花がたみ 〜雪〜 二

 応永十五年、御所――鹿苑院殿が薨じられた。御歳五十二であった。
 御所は、数年前に将軍の座を御嫡男・義持公に譲っておられたのだが、実験は未だ手放されず、義持公の胸の裡には、大きな不満がくすぶっておられたようだった。
 義持公が政の実験を握られると、鹿苑院殿の施策、御好みなどを一掃するの挙に出られたのだ。
 それは、さながら傀儡将軍であった頃のうらみを、この機に一気に晴らそうとされるかの激しさで。
 無論、自分たち申楽をこととするものどもにも、その余波は及んで来ざるを得なかった。
 まずもって、義持公は申楽ではなく田楽能を愛された。必然的に、申楽が御前で演能する機会は減り、方々の寺社での勧進申楽や、河原興行を増やさねばならなくなった。
 自分にとっては、かつて父と旅したように、遠国回りの生活に戻っただけのことだったのだが、堂上衆の御愛顧を被っていた兄は、落魄したと云う思いが強かったようで、浮かぬ顔で笈を負っていた。
「何の、兄者、親父殿とてはなから御上覧の栄に浴したわけではなかったのだ、兄者ならば、いずれもうひと花咲かせることもかなおうぞ」
「……だが、己はもはや五〇ぞ」
 兄の顔色は晴れなかった。
「親父殿が亡うなったは五十二、その歳まで、あと五年足らずではないか。――このまま、田楽の隆盛が続くようでは、あるいは、己の目の黒いうちに、申楽の再びの栄えを見ることはかなわぬやも知れぬ……」
「弱気を出すな、兄者!」
 兄の肩を、角杖で小突いてやる。
「親父殿は、遠国回りの演能が好きであった――御所の上覧よりも、鄙の客や河原の客を大事にしておったものさ。……兄者は、鹿苑院様のお傍近くにあった故に、すこし隙ができたのを淋しゅう思うのだろうが――親父殿とて、伊賀・小波多の小さな座から、天下の観世座よと呼ばれるようになり上がったのだ、兄者にもできぬはずはない」
 だが、自分の言葉は、兄に何の力も与えはしなかったようだった。 
 やがて、兄の子――後の五郎元次――と自分の子――三郎元重――が稽古はじめの齢となり、二人をともに兄が教えることになったのだが。
 五郎はあまり兄の期待に添わぬ凡庸な子で、勘の良い三郎の方に、その期待がかかるようになっていった。
 確かに三郎は、自分の子にしては何とも云えぬ花があり、父や兄のようになれるかは定かではないにせよ、脇ではなく仕手としてやっていけるかも知れぬ、と思わせるようなものを持っていた。
 血縁から太夫を出すことを諦めかけていた兄は、よほど嬉しかったものらしい。“三郎”の仮名を名乗るように云って、烏帽子親を買って出てくれたのも、その喜び故であったのだろうと思われた。
「これで、親父殿の血と芸を、後の世に残すこともかなうだろう」
 三郎と云う名は、父も己も名乗った名ゆえ、次の太夫には相応しかろう、と云って微笑んだ兄は、言葉のとおりに三郎を後継にと考えていたのだと思う――そう、十郎が大きくなるまでは。
 兄に預けていた三郎が、突然自分の許へと戻ってきたのは、それから十年経たぬうちのことだった。
 ひどく落ちこんだ顔をして戻ってきた息子に、
「どうした」
 と訊ねてやると、
「父者、己はどうやら用済みになったらしい」
 三郎は、しぼり出すようにそう云って、また重く黙りこんでしまった。
 それきり、兄の家に戻ろうともせず、自分の家に居ついてしまったのだ。
「稽古はどうするのだ」
 と問うても、
「父者に習う」
 の一点張り、兄の許へ戻らぬ理由もだんまりだ。
 ――このままでは埒が明かぬ。
 三郎の口から事情を聞き出せぬとなれば、仕方ない、兄に直接訊ねてみるとするか。
 兄の家に出向いてゆくと、何故か暗い面持ちの五郎が出迎えてくれた。
太夫は」
「奥に。十郎の稽古を見ているので……」
 弟の名を口にした刹那、五郎のまなざしが暗さを増した。
 そして、ふと顔を上げ、
「三郎従兄者は、もう戻られぬのですか」
 と、こちらは子供のように、どこか心細げな風で問いかけてくる。
「……それを、太夫と話しに来たのさ」
 云ってやると、不安げな顔ながら、こくりと頷く。
 奥へ入ると、兄の声が稽古場から聞こえてきた。その手前の小間には、兄の三男で、この間元服を済ませたばかりの七郎次郎元能が、扇を手に、小さく謡をうたいながら所作をくり返していた――ただひとりで。
「……太夫は」
 問えば、兄と同じような暗いまなざしが、稽古場へと向けられた。
「――十郎兄者にかかりっきりだ」
 息子二人にこのようなまなざしをさせるとは――兄は、一体どうしたと……?
「……太夫
 戸を開けて、声をかける。
 と――
 そこに、夜叉がいた。
 否――夜叉ではない、人だ、十郎が舞っているのだ、夜叉の舞を。
 舞扇がひるがえり、片脱ぎにした小袖の袖もひるがえる。舞う緋――燃え盛る火焔のような。
 拍子をとり、足が床を打ち鳴らす。響く音、夜叉の舞に、空気が震えるかのごとく。
 やがて――
 十郎の四肢がゆっくりと動きを止め、火焔が消え、夜叉も消えた。
 後に残るは、十郎と、それを食い入るように見つめる兄の姿ばかり。
 ――声も出ぬ。
 とは、このことだった。
 三郎が“用済み”と云ったわけが、これでわかった。兄は、十郎を後継にと望んでいるのだ。
 だが、それも仕方のないことではないか――十郎の舞は、常の人のものとは思われなかった。まこと、異界より降り来たった鬼神の類が、十郎の身体を使って舞っていたかのような――だが、それは確かに十郎自身の舞でもあったのだ。
 ――これは……
 仕方がない。
 仕方ないなどとは、三郎のためにも思いたくはなかったのだが――それでも、仕方ないと云う言葉しか、この胸の裡には浮かんできはしなかったのだ。
 ――これでは、三郎を戻すことはできぬ。
