半色 八 (完結)

 案の定、重盛の云うようは、父にあっさりと退けられたのだが。
 池禅尼は、確実にその目的を達しようとしていた。
 聞くところによれば、禅尼は、父の使いの者の前ではらはらと涙を流し、
「何と云うこと――もし大殿がご健在でありましたら、妾もかように軽う扱われは致しますまいに……妾は、大弐殿を粗略に扱うたことなどございませぬのに、このような……」
 などと大いに嘆いて、遂には小冠者の生命ばかりは助けてくれと、取りすがるように云ったのだということだった。
「女人と申すは、何ゆえあのように、理が通らぬものかの」
 父は、ややうんざりとした顔で、重盛にそう云ってきた。
「源氏の子、しかも嫡男なぞを生かしておいても、毒にこそなれ、益などはあるまいに。――家盛に似ておるなど、大方、頼盛の郎党とやらにたばかられておいでに相違あるまいよ」
 と云って、禅尼からのものと思しき書状を投げ捨てる。
 重盛は、慌ててそれを拾い上げ、きれいに畳んで父に差し出した。
「ですが、禅尼様は慈悲深いお方、そのように申されるはいかがなものかと」
「お前までが云うか」
「されど、禅尼様のあのご様子では、佐殿を死罪になされれば、深くお恨みになりましょうぞ。源氏の小冠者ひとり生かしておきましょうとも、もはや我らの地歩は小揺るぎも致しますまい」
「……それは、一の院の御入れ知恵か」
「そのような。院や主上が、佐殿の生命を案じておいでになるのは確かではございますが」
「……ふん」
 父は、半ば呆れたように鼻を鳴らした。
主上も院も、上西門院様、八条院様まで、何ゆえ源氏の小冠者ひとりの生命を、そう気にかけられるものか量りかねるの。前の保元の騒乱の折には、我が叔父や義朝の親兄弟など、いくたりの生命を絶つことにも、否とは仰せにならなんだと云うに……」
 と云う父の脳裏には、一の院の御顔が浮かんでいたに違いなかった。
「――佐殿は、内蔵人にてもあられました故、身近くに思されるのでございましょう」
 注意深く、云う。己の意図を、父に覚られることのないように。
 父は、また鼻を鳴らした。
「すっかり院の近臣となり果てたようじゃの、重盛よ」
「そのようなことは……しかしながら、主上や院の御不興を被ってまで、佐殿の生命を絶たねばならぬ、と云うほどのことでもございますまい」
「うむ……」
 父は云って、黙りこんだ。
 重盛としては、何としてもかの小冠者の生命を存えさせねばならなかった。
 不首尾に終わっても構わない、と叔父は云ったが、しかしそれはあくまでも重盛の云うように限ってのことであって、禅尼の嘆願そのものが退けられることになれば、最後の切札として、自分の狼藉の件を父に訴えることもないとは限らなかったからだ。
 ――あの叔父ならばやりかねぬ。
 まして、ひとり禅尼のみの願いであればまだしも、その後ろには八条院などの権門からの願いもあるのだ。主上、一の院、上西門院に八条院と、これだけのやんごとない筋からの働きかけがあって、なお父が法を優先させようとするならば、いずれ、そちらの方面と衝突することにもなりかねぬ。
 叔父は、案外それを待っているのではないか――とは、勘ぐりに過ぎぬのだろうか。だが、あの叔父のことだ、考えても考えても、過ぎると云うことはなかろう。
 むろん、この国でみかどと対立するの愚を、父とてもわからぬはずはない。承平天慶の乱の、将門・純友のころほどの御稜威は既にないやも知れぬが、それでも、まだまだ皆の心には、宣旨・院宣によって“朝敵”の汚名を受けるを怖れる心がある。朝廷を敵にまわしてはならぬのだ――さもなくば、破滅するが運命であるのだから。
 やがて、
「……仕方ないの」
 深く息をついて、父はそう呟いた。
「確かに今、このような瑣末事で、主上や院の御不興を被るは得策ではない。――仕方ないの、重盛よ、義母上に“しかと承り、御意向に沿うよう取り計らいまする”とお伝えせよ」
「……は」
「まったく、ほんの幾月か傍近うあったことが、それほどに大事であるのかの」
 と云ったのは、おそらくは当今や上西門院を指しての言であっただろう。
「――佐殿は、女院様にも可愛がられておいでのようでございました故……先年の女院様の殿上始の折に、蔵人どものうちで佐殿が一番であったと、父上もおっしゃっておいでだったではございませぬか」
「……そうであったかの」
 父は、空とぼけるように云った。
「――ともあれ、死罪を免じ流罪にと云うても、そうそう近くに流すわけにもゆくまいよ。何処へ流すが良いかの」
「さようでございますな――讃岐には院がおられますし、となると隠岐壱岐か、あるいは佐渡島……」
 重盛が上げてゆくと、父は渋い顔になった。
「島は良うない、船で乗りつけられて、身を奪い取られてもことじゃ。……土佐か、伊豆はどうかの」
「伊豆でございますか……」
 伊豆は、確か源頼政の勢力下であったはずだ。頼政は、源氏とは云え、義朝などとは系統の異なる多田源氏の出であり、そのため、河内源氏の一統とは距離をおくところがあった。先の戦いの折に早々にこちら側へ寝返ったと云うのも、そのような気分が底にあったためであろうことは、想像に難くはなかった。
 そうであれば、義朝の遺児であるかの小冠者に、過分な思い入れをすることもあるまいと思われて。
「――宜しいのではございませぬか」
 本心から、重盛は云った。
 そもそも伊豆は、平家の縁者の多い土地柄であった。東の伊東、西の北条を筆頭に、小さな氏族がひしめいているのだが、その多くは本姓を平氏と称しており、実際に縁故も源氏よりは平氏と深い。むろん、源頼政の所領がある故に、源氏とまったく無縁と云うわけでもなかったが――頼政は義朝の係累ではない故に、そのあたりの心配はせずとも良いはずだった。
 いや、確かに伊豆にも義朝の郎党はあったのだ。だが、年明けて、義朝敗死の報が伝わったと思しきころより、かれらも父の傘下に入る意を伝えてきていたので、伊豆における平家の力はまた盤石となったのだ。
 そうであれば、下手な土地に流すよりも、伊豆にかの小冠者を置く方が、何かと安心できると云うものだった。
「伊豆は、古くから様々な罪人の流された地。それ故、流人の扱いには慣れておりましょう。子どもとは云え、坂東武者の棟梁の嫡男でございますれば、いらぬものどもが関わりを持とうとせぬとも限りませぬ。慣れたものどもであれば、気を配り、そのような不逞の輩をも近づけぬのではございますまいか」
「そうか……そうだの」
 父は、深く頷いた。
「では、義朝の遺児は、伊豆へ流すことと致そうぞ。……まったく、たかが源氏の小冠者ひとりに、これほど頭を悩ませることになろうとは、思いもせなんだわ」
「したが、それもこれまでにございますよ」
 重盛は、なだめるようにそう云った。
「生命さえ救うてやれば、皆様、かの小冠者のことなどお忘れになりましょう。伊豆にて、飼い殺しにしてしまえば宜しいのです――さすれば、父上は仁徳のものと呼ばれた上に、外聞良う源氏を葬ることができるのでございますから」
「……うむ」
 “外聞良く”の言葉は、父の気を良くしたもののようだった。
 機嫌の良くなった父の姿を見、重盛は胸をなで下ろしていた。
 ともかくも、これで叔父の依頼は果たしたのだ。
 小冠者は罪一等を減ぜられ、伊豆を遠流となる。生命が助かったからには、父にも云ったとおり、いずれかれの存在は、人びとに忘れられていくだろう。それとともに、“武士の棟梁”としての源氏の存在もまた。
 ――そうなれば、我らの天下だ。
 かの小冠者は、伊豆に骨を埋めることになるだろう。平家は栄華を極め、源氏が再びの隆盛を迎えることはないだろう。
 重盛は、心やすく生きることができるようになるだろう。叔父にも、今後はつけこませる隙を見せはしない。平家の正嫡として、次なる“武家の棟梁”として、誰ひとり阻むものなき道をゆくことができるだろう――そうなるに違いない。
「……ともあれ、義朝がいのうなった故、我らも忙しゅうなるぞ。心せよ、重盛よ」
「むろんのこと」
 好敵手たる源氏が一掃されたからと云って、奢りたかぶっては、他のものたちに足許をすくわれることになる。そんなことになれば、今まで地道に積み重ねてきたものが一気に崩れ去ってしまうやも知れぬのだ。
 心せねばならぬ、今までよりもより慎重に、公家たちに排斥されることにならぬように、慎重に。
 重盛は頷いて、自戒の心をあらたにした。



