王朝政治のあれやこれや。

……とか。


えーと、何かこう、どうも話を書くテンションが上がってないと云うか、知識吸収期真っ最中と云うか(今は、最近文庫になったジョーゼフ・キャンベルの『神話の力』を読んでるのですが――やっぱ、比較神話学って面白いよね。デュメジル・コレクションも、ばら売りしてるうちに揃えとくんだったか……←今はセット売りしかしてやがらねェのですよ、ちくま学芸文庫)。
なので、ここんとこ読んでる平安中期=藤原摂関家最盛期の話と云うか。


っても、この辺は特に話を書く予定はないんですけどね――だって、御堂関白殿に関しては永井路子の『この世をば』で大体満足(?)なんだもん。いや、彰子が才色兼備の容貌端麗な姫君だったってことは、御堂関白殿だってそこそこイケメンだったと思うので、そこだけはアレなんですけども(って云うか、平安期の宮廷社会では、醜さは罪なので、特に容貌について言及のない場合は、そこそこイケてる容姿の主だった、ってことになるようなんで)。
どっちかって云うと、御堂関白の現役時代=一条帝の治世、よりも、安倍晴明現役時代=多分村上帝の治世、の方が書いてみたいんですが。昨年からちらほらと夢でお見かけするメタボ様=中央アジア的ウェービーヘアのチャラ男・安倍晴明と、官僚臭芬々のクールビューティー賀茂保憲のあれやこれや、っつーかメタボ様の「保憲様〜♥」な話と云うか。まァ実際、メタボ様、保憲さんの息子の賀茂光栄(鎌倉武士並に風呂に入れて擦りたい)と、どっちが保憲さんの寵愛受けたかで争ったとか云う逸話も残ってるんで、ねェ。史実ですから。
まァこないだの源平祭りに絡んで、“俘囚”がどうのと云う部分で、新たなメタボ様像が作れそうだし、過去の遺産(笑)もあるしで、書いてみたいなァと。まァ、過去の遺産(笑)は、単語しか役に立たなさそうですけどね(苦笑)。源平祭りの時ですら、有職故実のあれやこれやはわかってなかったので、今回の御堂関白熱は、お勉強には良かったですが。……だって、後宮にそんなに簡単に(中宮や女御と関係のない)男性が入れるなんて、ねェ……


さて、その摂関政治全盛期の御堂関白殿の時代ですが。
教科書とか概説書とかでは“藤原氏外戚として実権を握り、天皇を政治から遠ざけた”とか、貴族たちは恋に遊びにうつつを抜かし、政治をきちんととってはいなかった的な書き方をしている本が多いのですが。
中公文庫や講談社学術文庫の『日本の歴史』では、少なくとも一条天皇に関しては、天皇親政だったんだぜと書いてある――中公の方なんか、かれこれ40年近く前の本なんですけどね。
でもって、『御堂関白記』なんかを読んでも、結構真面目に政治をやってるっぽい――まァ、“陣定の時に、公卿が誰も出てこなかった”とか書いてあったりもするので、真面目にやってない人はやってなかったぽいのですけどね……ふふふ……右大臣・顕光とか、内大臣・公季とかね……ふふふふふふふ……


