奇しき蓮華の台にて 〜青〜 中篇

「――また、借経を、との書状ではないか」
 最澄からの書状を開き、空海はつよく眉根を寄せた。
「しかも、前にお貸しした大日経供養儀や悉曇釈なども、まだ書写が終わらぬと云うておられたに……」
 書写が終わらぬ故に、返却を待って戴きたい、と云う書状を、もう幾通も受け取っていると云うのに、この上まだ借経を申し込んでくるとは、最澄は一体どのような所存であるのだろうか。
 長大な経典ならば致し方のないところだが、薄い冊子にも戻ってこないものがおおく、そのことが空海の不信感を煽っているのだ。
 ――最澄殿は、密の法を盗むのみならず、経典までも盗むおつもりか。
 空海の持ちきたった経巻を、“もの”としても奪うつもりであるのだろうか。
最澄殿は、それほどに書写の手が遅いのか」
 泰範や円澄など、最澄に師事していたものたちに問うてみると、
「まぁ、阿闍梨よりは遅うございますな」
 との答えが返ってくる。
 だが、いくら遅いと云っても、子どもである真雅――今年十三になる空海の弟で、今は奈良の寺にいる――よりも遅いなどと云うことはあり得まい。かれには、短い経典をいくつか書写させたのだが、ひと月かからずに、経典は空海の手許に戻されてきていた。
 しかも、最澄の借り出しているのは、密教の経典であり、空海の僧伽にも要り用なものなのだ。そうである以上、最澄はすみやかに写経を済ませ――かれは、渡唐した折、わずか一年足らずで数百巻の典籍を書写しているのだ、不可能事ではあるまい――、空海の許に経典を戻すべきではないのか。
 それをせぬと云うのは、最澄が、経典を己のものにしようと画策している、と思われても仕方がないとは云えないか。
 円澄も、最澄のこの態度に関しては、触れるのを憚るようなところが見受けられたし、泰範に至っては、
「あの方は、欲深であられますので」
 と、はっきりと批難するような言葉を口にする有様だった。
「欲深か」
「そうでなければ、天台一宗に密までも、とは思されますまいよ」
「……うむ」
「あの方は、手の中に入ったものは、決して離されようとはしないのです」
 お蔭で、叡山では息苦しゅうございました、と泰範は云い、肩をすくめてきた。
「……まぁ、そのような方であるとは見受けられるな」
 だからこそ、最澄空海に密の教えを受けたいと申し入れてきたのだろう。
 そもそも最澄は、渡唐の折に天台の教えをこそ請来してくるつもりであったはずだが、ふとしたことから越州密教を拾い、それが桓武帝に喜ばれたために、己の広める仏教の中に、密をも組み込もうとしているのだ。本来の教義である天台の止観業の他に、密の教えをこととする遮那業の年分度者の枠をも手に入れたのは、そう云う経緯であったと耳にしている。
 泰範は、どうやら、最澄のそのような執着の強いところに嫌気がさして、こちらに移ってきたのだろう。
 実際かれは、すっかり高雄山寺の僧伽になじんでいるようだった。他の弟子たちと衝突することもなく、それなりにうまくやっているように見受けられる。むろん、色ごとでもめることもなく――稀に、空海のもとに忍んでくることもあるが、それとても数えるほどでしかない――、愛想が良いわけでは決してないが、さりとて嫌われていると云うわけでもないようだ。
 相変わらず、最澄からは書状が送られてきているようだったが、それで叡山に戻ろうと云う気配もない。
 泰範の心は、もはや完全に、最澄の上にはないように見えた。
 ――元より、暇を請うていたとは云うておったが……