 小冠者が京を出たのは、三月十一日のことだった。
 ――遂に逢わずじまいだったか……
 捕縛されたとの知らせを聞いてよりほぼひと月。かの小冠者は、かれを捕えた郎党の主である叔父の許にやられていたのだが、顔を見ようとも思いはしなかったのだ。
 それは、
 ――涙をおこぼしになって、お目にかかりとうないと申されましたぞ。
 叔父の言葉故ではなく、むしろ逢いたいと云う気がおこりはしなかったからだ。
 そうとも、もはや表舞台から消えゆくばかりの小冠者など、いかなる意味においても気にかけてやる必要はないではないか。
 ――さっさと行ってしまえ。
 行ってしまえ、遠い東の伊豆の地へと。消えてしまえ、重盛の目に入らぬ彼方へと。
 小冠者が伊豆へ配流となり、源氏は中央より排斥された。小冠者ばかりではない。かれの弟である八つの童も土佐へ配流となり――そのために、童は早い元服をさせられ、“希義”と云う名乗りを与えられた――、義朝寵愛の美女・常盤は、父に身を投げ出して三人の子らの助命を願った。庶出故に、常盤の子らは助命されるだろうが、長じてのちに出家させよと云う話になるだろうことは明白だった。もとより、警戒すべきは嫡流の頼朝と希義のみなれば、かれらが配流先で朽ち果ててしまえば、再びの源氏の隆盛などあり得はせぬだろうが。
「……愉しげであられますの」
 見舞いに訪れると、成親はそう云ってきたが――
 さもありなん、己の地歩を脅かす存在であったかの小冠者が、遠く伊豆の地へと去ってゆくのだ。己の為した狼藉も、云々するものは――叔父と院を除いては――いなくなり、どころかかの小冠者の存在そのものも忘れられていくことになる。それはすなわち、己の働いた狼藉そのものも、小冠者とともに忘れ去られてゆくと云うことに他ならぬ。
「――私どもが、最後には笑うのでございますよ」
 早晩、成親も還任せられ、院の近臣に返り咲くことになるだろう。
 重盛は、次の平家氏長者として、また院近臣として、一族の内外で大きな力を握ることになるだろう。
 そうとも、もはや誰にも邪魔立てはさせぬ。かの小冠者も、叔父も、己のゆく手を遮ることはできぬのだ。
「――これからでございますよ、右中将様」
 そうとも、これから、すべてが拓けるのだ。
 重盛は、己のゆくすえを見つめ、莞爾とした笑みをその顔に浮かべた。


