幕末・会津戦争行 その3

会津戦争追っかけ隊、最終日。
お暇と心の余裕がおありの方は、下からどうぞ〜。


えーと、うっかりして前項に書き忘れていたのですが、そう云えば昨日は、容保さんのお墓参りの後、滝沢本陣に行ったのでした。
同じバスに乗ってた歴女2名が、同じ飯盛山入口で降りたにもかかわらず違う方向へ歩いていく私どもを、不審そうに見てきたのが印象に残ってます(笑)。
えー、滝沢本陣は、母成峠の戦いの時に、容保さんとか桑名の藩主(何て名前だっけ、容保さんの実弟)が御座所にしたところ。日野の彦五郎さんちも本陣(尤も、こちらは脇本陣)ですが、参勤交代の大名なんかの宿泊施設、がメインである日野本陣と、どっちかって云うと代官所的な役割の強い感じの滝沢本陣とでは、やっぱりかなり雰囲気が違います。滝沢本陣の方が(多分、建造年が昔なんだろうけれど)泥臭いって云うか田舎っぽい(失礼)と云うか――日野本陣の方が瀟洒な感じは致します。
っつーか、ものが多過ぎるんだよね、展示されてる(? あれを“展示”と云っていいものか……)道具類がね。
薩長軍が(当然)この辺まで攻め込んできてるので、滝沢本陣の中には、あちこちに砲弾の跡や刀傷が残されています。
それを見ながら、実際の戦闘について、あれこれ云いはじめる厭な二人組。


「結構、弾痕が低い位置にありますねェ」
「こりゃあれだ、あの頃の小銃ってな、こう、片膝つくような姿勢で撃ってたろう。そこらへん(と外を指し)で片膝ついてこっちを狙う、って考えりゃあ……」
「あァ、確かにこの辺の高さに弾がきますねェ」
「だろ?」
「(鴨居の傷を指して)こっちの刀傷、これァ屋内戦に慣れてねェ奴が引っかけたんでしょうねェ」
「だな。慣れてる奴なら、こんなところで大きく振りかぶったりァしねェだろうからなァ。普通はこう、(と、脇から平突きの要領で)突きで攻めるのが常套だよなァ」


などと、若干不穏な会話を交わす。
ただ正直、会津戦争の名残って、そんなもんなんだよね、ここ。
何て云うのかな、やっぱり平時の代官所的な感じが強くって、戦争をしたところだって云うのは、建物の作りとかからは感じにくいんだよな。まァ、そんなところに弾痕が残ってるってことが、会津戦争の凄まじさを物語っているのかも知れませんが。


さて。
気を取り直して最終日。
“のっぺりさん”に邪魔されたわけでもないのに、今回はとにかく目が醒めるのが早かった……っつーか、全般的に早起きだったのか、今回……
やっぱり目覚まし前に起床(←レア!)、朝風呂(また露天……)に入って朝食を戴き、9時半にはチェックアウト。
荷物をデリバリーサービス(有料。¥500-で1個、会津若松駅のレンタカー受付カウンターまで運んでくれる)で駅に送り、身軽になってGO。


まずはお宿の傍のお菓子屋・松本家で、沖田番が一口羊羹をGET。お宿で初日に出されたお菓子だったのですが、これが結構美味しかったので。
でもって、そこからちょっと歩いて、足湯の傍の階段を下り、例の“土方歳三戦傷湯治の岩風呂”へ。
どうやらこの岩風呂、足湯として提供されているらしく、お宿のパンフを良く見たら“どなたでもご自由にご利用いただけます”とか書いてあったのです――ただ、“足湯”と書いてあっただけで、特に鬼がどうのとは書いてなかったんだけどね。でもまァ、云われてみれば、確かに足湯にするっぽくまわりは設えられてはいたのですが――何も書いてないから、足突っ込んでいいのか迷うよな、あれはな。
せっかくだからと足をつけてみたのですが、表面は確かに温かいんだけど、ちょっと下は結構ぬるい、っつーかもっとつけると冷たいんじゃね?
とりあえずちょみっと足を浸し、その様を写真に撮って、終了。うむ、記念だ。