 しかし、最澄は、まだ諦めてはいないようだ。
 恐ろしいほどの執着だ、と思わずにはいられなかった。
 泰範のことばかりではない、この高雄山寺の北院の件にしてもそうだ。
 最澄は結局のところ、空海が高雄山寺を経営していることに不満を抱いているのだろう。寺の主である和気真綱が、空海の住寺を高雄山寺にと云い出した時に、最澄は内心で反対したいと思っていたのだろう――だが、高雄山寺が官寺ではなく和気氏の私寺である以上、氏長者である真綱の意思に逆らうことは難しい。最澄は、不満の言葉を呑んで、真綱に従ったのだろう。
 しかし、と、空海は思う。
 空海を高雄山寺に、と云う話が持ち上がった時、最澄は既に叡山の主だったではないか。それで、他に住寺もない新来の空海に北院の権利を主張すると云うのは、大層な執着ぶりであると云うよりない。
「経典の督促は、早め早めになさいませ。さもないと、うやむやのうちに、経は師の手に入ってしまいますぞ」
 と泰範が云い、円澄もそれに頷く風である。
 最澄の下にいた二人が揃ってそう云うのであれば、確かにそうした方が良いのだろう。二人ともただの弟子ではなく、円澄は次の叡山座主、泰範は惣別当に、それぞれ指名されたほどの、極めて最澄に近しい高弟なのである。当然、かれらは最澄の裏も表もよく知っているはずだ。
「――そうだな、そろそろ督促すべきなのだろうな」
 確かに、長いものはもう四年近く、最澄の手許にあることになるのだ。
 今までは、それでも他の経典がある故に構わぬかと思っていたが、泰範、それに円澄までもが督促すべきと云うのであれば、その方が確かに良いのだろう。
 空海は、最澄の望むとおりに経典を貸し出してやるとともに、以前に貸し出した経典を上げて、その返却を求める書状をしたためた。今までも、もちろん督促はしていたのだが、今回はより強い調子で返却を求めたのだ。
 すると、ややしばらくあって、最澄から、督促した経典――『大日教経略摂念誦行法』と『大日経供養儀式』――が、短い書状とともに返却されてきたのだが。
 ――“未だ冩すを得ず”だと?
 そんな馬鹿な話はない。
 確かにどちらの経典も、十紙十五紙と云う薄いしろものではない。
 だが、同時に貸し出した『華厳経』四十巻――但し、実際に貸し出したのは、うち上巻十巻のみではあったのだが――に較べれば、ごく薄い経典と云っても良いくらいなのだ。
 それを、貸与してから四年近く経つ今になっても“未だ冩すを得ず”とは――これは本当に、最澄の意図を疑ってかかるに越したことはないようだ。
 空海は、表面上は穏やかに書状を交わしながらも、最澄の出方をじっと伺っていた。
 果たして、またしても借経を求める書状が届けられる。
 空海はまた貸し出し、同時に督促の書状も添えてやった。
 しばらくあって、最澄から、経典が送り返されてきたのだが。そのうちのひとつ、『不動尊使者秘密法』は“未だ冩すを得ず”と書いてよこしている。
 ――やはり、泰範の云ったとおりであったか。
 だが、まだわからぬ、まだ、最澄が経典を奪う腹づもりであると決めつけるわけにはゆかぬ――けれど一体、どれほどその言葉を繰り返してきただろう?
 苛としながら、最澄の動静を伺う。
 すると最澄は、またも借経を願う書状をよこしてきた。十一月も下旬のことである。
 その書状を開いた途端、空海は、総身の毛が逆立つような心地になった。
 そこには、『文殊法身礼方円図ならびに注義』の言葉とともに、『釈理趣経』の文字があったのだ。



