北辺の星辰 61

 四月八日、松木との約束の日になった。
 歳三は、頃合いを見計らって、五稜郭の己の部屋へ、市村を呼んだ。
 ややあって、歳三が短い手紙をしたためていると、
「――市村です。お呼びと伺って参りました」
「あァ、入れ」
 入室して来た市村は、小さな荷物を抱えていた。呼びにやった安富に、云われたとおりにしてきたようだ。
 市村は、明日からの二股口出兵の準備をしてきたに違いない――だが、それにかれが参加することはないのだと、今からここで告げなければならない。
「……市村」
「何でしょう」
 大きな目が、歳三をじっと見つめてくる。まるで、心の裡を見透かそうとするかのように。
 落ち着かぬ心持になるのをぐっと抑えこみ、歳三は小さく息をついて、口を開いた。
「特命がある。きっと果たせ――誓えるか?」
「それは……どのようなご命令でしょうか」
 いつもならば、間髪入れずに頷く市村が、そのように問いかけてくる。
 かれは、もしかすると気づいているのだろうか? 歳三が、かれをこの蝦夷地から去らせようとしていることを。
「果たすと誓え。でなければ、告げることはできん」
「命の中身をお聞きしなければ、承ることはできません」
 きっぱりと云う、その態度に、やはり気づいているのか、と思う。
 市村は、在京時代――ちょうど、伊東甲子太郎の一党が分離していった頃――に、兄とともに入隊してきた隊士で、子どもながらも今の隊内では古参と云っても良いほどだった。兄の辰之助は、甲陽鎮撫隊敗走の後、江戸で隊を脱していたが、市村は何を思ったものか兄と別れ、そのまま新撰組にとどまっていたのだ。
 死んだ玉置良蔵や、榎本総裁付に移った田村銀之助とは異なり、市村は、何か思いつめたように歳三の傍にいるのだと心に誓っているようだった。
 その一途さが、歳三には少々重く感じられていた――それは、あるいは先だっての宮古湾海戦で、野村利三郎を死なせたせいもあったのかも知れぬ。
 この先は死あるのみと思う歳三の傍にあれば、市村も間違いなく死ぬことになるだろう。この一途な少年が、歳三を身をもってかばうなど、たやすく想像されることではないか。
 そうである以上、大人の役目として、年端もゆかぬ市村を戦いの場から遠ざける、と云うことが、自分に課せられた義務であると、歳三は常々考えていたのだ。
 だから、ここで折れるわけにはゆかぬ――そう思い、歳三は強い語調で叱りつけた。
「市村、俺の命令が聞けねェのか」
 対する市村の答えは、きっぱりとしていた。
「お傍を離れよというご命令でしたら、承りかねます」
「――市村、わかっているのか」
 声に、苦いものがまじるのがわかった。
「俺ァ、お前までなくしたかァねェんだよ」
 宮古湾で死んだ野村のように、己の楯になるべく生かしているわけではないのだ。
 だが、市村は、それでも首を縦に振ろうとはしなかった。
「わかっています。それでも――沖田さんと、約束したんです」
「……なに、を――」
 いきなり出された名前に、動揺した。
 沖田――それは、昨年江戸で病没した沖田総司のことに違いない。
 だが何故、市村が今さら沖田の名を出してくると云うのか――しかも、こんな局面で。
 市村は、俯き加減でぼそぼそと云ってきた。
「約束したんです、あのひとが追いつくまで、生命に代えても、俺が副長をお守りするのだと。だから……」
 だから、歳三の傍にとどまり続けると云うのか。
 だが、
「……あいつァ、もう死んだんだ」
 沖田は死んだのだ、千駄ヶ谷の植木屋の離れで、ひとり、病魔に侵され朽ち果てていったのだ。
「そうである以上、おめェには、その約束を果たす責めなんぞねェ――そうだろう。……俺の命を受けて、箱館を出ろ。そして、多摩の、日野の本陣で、佐藤彦五郎兄に、俺の言伝を……」
「俺は!」
 市村が、遮るように叫んできた。
「沖田さんとの約束だけでなく、俺の意思で、副長のお傍にありたいのです!」
 すがりつくようなまなざしに、ひどく動揺する自分がいた。
 それを知ってか知らずか、市村は、歳三の手を掴んで懇願してくる。
「どうか! 俺を最後までお傍において下さい! 俺は……副長より後まで生きていたくなどないのです!」
「市村……」
 ――俺なんぞ、そんな風に思うような人間じゃあねェんだ!!
