鎌倉散歩行 その2

ってわけで、散歩日記、続き。


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二日目の起床は7:30くらい?
素泊まりなので、もちろん朝食は調達せねばなりません。
沖田番が身支度を整える間もぐだぐだしてて、8:00過ぎにようやく起動。荷物をまとめて布団を畳み、部屋を(それなりに)片づけたらチェックアウト。っても、よその部屋の皆さんはとっくにお出かけ済ですが……
チェックアウトは受付ではなく、鍵を玄関の所定の籠に入れる形式です。
でもって、コインロッカーに荷物を突っこみ、駅東口で朝マック。何か朝にマックって久しぶり……値段云々と云うわけでもなくソーセージマフィンのセット。これが好きなんだよ!


でもって、カロリー摂取後、小町通りを北→若宮大路へ。やっぱり段葛を通って行きたいので。
さつきの咲く段葛を抜けて、鶴岡八幡宮へ。普通にお参り。いつもお世話になっておりますって云うか、いろいろすみませんって云うか。
あ、石段横の大銀杏は、根から葉っぱがたくさん出ておりました。幹を据えてある方も、根付いたかどうかはともかくとして、葉っぱが横からちょこちょこと――やっぱ銀杏って生命力強いんだねェ。
それを横目に見ながら石段を登り、お参り後右手の階段から下りる。次は白旗神社
っても、佐殿の墓所のあるあっちではなく、鶴岡の敷地内にあるあっちです。黒塗りで非常に立派。ここには、佐殿と一緒に実くんも祀られているのだそうですが――頼家は? 何で祀られてないの? 何かちょっとしょんぼりなんですけども!
神職の方たちが何やら神事(?)を行っておられるのを見ながら、柏手を打って礼。
次は鎌倉宮


鶴岡の東から出て、佐殿のお墓の近く→大蔵幕府跡(現・大蔵小学校)を通り、鎌倉宮へ。
鎌倉宮と云うのが誰っつーかどの神さま祀ってるのかわからなかったので、一遍行ってみようという、それだけで向かったのですが。
えーと、ここは、後醍醐天皇の皇子で“大塔宮”と呼ばれた護良親王を祀る神社なのですね。建てられたのは明治二年で、元は東光寺と云うお寺があったところなのだそうで。
後醍醐天皇、って云うと太平記の世界だな。護良親王は、鎌倉幕府を倒した後、後醍醐天皇と反目して足利直義に預けられ、鎌倉・東光寺に幽閉されていたのだそうで。中先代の乱(北条高時の子・時行が一時的に鎌倉を支配)の時に、北条方に奉じられることを懸念した直義の家臣に殺されたのだそうです(by Wiki)。へェ〜。護良親王のお墓自体は、もっと東の方にあるらしい。
イマイチよくわからぬままにお参りしてみたわけですが。
何かこう――ここって、変な土産物屋みたいだよ。神職が団体客相手に解説してるのをちらちら聞いてたのですが、何かもう、むかむかして仕方がなかった。
何が「うちは官幣中社なんです、神奈川県内で一番格が高い神社なんです」だ!!! そんなもん誇るなよ、神さま祀ってんだろ!!!!! しかも、護良親王が籠められてたと云う土牢(これは復元されたものらしい――しかも、護良親王が籠められてたのは、ホントは土で壁を塗り固めた牢=塗籠の牢だと云う説も有)とか、殺された後、その首をのせたと云う石なんかを得意げに案内してんなよ!!!!!
しかも、護良親王が鎧の下につけてたとかいう獅子のお守りを売ってるってさ――どんだけ!!!!!
正直、こんなにムカついた神社は初めてでした――しかも、「うちはどんどんガイドなんかにも売り込んでるんです」って、マジ神社としてどうなの!!! って云うか、しちゃいかんとは云わないが、それを誇らしげに云うな!!! マジで護良親王後醍醐天皇の怒りの鉄槌を食らうが良い!!!
……ホントマジ、最悪な神社でした。
むかむかしながら、永福寺跡へ。


永福寺は、奥州征伐後、九郎たんとか奥州藤原氏とか、その他諸々の怨霊を供養するために、佐殿が築いたお寺です。
何でも、平泉の中尊寺とか毛越寺とかに感動した佐殿が、「鎌倉にも作る!」って云って作ったのだとか――そうですか。1405年に焼失、そのまま廃寺になったそうなので、室町時代まではあったのね。二階建てのお堂があったので“二階堂”とも呼ばれ、その関係で、寺域周辺をも“二階堂”と呼ぶようになったのだそうです。ほー。
永福寺寝殿造りっぽいお寺だったようで、二階建ての本堂の両側に釣殿が作られていたらしい――鑓水があったり、大きな池があったりと、まさに寝殿造り。
とは云え、今はその辺は芒野原で、フェンスで囲われたところに史跡の立て看的なものがあるだけの、寂しいところですが。
一応、史跡公園にする計画だけはあるらしいけど、いつになるんでしょうかねェ……気長に待ちたいと思います。