 ――釈理趣経、だと?
 己の手が、怒りのあまり震えるのがわかった。
 『理趣経』とは、空海の得た密の中で、『大日経』『金剛頂経』と並ぶ柱となる経典であり、『釈理趣経』とは、その『理趣経』を不空三蔵が随釈したものである。正式には『大楽金剛不空真実三昧耶経・般若波羅蜜多理趣釈』と云う。
 『理趣経』そのものは十七の“法門”を説いており、噛み砕いて云うならば、この世の一切は平等・清浄なものであり、それを自覚して生きたなら、究極的にこの世に密厳浄土を顕現させることも叶うのだと云うことを説いているのである。
 ただ、この経典の厄介なことは、最初の“大楽の法門”において、一切が清浄であると云うことを説くために、男女の交合をもってしているというところだ。それは、およそ男女の交わりを不浄とする大方の仏教とは相容れず、それ故に空海も、特に詳しい注釈の載っている『理趣釈経』を、門外不出の秘典としたのだ。
 それを、まだ結縁灌頂のみで面授を受けもしない最澄が、借り出したいと望むと云うのか。
 ――馬鹿なことを云うな!!
 書状を握る手の震えが、更に大きくなる。
 そのまま書状を握りつぶしてしまいたいと思う心を、空海は必死で抑えこんだ。
 落ち着け、落ち着かねばならぬ。
 すぐそこには、使者である最澄の弟子・貞聡がいる。かれの前で、あまりにも取り乱した様を見せるわけにはゆかなかった。
「――あの……阿闍梨、我が師のお願い致しますところは……」
 貞聡が、おそるおそると云った態で話しかけてくる。
 それへ、
「――お断り致す」
 空海は、短い言葉で云い放った。これ以上長い言葉を続ければ、みっともなく怒鳴り散らしてしまいそうだったのだ。
「……は、しかし――」
「お断りすると云うた。――最澄殿には、さようお伝えせよ。……よしなに、な」
 そう云って微笑んだはずの己の顔が、笑みのかたちをつくっていたものか、空海にはわからなかった。
 貞聡は、怯えたように一礼し、そそくさと退出していった。
 最澄は、よもや断られるとは思ってもいなかったのだろう。
 数日のうちには、再び使いの者が高雄山寺を訪ねてきた――但し、今度は搦め手からと考えたものか、書状は泰範に宛てられたものだったようではあるが。
「――阿闍梨
 泰範は、何気ない風で、空海のところへやってきた。
最澄師の書状が、私の許へ参りまして――『文殊法身礼方円図』とその注義を借用させて戴きたいとお伝えするように、と。……阿闍梨が以前“中寿感興の詩”を送られましたでしょう。そちらに和讃しようとしたところ、わからぬところがあったので、借用をお願いしたいとのことでございました」
「――その二種だけか」
 最澄が借り受けたいと云っているのは。
「はい? ……ええ、さようでございますが」
「――ならば良い」
 理趣を貸せと云うのでなければ。
 空海は、『文殊法身礼方円図』とその注義に、短い書状をつけて送ってやった。
 確かに泰範の云うとおり、やや暫くののち、最澄は和讃の詩を送ってきたのだが。
 “そのために”と借り出したはずの『方円図』と注義は、戻されてはこなかったのだ。
 ――やはり、最澄殿はこちらの典籍を奪いとるつもりなのか。
 くすぶっていた不信感が、またちろちろと燃えはじめる。
 だが、この年末年始、空海は非常に多忙だった。
 別当を務める東大寺で、諸々の法会をとり仕切らねばならなかったし、高雄山寺も疎かにするわけにはゆかぬ。その上、奈良と京とを行ったり来たりするところへ持ってきて、奈良の僧綱――護命や勤操――の命によって、密教を講じたりしていたからだ。
 やっと一息ついたのは、正月も半ばを過ぎたあたりのこと。
 そのころになって、再び最澄からの書状が届けられた。
 しかも、それは『方円図』などの返却の書状ではなく、
 ――また、理趣釈を……!
 腸が煮えくり返る思いがした。
 最澄は、理趣釈が密教においてどのような意味を持つのか、知って借経したいと云っているのか。
 ――法華経疏を借経したいと云うも同じではないか!
 大日経疏と並ぶ密教の柱の一方を、面授を受けもせぬ最澄に、いかで貸し出すことができようか。
 最澄の書状を開いたまま微動だにせぬ空海を、使いの貞聡は、恐ろしいものでも見るようにみつめてきた。
「――阿闍梨
 こたびもまた、“お断り致す”とお伝え致しましょうか? と、伺うように云ってくる。
 が、空海はゆっくりと首を振った。
 もはや、ただ断るだけでは埒があかぬ。
 何故、空海が理趣釈を貸せぬのか、そのわけを明らかにしてやらねばならぬ。
「文をお書きする。――が、今すぐには書けぬ。今宵一晩にて書きあげる故、明朝まで待たれよ」
 そう云って、こくこくと頷くばかりの貞聡を実慧に預け、空海は文机に向き直った。
 ゆっくりと墨を磨りながら、肚の底の怒りを練り上げ、言葉に紡いでゆく。
 大まかな文意が整ったところで、筆をとり、その後は卒意で書きつづってゆく。


