倉敷・鞆の浦行 その三

と云うわけで、倉敷&鞆の浦行、最終日。
興味とお暇がおありの方は、続きからどうぞ〜。


と云うわけで、3日目、最終日の朝も「打城丸」から。
京都まで進軍した鎌倉軍&打城丸。
待ち受けるのは後白河法皇! 何と高×克実似と云う。
まァこの人(=後白河法皇)のことだから、何か仕掛けてくるだろうなと思っていたら、京の四方の山から現れ出たは四神ロボ! 青龍、朱雀、玄武、白虎と、うち揃っての登場です。
最初に攻撃してきたのは朱雀! 凄い勢いで飛んできた、スゲェ! とか思っていたら、単に足がほっそいフラミンゴメカだったと云う――走ってきたんですね。啄木鳥のように嘴で突いてくる、結構な攻撃の仕方(←火とか噴かないんだね、そう云えば……)。打城丸、フラミンゴの首を引っこ抜いて(←……)機能停止させ、勝利。
続いて玄武――が、亀なので鈍い上に高さがない! これは、上から踏んで一撃で沈めます。最弱だったと、後で沖田番が云っておりました。
青龍が最も強敵で、元々の打城丸のように、絡み付いて締め上げてくるのだとか。
格闘の末、青龍を斃し、最後の白虎は――と見ると、打城丸を攻撃するのではなく、何故か京のまちを破壊中。おい、京の平和を守るのが四神なんじゃなかったのかよ!
こちらは青龍ほどの強敵ではなく、さくっと退治、したら、後白河が消えたー!!! (←オイ、手下に押さえさせておくのが、戦の常道ってもんだろう――それとも、打城丸だけで飛ばしてきちゃったのかよ?)
あわあわしながら、消えた後白河&平家を追って、瀬戸内へ。
しかし、一ノ谷では、打城丸で鵯越の崖上から飛び降り(騎乗の諸将には「鹿が降りられるんだから、馬だっていける、続け!」とか云い捨てて――って、オマエ、道示してやりもしないで、それはどうだ!)、砂浜に四肢がめり込んで身動きがとれず。平家の皆さん、このチャンスにと攻め寄せてくるのを、何とか腕を引き抜いて防戦。しかし、平家は海上へ逃れ(逃げ足早いよね、西国の兵って……)、ほとんど敵方の数を減らせないまま、この戦いは終了。
その後、屋島に侵攻するも、また海上に逃げられ――例の扇の的も、打城丸で石(←どう考えても、ちっさい子どもくらいの大きさの石だよね……)を拾って投げるも、大暴騰。幸い(?)人や船には当たらなかったのですが、当然的は全然かすめもしておらず。見かねた那須与一に「義経二号殿、ここは私が」とか云われて代わってもらった模様。ちなみに、当然那須与一は、さくっと的を射抜きました。
平家の皆さんはそれ見てまた逃げたらしい(どうもこの扇の的、占い的な要素もあったらしい)のですが、しかし、でかい石を投擲したにもかかわらず、船は転覆するものもなく、ちょっと大きく揺れただけだった模様……
さァ、この後はいよいよ壇ノ浦! が、平家はちっとも数が減ってないぞ! どうする沖田番!!!
戦え打城丸、負けるな義経二号! 佐殿から姉妹様を取り戻せ!! ……あ、私はいいや、佐殿好きだしね(笑)。


……と云うわけで、この日の朝も笑い声からスタート。
しかし、沖田番よ、鵯越はちょっと……「誰も降りてこねェ! (怒)」って、そりゃ当り前だ、馬と打城丸は違います! 馬で駆け下りてく九郎たんになら、皆辛うじてついてくるだろうけど、デカイメカがすずぅ……んって飛び降りても、馬では二の足三の足だって! ついてった畠山とか三浦とかって、大変だったろうなァ……
っつーか、うん、実際の(=ロボトミー前の)九郎たんも、もしかしたらこんなカンジの奴だったのかもなァって思うと、佐殿や梶原の苦労がしのばれます。まァもちろん、沖田番の方が(ある意味)もっと傍若無人なんですが、しかし、“俺を嫌いな奴は、勝手に嫌えばァ?”的なところってあったのかなァ(梶原とのごたごたを考えると)と思わずにはいられません。
――まァ、源平のアレコレは、また今度考察したいと思いますが。


