無明長夜

 水干の胸許に、散るものがあった。
 見れば、染みたのは朱――血の飛沫だ。
 ああ、範頼の血だ、と思った――それ以外の、何の感慨もおこらなかった。
 夢だとわかっていたからかも知れぬ。何となれば、範頼が自死したのは伊豆・修善寺であり、自分は鎌倉から離れてはいなかったのだから。
 だが、たとえ範頼が目の前でその頸掻っ切ったとて、この心が悲しみに揺れることがあり得ただろうか、と云えば――首を傾げるより他ない、と云うのが、本当のところであった。
 溜息をつきつつ、ゆっくりと目を見開く。
 あたりはまだ暁闇の中に沈んでいるが、隣りにかすかに感じる気配は、まぎれもなく妻・政子のもの――つまりは、ここは鎌倉の己の寝所であるに間違いなかった。
 やはり夢だったか、と思いながら、暗闇の中で身を起こす。
 政子は起きる気配もない。さもありなん、夜明けにまだ間のある刻限であれば、大抵のものは、深い眠りの淵にあるに違いないからだ。
 それにしても、おかしな夢だった。自分は、範頼の最後の姿も、その死骸も見たわけでもない――そう、夢の中ですら、だ――と云うのに、あの血飛沫が範頼のものであると、何の疑いもなく信じていたのだから。
 あるいは、それこそが夢であることの証明であったのだろうか? 何も見えずとも、その存在を把握できると云うのは、確かに夢であるからに相違ないのだと?
 しかし――片親だけとは云え、同じ血を引く弟の死に、これほどまでに心動かされることがない、と云うのは、確かに自分が冷徹であるからかも知れぬ。
 ――だが、それも当然ではないか?
 思って、闇を見据える目に力をこめる。
 関東の、否、平家が滅んだ今となっては、日本国中の武辺のものの束ねたるべき“鎌倉殿”が、己の立場をわきまえもせぬ愚かな弟などに、どうして悲哀の情を注いでやらねばならぬと云うのか。
 ――それを、あの愚か者めが……
 武士どもが、己に何を求めているのかをわからずに、よくも鎌倉に居れたものだと思う。
 かれらが欲しているのは、公事を為す権威としての“鎌倉殿”なのであって、その血縁であることに執着するのみの愚者などは要らぬのだと、何故あの弟はわからなかったのか。
 しかも、己では、“鎌倉殿”の弟である以上、相応の立場を得てもいいはずだと思っていた節すらあったとなっては、まったく救いようのない愚か者だ。
 ――西国遠征の折も、ただ旗印の役目しか果たせなんだだけのことはある。
 範頼は、従順だと云えば聞こえは良いが、実際には云われたとおりに動くより能のない、云わば傀儡にも等しい旗印であった。無論、そうであった方が、西国遠征に同道した軍監たちにとってはやりやすかったのだろう――同じ弟でも、そのあたりは、独断専行の多かった九郎とは大違いだ――が、それにしても、兵糧の調達から軍紀の引き締めに至るまで、すべてを細々と書状にて指示せねばならない、と云うのは、やはり無能さの表れである、としか云いようがないところだった。
 ――まったく、うちの弟どもときては……
 愚かな範頼はもちろんのこと、ただひとり残った阿野全成――かつての今若丸――も、無能ではないが、こちらの出方を窺ってから動く、妙な小賢しさとでも云うべきものが感じられていて。どうにも心許し難いものを感じていたのだった。
 結局のところ、信ずるに足るものなど誰もないのだ。
 妻の政子は、もちろん自分のことを愛している。だが、所詮、政子は北条の人間だ。自分と北条を天秤にかけて、必ず自分を取るかと云うと、怪しいところがあるだろう。
 いや、愛しているからと云って、決して裏切らぬという保証はないし、そもそも、当人に裏切るつもりがなかったとしても、結果として自分の意向と違うようなことを為すのであれば、それはやはり裏切りであると云い得るのではないか。
 自分は、多くを望み過ぎているのだろうか?
 否、そんなはずはない。自分が望んでいるのは、ただ、例えばその日の出来事を語らい、それに相槌を打ちながら聞いてくれる相手――幼い子どもがそうするように、語り合い、笑い合う相手、それだけのものでしかありはしないのだ。
 だが、“鎌倉殿”と云う今の立場では、そんな小さな望みですら、叶えるのは至難の業だった。
 その証拠に、あの愚かな範頼は、迂闊な言葉を口にして、“鎌倉殿”になり替わると云う欲望を露にしてしまったではないか。小賢しい全成は未だ馬脚をあらわさぬが、しかし、従順な顔の裏側で何を考えているのか知れたものではない。
 政子は、そう云う意味では他愛のないことを語る相手ではなくなってしまった――あれもまた、“鎌倉殿”と云う自分の地位に、何かを変えられてしまったのかも知れぬ。義弟の小四郎なども、同じことだ。
 近しいはずの弟たちや妻までがこうであったから、まして御家人などは云うまでもない。無論、かれらが自分につき従ってくれているのはわかっている、が、かれらにはかれらの利害があり、自分がそれを調停する立場にある以上、多少の距離をおかざるを得ないのは、当然のことではあった。
“聞いてよ、今日ね!”
 かつて父に、長兄にそうしたように、振り返ってそう云ってみても、背後には誰もない――応えるものなどありはしないのだ。
 いや――
 もしかするとそのようになったかも知れぬ相手、と云うものはあった。
 ――九郎……
 今は亡い九郎義経、あの末弟であれば、ただ単なる兄弟として、他愛のないことを語り合い、笑い合うこともできただろうに――まるで、幼い子どもらのように。
 九郎のことを、大切に思っていたのだ。“鎌倉殿”ではない、兄として、ただの“三郎頼朝”として、九郎は心から自分を慕ってくれていたのだから。
 だが、御家人たちに対する九郎のあの横柄なふるまい、“鎌倉殿の弟”を振りかざし、かれらを己の郎党と同等に扱うその様が、遂にはかれを、奥州での自死に追いこむことになったのだ。
 ――何故だ、九郎!!
 何故、自分の命に従わなかった、何故、自分を追討するための院宣を請うた、何故だ、何故――
 答えの返るはずのない問いを、際限もなく繰り返す。
 だが、本当のところがどうであるのかを、自分はよくわかっていたのだ。
 そうだ、九郎は虚栄心が強い人間などではありはしなかった。九郎の望んでいたのはただひとつ、兄である自分に、己の活躍を認められ、弟として遇して欲しいと云う、それだけのことだったではないか。
 その九郎が、どうして御家人たちに対して横柄にふるまうことになったのか、そのわけはよくわかっている。
 ――弁慶め……!
 武蔵坊弁慶、叡山の堂衆上がりのあの荒法師が、九郎に良からぬことどもを吹きこんだに違いないのだ。例えば、“鎌倉殿の家人であるからには、弟御たる九郎殿の家人も同じ”とでも。
 馬鹿め、と思う。
 “鎌倉殿”と云う地位は、京の摂関家などとはまったくそのかたちが異なっていることに、どうして思い至らなかったのか。
 鎌倉の御家人たちは、“家人”とは云いながら、その実、それぞれが独立した兵の担い手であり、“鎌倉殿”は、あくまでもかれらを統率し、また利害の調停をなすものなのだ。“貴種”としての血統は確かに必要ではあるのだが、それだけで“鎌倉殿”になり得るわけでは決してない。ぶつかりがちな武士たちの上に立ってその均衡をはかり、また公事をもって利害の調停をなす、その力なくして、いかであのものたちの上にあり続けることができると云うのか。
 弁慶や範頼、全成も、あるいは政子ですら、そのことを正しく理解してはいないのだ。ああ、ましてあの九郎は云うまでもない。
 そうして、立ち位置を読み違えたまま、九郎は死んだ。死んでしまったのだ。
 ――九郎……
 もはや、“鎌倉殿”ではない“三郎頼朝”として、自分を見てくれるかも知れぬものはいなくなった。
 自分は独りだ――もう二度と、独りでなくなる日など、来はしないのだ。
 奥州より送られてきた九郎の馘は、漬けこまれた酒甕を開けて見ることもなしに、そのまま密かに埋葬させた。恨めしげにこちらを見ているのであろうその馘を、直視することなど到底できなかったからだ。
 自分は九郎を失った――わずかな擦れ違いを重ね、遂に互いが遠く隔たってしまった、その故に。
 ふと――
 外がかすかに明るくなってきていることに気づく。
 そうか、東の空が白んできているのか。
 ――ああ、夜が明ける……
 夜が明け、朝がまた訪れた――新しい、今日と云う日がはじまるのだ。
 だが、
 ――己の心の夜は明けぬ……
 この胸の内に、朝は、もう来ることはない。月もない長い夜を、ただ独り、歩いてゆかねばならぬのだ――死が、この夜を終わらせる、その最後の時までを。
 失ったものはあまりにも大きかった。幾年を経ても、その痛みが消えぬほど。
 ――九郎……
 ただひとり、この闇夜の標となり得たものの名を呟いて。
 うつむいた頬を、涙がひとすじ伝って落ちた。


