神さまの左手 18

 レオナルドは、石が好きだ。
 美しい大理石の小片から、道端に転がっているような、サライから見ればがらくたにしか見えない石ころまで、とにかくあらゆる石を矯めつ眇めつし、撫でまわすのだ。まるで、それが同じ大きさのルビーかエメラルドだとでも云うかのように。
 正直、サライには、その石の山のひとつひとつの価値など知りはしなかったが――知っていたところで、どうと云うこともなかっただろう。まったく、かれにとっては、大理石ですらただの“石ころ”であるに過ぎなかったのだ。
 だからこそ、
「だって、何にも彫刻のしてない大理石なんて、意味ないじゃん」
 西の村へと歩きながら、そうサライは云ったのだが。
「何を云うのだ、サライ!」
 それはどうやら、レオナルドのお気には召さなかったようだ。
 かれは大きく眉をつり上げ、大仰な仕種で手を広げた。
「彫刻の有無なぞ問題ではない! そもそも一口に“大理石”と云っても、産地によってまったく風合いが違うのだぞ、それを不思議とは思わんのか!」
「ぜーんぜん」
 そんなことを云いだしたら、その辺に落ちている石ころだって、拾う場所によって色つやが違うではないか。
 大体人間だって、北の方――アルプスの向こうの国々――のものと、ミラノのもの、ローマより南――たとえばナポリサルディーニャ――のものたちとアラブの商人たちでは、それぞれ肌の風合いや髪の色、瞳の色合いも違っている。
 同じはずの人間ですら、“産地”によって姿かたちが異なるのだから、まして石ころに至っては、土地が違えば質も異なって当然ではないか。
「そう云う意味ではない!」
 レオナルドは、地団駄を踏まんばかりだった。
「同じ“大理石”だと云うのは、人間で云えば、同じローマ人の末裔同士だと云うのと同じことだろう! それで産地によって色つやが違うのだぞ、不思議だとは思わんのか!」
「思わねぇよ」
 同じローマ人だって、おそらくは、髪の色や瞳の色は異なっていたに違いないではないか。
 だが、レオナルドは、しつこく繰り返してきた。
「産地が同じなら、色も同じなのだぞ!」
 が、今度はすこし云い方が異なっている。
 サライは、おや、と思って耳を傾けてみた。
「それは、同じミラノの生まれなら、顔つきまでそっくりだ、と云うようなものだろう! どうだ、これでも不思議だとは思わんのか!」
 なるほど、そう云われてみれば、確かに不思議なことなのかも知れぬ。
 サライパヴィアの生まれだが、そう云えば、パヴィアの街で、自分とよく似た人間などほとんど見たことはなかったような気がする。置いてきた父親や姉妹も、さほど似てはいなかった――自分は母親似だと云われていた覚えがあるから、そのせいなのかも知れなかったが。
 しかし、そう考えてみると、
「――つまり、同じ産地の石ってのは、人間で云うと、同じ家族で血縁がある、みたいな感じだってこと?」
 サライが問うと、レオナルドは、暫、黙考し、
「……いや」
 やがて、そう云って首を振った。
「そうだな、どちらかと云えば、大地と云うひとりの“巨人”の骨が、大理石なのだと考えてもいいだろう。――サライ、お前は、私の持っている頭蓋骨を憶えているか?」
「……うん」
 誰とも知れぬ、女であったという白い骨の塊。レオナルドがどこからともなく手に入れてきて、よく撫でさすって愛しんでいた、あの小さな頭蓋骨ならば、よく憶えている。
「ならば憶えているか? あの骨は、もちろんひとりの女のものだったが――あちこちの色が変わり、同じ骨とは思えぬような色をしている部分もあったことを?」
「うん」
 そうだ、白い骨、とは云いながら、その“白さ”は、ところによって随分と異なっていたのだった。
 乾いた漆喰のような頭蓋の白、顎のあたりはぬめるような、しかし、そこから続く歯茎やそこに残る歯の一本一本は、かなり黄ばんで、飴のような色を呈している部分もあった。
 レオナルドは、その色の違いを、大理石の色の違いと同じだと考えているのだろうか?
 だが、その問いかけには、レオナルドは首を振った。
「違うぞ、サライ。厳密に云うならば、大理石に限らずすべての岩石は、この大地と云う“身体”の骨の欠片なのだと私は思うのだ」
「すべての岩が?」
「そうだ、すべての岩石がだ。それだけではない、すべての水は、大地にとっての“血流”であり、すべての風は、大地の息吹なのだとな」
 レオナルドの口にしたのは、この頃の最先端の思想であるところの“自然魔術”とでも云うべきものであった。“大宇宙”である“世界”そのものと、“小宇宙”である“人体”とを対応させ、そこから世界の仕組みを読み解こうと云う考え方であったのだが――むろん、子どものサライが、そんなことを知ろうはずもない。
「じゃあ、火は?」
「私もお前も、温かな身体を持っているだろう。それと同じことだ、大地の“体温”なのだ」
 岩石を骨格とする巨人。それは、どれほど巨大な“いきもの”であるものか――サライには、想像もつかなかった。
 まして、その身体の上で、自分たちが生まれ、生き、死んでいるなど。
「――全然、想像もつかねぇよ……」
「そうだろう?」
 レオナルドは、ふふんと鼻を鳴らして云った。勝ち誇るような仕種だった。
「大いなる大地と、我々人間の身体とは、そのように照応するということだ。この考えを極めていけば、もしかすると、世界の誕生の秘密さえもわかるかもしれない、と云う話なのだぞ」
「へぇぇ……」
 “自然魔術”の何たるかを知らぬサライは、素直に感嘆の声を上げた。
 だが、レオナルドには、確かにそのように感じさせる何かが備わっていたのだ――例えば、神の声を告げる預言者のような。
「やっぱ、あんたすげぇな、レオ」
 サライの称讃の言葉に、
「当然だ」
 と胸を逸らしたレオナルドは、ふと、何かに気づいたように、遠くを眺めやった。
「見ろ、サライ、あれが件の石工の家だ」
 云われて差しのべられた指先の彼方に。
 小さな集落がはっきりと見えてきた。