でもって、朝食(今日は、昨日よりさらに早く、7:30頃)後、さくっとチェックアウト、9時ごろには倉敷駅へ。
今日は、倉敷は大体見たし&保命酒を買いたいと沖田番が云うし、で、鞆の浦へ行くことに。
福山駅でロッカーに荷物を突っこみ、今日はまっすぐバスに乗ります。
10時くらいにバスに乗り、約30分で鞆港着。帰りの新幹線が、岡山発15:30くらいののぞみなので、乗りそびれないようにバスの時間をチェック。13:08のバスに乗れば間に合う、はず。怖いので、PHSで時刻表の写真を撮って、いざ鞆の浦
……えーと、まァ常夜燈にまた挨拶し(そう云やァ、灯が入ってるとこ見ないまんまだったね……)、保命酒の大瓶(? 500mlくらいの)をGETして、北の方へ。
そう云えば、そろそろお昼近いし、こないだ入った田渕屋さんでハヤシライス食べるのもいいかな、とか思って行ってみたら、「まだちょっと……」って云われてしまった――11時過ぎにはできるっぽいよ。


と云うわけで、さらに鞆の浦探検隊。
まずは鞆城址にのぼり、鞆の浦全体を見渡す。おお、結構な階段だっただけあって、なかなか見晴らしも良い。
実はこの鞆城址、戦国時代に城を建てるつもりが未完成で終わり、のち水野氏が福山に国替えになった頃から奉行所として使われていたのだとか。まァ確かに、船の出入りもここからだとはっきり見えるので、そう云う面を管轄する役所の所在地としては良かったのかもね。ちなみに現在は、鞆の浦歴史資料館的なものがあるのと、例の「春の海」の作曲者・宮城道雄の銅像があります。
でもって、そこから別ルートで下へ降り、入江豊三郎商会へ――ここも保命酒屋さん。
「どうぞ〜」と云われ、利き酒させてもらう。……えーと、ここのはあっさり。水色もわりと薄く、さっき買ったやつみたいな、琥珀色って云うか何て云うか、な濃い色合いではありません。
「……ビミョー?」と首をかしげ、しかしチキンなのでそのままでは出られず、保命酒のど飴(¥200-くらい)を買って、外へ。
とりあえず、他の保命酒も試してみたい(や、私も欲しいんだけど、他の味知らないまま、ってのも、ねェ)ので、次は岡本亀太郎本店。
こちらは、福山城長屋門(?)を移築したものを店舗にしています。
えー、こちらのは、入江豊三郎商会のよりは濃い、が、ちょっと好みじゃない……ただ、ここは面白くって、保命酒と果実を合わせた梅や桃(だっけ?)フレーバーのお酒があったりします。でもまァ、買うにはちょっとなァ、と云うことで、最初に寄った保命酒屋へ。
「また戻ってきちゃいました(てへ)」とか云いつつ、300mlのをGET。


でもって、そろそろ頃合いも良し、と田渕屋さんへ。
「どうぞ」と云われ、私は普通のハヤシライス、沖田番はオムハヤシ、を注文。で、待ち時間の間に、保命酒の利き酒をさせて戴く――唯一行かなかった赤マル酒造(だっけな)の保命酒もある。えーと、多分初心者向けっつーか一般的に飲み易いのは、やっぱり入江豊三郎商会、その次が岡本亀太郎本店。例の保命酒屋=鞆酒造と赤マル酒造はどちらも癖が強いのですが、丁子がきついのが鞆酒造、朝鮮人参がきついのが赤マル酒造。でもって、多分オリジナルの保命酒に近いのは赤マル酒造だろう、ってカンジのようでした。
全部飲み比べてみても、やっぱり鞆酒造のが好みだったので、これ買って正解だったなーとか云ってるところで、ハヤシライス登場。
えーと、こちらのハヤシはわりとさっぱり系。お酢が入ってるのかな、デミグラこってりが好きな方にはもの足りないかも知れませんが、塩辛くもなく、するっと入るカンジです。うまうま。サラダ付きで¥1,200-、だったかな? オムハヤシは¥1,400-だった、ような。
おまけで、スモークしたてのチーズを戴く。やっぱ旨々。持って帰る! と2個GET。桜のチップのかおりがいい。ホントに美味しい。


