北辺の星辰 52

 三月二十一日、幕府海軍の回天、蟠龍、高雄の三隻は、ストーンウォールこと甲鉄艦を含めた南軍の艦隊が停泊する、南部藩宮古港へ向けて出港した。
 歳三の乗る回天には、海軍奉行・荒井郁之助、仏人海軍士官・ニコール、軍監として相馬主計と野村利三郎、大島寅雄など、襲撃要員として神木隊、彰義隊から若干名が乗り組むことになった。
 蟠龍には、横浜の商人クラトーと彰義隊、遊撃隊から若干名、高雄には仏人海軍士官のコラッシュと、神木隊が若干名、それぞれ乗り組んだ。
 歳三たちの乗り組む回天は外輪船で、船体の中央に推進のための車輪――水を掻くためにある――がついているため、接舷には適さない。
 接舷攻撃は、蟠龍、高雄の両艦に任せ、回天はあくまでも指揮艦としての出撃であった。
「どうも、俺たちが斬り込むんじゃねぇってのは、変な感じがしますね」
 野村などは、何とも落ち着かないようで、そう云って尻が痒いような顔をしていたが――まさしく、歳三も同じ心境であった。
 ――戦に出るのに、ただ後方で見ているだけとは……
 どうにも落ち着かないのだ、ただ見守り、指示を出すだけ、と云うようなことは。
 とは云え、そもそも今回の作戦に関しては、どちらかと云えば陸軍畑の歳三は、完全に門外漢なのだ。接舷攻撃の細かい話は聞いて、軍記物の世界だなとは思ったが、大体の作戦の流れも把握したつもりだ。しかしながら――潮流の変化がどうの、波濤の高さがどうの、と云う話になるとまったくお手上げだったのだ。
 そもそも歳三は、新選組副長として京で活動していたころからずっと、陸の上での戦いしか経験したことがなかった。それも、京の街路を縦横に駆けまわり、集団でひとりの敵を討つような真似も多々してきた。宇都宮戦も松前攻略も、結局のところ、皆、京にあったころの経験を少々発展させたほどの作戦でしかなかったのだ。
 だが、今回の作戦は、その質からしてまったく異なっている。歳三たちに課せられた任務は軍艦の強奪であり、云ってみれば海賊の真似ごとをしてこいと命ぜられているも同然だった。
 幕軍の今の兵卒には、怪しげな前歴のものが数多くいたのだが――博徒・侠客の類はあれども、海賊がいるなどと云う話は、寡聞にして聞いたことがない。実際、伝習歩兵隊の兵たちは、江戸を中心にしてかき集められた無頼の徒であったから、例えいかがわしい仕事に手を染めていたものがあったとしても、海上の略奪の経験がある人間などは、流石にありそうにはなかった。
 いや、それ以前の問題として、
 ――目前の敵は、船酔い、か。
 歳三は比較的船には強く、大坂から東下する際に乗船した富士山丸や、蝦夷渡航の際に乗り込んだ大江丸などでも、また今乗り組んでいる回天でも、特に調子を崩すことなく過ごすことができている。
 しかし、陸軍組のかなりの人数――その中には、相馬主計や大島寅雄なども含まれている――は、船酔いに悩まされているらしく、青い顔でよろめきながら蠢いているものも少なくなかった。
「何だ何だ、だらしねェなァ」
 笑いながら歳三が云うと、甲板で手すりにしがみついていた相馬は、恨みがましい目でこちらを見やり、かと思うと、慌てて海の方へ顔を出して、胃の中のものを吐き出していた。
「こいつは、船はからっきしなんですよ、副長」
 こちらも平気らしい野村利三郎が、にやにやしながらそう云ってくる。
「大坂から順動丸に乗ってきた時も、こいつ、真っ青な顔で這いずってましてね。よっぽど富士山丸の方へやった方がいいんじゃないかって思いましたよ」
 東帰の際に乗り込んだ船は、傷病者は富士山丸、それ以外のものは順動丸、と云う区分でそれぞれに乗り分けていた。歳三は、新撰組の傷病者の取りまとめ、と云うことで、富士山丸に乗りこんでいた――何しろ、傷病者の中には、局長・近藤や沖田総司、監察方の山崎烝などもいたので――が、怪我らしい怪我もなかった野村や相馬などは、順動丸の方に乗りこんでいたものらしい。
「回天は、比較的揺れねェ船だと思うんだがなァ」
 外輪船である回天は、帆船に動力を積んだ態の富士山丸や開陽丸などよりは、まだしも揺れの少ない艦船であるように、歳三には感じられたのだが。
「そうですよねぇ、順動丸なんか、波が横っ面に当たるたんびにぐぅらぐぅら揺れましたもんねぇ。あれに較べりゃあ、回天ってのは極楽みたいなもんですよ」
 野村も、肩をすくめて云う。相馬は、言葉を口にするのも億劫なのか、青い顔で座り込み、口を噤んだままだ。
「それじゃあ、蝦夷渡航の時はどうしてたんだ」
 と問いかけてやれば、
「あの時は、俺が、あの春日と四六時中やり合ってたんで、その仲裁でばたばたしてた――よな? だから、気が紛れて、船に酔ってる暇もなかったんじゃないかと思いますがね」
 だよな? と相馬に問いかけるが、当の相馬は、聞いているのかも怪しいような態である。
「やれやれ、こんなもんじゃあ、斬り込みどころの話じゃあねェなァ。まったく、おめェらが突撃部隊じゃあなくて、本当に幸いだったぜ」
 船酔いで足許も定まらないような有様では、斬り込みどころか、接舷して甲鉄艦に乗り込むのも難しかろうに。
 が、野村は不満げな様子で眉を寄せた。
「そうですかぁ? 俺は、斬り込み部隊の方が良かったですけれどねぇ。いくさ場に出て、ただ見てるだけなんて、落ちつかねぇですよ」
「だが、軍監も大切な仕事だぞ。おめェも、まがりなりにも陸軍奉行添役介なんだ、こう云う仕事もちったァこなさねェと……」
 そう云う歳三こそが、斬り込まない戦いに落ちつかない気分ではあったのだが。
 仕方がない、戦場にあっても泰然として動かぬのが、将たるものの務めである。
 実際、歳三自身が斬り込んでいった松前城攻略戦の件では、後で報告を受けた榎本と大鳥から、こっぴどく叱責されたのだ。
 ――総督自らが前線に立って、もし落命したなら軍はどうなるのだ!
 特に大鳥などはそう云って、歳三があまりにも軽々と動くことを戒めてきたのだが。
 ――俺ァ、所詮は人斬りだ。
 新撰組副長と云う元の職掌が、部下のみが攻撃を仕掛けて、己は動かぬ、と云うことに抵抗感を抱かせるのだ。戦は生き物だ――特に、古の合戦であればともかく、昨今の武士ならぬものたちの動員されることの多い戦場にあっては、臆しがちな兵卒を動かすには、将たるものが率先して駆けなくてはならぬ。さもなくば、鳥羽・伏見の戦いの二の舞――総大将が早々に戦場を離脱し、下の士官たちがばらばらに動いて連携を取らず、もって敗北を喫することになったように――となるだろうことは、想像に難くなかった。
 だがまあ、今回の戦いに関しては、その心配はしなくて良いのかも知れぬ。
 何しろ、突撃部隊の指揮を執るのは、あの伊庭八郎だ。出航前のもの云いには、些かならず引っかかるものを覚えたが――しかし、心形刀流伊庭道場の御曹司、かの“伊庭の小天狗”が、無様な指揮を見せるとは思えない。あの男は、いい加減なように見せて、ひどく矜持を気にする質であったから、歳三に喧嘩を売るようなことを云った手前、決して無様な態をさらすことを自分に許さないに違いない。
 ――そう云う意味では、安心は安心、か。
 遊撃隊そのものも、蝦夷地へ渡ってくる前には、各地でなかなか華々しい活躍をしていたようであるし、そのあたりも不安は少ない。
 後は、無事に甲鉄艦を奪取できればいいのだが。
 歳三は、かるく吐息して、黒い海の彼方、遥かな宮古湾に思いを馳せた。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
いよいよ宮古湾へ出航〜。