「書信至りて深く下情を慰む。雪寒し。伏して惟みるに、止観の座主、法友勝常なりや。貧道、量り易し。
貧道と闍梨の契りは年歳を積みて有り。常に思えらく、膠漆の芳、松柏とともに凋まず、乳水の馥、芝蘭とともに弥香ぐわしからん。止観の羽翼を舒べて高く二空の上に翥り、定慧の驥騮を騁せて遠く三有の外に跨り、多宝の座を分かちて、釈尊の法を弘めんと。此の心、此の契り、誰か忘れん、誰か忍びん。
然りと雖も、顕教の一乗は公に非ざれば伝えず、秘密の仏蔵は唯我のみ誓う所なり。彼此法を守り、談話に遑あらず。謂わざるの志、何の日にか忘れん。……」


 挨拶はここまでだ。
 練り上げた怒りを、筆先でもって文字にする。この墨蹟からも、己の怒りが伝われば良いと思いながら。


「……忽ちに封緘を開きて、具に理趣釈を覓むと覚りぬ。然りと雖も、疑わくは理趣に端多し。求むる所の理趣は、何れの名相を指すや。……」


 ――お前は一体、“理趣”の何たるかを知って、理趣釈を欲しているのか。知らぬのならば、何故、その大もとを知ろうとはしないのか。経典のみを知って、それを読み解けば“理趣”――世のことわりがわかるとでも思っているのか。


「……それ理趣の道、釈経の文、天も覆うこと能わざる所、地も載すること能わざる所なり。塵刹の墨、河海の水、誰か敢えてその一句一偈の義を尽くすことを得んや。如来心地の力、大士如空の心に非ざるよりは、豈能く信解し、受持せんや。余、不敏なりと雖も、ほぼ大師の訓旨を示さん。冀くは、子、汝が智心を正し汝が戯論を浄めて、理趣の句義、密教の逗留を聴かんことを。……」


 聞け、“密教”の“理趣”すなわち道理がどのようなものであるのかを。お前が本来、何を求めるべきであるのかを。


「……それ理趣の妙句は無量、無辺、不可思議なり。広を摂して略に従い、末を棄てて本に帰すれば且三種あり。一には可聞の理趣、二には可見の理趣、三には可念の理趣なり。もし可聞の理趣を求むれば、聞く可きは則ち汝が声密これなり。汝が口中の言説、即ちこれなり。更に他の口中に求むるを須いざれ。もし可見の理趣を覓むれば、見る可きは汝が四大等、即ちこれなり。更に他の身辺に覓むるを須いざれ。もし可念の理趣を索むれば、汝が一念の心中に本来具に有り。更に他の心中に索むるを須いざれ。
また次に三種あり。心の理趣、仏の理趣、衆生の理趣なり。もし心の理趣を覓むれば、汝の心中にあり。別人の身中に覓むるを用いざれ。もし仏の理趣を求むれば、汝が心中の能く覚る者、即ちこれなり。また諸仏の辺りに求むべく、凡愚の所に覓むるを須いざれ。もし衆生の理趣を覓むれば、汝が心中に無量の衆生あり。それに随いて覓むべし。
また三種あり。文字、観照、実相なり。もし文字を覓むれば、則ち声の上の屈曲なり。即ちこれ不対不碍なり。紙と墨、和合して文字を生ずれば、彼の処にもまたあり。また須く筆と紙と博士の辺に覓むべし。もし観照を求むれば、則ち能観の心、所観の境は、色なく形なし。誰か取り、誰か与えん。もし実相を求むれば、則ち実相の理は名相なし。名相なきものは虚空と冥会せり。彼の処にも空のみあり、更に外を用いざれ。……」


