箱館雪中行 その3

と云うわけで、雪の箱館、最終日。
お暇と興味がおありでしたら、続きをどうぞ〜。


最終日の起床も8時。
またしてもざっと風呂に入り、大荷物を空港に送る手続きをしてから、朝食を戴く――本日は、私はちょっと控えめで。や、前回の宮島行きのあと、暴食が祟って数日胃の調子が悪かったので……どうせ、今日ももりもり食べるわけだしね!
いくら丼とか喰った後、最後の風呂に。チェックアウトは11時ですが、あんまりもたもたしてるとあっと云う間だからな。
身支度を整え、折角だからと備え付けのコーヒーミルで豆を挽き(これが結構重労働)、コーヒーを入れる……ううう、Gさんほど巧く挽けないし淹れられないよ……
でもって10:30に部屋を出てチェックアウト。お宿を後に。


さて、飛行機は最終便(19:35のJAL)なので、時間はそれなりにございます。
ので、今日は何となく、亀田八幡宮へ行こうと思ってました。アレです、五月十八日に、釜さんたちが降伏の会合を持ったところって云うか。
でもその前に、碧血碑へ――最後のご挨拶。
一昨日よりは歩きやすかったのですが、車の轍で時折滑りつつ、何とか碧血碑。
の途中で、日本人&外国人男子のコンビに遭遇。カメラのシャッターをしきりに切ってる、っつーか、日本人男子はともかく、何で外国人男子が碧血碑?
首を傾げつつも一礼。今回は柳川熊吉さんの碑にも。
しかし、妙心寺横の階段を上るとき、上からストックを持ったおじいさんが走り下りてきたのにはびっくりだ。結構帰り危なかったんですがあそこ。普通に走ってたのにびっくり。元気だなァ……


さて亀田八幡宮
沖田番の散歩がてら(←またか)、さくっと行ってみよう、と思ったのですが。
えー、一日乗車券には、最寄り駅は五稜郭公園前とか書いてあったのですが、えーと、地図の範囲外だぞ?
とりあえずこっちぽい、って方に行ってみる――が、当然迷う。
沖田番が、トラックのにーさんに道を訊きに行く(腹さえ減ってなければ、危険なことにはならない)。


「ずーっとこの道を行って、結構先の信号を右に曲がると左手にあるんだそうですぜ」


……って、ちょっとビミョーな教わり方だな。とりあえず、結構あるっぽい。
ともかくてくてくあるいて亀田川を渡り、その先で行き会ったおばさんにまた道を訊く。


「この先の、二つ向こうの信号を右に曲がると左手よ。……どこから来たの?」
「はァ、東京でさァ」
「そうなの。亀田八幡宮に何があるの? 函館八幡宮ならわかるけど」
「……まァ、歴史的なもんが」


不思議そうに首をかしげたおばさんは、途中までおしゃべりしながらつき合って下さいました。


云われたとおりに歩いていくと、確かに宮前と云う交差点が――でもって、すぐ近くに鳥居が! あれだ!
が、まァ、お社自体は結構普通でした。いや、普通だろうけども。
えーと、何て云うか、あんまり戦争が云々ってカンジの場所ではありませんでした。多分、正面に向かって右手の小さな建物が、元々のお社だったんだろうけども、社務所とか大きくてコンクリート製で、昔を偲ぶカンジでは……
とりあえず末社とか(中の少彦名のお社は、元は函館山の山頂にあったのだそうな)にお参りして、さてどうやって戻りましょうかね。
お宮の前の道を東? へ歩き、途中で行き会ったおじさんに駅の方向を訊いてみる。


「……この道をずっとまっすぐ行くとT字路に出るから、そこを右に曲がって次を左に曲がると駅だ――けど、結構あるぞ」


平気です、歩くのは慣れてます。
ってわけで、云われたとおりにまっすぐまっすぐ。
……うーん、いつまで経ってもT字路につかないよ。とか云ってると、前々回('07年7月)に、中島さんの碑に行く途中で沖田番に道を訊かせたGSが……! うはー、こりゃ結構あるな。
ま、まァ、最悪沖田番用にはクッキーを2枚と砂糖を1本(5g)持ってきてるし、ミツバチの羽音は鳴らさんぞ!
が、朝食をたっぷり摂ってた沖田番、普通にうきうきと歩いていきます。
随分歩いたところで大きな道路にあたり(しかしT字路ではなく、普通の交差点)、ここでまた道を訊く。またおじいさんだ。


