北辺の星辰 42

 祝賀会から数日のうちに、幕軍は“箱館政府”の体裁を整えるために、幹部選出の為の入れ札を行った。
 ――どうせ、かたちだけのものなんだろ。
 入れ札に参加できるのは、陸海両軍の士官以上、と云うことであったが、そうであれば、誰がこの“箱館政府”の総裁に選出されるかなど、火を見るより明らかだ。
 全般に、海軍は陸軍より士官の割合が高い。そして、幕軍内での旧職歴の順位を考えに入れて見るならば――総裁に選出されるのは、榎本釜次郎以外にありえないではないか。
 ――茶番だ。
 とは思わずにはいられなかったが、それも仕方のないことではあったのかも知れなかった。
 結局のところ、この幕府脱走軍内には、将の器である人間など、榎本の他にありはしなかったのだ。元・陸軍奉行並の松平太郎は、人の上に立つには些かならず狭量なところがあったし、同道している元・大目付の永井玄蕃にしても、有能な官吏ではあっただろうが、全体の方針を決する立場に就くには、決定的に何かが欠けている。元・歩兵奉行の大鳥圭介は、将としては非情さが足りないし、新撰組副長であった自分などは、云わずもがなだ。
 そうである以上、幕軍としては、榎本を総裁としてかつぎ上げる他ない、それは、歳三にとてよくわかってはいるのだ。
 ただ――どうにも、もやもやとしたものが胸の裡から消えないのだ。本当に、榎本のような男を担いで、来るべき敗北の時までを、心置きなく戦うことができるのかと。
 ――俺は、あの男の考えの甘さが、どうにも気にくわねぇんだ。……
 松本良順医師の言葉が、またも思い起こされる。
 本当に、松本医師は、榎本のことをよく見ていたものだと思う。
 榎本釜次郎は、確かに考えの甘い男だ。大甘だと云っても良い。
 開陽の座礁についてはひとまず措いてやっても良いが、その開陽座礁後の幕軍の戦力に関して、かれは一体、どんな策を講じようとしているのだろうか、それがさっぱり見えてこないのだ。
 確かに、蝦夷地と本土とは海によって隔てられている。だがその距離は、かつて黒船が渡ってきた海の距離とは較べものにならぬほど短いのだ――いや、そもそも蝦夷地も“松前藩”と云う、紛れもない日本国の一藩国であり、それこそ“松前船”も回航してくる土地であることを思えば、いずれ薩長の輩が攻め寄せてこない、などと云うことはあり得ないことだろう。
 これまでは、それでも幕軍最強の艦船である開陽の存在が、容易に薩長軍を寄せ付けぬだろうと期待されていたのだが――その開陽が存在しなくなった以上、薩長との戦いは不可避のものとなってしまった。
 戦えば、員数に限りのある幕軍は、必ずや敗北するだろう。その、目に見えるようになってしまった“敗北”を、どう兵たちから隠して士気を鼓舞するつもりなのか――歳三には、榎本の腹づもりがまったく見えてはこなかったのだ。
 確かに、諸外国の領事たちに、幕軍蝦夷地支配の正当性を認めさせると云うのは、政治的に正しい手法であるには違いない。
 だが、詐りの“錦の御旗”を押し立てて、幕軍を“朝敵”に貶めた薩長の輩が、各国領事たちの承認があるからと云って、幕軍の蝦夷地支配を容認するとは思われなかった。
 結局のところ、この国では、帝の承認がなければ、公の機関とは認められぬのだ。そうである以上、朝廷を手の内に収めたも同然の薩長の輩にとって、諸外国の承認何するものぞ、と云う心があろうことは、想像に難くなかった。
 いずれにせよ、決戦の秋は、そう遠い先などではあり得ないのだ。
 入れ札の結果、箱館府の幹部に選ばれたものは、以下のとおりであった。


 総裁 榎本釜次郎
 副総裁 松平太郎
 海軍奉行 荒井郁之助
 陸軍奉行 大鳥圭介
 陸軍奉行並/箱館市中取締/陸海裁判局頭取 土方歳三
 箱館奉行 永井尚志
 箱館奉行並 中島三郎助
 松前奉行 人見勝太郎
 江差奉行 松岡四郎次郎
 開拓奉行 澤太郎左衛門
 会計奉行 榎本対馬