 “理趣”とは、道理とは、己自身のうちに求めねばならぬもの、それを得るためにこそ修法し、禅定するのだ。行ずるとは、己のうちにある“理趣”を見出すための作業であり、それは、経典を通読するだけでは決して得られぬ“智”を求める作業であるのだ。


「……また所謂理趣釈経とは、汝が三密即ちこれ理趣なり、我が三密即ちこれ釈経なり。汝が身等は不可得にして、我が身等も不可得なり。彼此ともに不可得ならば、誰か求め、誰か与えん。また二種あり。汝が理趣と我が理趣、即ちこれなり。もし汝が理趣を求むれば、則ち汝が辺に即ち有り。我が辺に求むるを須いざれ。もし我が理趣を求むれば、則ち二種の我あり。一は五蘊の仮我、二は無我の大我なり。もし五蘊の仮我の理趣を求むれば、則ち仮我とは実体なし。実体なければ、何に由って得ることを覓めん。もし無我の大我を求むれば、則ち遮那の三密即ちこれなり。遮那の三密は、何処にか遍せざらん。汝が三密即ちこれなり。外に求むるべからず。……」


 大日如来の身・口・意は、すなわち己自身の身・口・意であると、そのことこそが“理趣”であるのだと、行じて、感得せねばならぬ。そうして得るものこそが“密”の“理趣”であり、経に書かれたものなど、感得したそれにくらべれば、塵あくたのようなものなのだ。
 書かれた言葉でなど、あの玄妙な“智”のかけらも知ることはできぬ。行ぜよ、行ぜよ、知るためにこそ。
 それであるのに、


「……また、余未だ知らず、公、これ聖化なりや、はた凡夫なりや。もし仏化なれば、則ち仏智周円せり。何の闕くる所有りて、更に求覓を事とせん。もし権の故の求覓なれば、則ち悉達の外道に事え、文殊の釈迦に事えたるが如し。もし実の凡なれば、則ちまさに仏の教えに随うべし。もし仏の教えに随えば、則ち必ず須らく三昧耶を慎むべし。三昧耶を越すれば、則ち伝者と受者ともに益なし。
それ、秘蔵の興廃は、ただ汝と我にあり。汝、もし非法に受け、我もし非法に伝うれば、則ち将来の求法の人、何に由りて求道の意を知るを得ん。非法の伝受は、これ盗法と名づく。即ちこれ仏を誑くなり。
また秘蔵の奥旨は、文を得ることを貴しとせず。ただ心を以って心に伝うるに在り。文はこれ糟粕なり、文はこれ瓦礫なり。糟粕・瓦礫を受くれば、則ち粋実・至実を失う。真を棄てて偽を拾うは、愚人の法なり。愚人の法、汝随うべからず、また求むべからず。……」


 ――お前はそれでも、筆授を貴しとすると云うのか!!
 書物をもって、かの玄妙な“智”を得ようと云うのか――そんなことなど、出来るはずもないというのに。
 それともそれは、最澄が、己の得た密――越州で拾ってきた、粗放な“密”ではあるのだが――を、天台一宗の下に組み入れ、同時に空海の“密”をも己の下に組みこもうと云う意図からでもあるのだろうか。
 そんなことを、空海が許すとでも思っているのか。


