北辺の星辰 57
「行け、行け、攻め寄せろ!」
抜刀し、雄叫びを上げる。
それに励まされるように、斬りこみ部隊のものたちが、甲板の際に殺到する――が。
「……!!」
かれらの足は、そこでぴたりと止まってしまった。
どうしたのか、とそちらを見やった歳三は、次の瞬間、絶句した。
回天の甲板、舳先に近いところが、甲鉄艦の舳先あたりと接舷している。だが、こちらとあちらの甲板の高低差が、陸兵たちの足を止めていた――その差はおよそ一丈、長身の歳三の丈で考えても、倍はある高さなのだ。
落ちれば、捻挫どころの話ではない――まして、攻撃に移ることなど、出来るとも思われぬ。陸兵たちが躊躇するのも無理からぬことではあった。
だが、今さら攻撃を止めることなど、更に無理な話なのだ。
「――策条を!」
甲板にいる海軍兵に叫ぶと、巻いてひとまとまりになった縄が投げてよこされる。
受け取った陸兵が、それを甲鉄艦の甲板へと垂らす。
「突入せよ!」
わぁっと声を上げ、陸兵たちが策条へと殺到する。
「アボルダージュ!!」
「アボルダージュ!!」
二コールの、それに応える陸兵たちの、うねりのように湧き上がる声。
だが。
それを切り裂くように、銃声が鳴り響いた。
鋭い音とともに、砕けた木端がぱっと散る。
「小銃か!」
甲鉄艦の甲板の上で、銃を構える兵の姿がある。
見れば、その後ろからもいくたりかが、小銃を抱えてこちらへ狙いを定めようといていた。
――しまった……!
外輪船である回天による攻撃が、これほど不利であろうとは――船体の両側にある外輪が、ぴったりと平行して接舷する支障になっているのだ。そのために、回天はちょうどカタカナの“イ”の字のようにしか甲鉄艦と船体を接することが出来ず、ために突入口も小さくしか確保できなかったのだ。
そのわずかな接舷区域が、両艦の舳先にあたっていたため、甲鉄艦の艦橋から、狙い撃ちにされることになってしまったのだった。
当初考えていた、高雄・蟠龍両艦による接舷攻撃であれば、このように狙い撃ちされることもなかったはずだ。
その上、彼我の甲板の高低差が一丈もあるとなっては、乗り移るために策条をつたっているところを、格好の標的にされてしまうだろうことは明白だった。
事態は、あまりにもこちらに不利だった。さしもの歳三も、突撃の号令をかけることを躊躇するほどに。
――引くべきか?
その、一瞬の躊躇が仇になった。
「何の!」
身軽く策条に飛びついた、陸兵の身体を、銃弾が貫いた。
「――……!」
一瞬硬直したその身体が、次の瞬間には、深い海へと吸いこまれてゆく。
続いていくつも銃声が上がり、まわりに立った陸兵たちが撃ち倒されてゆく。
――……くそ!
このままでは駄目だ、策条を伝っていては、徒に敵の的となって、兵たちの生命を散らせることになるばかりだ。
そうなる前に、自分が何とか活路をひらき、こちらへと戦いの流れを変えてやらねばなならぬ。
歳三は、船縁に足をかけ、一丈下の甲鉄艦の上へと、その身を躍らせようとした。
と、
「副長!」
野村利三郎が、その前に手を伸ばしてきた。
「止めるな、野村!」
振り払おうとする歳三に、
「駄目です、副長! まずは俺が!」
と云いながら、野村は策条に手をかけようとする。
と、乾いた銃声が響き渡り、鮮やかな赫が視界にしぶいた。
「野村!」
思わず叫ぶが、野村は肩口をおさえ、にやりと笑っただけだった。
「なに、大した傷じゃあありません。……それよりも、副長はお下がり下さい、斬りこみは俺たちの仕事です」
そう云って押し戻そうとしてくる。
その最中にも銃声は上がり続け、海軍方にも、打ち倒されるものが出てきていた。
と、
「うぁっ……!」
呻くような叫びが、脇から聞こえる。
聞きなれた声、これは、
「相馬っ……!」
見れば、相馬主計が、右の腿を押さえて甲板に転がっていた。
「大丈夫か、相馬!」
野村が、気遣わしげに叫ぶ。
それへ、相馬は、半ば苦痛で顔を歪めながらも、笑みらしきものをその顔に上せた。
「野村、相馬を奥へやれ! 俺は下りる!」
叫んで向き直った歳三の頬を、飛来した銃弾がかすめていった。頬に一筋、熱い線が引かれ、そこからじわりと滲み出すもの。
撃たれる、と思った。だが、己が行かねばならぬとも思った。
一丈の高さを飛び下りようとした、その瞬間。
「副長!」
怖ろしいほどのちからで、歳三は甲板に突き倒された。
「野村――ッ!!」
相馬の叫び。
そして、散る朱の雨。
首を捻って見上げた先で、野村の身体が硬直するのが見え。
それはゆっくりと倒れて、暗い水面に吸いこまれていった。
「野村!!!」
――馬鹿な……!