でもって、またしてもハイカラさんの一日乗車券を買い、ちょうど来ていたバスに乗って、2つ目の院内で下車。容保さんに最後の御挨拶。
てくてく歩いて木戸のところまで行く。今日は、昨日ともまた違って、何と云うか、とっても静かな感じ――譬えて云うなら、おやすみ中的な。
この木戸くぐったら、「お休み中失礼します」的なことになりそうなので、木戸の外から奥に礼。まァ、多分これで大丈夫だよね。
でもって、会津武家屋敷からハイカラさんに乗って(何か、滞在中、赤べこ一回乗ったか乗らないかだなァ)、七日町へ。今日はとにかくお土産物色中心で。
しかし、結局天寧寺は完璧スルーだった……いや、私は別に行きたかァねェのであれなんですけども、かっちゃん大好き沖田番も、「行かない」の一点張りだったので。
何かね、かっちゃんのお墓に行った時に、私が厭な顔をするだろうと思うと行きたくないんだって。ちなみに、この場合の“厭な顔”とは、“厭な気分であることを表す表情”ではなく、“見ているものを厭な気分にさせる表情”のことですね。
まァねェ、私、かっちゃん嫌いだしねェ(とか云うと、沖田番が厭な顔をするんだぜ)。調布のお墓も板橋のお墓も行ったことないし、今回天寧寺も行かなかったしねェ。はッはーん(DQ風にお願いします)。


えーと、またしても駅cafeで、赤べこ起き上り小法師の杯をGET。可愛いので、やっぱ欲しい! と、沖田番と山分けモードで。
で、近くまで来たわけだし、と、またしても阿弥陀寺で、一ちゃんの墓参り。うむ、何かビミョー(苦笑)。
一ちゃんの墓から、ちょっと表どおりの方に回りこんでみると、あれ、葵の御紋のついた墓域が――っても、会津松平家の墓と云うわけではなく、ここはアレだ、会津戦争東軍戦没者のお墓なんだね。
何かこう、いろんな無念を刻むかのように、立派なお墓が建てられていました。
しかし、あれ、ってことは、漢(母成峠の戦いとかで戦死)とかも、ここに葬られてるってこと?
ともかくも手を合わせて、黙祷。
でもって、阿弥陀寺を後に。


メインストリートを東へ移動していると、右手に本家長門屋七日町店が。
ここは1848年開業の駄菓子屋さんです。駄菓子屋って云っても、最近はもちろんそれだけじゃありませんが。何でも、会津藩主(この年代だと、容保さんの先代だよね)の命を受け、庶民のお菓子を開発するために開かれたお店なのだとか。ほー。
ここの店先に、“冷やししるこあります”と書いてあるのに釣られ、いそいそと中へ。あ、先客、しかも冷やししるこ食べてるよ――おいしそう。よし、食べよう! と云うことで、沖田番とそれぞれ注文。
ひんやりした汁粉に白玉の入った、ごく正統派の冷やししるこでした。甘さもしつこくなく(冷たいから、甘みを感じにくい部分もあるけどね)、ほどよい感じでgood。添えられてる冷たい抹茶(無糖)と塩昆布がうれしい。
こちらは、七日町内のスイーツラリーの対象商品だそうで。っつーか、昨日私が駅cafeで戴いたヨーグルトのシフォンケーキも同じく。このうち2点を戴くと、何かがもらえるんだかあたるんだか、だったのですが――えーと、これ期間いつまでだったのかな?
ま、行かれた時にやっていたら、参加されるのもいいんじゃないかと思います。スイーツ美味しいしね!


食後、駄菓子と焼酎ボンボン(何と、江戸時代からあるものらしいですよ!)をGet、の後、今度はちょっと先にある会津中将の蔵元・鶴乃江酒造へ。
ここはホントに零細(失礼)っぽく、小さな古い店舗の裏に酒蔵がある感じ。古いお店のこじんまりした感じが良い。何か懐しい感じが致します。
中に入ると、割と若い女性が応対してくれる――これはあれか、例の“ゆり”を造ったという娘さんの方か?
親父への土産に“純米原酒”が欲しかったのですが、細かい名前を失念、多分これじゃないか、と云うと、利き酒をさせてくれました。うん、“純米原酒”で間違いない。美味しいよね、これ。日本酒苦手なひとには厳しい美味しさだけど。
750ml(ワインと同じ容量)にしようかとも思ったのですが、沖田番に「重いから、持ち歩くよりは、一升瓶を送った方がいい」と云われて、一升瓶の方に(家に帰ったら、“どうせ送るなら、2本にすれば良かったのに”と云われた……まァね)。お値段は、送料・輸送用box込みで¥3,000-ほど。安いよねー。