コーヒーまで戴いて、まったりしていると、ご主人(=女主人)がお話をして下さったのですが。
鞆の浦って、本当に波がないんだって! 初日、堤防(?)の端まで行って、「波がないなー」とか思ってたのですが、ここ的には、今が一番波がある時期なんだとか――どんだけ!
でもって、この辺は、町の佇まいとかがやわらかい、けど、関東よりも芯が強いカンジで、倒されはしても簡単には折れなさそう、と云ったら、「宮.崎.あ.お.いさんもそうおっしゃってました」――そうか、篤子さん(←違う)もそう云ってたのか。
でも、やはり歴史が古い(飛鳥時代くらいから“潮待ちの港”として有名だったそうなので)からか、容易に折れない強かさがあるような気がします――町も、人も。
その点、関東はこう、表面的に強いけど、折れる時はぱっきりいっちゃうよなァ、って云う……益荒男ぶりと手弱女ぶりみたいなカンジ? (←それはどうか)
でもまァ、やっぱりふるゥい町なんだなァと、再認識致しました。うん、そう云うところ、下手したら京都よりも強かかも知れませんね。京都はもう、外部からの流入がすごくって、そう云う“手弱女ぶり”的なカンジとは若干違っちゃってるような気が致します。


でもって、そろそろ頃も良し、とバス停に行くと、予定してたバスの一本前の便が入ってくるところでした。余裕を持っていこう、と云うことでこれに乗り、1:30には福山駅前に到着。荷物を引き出し、山陰本線岡山駅へ――1時間ほど乗っかります。
岡山駅で、買い忘れていたお土産の最終チェック、の後、既定ののぞみに乗って、品川には18:45ごろの到着でした。
また鞆の浦行きたい&次は宮島! 沖田番の鬼門(?)、企画するとツアーごと潰れる(汗)と云う、世界遺産宮島! 行きたいですねェ。私も一緒だと、余計に弾かれそうだが(汗)。
まァまァ、その前に箱館とか会津とか、いろいろ行きたいですけどねー。……金は?


† † † † †


しかし、佐殿熱がスライドして、源実朝に興味が出ているのですが(間違いなく、講談社の「日本の歴史 09 頼朝の天下草創」(山本幸司)のせい……)。
佐殿も資料がないが、千幡はもっと資料がない……ちゃんとした伝記で流通してるのもなければ、金槐和歌集もない。岩波の限定重版で、2007年に出てたらしいのですが、うちの系列のどこの店舗にもものがなく、N販のウェブセンにも、Tハンブックライナーにもない。一応新宿のJュンク堂にも行ったがもちろんなく、密林さんでも¥1,260-とかしやがります……
とりあえず、図書館で借りて面白かった、吉本隆明の「源実朝」(ちくま文庫)は密林さんでGETしましたが、金槐和歌集は、神田か早稲田で足で探そう、そうしよう。


でもって、元職場の後輩I嬢に、「薄桜鬼」関連メールのついでに「佐殿と千幡にハマった!」とか書いておいたら、「私は筋金入りの義経スキーなので、頼朝は刺したいくらいに嫌いです」って返ってきた……しくしく(泣)。
ちなみに彼女は、幕末では鬼が好きなのですが――何で佐殿駄目なんだ、鬼と同じ類のいきものじゃん(泣)。
と沖田番にぐちると、「そりゃああんた、自分で命を下して、能動的に殺させたのと、已むを得ず置いてった、ってのとじゃあ、結構違いますぜ」との返答。
うぅむ、世の女子は、本質的なところが同じとかそういうことではなく、表面的な行動に対する好悪で評価を決めるのか――そんなもんか。
でもでも、佐殿と伊達の殿と鬼と、あと先生も同じ類のいきものだけどな? イケメンで、大変残念な性格で、なおかつ相対的に頭がでかいとこも一緒だけどな? とは、思わずにはいられませんよ……ちぇ。


さてさて、これにて倉敷・鞆の浦紀行は終了。
次はルネサンス、と思ったけど、コモ湖の資料とかが集まらんので、いろいろ休んで、鬼の北海行に行きたいと思います。ごめんね。
いよいよ宮古湾海戦へ〜。っつーことで、この項終了。