で、これが本日のメインイベント、覚恩寺へGO。
覚恩寺と云うと、1時間おきに行われる境内の案内(?)が有名らしいのですが、50分かかるそのツアーではなく、私どものお目当ては“腕守り”です。
『鎌倉お守り散歩』(東京地図出版)で見て、いいなと思ったお守りなのですが――これがね、おみくじのように自分で引いて、書いてある一文字がお守りになるチャームつきの紐ブレス、とでも云うようなカンジと云うか。
気になったので行こう! と云うと、沖田番も二つ返事で行くと云う。
ので、鎌倉宮の前を通って、北へ。住宅街の中を通っていくと、突き当りが覚恩寺です。
この辺の住宅は、結構裕福そうなのが多いよなー、とか云いながら山門をくぐる。
うん、ここは中々いいカンジ、って云うか、あと10分ほどで11時だからか、人が結構……これみんな参拝ツアーの参加者ですか。すごい。
えェと、流石に50分拘束されるのはなァ、と云うので、本堂に簡単にお参りして、寺務所にGO。
「腕守りを戴きたいんですが」と云うと、「祈祷してから差し上げるタイプのお守りなので、¥3,000-ですが」と云われる。
ここまで来たんだし! と、お願いすることに。「境内参拝はいかがですか」と云われるのはパス。だって、この後まだまだ行きたいところがあるんだ。
で、私は“心願成就”、沖田番は“家内安全”でお願いすることにして、若いお坊さんに誘われて本堂の中へ。
こちらは真言宗なのですね、護摩壇が設けてあって、その奥に本尊の愛染明王、左手に梵天、右手に毘沙門天の、それぞれ像が安置してある。梵天――どうも、『聖★おにいさん』のせいで、生ぬるく笑ってしまうんですが! いやいや、ここは気を引き締めよう。あの眉の太い梵天さんは、漫画だ漫画。
上げて戴くのは般若心経――しかし、私は一応真宗なのですが、真言宗ってのは、お経を読むメロディライン(って云っていいの?)が全然違うんですね! 何かこう、異国情緒のある旋律と云うか、不思議な音階でした――ま、真言宗の人に云わせると、真宗の方がそうなんだろうけども。
でもって、読経後に、三方の上に山盛りになった腕守りの包みが――この中から自分でチョイス! なのですね。
先に引いたのが沖田番で、こちらは“是”、私は“敢”の文字が来ました(包みの中に、毛筆書きの紙と腕守りが入っている)。どちらも人の顔(表情が違います)を彫ったチャームの裏に文字が浮き出しており、それと“覚恩寺 念”と彫られた立方体のチャームとで、赤い紐で二重にして腕につけるようになっています。……説明難しいな……
「どちらも、前に進むと云う強い言葉ですね」とお坊さん。
特に沖田番、“是”って、“これ;正しい;正しいと思う考え”(by漢字源)と云う意味で――それって、愛染明王に「行け!」って肯定されてる?
私の“敢”は、“あえて;気兼ねせずにやる;押し切ってやる”――えーと、古馴染連中とか、もっと古馴染連中とかのアレコレのことをずっと考えてたので、それに対する答えなのか? 気兼ねせずにやれと? ……が、頑張ります、頑張りたいです……難しいけど、頑張れ自分。
ともかくも、お礼を云って、覚恩寺を後に。っつーか、愛染明王凄すぎ。
気になって、なおかつ¥3,000-出してもいいという方は、是非。一年ごとに戴かなくちゃならないお守りでもないので、一度戴けば末永く、ってのもまたよし。
見るだけ見てみたい方は、確か11月の中旬あたりに、チャーム一千文字分を一挙公開! と云うのが覚恩寺内であるそうなので、そちらでご覧になるのが宜しいかと。


で、ちんたらと鶴岡方面に戻る。
お昼近くなって、流石に空腹(ソーセージマフィンのセットは、量が少ない……)になってきたので、途中で気になった、ドイツパンとコーヒーの店・ベルグフェルドへ。
どうも地元で人気のお店らしく、若いお母さん方がおしゃべりに興じている。
隅っこに座って、ランチセットを戴く。三種のパンのオープンサンドに、ケーキとドリンクがついて¥1,260-だったかな?
パンはうまうま。って云うか、ライ麦パンとかもちろん美味しかったのですが、ロールパンっぽいのが意外な美味しさ。これは良い。
が、12時を過ぎて、さらにお母さん方が流入して来、ちょっといたたまれないカンジになってきたので、ケーキを戴いたら早々に店を出る。ううう、あんなにかしましいカンジでなければ、もっと長居したんだけどなァ……女の集団って、怖いよね。