 と、叫んでやりたかった。
 自分の楯になって死んでいくなど、そのような価値のある男では、自分はない。せいぜいが、ともに戦って幕臣の端くれとしての矜持を満たし、かれらの生命を存えさせるために散っていく、その役に立つのが関の山だ。
 そして、その“存えさせるべき生命”のうちには、この市村も入っている。それなのに、当の市村は、歳三のために死にたいなどと考えているのか。
 ――おめェも、大層な大馬鹿者だ……
 だが――
 心を鬼にせねばならぬ、と歳三は考えた。
 そうまで自分を思ってくれるのは嬉しいが、しかし、自分などのために若い生命を散らせるのは忍びない。市村たちにはこの先も生き抜いて、新しい世を拓いてもらわねばならぬのだ。
 歳三は、腰の刀の鞘を払い、市村にその切先を向けた。
「ならば、今ここで俺に斬られるか。――俺の命を果たさぬと云うのなら、ここで死ね。そうすれば、俺より先に死ぬことができるだろう」
 睨み据える歳三のまなざしを、しかし、市村は怯むことなく受け止めた。
「それでも構いません」
「市村!」
「できれば、野村さんのように、副長のために死ぬのが望みだったのですけれど……」
「馬鹿を云うな!!」
思わず怒鳴りつけていた。
「俺のために死ぬなんぞ、愚の骨頂だ! とんでもねェ大馬鹿野郎だ! 俺のためになんぞ……」
 しかも、野村利三郎のようになどと。
 ――そうじゃあない、そうじゃあないんだ……!
 一体何のために歳三が蝦夷地までやってきたのか――皆を生かすためだ、生き延びさせるためだ、それなのに。
 ――俺のためになんぞ、死んでくれるなよ……
「副長……」
 市村が、すがりつくようなまなざしで見つめてきた。
 その目が、傍においてくれと訴えかけてくる。決意は固いのだと、言葉にせずともわかるほどに。
「――市村……」
 言葉では、説得することはできないのかも知れぬ――歳三がそう思いかけた時。
「――副長」
 安富の声が、廊下の方からかけられてきた。
「何だ」
 歳三は、ほっとしたような気分で問い返した。
 要件はわかっている。おそらく、松木が訪れたというのだろう。
 案の定、
アルビオン号よりの御客人が来られましたが、いかが致しましょう」
「……お通ししろ」
 そう云いながら、歳三は刀を鞘に収めた。
 ややあって、松木が姿を現した。
 見慣れぬ人物に、市村が警戒するようなまなざしを向ける。
「ご足労戴き、かたじけない」
「何の、土方先生のお役に立てますならば、望外の喜び。――して、お預かりするのは、こちらの方でございますか」
 にこやかな松木の言葉に、市村が茫然と目を見開くのがわかった。
「そうだ、市村鉄之助と云う。内々の使者に立てるので、横濱までお預かり願いたい」
「承知仕りました」
「……副長!」
 泣きだす様な顔で、市村が声を上げた。
「俺は――俺は、お傍に……」
「ここで俺に斬られるよりは、大人しく命に従うがましだろう? ――こちらは、英国船アルビオン号の通詞で、松木殿とおっしゃる。船内で何かあれば、この方に頼れ」
 そう云って、歳三は、用意していた包みを、鉄之助に押しつけた。
「この中に、俺の写真と髪、それから書きつけをおさめてある――それは、日野の佐藤彦五郎殿に渡してくれ。俺の義兄だ。もうひとつ、江戸の大東屋宛の書状もある。そちらは、向こうで大東屋の番頭に渡せ。良いように計らってくれるはずだ。――それから、刀の方は、向こうについたら質にでも入れて、路銀の足しにしろ。金子も多少は入れてあるが……道中、何があるかわからねェからな」
 多分、江戸では、幕軍従軍者の残党狩りが行われているだろう。薩長が政権を握った以上、そのことは想像にかたくはなかったし、現に松木もそのようなことをほのめかしていた。