「……また古の人は道の為に道を求め、今の人は名利の為に求む。名の為の求は、求道の志ならず。求道の志は、己を道法に忘る。なお輪王の仙に仕えたるが如し。途に聞きて途に説くは、夫子も聴さず。時と機、応ぜざれば、我が師は黙然たり。所以は何ぞや。法はこれ難思にして、信心して能く入る。口に信修を唱え、心は則ち嫌退すれば、頭ありて尾なし。言いて行わざれば、信修の如くなれども、信修と為すに足らず。始めを合わせ、終りを淑くするは、君子の人なり。世人は宝女を厭うて卑賤を愛し、摩尼を咲いて燕石を緘み、偽龍を好みて真像を失い、乳粥を悪みて鍮石を宝ととす。癭あるもの、これ左手を鑽るとは、則ちこれなり。芤と渭とを別たざれば、醍醐、誰か知らん。面の妍媸を知らんと欲わば、鏡を磨くに如かず。金薬の有無を論ずべからず。心海の岸に達せんと欲わば、船に棹さすに如かず。船筏の虚実を談ずべからず。毒箭を抜かずして空しく来る処を問い、道を聞きて動かざれば千里何をか見ん。双丸以て鬼を却くるに足り、一匕以て仙を得べし。たとい千年、本草・大素を読誦すれども、四大の病、何ぞ曽て除くことを得んや。百歳、八万の法蔵を談論すれども、三毒の賊、寧ぞ調伏せんや。海を酌むの信、鎚を磨するの士に非ざれば、誰か能く一覚の妙行を信じ、三磨の難思を修せん。止みね、止みね、舎りね、舎りね。……」


 口では面授を受けたいと云いながら、何としてでも時間をひねり出そうとするでもなく、ただ経典を書写し、筆授によって密を学ぼうとする、それは、最澄の持つ密教=遮那業の年分度者の枠を確固たるものにしようと云う意図から出たものでしかないのではないか。
 よし、そのような意図であっても、最澄が心から密を知り、法華の道と真に両立させるつもりであるならばともかくとして、面授を避け、筆授を専らとするこの態度では、とても密に対する真摯さなどは感じることができぬ。
 空論を振りかざすのを止め、面授を受けて行に励むか、さもなくば、
 ――密を得るなどと考えるのを止めてしまえ!!!
 怒りのままに走らせてきた筆を、空海は一度おいた。
 このまま、破門を云い渡すのは簡単だが、それでは、最澄は単に“破門された”事実だけを取り上げて、空海が身勝手だとなじるのみだろう。
 選択を突きつけてやらねばならぬ、あくまでも筆授にこだわるのか、それとも正しい密の伝授を受けるのかを。
 大きく息を吸い、気を鎮める。
 再びとった筆は、今度は穏やかな墨蹟を残してゆく。


「……吾、未だ其の人を見ざるに弗ず。その人、豈遠からんや。信修すれば、則ち其の人なり。もし信修有らば、男女を論ぜず皆これ其の人なり。貴賎を簡ばず、悉くこれ其の器なり。其の器、来たりて扣けば、鐘、谷に則ち響く。妙薬、篋に盈つるとも嘗めざれば益なく、珍衣、櫃に満つれども著ざれば則ち寒し。阿難は多く聞けども是を為すこと足らず。釈迦は精勤なれば、伐柯、遠からず。代を挙げて皆然り。悲しきかな、濁世、化仏は所以に棄てて入り、五千は所以に退きしなり。
毒鼓の慈、広くして無辺なりといえども、干将の誡め、高うして淬ぎあり。師師の誥訓、慎まざる可からず。子、もし三昧耶を越えずして、護ること身命の如くし、四禁を堅持して愛すること眼目に均しくし、教えの如く修観して、坎に臨み積有れば、則ち五智の秘璽、踵を旋らすに期すべし。況んや乃ち髻中の明珠、誰かまた秘惜せん。努力自愛せよ。還に因りて、此に一、二を示す。」


