明治維新と『坂の上の雲』

坂の上の雲』初回を見ました。すごく金のかかったドラマですねー。
っつーか、ハイビジョンでがつがつやるのかと思ってたら、フィルム撮影みたいな雰囲気の仕上がりになってたりして、拘ってるなーと思ったり。
セットとかもホントに気合入ってるし、CG処理も結構してあるんだと思うんだけど、あんまりそうと知れないって云う気合の入り方。――先週最終回だった『天地人』のつくり(職場の人が、“「あしたのジョー」で学芸会、みたいな”と云うコメントをくれて、大笑いしちまいましたぜ)とは大違いだ。『龍馬伝』と較べても、3倍くらい金かかってるとか云う人がいたりして、ははははは(笑)。そりゃどうだ。まァ確かに、『龍馬伝』には何の期待もしておりませんがね(笑)。


で、見ててちょっと思うところがあったので、考察してみる。
あ、念のため、私、司馬遼の原作は読んでおりませんので、勘違いがありましたらご容赦下さいませ。


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ちょっと思ったんですが、あの話の秋山兄弟、松山の下士の息子が、まァ金がねェので勉強するために軍隊に入って、そこで功なり名をとげました、って話じゃないですか。
あれって、ちょっとこう、御神酒とかガタとかの、明治の長州閥の元勲たちと似たとこあるよなー、と思いまして。

金がないので、勉強したくても、藩校とか帝大とかに行けなくって、当時の正規って云うか王道って云うか、の教育を受けられなくって、って云う。でまァ、御神酒やガタは維新――“ご一新”か――を成し遂げて元勲となり、秋山兄弟は日露戦争に勝って、帝国陸海軍の礎となった(……んだよね?)わけですが。


功なり名とげて、あるいは公家や元大名などと肩を並べるようになったとしても、あるいは元直参の娘と結婚したとしても、かれらの中には、出自に関する抜き去りがたいコンプレックスがあったと思うのです。
まァ、もちろんコンプレックスと云うのは個人の躍進のための重要なファクターですから、それ自体を悪とするわけではないのですが――ただ、そういうコンプレックスの存在って、人間を目先の成功に導くような気がしてなりません。
目先の成功――それは例えば、単純な地位の上昇であり、多大な資産を得ることであり、あの当時であれば上京して一旗上げることであり、成功して家族に安楽な生活をおくらせてやることであり――もっと大きなところで云えば、日本を欧米と対等な国であると認めさせることであったでしょう。


ただね――そういうことは、確かに江戸時代以前にもあって、個人の功名心によってまァいろいろあったりした(それこそ、戦国時代の下克上とか)のですが、明治時代、って云うか維新以降って、確実に違っちゃった部分がありましてね……
何かというと、それは“お家”の概念の消滅、です。
家父長制は、明治以降もあるじゃないか、とおっしゃる方があると思うんですが、家父長制じゃなくて、“お家”です。つまり、武士が「それがしは××家中何野何左衛門」と名乗る、その“××家中”の部分です。わかりやすいところで云うなら、「会津松平家家中」とか「唐津小笠原家家中」とか、ああ云うの。主家を名乗りの時に云うでしょう、あれです。
あの“家中”って云う概念、あれがある種、旧い日本における“公”概念だったのではないかと思うのです。まァ元々は平安時代くらいまで遡る古ゥい概念ではありますが。要するに、主家とそれに仕えるものすべてをひとつの“家”と見なす、広い意味での家父長制ですね。“御家人”“家臣”“家来”も、その概念から出てる言葉ですよね。


この旧い家父長制で云えば、同じ“家中”のものは、まァ身分の上下はあっても、他家のものとは違って、やはりどこかに繋がりがあったわけですよ。同じ家中のものが難儀していたら、まァ一応助けてやる(脱藩すると、まったく手助けは望めません。同じ家中じゃなくなるわけですからね。鳥羽伏見の戦いの後の吉村貫一郎南部藩のように)のが普通ですが、他家の人間に対してはそう云うことはまず考えられません。
逆に云うと、同じ家中にある以上、自分の働きはすべて“お家のため”なのですよね。自分と云う個人にとっては利ではないと判断されることも、“お家”にとって利になると考えられることであればする、と云う――あれだ、詰め腹を切らされるってのも、この変奏的なもんだよね。私の書いてる話絡みで云うなら、桑名藩士・森彌一左衛門さんとか。森さんに落ち度があったわけじゃあない(と思う)けど、主や他の若い連中の罪を一身に引き受けて、切腹することによって、桑名松平家をお取り潰しから救ったって云うの。これもまったく“お家のため”ですよね。