鎌倉話は、あと数行で詰まって(って云うか、この後厭なシーンだから、どうも筆の進みが鈍いのよ……)て、こっちからのUPです。
えーと、前回、伊庭の乗り込んだのは高雄? とか書きましたが、『新選組日誌』下巻とか『軍艦「甲鉄」始末』とか読んでると、蟠龍らしいですね。
ってので思い出したのが、以前、伊庭が「松岡磐吉ぶっ飛ばした」ってアレ。ええ、冥府(笑)でですが。えーっと、もしかして、蟠龍って人為的なアレコレで遅れたりした? それって、松岡磐吉が原因だったってこと? それなら、松岡ぶっ飛ばしてきたって伊庭のアレコレはわからんでもないな。いや、てっきり江差松前攻防戦のことだと思ってたんですが――いろいろあるもんだねェ。←いや、冥府(笑)の話ですが。
っつーか、もしも蟠龍の宮古湾参着遅れの理由が松岡磐吉の人為であるのなら、江差や弁天台場のアレコレも込みで、マジでぶっ飛ばすだけじゃ足りないんだけどな。野村とかとかとか、死なせたの松岡磐吉ってことになるじゃん!
そう云やァ、↑この人員の割り振り見てて思ったんですけども――何で蟠龍に乗ってるのだけ、商人なんでしょうか……海軍士官は確かに二人しかいなかったけど、それにしても商人って! ……どうも、胡散臭い感じがするよなァ。何か裏があったか……?
……えーと、『「甲鉄」始末』をきちんと読まなきゃな……


あ、そうそう、右の下の方に得体の知れないボタンがありますが――えーと、ブログランキングに登録してみたのです。
うんまぁ、気が向いたら押してやって下さい、っても、押さない気持もわかるのはわかる。結構行ってるブログも登録してるところがちらほらあるのですが、一度も押したことないからな、自分。
まァ、うん、積極的に推してやろう(←誤変換に非ず)って奇特な方は、ぽちりと宜しくお願いします。
まァ、全然反応なかったら、とっとと外しちゃいますけどね……(寂)


この項、終了。
次は、下書きも終わったので、鎌倉話の続きで〜。