† † † † †


源平話、重盛篇、ラスト!


ラストも何となく、何となく清盛出して〆るカンジで……
っつーか、どうもこの話、清盛が評判良いっぽいのですが。カッコいいとか――そうか?
とりあえず、うちの清盛はマツ.ケンじゃないよな。もっとアクを抜いた松方.弘樹とか? ――ちょっと違うか。
重盛は、昨今のイケメン俳優でいいカンジがします。いいんじゃない?


とりあえず、この話を書いて、平治の乱の大体の概要が掴めた、ような気がするのは気のせいかもしれませんが。
しかし、清盛→重盛ラインと頼盛殿との後々の乖離のわけはわかったような気がしました。
っつーか、結構お公家気質なんだよね、頼盛殿……まァ、見たカンジそうだけどさ。
個人的には、重盛よりあっくんやともくん、頼盛殿の方が断然好きなので、重盛の扱いは大変アレなカンジになりましたが――まァいいじゃん、佐殿嫌われものだし、ちょっとは善い役(? そうか?)にしたって!


えー、源平・鎌倉に関しては、とりあえず、一拍おいてカジキマグロ=大江広元と佐殿のアレな話(……いや、何か)を書いて、その後にでも、今回の話の佐殿sideの『秘色』を書くかなー、と。
佐殿の話を書くには、まだちょっと、母親とか希義とかのアレコレを練らないと厳しいので――義平兄と朝長兄はもう練れてるのでいいんですが。
とりあえず、来年の大河を視野に入れつつ、書いていけたらなァと思います。


ところで、ただ今必要があって最澄の本をいくつか読んでいるのですが。
何かこう、最澄嫌いになってきた……
って云うか、むしろ憎しみの対象的な。直江、三成と並んで、嫌い(むしろ(以下略))な歴史上の人物と云うか。
しかし、不思議と幕末はそこまで嫌いなヤツいないんだけどなー(←嘘。思い出したが(←忘れてたんか!)、かっちゃんと望月光蔵さんが嫌いだった)。ルネサンスも、ラファエッロは(以下略)だけどそこまででもないし、源平期も、重盛は怖いだけで嫌いともちょっと違うし。飛鳥天平もそう云う相手いないなー。
って云うかアレだ、最澄の本書いてるひとって、当たり前だけど最澄贔屓で、空海悪人扱いだしね! 老獪で悪かったな! ってカンジが致します。
最澄の方が人気ないとわかってても、溜飲は下がりませんよ! くそ!!


ってわけで、この項終了。
次は、すみません、空海の話です――長いよ……