で。
下の方の連中(上は家老から下は足軽まで)は、そうやって“お家のため”でいいとして――それでは、一番上のお殿様は、一体何をしていたのかと申しますと。
ああいう人たちは“お家”と、それからその上の“日本国”のことを考えてた(はず)のです。幕府の老中とか若年寄とか、ああ云うのって諸藩の藩主でしたよね。そう云う人たち。
かれらは(一応、建前上は)己の藩国の利ばかりでなく、“日本国”全体の利益を考えていました。すくなくとも、そのようにあるよう教育されてはいたはずです。
だって、幕府老中とかになっちゃったら、自国の利なんか実はあんまないそうですよ、姫=阿部正弘殿の評伝とか読むと。老中になるって出世ですけれど、やっぱその裏には、有力者へのつけとどけとか、いろいろあったっぽいです。出世するってのは、名誉かもしれないけど、実利はあんまなかったっぽい。
姫の藩国=福山藩は、石高十万石でそう大きいわけでもない(そりゃあ、例の脱藩大名=林忠崇さんの一万石よりは大きいけど)し、つけとどけとか、結構藩の財政を圧迫してたんだろうなァとは思います。
第一あの人、生涯で領地に行ったのはたった一回、しかも2ヶ月ぐらいだったらしいから、藩国の利益がどうのってのは、ちょっと実感しづらかったんじゃないでしょうかね。生まれてからずっと江戸暮らしだし、そりゃあまわりの人間は国許から来てるったって、やっぱちょっと違いますわね。
だから、国許の利益のため(がまったくなかったとは云いませんが)と云うよりは、やっぱり“日本国”の利益のため、に政治を行っていたのだろうとは思います。
そう云う人たちが、基本的には幕府の政治を動かしてたわけですよ。まァ、彦にゃんみたいな例外(30代半ばになるまで国許で部屋住み)もあるけども、結構な数の大名ってのは、そんな感じだったんじゃないかと思います。


幕末までは(能力値の差とか、意識の差とかはあったにせよ)大体そんな風な感じで進められてきていた日本の政治ですが、明治維新後は、その形態を大きく変えることに――だって、維新後に政治の舵取りした連中って、割と下士の出とか多かったんですもん。
もちろん、ある程度藩政の中枢にいた人間もいたでしょうけども、御神酒でも、聞多は上士の出だけど、俊輔は足軽出身、ガタだってそう高い身分の出身じゃあなかったよね。薩摩連も、そんな感じで、つまりはかつての政治の中枢にいた人たちってのは、軒並み舞台上から追われちゃってるわけです。(幕臣は、後々政府に組み込まれていきますが、それだって、本当に国を動かしてた連中は一線を退いてたしね)
新政府で、かつて政治の中枢っぽいとこにいたって云うと、桂さんと小松(弟)ですが、二人とも早々に病死して、まァ↑みたいな連中が国を動かすことになるわけですよ。
坂の上の雲』の秋山兄弟だって、松山の貧しい下士の出だもんね。


でもね、↑のような連中の最大のネックってのは――大所高所から世界を見る、という訓練がされてないってことです。
確かに、かれらは松下村塾で、“世界に目を向ける”ってとこまでは学んだかもしれない。ただ、その中の位置取りをどうするかって時にね――云っちゃあ何だけど、コンプレックスが発揮されちゃったかなーと思うのですよ。
つまり、“自分は認められてない”“早くひとかどの人物だと認められたい”“世間をあっと云わせたい”――こういうのがね、当人が意識してなくとも出てきちゃって、たとえば条約改正にからむ、鹿鳴館とかの欧化政策とか、日清戦争から始まる軍国化とかってのは、そう云うコンプレックスから発した、“手っ取り早い自己実現”的な側面があったのじゃないかなァ、と思います。見た目だけ欧米に合わせるとか、戦争で勝利をおさめて自国の存在をアピールするとか。何か、認められない子が頑張っちゃって、みたいなカンジじゃありません?


多分、この“頑張っちゃった”連中の対極にあるのが、勝さんの語録に出てくる“人物”ってやつなんだと思います。
李鴻章とかってのは、出がよくって、政治の中枢に長年いて、見た目の華々しさだけでない、政治や外交の利を得ること、を知っている人間だったのだと思うのですが、勝さんは、それを称して“人物”と云ったわけですよね。
あとね、これは沖田番が云ってたことなんですが、“人の上に立つ人間は、ある一定以上の生活を送っていないと駄目”なのだそうで。一定以上の生活(“一定以上”ってのは、金銭的なものもあるだろうし、学問的な素養でもあるだろうし、身分的なものもあるでしょうが)を送っていないと、大所高所に立ってものが見れないらしい。そんなもんか。
そう云うのがない連中が国を動かしたってのが、明治維新〜昭和初期の時代だったんだろうと、個人的には思います。


坂の上の雲』の初回、秋山兄弟の江戸でのやり取りを見てて、何かこう、そう云うものを感じました。どこら辺が、って云われると困るんですけども。
ただ思ったのは、軍国主義云々と云うよりも、もしかして、司馬遼の書きたかったものって云うのは、その“下から上がってきた連中”が国の舵を取ることの危うさ、だったんじゃなかろうか、と。
もちろん、“下から上がってきた連中”が国を動かすって云うのは、活気が出て良い部分もありますよ。
だけど、“より強く”“より大きく”って願うことは、いろんな小説や漫画、映画やドラマで描かれているように、ある種の危うさを含んでいる部分はあるとおもうのです。
“より強く”を求め続けて破滅する、って云う物語は、それこそ様々な“物語”の中で見かけたモチーフですが、明治維新〜昭和初期の日本って云うのは、まさしくそれを地でいっちゃった、それゆえの大東亜戦争であったのかも知れないなァと思います。
でもって、もしかしたら、司馬遼も、それから松本清張なんかも、かたちは違えど、そのモチーフを繰り返し描き続けていたのかも知れないなァ、と。
まァまァ、妄想チックな考察なんですけどもね〜。


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うぅむ、やっぱ散漫な考察に……
まァ、私の考察なんぞ、こんなもんだ。


さてさて、この項終了。
次こそ鬼の北海行、玉ちゃん出る予定……