北辺の星辰 58

 箱館までの帰途の間、自分が何をしていたのかを、歳三ははっきりと憶えてはいない。
 ただ、ひたすら今後のことを考えていたのは憶えている。
 開陽が沈み、甲鉄艦の奪取にも失敗した以上、箱館府の命運は尽きたと云っても過言ではなかった。本土と蝦夷地の間の制海権を失ったなら、わずかの軍艦と二千名ほどの陸軍兵とでは、薩長土肥の圧倒的な兵力の前に敗れ去るのみであるのは明白だったからだ。
 となれば、歳三のなすべきは、かつて受けた勝の命のとおりに、幕軍を戦わせて遺恨を残さぬかたちで敗北し、併せて自分も死ぬ、それだけだった。
 もとより、数で劣る幕軍が、薩長土肥の大軍相手に勝利できるものとは思ってはいなかったが――それにしても、開陽が無事であったなら、あるいは甲鉄艦の奪取に成功していたら、決戦の秋はもう一年ほど先のことになったのではなかろうか。
 いや、そんなことを考えるのは、愚かしいこと極まりない。過去は変えられぬ、“もし”などはあり得ぬことだ――野村の死が変えられぬことであるように。
 ――野村……
 本来、実戦に参加させるはずではなかった男の死に、また、甲賀源吾をはじめとする五十名にものぼる死者の数に、未だに心波立つことを抑え切れないでいる。
 ――いいさ、じきに俺もいく。
 とは思ってみても、己を責める心の声を、聞かずにいることなどできはしないのだ。
 ――俺のせいだ……
 高雄脱落の段階で、決行を主張した荒井を止め得たのは、陸軍の指揮官であるところの歳三ただひとりであったはずだ。あの時、自分が止めていれば、野村や甲賀らは、未だ存命であったはずだ。かれらを、徒に死なせずに済んだはずなのだ。
 箱館に帰還したのは二十六日の午後のことだった。
 高雄は、宮古湾離脱後に一旦は合流したものの、またしても荒天ではぐれ――その後、北上してきた南軍艦隊に拿捕されたものとみえて、それきり、高雄の船影を見ることはなかった――、蟠龍に至っては、それからさらに後、もはや青森に近いあたりでやっと再会したような有様だった。
 聞けば、蟠龍は、回天とはぐれた後、艦長の松岡磐吉と横浜の商人であるクラトーが協議して、箱館への帰還を決めたのだと云う。
 荒天ではぐれた時のために、山田港で落ち合うと云う手はずまで決めていたものを、何故――と云う気持ち以上に、
 ――蟠龍が参戦していりゃあ、あんなことにはならなかったんだ!
 宮古湾で失った野村や甲賀、その他の幾多の兵卒たち――かれらの生命を、蟠龍が参戦していれば、救い得たかも知れない、その思いが肚の底から突き上げてきて、唇を突いて出そうになる。
 ああ、これは八つ当たりだ。蟠龍側には蟠龍側の云い分があるだろう。千里眼でもない歳三には、蟠龍の事情など知る由もなかったが、おそらくは拠所ない事情があったに違いないのだ。
 だが――
 聖人君子ならぬ歳三には、その心を抑えて蟠龍乗組みのものたちを気遣ってやることなどできはしなかった。
 箱館上陸後、伊庭がもの云いたげな顔でこちらを見ているのに気づきはしたが――それに穏やかな顔で応じられるほど、胸の波立ちは収まってはいなかったのだ。
 箱館残留の新撰組隊士たち――特に、京以来の古参たち――と顔をあわせた時、それは一層大きなうねりを呼び起こした。
 脚を負傷した相馬を箱館病院に入れた後、屯所である称名寺に顔を出すと、
「副長! ご無事で!」
「相馬が負傷したそうですが……」
「野村はどうしました?」
 口々にかけられる声に、ただ顔を歪めるしかなかった。
「野村は……死んだよ」
 それだけを云うと、皆は一様に驚いた顔になった。
「野村が――そんな!」
「何かの間違いでしょう!」
「本当だ――宮古で……俺の楯になって死んだんだ……」
 言葉を続けられずに、唇を噛みしめる。
 皆が、黙り込むのがわかった。
 それへ、深く息を吸って、再び言葉をしぼり出す。
「……野村だけじゃねェ、甲賀さんや、他の連中も大勢死んだ……一緒に行った高雄は拿捕され、その乗組のものは、多分南軍に拘束されたろう。――俺たちは惨敗したんだ」
 それ以上は云えず、歳三は踵を返した。
「土方先生!」
 呼ぶ声がするが、足を止めはしない。
 島田が、気遣わしげに見つめてきていたのはわかったが――今は、それすらも煩わしかった。
 己を立て直さねばならないのだ。野村や甲賀の死に鬱々としてばかりいては、これからの戦いに差し障る。どこかで、区切りをつけなくてはならなかった。
 だが、そのためには、一度思い切り嘆いておくべきだ――“べき”などと云うものでもない、そうしておかなくては、とても次の戦いに平常心で望めそうになかったのだ。
 ――こんな時に……
 沖田が、あるいは井上源三郎が、己の隣りにいてくれたなら。
 かれらは、鬱々とする歳三の頭を一寸小突いて、苦笑して受け止めてくれただろうに。
 だが、あのふたりはもういない、この波立つ心は、己ひとりで処理しなくてはならないのだ。
 称名寺の本堂の戸を開ける。
 そこには誰の姿もなく、ただ、須弥壇に灯された灯火が、ゆらゆらと揺らめいているばかりだった。
 ――ここでなら……
 野村の、甲賀の、宮古湾の死者たちのことを嘆くことができる。
 歳三は、鈍く光る仏の前で、ただうな垂れて唇を噛んだ。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
宮古湾後〜。


まだうだうだと考えてる鬼です。
ま、ここを抜けて、鉄ちゃん追い出し大会も終えたら、吹っ切れてハイになる予定ですがね。ふふ、“勝たなきゃ”とか云うのじゃない戦いって、楽しいよね、何かこう、スポーツ的な開放感があって。まァ、部下の生命かかってるので、開放感ばっかじゃないとは思うんですが……でも、“後がない”と“これだけやればOK”ってのの差は大きいよね。負ければいいんだもん。
そう云う意味では、箱館政府の中で、鬼が一番気楽だったんじゃなかろうか――降伏のこととかは釜さん(っつーか、むしろタロさん)に丸投げしちゃえば良かったわけだしね。うん、敗戦処理の方が面倒くさい。タロさん、鳥さん、永井さん、安富、相馬、お疲れ様でした(釜さんは、敢えて除外)。
って、まだ終わってないし!


えー、今年の正月も、初詣は高幡不動でした、っつーか、正確には石田寺。御神木の榧の木に会いに行くのがメインなのですが(だから、'07年6月以降、鬼の墓には参っておりません)。
今年は、秋〜冬は特に鬱でもなかったし、11月末に鎌倉に行ったりしてたので、榧の木とは5月以来でございましたが、元気そうなカンジで良かったです。相変わらずお母さんみたいなカンジで好き好き。
しかし、うだうだしてる間に、歴女ふたりが鬼の墓探してうろうろしてるのを見て、思わずにやり。まァ、こっちは榧の木の下でお茶してる変な奴らでしたが(苦笑)。見つかってよかったね、っつーか、若干わかりにくいよねっつーか。ま、私どもには関係ないんですが。
一般の墓地だから、確かにあんまり案内とかバシバシしたくないだろうけどね……


この項、終了。
次は観劇記〜。ふふふ……