 結びの言葉を書き、“釈遍照”と記名する。
 だが、これをこのまま出すのは、流石に拙い。怒りにまかせて書いたところもある故に、最澄に上げ足をとられるような言葉を使ってしまっているところがないとは云い切れぬ。
 今宵はまだ封をせず、明朝、もう一度見直してから、貞聡に託すことにするか。
 空海は眠り、翌朝目醒めてひととおりの勤行をこなした後で、昨夜の返書を読み返してみた。
 ――……やはり、少々感情に走り過ぎたか。
 文意に粗放なところはないが、いかにも激し過ぎている感はある。
 だが、今これから書き直したとしても、あの時感じた怒髪衝冠の思いを、これほどまでに表すことができるとは思えなかった。
 怒りにまかせた大きな文字も、空海の忿怒の激しさを最澄に知らしめるには良いだろう。
 ――さて、これを読んで、最澄はどう応えてくるか。
 書状を畳みながら、思う。
 この激しい批難の言葉を受けて、最澄は改心するのか、それとも?
 ――……改心は、せぬな。
 冷笑がこぼれる。
 空海が忿激したからと云って態度を改めるくらいなら、そもそもそれ以前に改まっていてもいいはずだ。
 結局のところ、最澄にとって、密を学ぶことは“遮那業”を成立させるための方便であり、得るために真剣に行ずる気も起らぬほどに軽いものでしかないのだ。
 この返書を受け取ったところで、最澄の考えを改めさせることはできぬだろうし、どころかいよいよ私度僧上がりの空海を侮ることになるに違いない。
 ――もはや、それでも良いわ。
 最澄を弟子にもっておくの利は、もはやなくなった――空海の後ろには、奈良の僧伽・僧綱も、主上もある。最澄に頼らずとも、己の、密教の地歩を築いてゆくことができるのだ。
 空海は、書状を封緘すると、貞聡を呼んで、それを預けた。
「――この書状を、最澄殿に。……それから、先日お貸し致した『文殊法身礼方円図』と注義を、こちらにお戻し戴けるよう、申し伝えてくれぬか」
「は、はいっ」
 貞聡は、書状を押し戴くように受け取ると、慌ただしく下山していった。
「――貞聡殿は、ずい分と慌てふためいておられたご様子でしたが……阿闍梨、よもや何かなされたのではございますまいな?」
 やって来た実慧が、やや咎めるような口調で云ってきたが、
「何を云う。書状を預けて、最澄殿に以前お貸ししたものを返してくれるよう、言伝を頼んだだけだ」
 空海は肩を竦めてやった。
阿闍梨は、思うておられることがすぐお顔に出てしまわれます故、激しゅうお忿りにでもなられたのかと」
「……最澄殿のことであれば、返書を託した故に、もう私には師事してはこられまいよ」
「それは――どのようなことをお書き送りになられました」
「理趣の何たるかと、密の道理を説いた」
 そう云ってやると、実慧は、何とも云い難い顔でこちらを見つめてきた。
阿闍梨……あまり激烈な論をお吐きになると、ひとを追いつめ、恨みを買うことにもなりましょうに」
「だが、云うてやらねば、何時までも図々しく借経を申し入れてくるばかりではないか!」
 実際、最澄は、先々年の暮れに貸し出した『虚空蔵経疏』や『守護国界主経』などを、“次の二月末までお借りしたい”と云っておきながら、一年近く過ぎた今になってすら、返却する気配もないのだ。
 返却の遅延そのものが厭なわけではない。遅延に関して、何も云ってよこさない最澄の態度が厭なのだ。泰範や円澄から聞いた、最澄の欲深さが、そこに影を落としていることもあるのかも知れないが――それとても、度重なる返却の遅延と、督促してやっと“未冩得”と云う状態で返してくると云う事実がなかったなら、これほどまでに実に迫っては感じられなかったに違いないのだ。
 実慧は、かるく溜息をついてきた。
「――確かに、それについては智泉もこぼしておりましたな。……最澄様のことは宜しいとして、円澄殿が難しいことになられませぬか?」
 実際に高雄山寺に住している円澄が、叡山との間で板ばさみにならないか、と問いかけてくる。
「……円澄が叡山に戻ると云うのなら戻らせれば良いし、留まると云うなら留まらせれば良い」
 空海にとっては、円澄もまた――籍を置くのは叡山ではあるが――弟子のひとりであったし、真摯に学び、呑みこみも良いかれを教えるのは楽しくもあった。
 とは云え、かれは本来、最澄の高弟であるのだし、そうである以上、進退を決するのは空海に非ず、最澄であるのは明白だった。最澄が一言“戻れ”と云えば、円澄はすぐにでも高雄山寺を下りて、叡山に戻るだろう。それは、想像などと云うものではなく、明確な事実だった。
 ――結局、私には芯からの味方などないのだ。
 実慧や杲隣なども、もしも空海が奈良の僧綱と対立でもしていれば、ここに留まってなどいないだろう。空海など、所詮は私度僧上がりの怪しげなものに過ぎぬ。後ろ盾がなければ、この手のうちに残るものなど何もないのだ。
 それは、身内である智泉や真雅なども同じこと――血の繋がりなどでひとを引きとめておくことなどできぬことは、上つ方の争いを見ていてもわかることではないか。
「――阿闍梨……」
「……叔父のところへ行く」
 叔父だけは、自分の許を去ることはあるまい――伊予親王が横死した時に、自分がその身を引き受けたことがある故に。
阿闍梨……」
 実慧の声を背に聞いて。
 空海は、足早にその場を立ち去った。