 このうち、松前江差・開拓の各奉行は、それぞれの任地――開拓奉行の澤は、室蘭――に赴くことになり、それ以外の人間は、箱館に留まることになった。
 ――開陽の姿がないことへの偽装なのか……
 澤が、室蘭へ派遣されるのは。
 榎本が箱館府の総裁に選出された以上、開陽の実質的な艦長は、副艦長であるところの澤と云うことになるだろう。その澤が、開陽の姿もない箱館に留まり続けるとなれば、開陽座礁が周囲に知れ渡る危険性が高くなる。
 もとより、人の口に戸は立てられぬ。まして、箱館は対外貿易のために開かれた港となっているのだ。となれば、様々な人間が、この箱館流入してきているだろう――その中には、恐らくは、薩長の手のものや、それに連なる間諜なども混ざりこんでいるに違いない。
 そうであれば、そうそう座礁の事実を秘しておけるとも思われないが――しかし、一分一秒でも秘していられる時間を長く、と思うところは、歳三にもわからぬではなかった。
 開陽が沈んだことが知れれば、薩長の輩は、喜び勇んで艦隊を編成し、この蝦夷地へ乗り込んでくるだろう。
 もちろん、厳寒の蝦夷地へ、この冬の真っ只中に乗り込んでくることはあるまいが――この地に春が訪れて、雪解けの季節となったならば、それが戦いのはじまりとなるのだろう。
 その前に、薩長の輩は間諜を放ってこちらの情報を集めようとするに違いない。こちらの実質的な戦力はどれほどか、上陸前に戦わねばならぬ旧幕府艦隊は、どれほどの戦闘力を持っているのか。知っておかねばならぬことなど、山ほどある。
 ――間諜を放てるほどの力が、こちらにもあれば……
 それを思うと、歯噛みしたくなる。
 徳川の下を脱し、また奥州列藩同盟とも別れてしまった旧幕軍には、情報を流してくれるつてなどはない。
 箱館在住の商人たちや、諸外国の領事などは、漏れ聞いた話を教えてくれることもあるだろうが――所詮、かれらは己の利を追わねばならぬものどもだ。かれらが、事態を幕軍の圧倒的不利と感じ、薩長と手を結べば今以上の利を得ることができると判断すれば、くるりと掌を返すだろうことは、容易に想像することができた。
 幕軍の敗北は、避けられぬと知ってはいる。だが、知っていることと納得することとは、まったく別の話である。
 それでも、歳三などはまだ良い。既に幕軍の敗北は避けられぬものと、そう思いながらここまでやって来た人間などは。
 だが、兵卒のほとんどは、幕軍と薩長軍の、実際の兵力の差など実感できてはいるまい。今はまだ、最後まで戦い抜けば、蝦夷地支配を続けることができると信じているものも多いだろう。
 そのかれらに、彼我の戦力の差を思い知らせてしまったなら、そこで士気が著しく下がることになりはすまいか。
 そこをどう乗り切るかによって、榎本の人望も変わってくるのだろうが――そこまでくれば、もはや歳三がどうこう考える段ではなくなってくる。
 ――まァ、せいぜい頑張ってもらうとするさ。
 榎本と、その補佐であるところの松平太郎には。
 それよりも、歳三自身の職務の問題もある。
 陸軍奉行並までは予想していたところであったのだが、残るふたつ、箱館市中取締と陸海裁判局頭取、と云う役職は、これは一体どうしたものか。
 もちろん、裁判局頭取に関しては、元・幕府陸軍奉行の竹中春山とともに務める、と云うことであったし、箱館市中取締に関しても、箱館奉行の永井玄蕃や、奉行並である中島三郎助の補佐、と云う程度のことではあるだろう。
 だがそれにしても、歳三ひとりに役職三つとは、
 ――下賤のものは、雑用でもこなせと云うことかよ。
 松平の、取り澄ました顔を思い浮かべ、胸の底がざらついてくるのを感じる。
 良かろう、どのみち雑用をこなすのが、新撰組副長であったころからの歳三の仕事ではあったのだ。
 それに、諸々の雑事をこなす中で、他所の部所の内情を垣間見ることもできる。自分の配下以外のものたちの士気も、その中で見ていくこともできるだろう。そうとも、ものごとは、何であれ前向きに考えなくては、こちらの身が持たぬ。
 ――さて、それにしても、人事をどうしたもんか……
 陸軍奉行並となったからには、それに伴う補佐役――“添役”と云うのだそうだが――も選出しなければならぬ。歳三としては、使い慣れた旧新撰組から選出したいところだが、それでまわりをかためてしまっては、他の諸隊からは不満を抱かれよう。
 そうだ、陸軍隊から引き上げさせた相馬主計、野村利三郎両人の処遇も定めなくてはならないのだった。
 新撰組に復帰させるのが、一番簡単な方法ではあるのだが――ただでさえ揉め事の種となりがちな野村利三郎が、こちらも騒動の種である元・松山藩士の依田織衛とかち合えばどんなことになるかを想像すると、それもどうかと思われる。桑名、松山、唐津の各藩士と、旧新撰組隊士との取りまとめに腐心しているであろう森常吉のことを思えば、そんな恐ろしい事態が目に見えている人事を、断行するのも気が引けた。
 ――それこそ、奴らを添役に引き込むか……
 無鉄砲な野村を要職に就けるのは、少々躊躇われるところがなくもないが、下手な隊に突っ込んで野放しにするのも考えものだ。
 片や相馬主計はと云えば、真面目一方の男で、多少融通の利かないところはあるが、“添役”程度であれば、それなりには職務をこなしてくれるだろう。
 新撰組の中で“気心が知れている”と云うのは、最古参の島田魁だが、あの男は基本的に面倒くさがりで、重い責務を忌避するところがある。そのかわり、持ち前の大らかさで、伍長として平隊士を取りまとめていくことには長けているので、むしろ新撰組に残した方が、森の役に立ってくれるに違いない。
 ――となれば、野村、相馬を引き込んで、あとは他の隊の中から、塩梅よく何人か抜き出すよりねェなァ……
 その“塩梅よく”が、一番の難問なのだが。
 ともあれ、仕事にかからねばならぬ。
 歳三は溜息をこぼし、重い腰をえいやと上げた。