 仕手としてやってきた三郎を、今さら脇にするのも酷なことだ。
 だが、ひとつの座に、仕手は幾人も並び立つことはない。まして、天稟がないものならばまだしも、三郎には、仕手としての花も、芸の力もあると云うのに――
「……太夫
 もう一度呼びかけると、兄はゆっくりと振り返った。
「四郎か」
 そのまなざしは、異様なほどの昂ぶりに輝いていた。
「見たか、十郎の舞を――この能芸の技、親父殿が還ってきたかのようではないか」
「親父殿が?」
 十郎を見やる。
 兄によく似た秀麗な面差しが、かすかな笑みを浮かべて見つめ返してくる。
 父に似ている? この十郎がか?
 ああ、だがそうであるのやも知れぬ。神や鬼をその身に降ろすかのような舞は、兄には舞えぬ――それは、確かに父の舞と同じであった。但し、父よりも数段優美で、数段雅やかなものではあったけれど。
 父にあれだけ傾倒していた兄が、十郎に“父”を見たのならば、なおさらに、三郎をここには戻すことはできぬと思った。
太夫、己が今日訪ねてきたは――三郎のことじゃ」
 用件を告げると、兄の眼がすうと細められた。
「三郎か。……あれは、己に一言の挨拶もなしに出て行ってしもうて――お前の子が、あのような恩知らずとは思いもせなんだぞ」
「……三郎は!」
 あまりのもの云いに、思わずかっとなって、声が荒くなる。
「――三郎は、兄者の許で、次期の太夫になるとて、一心に励んでおったではないか……それを、我が子可愛さに放り出したは、一体誰と思うてか!」
 否、“我が子”ではない。十郎だ、十郎故に、兄は三郎のみならず、同じ己の子である五郎や七郎次郎までもを振り棄てようとしているではないか。
 五郎の、七郎次郎の、十郎を云う時のあの暗いまなざし――あれは、打ち棄てられた子らの、ただ一人掬いとられたものに対する恨みゆえのものだったのだ。
 だが、この痛罵にも、兄は平然としていた。
「一座の太夫として、力あるものを次代にと望むは、当然のことではないか」
 まして、と兄は続けた。
「十郎は、まさしく親父殿の生まれ変わりぞ。己が、その十郎を次代に据えることに、何の非がある?」
「兄者!」
 思わず叫んでいた。
「兄者は、三郎を次なる太夫の器と思えばこそ、“三郎”の名を下されたのではなかったのか! それを、今さら誤りであったと云いだすのか――せめて、十郎が一人前になるまでは、今までどおり、次代は三郎、と云うことにせねば、座のものらとて落ちつかぬではないか!」
 そうだ――三郎と五郎で演じた醍醐清滝宮での能が、大きな喝采を受けたのは、つい先年のことだった。あの場に居合わせた見物はみな、観世の次代は三郎と五郎ぞと、そう確信したに違いない。
 それを、今になって――それも、わずか一年ばかりのうちに、次代を年下の、しかも未だ仕手として舞台を踏んだこともない十郎に継がせるなど、座の他のものたちとて承服し難いに決まっている。
 否、“他のもの”よりも何よりも、誰よりも自分こそが承服し難いものを感じていたのだ。
 それは、決して我が子可愛さと云うだけではない。三郎は、次代の太夫として、次なる座の長として、座内の様子に気を配り、かれらの信もまた篤かった。座のものたちは、三郎が次の長であるのならば安心だと、そのように思って励んでいた――それを、今の長の実子であるとは云え、実績も何もない十郎にすげ替えると云って、おさまるものとも思われぬ。
 兄は、座を率いるものとして、そのあたりのことをどのように考えているのか――それが、まったく見えなかったのだ。
 ――このような太夫にはついてゆけぬ。
 いつ自分たちをも切り捨てるとも知れぬ、そのような長などについてゆこうと云うものは多くはあるまい。
 だが、それ以前に、
 ――三郎のためにも……
 兄とともにやってゆくことはできぬのだと、そう心が叫んでいた。
 親ゆえの蒙昧であるやも知れぬ、とは、思わぬでもなかった。
 だが、単なる仕手、単なる脇であるならばまだしも、次代の太夫よと云われながら、十郎にその座を譲らねばならなくなった三郎の体面、その無念と苦悩とを思うならば、兄を認めるわけには断じてゆかなかったのだ。
「――兄者」
 呼びかけて、居ずまいを正す。
「いや、太夫――長々お世話になり申した。己と三郎は、太夫の座を抜け申す」
 これには、さしもの兄も仰天したようだった。
「何を云い出すか、四郎!」
 兄は、膝を詰めてきた。
「親父殿よりの観世の座を抜けて、一体どこへ行くと云うのだ。外山か、円満井か、坂戸にでも行くのか? それでは――お前は、親父殿に敵することになるのだぞ!」
「だが、兄者とて、昔、円満井の預り人だったではないか」
 負けずに声をはり上げ、きっと見返す。
 むろん、これが詭弁に等しいと云うことは、自分でもよくわかっていた。
 預り人と云うのは、“預り”であればこそ、いずれ元の場所へと戻ってくる。現に兄も、観世の座へと戻ってきた。
 それと、座を離れようと云う自分の行動とが同じであろうはずはない。
 だが、その詭弁を押しとおしたいと思うほどに、自分は、兄に対して怒りをおぼえていたのだ。
 母が既に他界していて良かったと思わずにはいられなかった。父を何より大事にしていた母は、自分たちが父の座を割ったと知れば、ひどく怒り嘆いただろうから。
「……案ずるな、外山などの他座に入ろうとは思わぬ。こうなれば、自ら一座を立てるまでよ」
「四郎!」
「幸い、己は脇方じゃ、三郎に仕手を任せれば、座はなりゆこう。――ご健勝でな、兄者」
 云いおくや、返答も待たずに立ち上がる。
 兄の後ろに控えた十郎が、曖昧に微笑むのが見えたが――気も留めずに踵を返す。
「四郎!!」
 兄の声を背に聞いて。
 自分たちのよき時代が終わりを告げたことを思い、唇を強く噛みしめた。