 案の定、最澄からは『理趣釈経』については何も応えのないままに。
 二月半ばになって、『守護国界主経』『虚空蔵経疏』『貞元目録』の三点が、短い書状とともに返却されてきた。その書状の中には“未冩得”との言葉はなかったが、空海の不信感は、それでおさまりはしなかった。
 円澄は叡山には呼び戻されず、それはそれで、肩すかしにあったような、安堵したような、複雑な気分にさせられた。
 その後、最澄から借経を依頼する書状が届くことはなくなり、貸していた経典がぽつぽつと戻されてくるようになり。このまますべての経典が返却されれば、最澄との関わりはそこで終わるのだろうと、空海は漠然と考えていた。
 だが、まだもうひとつ、最澄との間にわだかまる問題があったことを、空海はすっかり忘れていたのだ。


† † † † †


駄目な阿闍梨の話、続き。
“中篇”ってどういうことだ……


今回は、まァ全然何にもないので畳んでません。
こんなに長くなったのは、Just阿闍梨の例の手紙を全文載せたからですよ。
注釈なんかは書いてません(簡単な文意は、間々の阿闍梨の心中描写で書いてますが)ので、気になる方は“叡山の澄法師”“理趣釈経”でぐぐると、文意を解説したサイトとかみつかると思います。
ちなみに、原文は漢語なのでいろいろな読み下し方が可能なのですが、今回私が参考にしたのは上山春平氏の読み方です。ところどころ司馬遼の読み方とか入れてますが。


夜の闇の彼方では、いろんな坊主が集まってきてるのですが。
W大師=円仁・円珍とかもいるのですが、最澄の直弟子・円仁さんも、この件は“ちょっとうちの師匠に問題がある”とか云ってくれたので、溜飲が下がりました。円珍も、どっちかと云えば空海に理がある見解だったので、まァいいや。
しかし、アレだ、真済とかも来てたのですが――真言宗、直弟子が既にもう何か駄目だ……
何で真済(天狗になったとか云う伝承があるけど、普通に人間だったよ)までが“阿闍梨、神!!!”とか云ってんの!! おかしいだろ、直弟子!
円珍に“あのノリが厭で、叡山にいっちゃったの?”って訊いたら、言葉は濁してたけど、肯定するような雰囲気だったよ……


ところで、例のタイムラインの続きですが。
劉備の先って誰かなー、とか思ってたのですが、何か「テル.マエ・ロマ.エ」読んでたら、もしやと思ったハドリアヌス帝――とりあえず、白水クセジュ文庫読んだ限りでは、否定材料がなかった……(泣)
寧ろシーザーつーかカエサル? とか思ってたのですが……まァ、時間差もばっちりなので、劉備の前はハドリアヌス帝でいいやもう。
しかし、ヤマ.ザキ.マリさんのハドリアヌス評が、的確と云うか何と云うかで、がっくり……まァ、そんなもんだろうね、家族には持ちたくないタイプだよね……
今見てる「戦国.鍋TV」の「うつけバーNOBU」の伊達.ママがイタい……自分的にはもちろんのこと、普通に見てもイタいわ……つ、つらい……
こっちも、家族にいると凄く大変な人、だよね……


さてさて、この項、終了。
GWは、海辺の舞踏会は諦めた(春がなかったから、競争率が……)ので、ちょっとお山に上ってきます〜。