† † † † †


鬼の北海行、続き〜。
例の投票とか何とか。


まァ、釜さんに関してぐちぐち云うのはいつものことなので措いといて。
そう云えば、竹中重固さん(元・幕府陸軍奉行。鳥羽・伏見の戦いの敗戦の責を受けて解任)とか、全然出してないですね――いや、そもそもこの人、どんな人だっけ。鬼と一緒に、陸海裁判局頭取とかやってたはずなのになァ。
っつーか、結構幕府で偉くって、その後箱館まで転戦していった人の中で、ちゃんとどんなひとか知ってるのって、永井玄蕃さんだけだなァ……あ、タロさんも偉いんだっけ、そう云えば(←どうもイマイチ偉い人って感じがしないもんなァ、タロさんって)。


でもって、澤さんと松岡(以下略)の配置って云うのは、実は↑のような理由で決まったんじゃないかと思う昨今。
だってさ、釜さんが開陽を降りて(総裁だからね)、澤さんまで箱館に、ったら、そりゃあ開陽が沈んだって喧伝してるも同然でしょう。
でもって、当然薩長の関係者が箱館にも(極秘で)出入りしているはずなので、それに対して多少なりともカムフラージュしないとさァ――したって、早晩バレるに決まってるんだけどもね。間諜なんて、それこそ鉄ちゃんの話で書いた通詞の松木さんみたいに、がつがつ出入りしてたに決まってるもん。
やっぱね、戦争は情報戦ですよ。正確な情報を早く掴んだ方が勝つ、って云うのは、戦国の世からの習いですもんねェ。


野村、相馬、島田の人物評がえらいこと(笑)になってますが、まァこれは、うちのはこういうんだ、と云うことで。
だって特に野村、依田織部と一緒だと、絶対に揉めるでしょう! 揉めないわけがない!
相馬は結構、トップには向かない質だと思うのですが――だから、“新撰組隊長”なんかになって、腹切るんだよな。真面目に考えすぎです。今生きてたら、絶対鬱になって休職とかするタイプ。もうすこし楽に考えよう。
島田は――その面倒くさがりどうにかしろ、と云うカンジで。ホントに、万年係長くらいな感じだよな。責任被りたがりません。
こんな連中一手に引き受けることになったら、いくら有能な京都所司代公用人だった森常吉さんと云えど、大変だったと思いますよ……
その森さんと云えば、こないだから気になってたのですが、「新選組大事典 コンパクト版」(新人物往来社)に載ってたこの方の写真、実は辻七郎左衛門さん(松山藩)のだったりしませんかね? 何か、どうもそんな気がしてならないのですが……気のせいかしら……


そうそう、遂に解禁じゃなくて、発表になりましたね、ドラマ「JIN〜仁〜」のキャスト! (っても、もうそれなりに前の話ですが/苦笑)
はー、TBSね、日曜の夜9時〜ってことは、うまくすると大河後にチャンネルを6にしろってことか〜、とか何とか云いつつ、朝のコンビニでキャスト表ガン見してましたが。
勝好きMさんが、朝からステキメールを送って下さいまして(笑)。1時間も経たずに顔合わせるのに(笑)――まァ、そう思いつつ、顔合わせた瞬間の話題は「キャスト!」でしたけど(笑)。
えェ、確かにTBSは、私たちの味方でしたわ――勝さん役の小日向文世さん、割とイメージに近いので。もうね、大河の勝キャスト発表の後、どれだけNHKを呪ったことか……何で金八じゃこらァ! とか云ってね……ふふ。
うん、はっきり云って、「JIN」のキャストの方が、史実ファン的にはいいんじゃないかしら。龍馬も、福山よりは内野さんの方がイメージだしね。
しかし、何でここにも金八が出張ってるのか……(緒方洪庵役で出るらしい)まァ、緒方洪庵ならいいんだけどさ。この先、もし長く続くなら、良順先生も出てくるので、その辺も気になりますよね〜。総司や杉もちらっと出るしね〜。
さァ、秋が楽しみになってきたわ!


この項、終了。
次はルネサンス、まだ石の話かしら……