† † † † †


世阿弥の話、っつーか四郎たんの話、続き。


と云うわけで、出て参りました、十郎元雅。
えー、五郎元次とか七郎次郎元能とかの名前は、例の上嶋家文書から。年齢設定は、怪しいルートからです。
世阿弥の馬鹿、ってのは、この辺のアレコレも込みでです。四郎たん、キレるはずだよね、っつーか、観世両座って、こう云う経緯でもないと考えにくいと思いますよ。
でもって、世阿弥の不遇に関して、音阿弥さん悪者扱いしてる本とかあったりしますが、ぶっちゃけ同じ観世で別の座立てられる段階で、世阿弥の統率能力か何かに問題があったとしか思えないんですが。
私は四郎たんと音阿弥さんの味方をしたいと思ってますよ。ええ。
でも、世阿弥の観客選ぶ態度とか見てるとね、世阿弥に問題があるんじゃん、って思わずにはいられません。世阿弥=神な方々、どうですかね?


あ、他座の“外山、円満井、坂戸”と云うのは、確か宝生、金春、金剛、のことだったはず。
で、世阿弥は円満井=金春の預り人だったので、“秦元清”と署名することがあったのだとか云う話(by上嶋家文書)。円満井は、例の秦河勝から続くと云う古い家柄なので、まァまァねェ。権威に弱いよね、世阿弥


あ、『花のかたみ』(倉田美恵子 文芸社)と『暁けの蛍』(朝松健 講談社)、『秘すれば花 観世三代記』(秋月ともみ 彩図社)、読みました。
『花のかたみ』は前の『世阿弥残影』と同じ(版元とタイトルが違うだけ)、『暁けの蛍』は、まァエンタメ系だよねと云うか、期待したより薄かった……
一番面白い(この中でね)と思ったのは『秘すれば花』でしたが、何かこう、書き方が素人っぽい……いや、そこそこ巧いんだけど、「賢明なる読者ならばおわかりのとおり」とか云うような文章が、うぜェェェぇぇ!!!!! あと、「……」(三点リーダ×2)を「・・・」とか書いてあって、それも読み辛かった! 同人作家にも多いんですが、読み辛いから止めてほしいわ! っつーかいかにも素人くさい! 商業ベースで流通させるなら、これは止めてほしかった……一応戯曲とか書いてるんなら、気をつけてほしいわ。
しかし、プロの作家はアレとして、素人さんとかって、皆さん戦前のお生まれの方ばっかみたいなんですけど……何、戦前の女学校は、演劇鑑賞とかで能楽鑑賞とかやってたの? 何でみんな“学生時代に……”とか一様に書いておられるんでしょうか。
とりあえず思い入れが強いのはわかった、が、小説はもっと練ってから書いて戴きたいですね……


この項終了。
次は――すみません、毎冬恒例、暗くて短い突発話。しかも鬼じゃあありません……ごめんね……