守らねばならぬはずの隊士を、己の身代わりとして死なせてしまったと云うのか。
「野村!!」
「土方先生!」
声とともに、後ろから身体を引かれる。
倒れていた相馬が、自身を重石にするかのように、歳三の身を戒めていた。
「貴方が斃れられてはなりません――野村が、何のために……!」
相馬の言葉に、ただ息を吐き出すしかない。
そうだ、野村は、自分を生かすために死んだ。そうである以上、この生命は無駄にすることはできない。だが――だが!
「……野村ァっ!!」
失われたものは、二度と還らない。野村が、生きて再び自分の前に立つことはない。
己の過ちだ、と歳三は思い、肚の底から突き上げてくるものを、声とともに吐き出した。
と、背後から、銃声をも圧する大きな叫びが上がった。
「艦長!」
「甲賀先生!!」
見れば、甲賀源吾の小柄な身体が、他の海軍士官たちに抱えられているのが見えた。
虚ろに見開かれた双眸と、その顔を濡らす朱いものを目にした瞬間、歳三は、かれが死んだのだと悟っていた。
気がつけば、甲板の上には、点々と転がる身体がある。いくらかは呻きをこぼしてのたうっていたが、残りは静かに倒れ伏すばかり――その数は五十を超えるほど。
立って銃を、刀を取り得るものの方が少ないのではないか、そう思わせるほどの惨状であった。
荒井郁之助が、青褪めた顔を引きつらせ、この惨状の最中に佇んでいた。
かれは、認めたくなかっただろう、この作戦が失敗に終わったということを――だが、ここで退却の令を出せるのは、海軍奉行である荒井ただひとりなのだ。
その拳が、節々が白くなるほどに握りしめられる。
やがて、かれは顔を上げ、大きく息を吸いこんだ。
「――総員、退却せよ!」
その声に、動けるものたちは、弾かれたように立ち上がり、艦を動かすために働きはじめた。
だが、歳三は、倒れ伏す兵たち、そして野村たちの沈んだ海の面を、ただ呆然と見つめるしかなかった。
自分たちは負けたのだ――しかも、多大なる損失を出したばかりで、相手に一矢も報いることのできぬまま。
回天が、ゆっくりと舳先を北に向け、動き出す。
それを身体で感じながら、歳三は、俯いて悔悟の涙を流していた。
† † † † †
鬼の北海行、続き。
いよいよ宮古湾海戦開始→終了。うぅむ、やっぱ一章で終わりましたね……
えー、この辺は、『軍艦「甲鉄」始末』ではなく、基本的には「歴史読本」S54年9月号“最後の戊辰戦争―五稜郭の戦い”をちら見しながら書いてます――だって、詳しいのを見ながら書いちゃうと、史実には沿うかもしれないけど、緊迫感はなくなるからね。マジぶっつけ本番的なカンジで書いてます。
もう、結末はわかってるのでアレなんですが、まァまァ、通過地点のひとつとして見てやって下さいまし。
これが終わると、鉄ちゃん追い出し大会だよね……
えー、とりあえず、世阿弥話を書きはじめました、っつーか、世阿弥と云うより四郎たん? (←世阿弥の弟の四郎元仲です) 世阿弥が馬鹿、って云うか、むしろキモい、ってカンジの話になると思われます。ふふ……世阿弥神! って方は、読まないで下さいねー。
しかし、何にも史料のない話ってのは、先生もそうだけど、中々難しいわ……が、頑張りまっしょい。
っても、この次は鎌倉ですがね、ふふ。まだまだ書きはじめだしねー。ふふふふふ。
あ、『薄桜鬼 黎明録』Getしました。
とりあえず一章三節くらいまでやりましたが――芹鴨は(以下略)ですが、中田さん……♥ とか云って、芹鴨の科白だけ聞いてる自分もどうか(あとは基本、まるっとスルーですよ)。
とりあえず、先はまだまだ長そうですが、無事に千鶴ちゃんと遭遇したいですね(←え)。っつーか、不埒な妄想が浮かんだので、ちょっと久々に腐の心を復活させてみるか……? 余力があれば、だなー……(苦笑)
そして、残念なお話……
「幕末めだか組」が! 最終回って!!!
ううう、やっぱ無理だったか、神戸海軍操練所って、マイナーだもんなァ。それにしては、全5巻は頑張った、のか?
とりあえず、あのラストへの繋げ方はかなり乱暴なので、最終巻では是非とも大幅加筆して戴きたく。や、せめて龍馬暗殺のくだりをちら入れするとか、箱館行くあたりの理由付のエピソードを入れるとかね……あれはあまりにもわかりませんわ!
結構好きだったんだけどなー。すごい残念。
もちろん単行本は買いますので、是非是非加筆修正を! 宜しくお願いいたします……
この項、終了。
次は、鎌倉、とか云ってましたが、その前に西へ旅立ちます。台風来るなよ〜、ふふふふふぅ。