まァ、“政治”と云っても、このころの“政治”は、今の概念とはかなり違うっぽいんですけども。
やっぱり、情報網が発達してないし、ってことは地方の行政のチェックも全然できない(監査とかそう云う観念はないと思う)し、そもそも、大規模な海外からの侵略がなかったので忘れられがちですが、非常時の連絡とか指揮体制とか、ぬるくてやってらんないレヴェルでしかなかった(刀伊の襲来の時の、中央の右往左往っつーか何つーか、がいい例ですね)ってことだし、今のような意味での“中央集権”を想像すると、ものすごくことを誤ると思います。
よく、摂関期の権力の源は人事権だ、と書いてあったり致しますが、まァだから、それは上の事情を鑑みると当然のことだよな、とは思います。
っつーかアレだ、中央政府に出来るのは、国司を任命することと祭祀を執行させること、でしかなく、祭祀は要するに神頼みってことですから、自律的に出来たのってのは、実質人事だけ、ってことですよね。
しかし、結構この“人事”ってのがキモだったんだと思う――何故ならば、情報の伝達も遅い、地方の行政も整備されているとは云い難い(律令制が崩れてきている時期ですしね)、そう云う状況の中で、どんな人物を中央政府の代官として派遣するかってのは、国の歳入面から、あるいは国防面からも、非常に重要になってくると思うのです。
実直に政務に励み、何か争乱の種やあるいはハプニングがおこった時には、自己判断で(本当は、律令国家においては、地方は中央の指示を仰がねばなりません)ある程度の対処ができる、そう云う人間を見極めて、適所に配置できる、これが、摂関期(だけじゃないとは思いますが)の政治家に求められた資質なのだろうと思うわけなのです。


でね――そう云う観点からみると、どうやら御堂関白殿はかなり有能な政治家だったらしいのですよ。
何しろ、非常に御堂関白殿にライバル意識を持ち、なおかつ仲も非常に悪かった三条天皇が、人事だけは関白殿にやらせてたそうなのでね……嫌いでも仕事を任せざるを得ないほど、御堂関白殿の人事力ってのは群を抜いてたんだろうなァ、と思うわけですよね。
まァ、すぐ下が無能二人(ええ、ですから顕光と公季)だったわけですから、中々地位を脅かされたりはしなかったとは思うのですが、それにしても、政権担当してた30年の間に、大きな反乱やなんかがなかった、ってのは、中々の差配力だったんじゃないのかなァ(って云うと、どうも自分的にはいろいろビミョーな気分ではあるのですが)、とは思います。だって、上記の刀伊の襲来も、息子の頼道(宇治の平等院作った)のころですからね。
だから、小うるさい実資(小野宮右大臣=『小右記』の著者)なんかも、日記に道長批判は良く書いていても、実務の場ではさしてまぜっかえしたりはしなかったんでしょう。


しかしまァ、今回の御堂関白から入った平安時代は理解しやすかった――結局私、政治史から入らないと歴史が理解できないっぽい……
まァでも、それも間違いじゃないとは思うんですけどね。政治って、その社会に密接に関わっているものなので、政治の見えないところだと人びとの暮らしも見えないって云うか。ものの流れ、人の流れも、やっぱり政治と噛んでくるところだと思うのですよね。
文化史とかだけではやっぱり理解できないので、『枕草子』とか『源氏物語』とかを中心とした、高校までの平安中期・摂関期の歴史ってのは、中々興味をそそり難いのかも知れませんね。歴史って云うよりは、古典だもんなァ……
してみると、やや難しいですが、『御堂関白記』『小右記』『権記』(=三蹟の一人・藤原行成の日記)『左経記』(=左大弁・源経頼の日記)あたりをピックアップして読んでいくと、結構(歴史として)面白みが出てくると思うんですけどねェ……


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しかし、『神話の力』(ハヤカワ文庫NF)を読んで、久しぶりに鋼錬長編(本館内)に手をつけたくなりました。原作終わってるんだけどね。ふふ。
私の“錬金術”の観念ってのは、やっぱルネサンス的自然魔術+仏教思想+αなのだなァ、原作とはかなり違ってるなァ、ってのを書きたいなァと。自己満です、えェ。
『神話の力』のキャンベルの言葉のあれこれは、鋼錬長編書きはじめのころの私の、“反‐鋼錬的錬金術”を書いてた時のヴィジョンと云うか、イメージと云うか、そんなものとかなり近かったのだなァとか思いながら読みました。“全は一、一は全”って、ホントのところすごく多義的な言葉なんだよねェ――鋼錬だと、えらく単純明快にされてますが。
個人的には、例のタブラ・スマラグディナの言葉の方が好きですね……


さてさて、今度こそ鬼の北海行、に、したいなァ……