神さまの左手 32

「どう思うね、サライ
 そんな言葉とともに、レオナルドに画帳を示されて、サライは小首をかしげて見せた。
 今年、サライは十四になった。まぁまぁ大人だ、と本人は思っていたが、身体つきもようよう意識に追いついてきた感がある。まだまだレオナルドには及ばぬものの、段々に背丈も伸び、もう一、二年もすれば、かれを追い越すだろう勢いだ。
「何が“どう思う”だよ?」
 と、レオナルドの散らかした紙片を突きそろえながら訊けば、
「この“最後の晩餐”の構図がだ!」
 短気な“大先生”は、そう云って画帳を振り回した。
「どれどれ」
 紙挟みに紙片をはさみ、サライにおいての“所定の場所”にしまってから、示された紙面を覗きこむ。
 レオナルドのメモ描きは、モデルをおいて描く丹念なデッサンとは大きく異なり、さらさらと人物の位置取りだけを描いたものだ。
 無論、画中の人物が誰であるかわかるように、持物などは簡単に描きこんではあるのだが――知らない人間が見れば、何が何やらさっぱりわかるまい、と思うような代物だ。
 実際、サライにしたところで、レオナルドが何を描こうとしているのか、すべてわかって見ているわけではない。ただ、かれは他のものたちとは違って、この“大先生”と四六時中一緒に暮らしていたから、レオナルドが構図のどこを注視してほしいと思っているのか、何となく把握しているだけのことなのだ。
「……まぁ、いんじゃねぇ?」
 と簡単に答えると、“大先生”は爆発した。
「“いい”とは、何を指して云っているのだ!!」
「……全体、とか?」
「全体の他に、何だ!!!」
 ――あー、もう、細けぇなぁ。
「や、人物の配分とか、だろ? 何がいけねぇのさ?」
 レオナルドがここまで爆発するからには、本人的にはこの構図に、何やら不満があるものらしい。
「……あまりにも因襲に捉われているとは思わんか?」
 と、云われても、そもそも絵画の“因襲”とやらがわからぬサライにとっては、何がいけないのかさっぱりだ。
「因襲とか云われても、俺、さっぱりわかんねぇんだもん」
 正直に云うと、レオナルドは沈黙し、やがてひとつ溜息をついた。
「……そうだな、弟子でもないお前に、絵画の歴史を云々しても仕方のないことだったな」
「何だよ。――俺は育ちが悪いんだ、仕方ねぇだろ」
「育ち云々の問題ではない。――ともかく、因襲に従った構図だと、食卓のまわりに、キリストと弟子たちを配するのだが、その場合、ユダの位置は、必ず他の弟子たちとわけておくことになっているのだ」
「必ず?」
「必ず、だ」
「はぁん……」
 なるほど、神の御子を裏切った男を、絵の中とは云え、キリストや他の聖人たちと同列には扱うなど許されない、と云うわけなのか。
「で、あんたはどうしたいのさ、レオ?」
「……そうでない構図にしたいのだ」
「なら、すればいいじゃん」
「教会がそれを許すと思うのか!?」
 ――ははぁ、そこが問題なわけね。
 サライは、得心がいって、思わず小さく頷いた。
 この「最後の晩餐図」は、サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院の食堂の壁を飾るのだと云う。つまりは、朝な夕なに修道士たちの目に触れる絵画となるわけだ。
 田舎の小さな教会の神父ならまだしも、修道士などと云うものは、カトリックへの熱烈な愛によってその道に入ったものが多いはずだ。
 そうして、教会周辺の絵画と云うものは、依頼主である教会の意識が、主題や描き方などに非常に強く働くものなのだ――と、レオナルドが云っていたのを聞いた憶えがある。
 つまり、引き受けた以上は、極力教会の意に沿うものを描き上げねばならない、と云うことであったのだった。
「……でもさ、あんたのやりたい構図にしたとして、それが教会のアレに、確実に引っかかるってわけじゃあないんだろ?」
 一口に教会と云っても、いろいろな会派がある。ドメニコ会はいろいろと口うるさく、フランチェスコ会はまぁそうでもない、などと、レオナルドの口から聞いた憶えがあるのだが。
「私が多少なりとも知っているのは、フィレンツェの教会で、ミラノのものがどのような見解を持っているかはさっぱりわからないのだ」
 レオナルドは、むっつりと云った。
「何しろ、教会の仕事は、昔の『岩窟の聖母』でいろいろと懲りたからな――あまり迂闊なことはしたくない、と云うのが、私の本音なのだ」
「あー……」
 そう云えば、確かにそんな話も聞いたような気がする。
 レオナルドが無原罪の御宿り信心会からの依頼で描いた『岩窟の聖母』像は、幼子キリストにも洗礼者ヨハネにも聖母マリアにも光輪がなく、またウリエルと思しき天使にも羽らしき羽がないと云う、非常に“前衛的”な絵であったようなのだ。
 だが、そんな絵画が教会側のお気に召すはずもなく、早々に仕上げて引渡しを終えたにもかかわらず、その絵の対価は未だ支払われぬまま、レオナルドは、教会側から描き直しの上再度の納品を迫られているような有様なのだった。
 そんな次第であったから、レオナルドが、教会の細かな要求にきちんと沿える自信がないと云うのは、もちろんサライにもよくわかる話であった。
「……でもさぁ、だからってはじめっから投げてかかるのもどうなんだよ?」
 今度のサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院は、確か、無原罪の御宿り信心会とは異なる会派だと云う話であったように記憶している。
 そうであるならば、今度もレオナルドの提案する構図が受け入れられることはない、とは、必ずしも云い切れないのではないか。
「あんた、その“因襲的な”構図じゃない絵を描きたいんだろ? なら、とりあえず描いてみればいいじゃねぇか。全力で描いてみて、それではねられたら、また違う構図を考えてみりゃいいだろ」
「ううぅむ……」
 レオナルドは唸っている。
 だが、かれがその“因襲的でない”構図でやりたがっていることは明白だったし、そう云うときにはやりたいことをやらせた方が、作品として出来の良いものになることを、サライはよくわかっていたのだ。
 だから、かれはさらにもうひと押しすることにした。
「やればいいじゃん。もしそれがいいって云われたらさ――あんた、歴史に名を残すことになるかも知れないぜ」
 教会の因襲に捉われず、新たな絵画を描き上げた天才として。
 案の定、レオナルドはその言葉に乗ってきた――そうとも、かれは背を押してほしかったのだろうから。
「そうか――そうだな」
 頷いて、紙片を見つめなおす。そのまなざしには、もはや迷いのいろなどありはしなかった。
 ――レオは、きっとすげぇもんを描く。
 迷いの消えた天才が、大いなる飛翔をなし得ぬわけがない。
 レオナルドは天才だ――それは、サライの動かぬ核心だった。
 自分のなすべきは、この天賦の才の持ち主を、いかに鼓舞し、いかに守って羽ばたかせるかだ――いつのころからか、それこそが自分の仕事であると、そんな確信がサライの心のうちに芽生えていた。
 今、目の前で、その天才は大きく翼を広げている。
 ――きっと、すげぇもんができる。
 その思いに胸を躍らせながら、サライは、己の選んだその人を、誇らしい思いでそっと見た。