「駅? ここを右に曲がって、次で左に曲がってまっすぐ行くと駅だよ。――どっから来たの?」
「東京でさァ」
「何区?」


……区まで訊かれるたァ思いませんでしたぜ、と沖田番が云っておりました。いいじゃん、区民なんだから。こっちは都下だぞ。


云われたとおりに行くと、見たような場所――ここ、鬼の最期の地碑のあるとこじゃねェか!
っつーか、最期の地碑の英語訳が! “the last living place of Hijikata Toshizo”(……確か)って、絶滅危惧種の最後に見つかった場所みてェじゃねェかよ! レッドデータブック的な?
大笑いしつつさらに歩くと、函館駅に到着。
ここから十字街まで市電に乗り、ホテル近くまで戻ります。や、単に寿司を食べにね+お土産も物色しに……
ところで、十字街の停留所の傍に、異国橋の跡を示す看板が立ってるのですが、そこに旧市街の主要な建物を現在の地図に重ねたのが出てまして。
それでみると、武蔵野楼(五月十日に、箱館府の幹部連が別杯をかわした店)って、赤レンガ近くのGSのとこなのね! ホテルあたりかなーと思ってたのですが、惜しい!


ともかく、回転寿司で遅い昼食。3時で閉店と云うことだったので、ちょうどいいや。
えー、かれいのえんがわ、炙りえんがわ、炙りサーモン、いくら軍艦巻き、えんがわ、コーンマヨ軍艦、と云うラインナップでした。えんがわ好き好き、炙りもの好き好き♥
沖田番は炙りものなしで、ほっき三貫盛とか頼んでました。満足。


で、魚市場とかで昆布やら干し貝柱やらこまいやら、を買った後、残りは空港で買えばいいやと五稜郭へ。例の「五稜星の夢」の点灯を見て帰ろうと云う。
公園内に入り、しかし奉行所の建物はもういいので、土塁の上を歩いてみる。正面の門のところから、ぐるっと時計回りにGO。
門の近くは結構踏み固められてるのですが、離れるにつれて獣道的な雰囲気になってくる。でも、一昨日も見たとおり、結構犬の散歩をしてる人とかいるっぽいので、何とか歩けるか、な?
しかし、ホントにこの土塁は低いよね……いや、戦国時代の大砲だって、余裕で砲弾を中まで届けられるんじゃない? まして戊辰戦争当時の艦載砲とかだと、もっと射程距離が伸びているはずなので、もう全然アウトだよな。武田斐三郎って人は、ホント一体何を基準にこれを設計したんだか……謎です。


えー、裏門のところまではスムーズにいったのですが、そこで一旦下におり、再び上った上は、獣道どころじゃなかった……! これ、ほとんど人通りなかっただろ的、足跡が断続的に続いてるだけなカンジ。うおお、滑る、靴ががぼる(←……雪の中にがぼっといっちゃうこと。田舎の方言……)。
さらにもうひとつの門のところで下りて上がって、ぐるっとまわり切ったら40分くらいかかってました。ううむ。
っつーか、五稜郭公園内に入ったところから、何かこうお名残(惜しい)雪がちらちらと舞ってて、視界が白く……
沖田番は、


「あんた、こう、両手広げて『降りしきれ!!』って叫びなせェよ!」


とか申しますが、そんなこと云ったら飛行機飛ばなくなるかも知れないじゃないか!!


ともかく、まだ時間があるので、稜堡の上に上って点灯を待つことに。
しかし、雪が結構……ひどくなるわけではないのですが、途切れることなく降ってるよ。
稜堡の上は(当然のことながら)吹きっさらしなので、寒い寒い。足踏みしながら5時を待ちます。
5時! になったら、土塁(っつーか堀)のまわりにぽつぽつと灯りが! ううぅむ、やっぱちょっと地味だ。
が、まァ満足したので、五稜郭タワーに戻ります。


まずはかるく土産物を買い(イカール星人ものなど)、それから2Fの五島軒Expressへ。例のカレーで有名な五島軒の、五稜郭タワー支店的な。
や、前回の土産に沖田番に缶詰カレーを買っていったら、すっげはまったっぽく、「今度は是非函館で!」とか云ってたので。
全然知らなかったのですが、五島軒って旧幕軍と関係があったのね。
っつーか、そもそも創業者が流山だかそっちの方の人で(何で箱館まで流れてきたんだろう……)、料理長が幕軍にいた人だったと云う話。
で、五稜郭陥落後、教会(ロシア正教の)で匿われてて、その間にロシア料理を身につけて、出てきてから初代の料理長になったんだそうですが。
実は私は五島軒のカレー初めてだ……や、沖田番には買ってったのですが、何しろ重いので(缶詰だしな!)、自分ち用には買ってかなかった&ほら、箱館ではBons amis目当てだから!
うん、でも中々美味しかったです。わりとさっぱりした辛さ? 流石に胃が重くなってた(出発前日からの暴食が……←またか)ので、ご飯少なめだったのですが、それくらいは完食できるくらいにするっといけました。美味しかった。