 そのような時勢の中に、まだ幼い市村をひとりで放り出すことになるのだ、路銀は、いくらあっても多すぎると云うことはないはずだった。
 それに――市村は、箱館を離れてのちは、ただひとりで生きてゆかねばならぬのだ。彦五郎兄へは、市村の身を宜しく頼むと書いてはおいたが、何がどうなるかもわからぬ時であれば、万が一の時にもある程度生きていけるようにはしてやりたかったのだ。
 歳三は、絶望的な顔で見上げてくる少年の頭を、いつもそうするように、くしゃりと撫でてやった。
 ここで別れれば、今生で見えることは二度とない。離れさせることを選んだのは自分自身だったが、それでもひどく淋しかった。
「……彦五郎殿と姉のおのぶは、おめェを悪いようにはしないはずだ。――行け、息災で、な」
「副長!」
 すがるようなまなざしで、市村が叫ぶ――だが、これ以上は、互いに未練になろう。
「頼んだぞ、市村」
 そう云うと、安富を呼び寄せ、市村を送り出す。
 市村は抵抗する様子を見せたが、安富と松木の二人がかりとあっては、かなわなかった。両腕をとられて、引きずられるように部屋を出ていく。
「……副長!」
 悲痛な声。
 それに、歳三は耳をふさいだ。
 生きてくれれば良い。今となっては、子どもたちの無事が、何よりもの望みだった――玉置を死なせてしまったが故に、なお一層に。
 最後に市村の姿を目に収めようと、太鼓楼に上がる。
 見れば、眼下に松木らしき人影が見える――そして、それに手を引かれてゆく、市村らしき小柄な人影も。
 市村は、引きずられてゆきながらも、幾度も幾度もこちらを振り返っているようだ。
 歳三の姿が見えているのだろうか? いや、そんなはずはない、歳三の目からでも、市村の姿は判然とはしないのに、まして屋外から、この姿が見えるわけがない。
 ――息災でな。
 今や門をくぐらんとする姿に向かい、歳三は胸の内で、別れの言葉を繰り返した。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
さァ、いよいよ鉄ちゃん追い出し大会!


まァこの辺は、前に書いた鉄ちゃんの話と同じ科白並びなので、そう難しくもないなァ――っつーか、心情的なアレコレ変えるだけだしね(←ならもっとさっさと書け、とか云わない!)。しかし、鉄ちゃんの時みたいな気迫はないね――やっぱ、追い出す方と取りすがる方では、取りすがる方が気合が入るって云うか……まァ、度台鬼は気迫負けしてたと思いますがね。
あ、鉄ちゃんはやっぱ太鼓楼(だよね?)の鬼の姿、見えてたっぽいですね――何かあの子、視力2.0以上あるとか云う噂。そんなあるの? 昔は私も(左だけ)2.0でしたが、最近はすっかり凋落して、右(乱視)なんか0.4とかですよ……やヴぁい……


ただ今、東北に旅行したい気分になってます。
や、会津とか、仙台とか、行って金落とせないかなァ、とか思いまして。
会津は岩風呂リベンジ! があるし、仙台は松島のミラクル(何で瑞巌寺は、あの地震津波で庫裡の一部が壊れたくらいで済んでるんだ!)を見にね……青葉山城址の慰霊碑が壊れたとか云う話も聞きましたが、殿の銅像は無事っぽいし(←何故)、あれやそれやもありますのでね……
でもまァ、こんなときこそ歴オタ&歴女は持ち前の機動力発揮して、史跡まわりで金落とせばいいと思うのですよ。
もちろん、むこうが落ち着いてからの話ですけども、そう云う支援の仕方があったっていいと思う。
源平は平泉があるし、戦国は仙台etc.、幕末だってあちこちあるもんな。
向こうのニュースを睨みつつ、ちょっと金貯めたいと思います。沖田番は、既に貯めはじめてるっぽいですよ、ふふふ……


この項、終了。長かった……
次は面倒な阿闍梨の話、中篇(←え)で〜。