さて、気を取り直して、駅の西へ。
今回は銭洗弁天に行くのもひとつの野望なので。
えー、てくてく歩いて寿福寺の南の方へ。でもって、途中で西へ折れ、銭洗弁天――の前に、佐助稲荷へ。
ここは、佐殿の挙兵を助けてくれた“隠れ里の稲荷”をお祭りしたところです。病気で寝ていた佐殿の夢の中に、老人が現れて“加勢致す”とか云ったらしい。で、“佐”殿を“助けた”から“佐助稲荷”なのだとか――ちょっと安直なネーミングじゃないのか。
昔来た時と、何となく印象が違うような気が――昔は、もっと仄暗いような雰囲気で、何かこう、拒まれてるわけではないんだけど、ビミョーなカンジだったのに、今回はどっちかっつーと歓迎ムード、か? ……この差は何なのだ。
えーと、伏見稲荷なんかに較べると、当然全然小さいわけですが、それでも社務所はきっちりあるし、休憩所的なものもあるしで、何かこういいカンジ。外国人観光客(欧米系)が多い……何でだろう。
ともかくもお参り。しかし、ここ、境内の隅っこに湧き水が――っつーかさ、思うんですけど、佐殿がらみの史跡って、井戸とか湧き水とか多いよね。何か佐殿、喉が渇くと弓や矢で井戸を掘ったらしい(←え)のですが、息子の実くんは雨乞い名人だし、水に縁のある親子だよなァ。銭洗弁天だって、佐殿が開祖だしね。うむ。


でもって、佐助稲荷を後にし、わき道から銭洗弁天へ――細い道を入っていくのですが、ここは最後階段が結構長いので、レンタサイクルでは無理だと思う……
新興住宅地を抜ける道なのですが、途中、やぐら(=まァ、石窟的な?)をガレージ代わりにしている家を発見――どうなのそれ。いや、そのやぐらん中って、昔何があったか知れたもんじゃないと思うんですけども。鎌倉も、仙台と同じで、やぐらの中ってお墓が多かったわけだしね――ま、気にならないならいいんですけども。
この道を上がってゆくと、社務所の前を通らないで弁天様の前につくのです。でもって、お参りしたり何だりして、社務所の前を通って、外へ――トンネルくぐります。
っつーか、アレなのね、銭洗弁天って、お金を洗うために線香とか買えって――金取るんだ! うわー、何かこう、毟るだけ毟れってカンジ? でいやァな気分に。まァ、鎌倉宮神職には負けるけどな! しかし、ちょっとヒドイよね、維持のためにお金が必要なのかも知れないけどさ! でも! ……いろいろビミョー。


ここからずっと南下して、由比ヶ浜へ。今回は、ちゃんと和田塚の横を通って南下しました。
由比ヶ浜で、また貝を拾う。今年3度目? またツノ貝とかサンゴのかけらとかを拾いつつ、波に引きこまれそうになったり何だり。
日差しが駄目な沖田番、帽子を目深に被りつつも、やっぱり波打ち際でぱちゃぱちゃと。
しばらく波と戯れた後、滑川を越えて材木座海岸方面へ。川一本隔てただけなのに、こっちにはあんまり人がいない――何でだ。
しばらくたらたらと波打ち際で貝を探し、3時くらいになったので、由比ヶ浜へ。貝をちょこっと乾かして仕舞ったら、若宮大路北へ。


えーと、この後は特にあてもなくさまよったカンジ。
本覚寺→妙本寺→八雲神社と門の手前で御挨拶して(八雲神社はともかく、残り二ヶ所は日.蓮.宗だからだ)、由比若宮=元八幡を目指してみたのですが、途中で迷って挫折。
後で地図見てみたら、由比若宮って、JRの線路の南だったんじゃん! あの目印は何だったのか……(大町四ツ角あたりで見かけた標識的なものがわかりづらかったの……) まァ、また次回ですわね。
ちなみに妙本寺は、比企一族の屋敷跡だそうな。比企……佐殿の乳母の養子のとこですね。っつーか頼家の嫁の実家と云うか。
しかし、どうも私、日.蓮.宗は好かんらしい……箱館もとい函館の実行寺もそうなんだけど、どうも門の中に入れないと云うか。いや、オカルト的な意味ではなく、単に苦手意識が……何なんだろう一体。昔々のいつかの人生で、日.蓮.宗とトラぶった過去でも……? と思うくらい苦手。うううむ。
あ、安養院とか行けば良かったか(←ここは、佐殿の菩提を弔うために、政子が建てた長楽寺が前身なのだとか。今の名前は、政子の法名から)。まァ、こっちも次回だ。


駅前の豊島屋でお土産をGET後、その上のパーラー的なとこで、レモンパイとお茶を戴く。レモンパイ酸っぱい! でも、疲れてきてたので、ビタミンCが身体に滲みこむようなカンジで、良かった。
日暮れてきたので、湘南新宿ラインで新宿へ。流石に疲れて、うたた寝する沖田番。
でもって、新宿で最後のコピーをして、そこから帰宅致しました。
流石に疲れた……多分、2日で15km以上歩いてる……


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ってわけで、この項は終了。
次はお知らせ的なもの、で、その後ルネサンスかなァ。