねようとした時。
「……ヒジカタサン!」
 片言の言葉とともに、大きな腕が、歳三を後ろから抱きすくめてきた。
「うぉっ?」
 思わずたたらを踏んで、歳三は、肩越しに腕の主を振り返った。
「何だ、ブリュネ殿ではないか」
 中島が、面白そうに云った。
「ハイ!」
 青い瞳の青年は、頷いて目を輝かせた。
「ヒジカタサンは、スゴイ! ……」
 と、熱を入れて語ってくれたのは嬉しいが――歳三に聞き取れたのはそこまでで、あとは何やらよくわからぬ言葉が、立て板に水、だ。
 が、中島の方は聞き取れているものか、頷きながら一言二言返している。
 と、こちらの方へ目をくれるや、中島はにやりと笑ってきた。
「お前を、本国へ連れて帰りたいと云っているぞ」
「は?」
 本国、と云うのは、かれらの故国である仏蘭西と云うことか。
 だがそれならば、かれは、歳三を仏蘭西に連れて帰って、どうしようと云うのだろう。
 首を傾げていると、中島が、呆れたように溜息をついた。
「“新撰組の鬼”と呼ばれた男が、存外鈍いものだな。……カズヌーヴ殿が、お前とともに、松前攻略戦に参加していただろう。ブリュネ殿は、カズヌーヴ殿からお前の働きぶりを聞いて、それで“本国へ連れて帰りたい”と云っておるのだ。お前、随分と買われたものだな」
「……はァ」
 確かに、カズヌーヴは松前攻略戦に参加してはいた。松前攻略軍の参謀格としての従軍であったのだが――異国語のわからぬ歳三と、拙い日本語しか話すことのできないカズヌーヴでは、意志の疎通も円滑さを欠き、結果、歳三は勝手に指揮をとっていたのだった。
 確かに、それでも松前は陥落した。だが、それは専ら、額兵隊の星や衝鋒隊の渋沢、永井らの発案を歳三が容れただけの話であって、特段に作戦がどうのと云うこともないはずだ。
 そう云ってやると、中島はまた、にやりと笑いかけてきた。
「わかっておらんな。目下のものの意見を入れられる度量があると云うことが、つまりは将の器だと云うことだろう。その上で、人心の掌握もできるお前のことを、奴は、指揮官として“連れて帰りたい”と云っておるのさ」
「……そのようなものなのでしょうか」
 正直に云って、歳三には、そこまでの評価を受ける根拠がわからない。
 だが、にこにこと頷くブリュネの顔を見れば、中島の言葉がまったくの嘘ではないことは、朧げにではあるが、察することができた。
「……光栄なことです」
 他に云いようもなく、歳三は頭を垂れた。
 と。
「やぁやぁ、土方さん!」
 そんなことを云いながら、榎本が、酒杯片手にかれらの間に割り込んできた。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
祝賀会、ですが――まァこんなもん。だって、言葉はわからないわ(鳥さんは蘭語勉強してたはずなので、すらすらとはいかずとも、ある程度の会話はできたはず)、身なりはアレだわ(あの当時、服は財産だったので、そんなに枚数持ってるわけァって云うか、そもそも荷物抱えて戦いには行けん)で、出だし非常に憂鬱な席だった、ような……
中島さんや鳥さんの知ってるのは蘭語で、フランス語じゃあありませんが、あの辺は割と方言程度の違いで話が通じなくもないらしいので、まァそんなんで。そう云えば、勝さんも、ロスでも独学の蘭語で通したらしいもんな……
しかしまァ、このブログで書いてる話の中心人物は、どっちも“学がない”なァ、そう云えば。


えーと、そうそう、本館に、鉄ちゃんの話の加筆修正版、5章分UPしました。千駄ヶ谷で総司と別れたとこ(流山後です)。11章で、まだ慶応四年四月十日って、どんだけ延びてるの……前は多分、4章とか5章とかだったと思うんだけどなァ……(汗)
まァ、今後もたらたらと更新していきたいと思いますので、宜しければそちらもどうぞ。


あと、某箱館アンソロ(もちろん同人ですよ)にちょろっと話を書かせて戴きました。
大目付箱館奉行の永井玄蕃さん視点のお話です。鬼と中島三郎助さんもちょろっと出てきます。他にもいろいろ。まァ、4,000字くらいのSSですが。
詳細は、幕末サーチで「蝦夷」「アンソロジー」でひくと出てくるサイト様にてご覧下さいませ。


この項、終了。……って、あれ、まだ祝賀会続いてるよ……
えーとえーと、次は(ちょっと経つけど)歴史散歩で〜。