† † † † †


毎冬恒例の鬱話〜。
今回は何と佐殿です。


えーと、実はこの話、つい先日見た夢が元になっております。
何故か私学ランを着てまして、学校のよくある机のところに立っていたのですが。何故かその胸に血が飛沫いてまして、“ああ、範頼の血だ”(←何故)とか冷静に思ってて、でもって、何かの拍子にふと、すっごい孤独な気分を感じた、と云う――作中の佐殿じゃあありませんが、“ねェ、聞いてよ!”って振り返ったのに、そこには誰の姿もない、みたいな……
目が醒めて、“ああ、佐殿の夢だな”と思ったのですが、支離滅裂な内容で、何で佐殿だと思ったのかは謎。学ランと、木とスチールの机で佐殿って! (そもそも自分、女じゃねェのか) ホントに意味がわからない……


しかし、考えてみたら、初の大人佐殿ですよ。
範頼死んだの1195年くらいじゃないかと思うので、とすると、九郎たん死んでから5年くらい経ってるんですよね――執念深いな。
でもって、私、どうも弁慶が嫌いなのですが、お蔭で蟻通も嫌いになってきました。似てるんだもん、あのふたり。なので、今後蟻通の扱いが悪くっても――って、んもう既に悪いか、箱館病院のとこ書かなかったもんな……
あ、八十は嫌いじゃないですよ、チャラ男だなーとは思ってますが。


っつーか、この話の佐殿って、四十九歳じゃん。
……どうなの、こう云う(ほぼ)五〇歳。
しかしまァ、四歳児くらいの子どもっぽさと、四十五くらいの分別とか悪辣さとか、って云うアンバランスさが佐殿だと思うので、そう云うところを感じていただけたら幸いです。
って、これまんま先生と同じ類のイキモノだよな……まァ、同じ類の生き物なんだけど。


ってわけで、この項終了。
ついでに今年の更新も終了で(いや、もう話は無理。足掛け二年では書きたくないし)。
突発の考察とかがない限りは、次回の更新は年明けになります。
今年も新撰組忘備録にご来訪戴き、誠にありがとうございました。来年も、懲りずにお付き合い戴けましたら幸いです。
と云うわけで、皆様よいお年を〜。私はまだ仕事&海辺の舞踏会ですわ。
次……次は(多分)年明け、鬼の北海港で〜。