† † † † †


ルネサンス話、続き。
「最後の晩餐」下絵とサライ。先生の扱いが若干ぞんざいだな、サラよ……


全然関係ない話ですが、一迅社の『美術男子』をGETしました。第一弾の『哲学男子』が面白かったので。
えー、内容的には、ルネサンスからのメジャーな芸術家をピックアップして、萌え属性を抽出し、キャラクター化する、と云う、何が何だかな本です(『哲学男子』なんか、ニーチェがL(by死の帳面)にされてた……)。みけらにょろがつり目ギャルソン風少年(乱暴者)にされてたり、先生がマッドな科学者tasteだったり、いろいろです。
とりあえず、ラファエッロのところの四コマ(漫画が載ってるのです)で、喧嘩してる先生とみけが、ラファエッロの口出しに仲良く「うぜぇ」って云ってたのがおかしかった……ぜひあのコマに「このパクリ野郎」ってのを入れて欲しかったですわ。
ネタ的には、ちゃんと史実を踏まえてて、それが余計におかしいという――お勧めです。
しかし、『哲学男子』もそうですが、実際の美術家or哲学者の、名前くらいは知っとかないと笑えないところがアレなんですけどね――いや、名前だけなら大体わかりますよ、名前だけですがね……


ところで、Vistaさんがまだイマイチ――イマみっつくらい駄目なかんじ……Firefoxが何かひっかかるっぽい……それよりも、何故インターネット接続中に、いきなりローカルのみになるのかがわからん。ローカル優先はデフォルトだが、その場合には、そもそもネットに繋がらんと云う話らしいしな……どうなってるんだ、MS。マジで呪いますよ?


そうそう、新カテゴリ「泡沫人の聲」を設定しました――まだ何も書いてませんが。
えーと、特にカテゴリを設けていない時代設定の断片っつーかSSっつーか、を入れるカテゴリです。そのうち、音阿弥さんとか世阿弥(←呼び捨てか)とか、妹子とか河勝とか馬子とか、その辺の話を入れることになるんじゃないかと……
連載もの(3回程度)が出来たら独立カテゴリつくりますが、そうでなければこれに入れます。
段々非-“新撰組”率上がってますが――ま、私の中ではあれもこれもひと繋がりなんで。
今後とも適当に見てやってくださいませ。


さて、この項、終了。
次は、多分鬼の北海行――鎌倉はもうすこしお待ち下さいませ……