沖田番は、最後にまた1Fの売店で温かい牛乳を飲み(流石にこれは入らんかった……)、時刻もちょうどよし、タワー前でタクシーを拾って、空港へ向かいます。
タクシーの運転手さんが結構気さくな方で、いろいろお話して下さいましたが、やっぱ五稜郭の桜は見事だそうですね! 「紅葉なら大沼だよね」とのことなので、次は花見の時期か紅葉か。
っつーかそう云えば松前にも行きたいんだよね――あと、カシオペア。東京を16:00くらいに発車なので、いくなら沖田番を4連休とかさせねばならんのですが(私は半休+ぎりぎりまで仕事、でいいと思うんだが)。
まァ、まだまだ野望は広がります。
空港で荷物を引き取り、それを預ける前に最後の土産物買い。
いろいろ物色していると、何だこれ、「函館限定 ヒジカタ君」って!
……どうやら、史実の土方歳三ではないらしいのですが(鬼に憧れている函館のガイドと云う設定の模様)、しかし、島田っぽいのとか釜さんっぽいのとか、鳥さんとか荒井さんとか甲賀さんとか中島登(多分)とか、あと中島三郎助さんとかいるよ……! (ところでタロさんは……?)
何か、中島さんとおでん屋で酒飲んでるヒジカタ君とかの絵があって、思わず狂喜。中島さん……! 箱館府主要メンツ+島田(タロさんいない……)の飲み会ポスカでも、ヒジカタ君の隣りは中島さんでした♥
嬉しさのあまり、そのポスカとクリアファイル(いろんなスナップが載ってる的な)、それから絵馬の「一撃必殺」を買っちゃいました――「孤立無援」は、心惹かれたんだけど、ちょっと淋しすぎるので……


お土産を詰めたガラゴロは預け、飛行機に搭乗。
帰りも窓際、ですが、雪が結構、で、窓の方向もアレだったので、夜景は見えませんでした。残念。
東京に帰りついたのは9:15くらい、帰宅は11:30くらい?
しかし、一緒に雪の精霊(笑)でも連れて帰ってきちゃったものか、それから数日の大雪は、皆様ご存知のとおりでございます……お名残雪の名残だったのかな?


† † † † †


……ってわけで、今回の旅行記はこれにて終了。
何か、喰ってばっかの3日間でしたね――って、いつものことか。


さてさて、帰ってきたら、何となく引っかかった『歴史人』3月号、特集“三国志 劉備諸葛孔明の真実”……えー、例のタイムライン、劉備の“?”は取れそうな感じだ、と、童門冬二の「劉備の人間論」読んで思いました。
でもって、劉備劉邦がタイプ似てるなら、この前に劉邦が入るのか? ……あんまそこ引っかかんないんだけどなー。
っつーか、高校以来久々に三国志を読み返したくなりました。私のベストは陳舜臣の『秘本三国志』なんだけどね。人間くさいチキンで狡い劉備が楽しいのですよ。北方三国志は読んでないのですが、まァ図書館でいいよなー。


空海は、とりあえず松岡正剛の『空海の夢』を読了。
「泰範の話、誰か書けばいいのに」的なことが書いてありました。よぅし、やったろうじゃん、BL系だけど(笑)。
松岡氏の話は、やっぱ編集者なんだなァと云うか、面白いんだけど、うーん――恩師・I川師のよりもたくさんの現代思想とかのキーワードが乱舞してて、どれも極めれば肯首できるのかも知れないけど、ちょっとやっぱり……あと、極めれば逆に“それ違う”なんだろうなァ、ってカンジも致しましたです。入口としては面白いけど、空海への入口ではないのかもね。
で、『仏教の思想 華厳』を読んでますが、空海の巻を読んだ後なので、何かするっと華厳に入れました。確かに、空海の思想ってのは、華厳にとても近いのかもね(例のタイムライン的には、聖武天皇空海だし)。
これで、今度唯識アビダルマ、中観や天台なんかの巻を読むと、すっごい混乱するんだろうなァ……が、がんばります。


とりあえず、タイムラインは鬼→(仏革命関係者?)→暴れん坊将軍→伊達の殿→先生→十郎元雅→観阿弥→(時宗?)→佐殿→御堂関白殿→空海聖武天皇聖徳太子劉備→ゲルマンの王オーディン? となりました。
結構穴があるのですが、埋めるピースが見当らん……
まァ、共通項見つけていくのって面白いですよね。


さてさて、この項終了。
次は、やっとこ鬼の北海行、そろそろ鉄ちゃん追い出し大会?