† † † † †


ルネサンス話、続き。石の話とか。


そう云えば、ルネサンス期とかには、ダイヤモンドって別に、宝石としてはそれほどの価値のものでもなかったらしいですね。
そう思ってみると、確かに、先生のメモの類にも、瑪瑙みたいな模造宝石の作り方はあったけど、ダイヤモンドに関しての記述はなかったような……
まァ、色目としては、ルビーやサファイア、エメラルドの方が華やかだもんなァ。


ところで、この話の構成(っつーか章立て)を書いたメモを、久々に見返してみたのですが。
……えーと、18章って、1495年あたりを書く予定になってたはずなんだけど……実際にはまだ1492年あたりですよ……どうだそれ。
結構、メモなんかから拾ったネタを入れてくと、こう、じわっと文字数がかさむんだよなァ。
っつーか、当初予定では、10章で“カテリーナ来る”だったって――どう進めるつもりだったんだ、自分。
このペースだと、カテリーナが来るのは、きっと20章過ぎだよね……ペース倍かよ……


関係ない話ですが、先日、相川司氏の著作を検索していたら、大学時代の恩師(相川宏師)の著作が刊行されていた(昨年!)ことに気づき、慌てて発注かけました。
ちょうど大学の授業でやったあたりの話で、懐かしい気分で読みました、が、流石に××年が経っているので、仏教系のアレコレがイマイチ記憶から薄れており(や、ノートはすぐ出てきたので読み返したんですが、国文なのにギリシア語やらラテン語やらが乱舞する授業だったので……)。
仕方がないので、角川ソフィア文庫の「仏教の思想」シリーズを、只今ちまちまと読破中。
唯識とか、アビダルマとか、アーラヤ識とか何とか。
しかし、鋼錬をやってた関連で、ルネサンス的自然魔術+錬金術量子力学、の混じった仏教概念を形成してきたので、どうも唯識の用語が身につかん……アーラヤ識って、ユング的集合無意識、の、個別化したもの(矛盾してるみたいだけど、えーと、輪廻転生した時の、次元に焼きついた残像的なデータのデータベース、と云うか)でいいんだよね?
感覚的には何となく“これかなー”ってのはあるのですが、いざ観念論と擦り合わせてみると――これがなかなか。
どっかに、昔(室町以前)の学生僧的、唯識アビダルマバッチこーい、な坊主っていませんかねェ……でもって、その人が、真剣に悟り目指して生きてる人だったらなおいいんですけでども。
そう云う人と、いっぺん、この辺のあれこれについて話をしてみたいなァ。一休さん(史実の)みたいな、破天荒な坊主とか。……今のご時世じゃあ、そんなもん生息条件厳しすぎて無理だよねェ……


さてさて、この項、終了。
次は阿呆話、のはず……