その後、昼の蕎麦屋探索(またかよ)にと、東へてくてく。
途中、竹細工の竹藤(江戸時代の店舗をそのまま使用)で自分用にスプーン&フォークを、ちょっと行った先の会津葵南蛮館(本店はお堀のすぐ傍。こちらの店舗も蔵造りの古い建物)で、“小法師”(お菓子と一緒に郷土玩具の起き上がり小法師が入っている。民.主.党の前.原さんが、党首就任時に渡.辺.恒.三さんから貰ってた。っつーか、みんな貰ってた中で、前.原さんのだけが起き上がらなくて、すごいネタにされてた――結局、起き上がれなかったよね/笑)を、それぞれGet。
でもって、もっと東へ進み、夜の蝶(笑)の出没エリアに足を踏み入れる。っても、真っ昼間なので、もちろん蝶の姿はございません(笑)。
そのちょっと先に、桐屋・権現亭と云う蕎麦屋があるのです。
が、店名からもわかるとおり、昨日云った店の系列だよ、と思うと、別の味を試してみたくなるのが人情と云うもの。
「こ×りっぷ」を見て、ちょっと南の方に、別の蕎麦屋が掲載されてるのをチェック。そっちへいってみようと云うことに。
が、これがまたわかりにくい店なんだ――かなりうろうろして、やっとこ発見。いそいそと中へ。


えーと、宮古そば処 分家吉兵衛は、何かもっと地方(……)の蕎麦の名店ののれん分けされたところ、だそうで。
確かに美味しいらしく、私どもの入店時(お昼の12時)には、既にサラリーマンっぽい人たちでいっぱいでした――席は一応あったけどね。女性二人で切り盛りしてる、ホントに小さなお店です。20人入らないんじゃないかな? 割と新しいつくりで、落城時の鶴が城の写真とかがかけてある――あ、早乙女貢の色紙もあるぞ。ほほぅ。
沖田番ともども、ざるを注文。やっぱり煮物と、あとデザートにすいかがついてきた。
うん、ここの蕎麦はホントに美味しい。これは行く価値があります。何と云うか、研ぎ澄まされたお味。私どもの好みとは違う(どちらも、田舎蕎麦的、ぼそぼそした黒い蕎麦が好き)のですが、その好みの違いを云々させないくらいに美味しかった。これは凄い。
ただ、ここの店、立地がちょっとね……雑居ビルの三階にあるのですが、そのビルが、スナックとかの入ってるようなとこで。まァ、昼に行く分にはいいんですけども、ただ少々わかりづらいので、行かれる際にはくれぐれもご注意を。ほんっとに看板見落とします。


で、美味しく蕎麦を戴いた後、まだ時間があるしと、町中を散策――しようと思ったら雨! 蕎麦屋の女将さんが、「傘持ってく?」と親切にして下さったのですが、いや、流石に旅行者だし、「その辺に追いてっても大丈夫よ」っても、それも拙いでしょう、ってことで、傘なしなんですが!
ちょこっと行った先にハイカラさんの停留所があるので時刻を見ると、あと20分もあるよ――こういう時に限って(泣)。
仕方がない、と、停留所傍の蔵元・宮泉酒造に入る。っても、雨宿りかたがた、店先のみですが。
えーと、ここは、試さなかった“宮泉”と云うお酒の蔵元です。鶴乃江酒造と違って、お城に近い立地と云い、立派な蔵と云い、いかにもな造り酒屋。蔵の中で資料館を併設していると云うあたりで、推して知るべし。
でもまァ、資料館見る暇はない、ので、店先でうろうろして(結局何も買わなかった)、時間を見て外へ。
イカラさんに乗って、後は駅へ――荷物を引き取り、売店でお土産を。私はままどおる(何故かみんな好きだよね〜)、沖田番は、職場の人お勧めの饅頭(会津と云えば、の饅頭)を、それぞれGet。
でもって、15:05(だったっけ?)の電車に乗って帰途に。
途中、「次は宇都宮!」とか云いつつ7時半くらいには帰宅致しました。
うん、次は宇都宮だな! (not餃子!)


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ってわけで、会津紀行は終了。
次は、ちょっと前(汗)だけど、観劇記で。中々話書かなくてすみませんねェ……