高野山灌頂記。 其の二

ってわけで、高野山二日目。
お暇と興味がおありの方は、続きをどうぞ〜。



二日目の朝は、6:00ちょい過ぎに起床で。
高野山の宿坊は、大体6:30から朝の勤行があるのですね。一応自由参加とか云うことらしいのですが、しかし、やっぱり時間になるとお坊さんが声をかけてくれるので、ほとんどの方は参加するようです。
5:30くらいから、ばたばた階段を上り下りする音がしたり、トイレのドアが開け閉めされる音がしたりで、何となく起こされる感じ。でも疲れてるから、いつもの起床時間までまったりしてみる――せめてもの抵抗ですよ!
洗面所で会った男性に「女性は身支度が大変みたいですねー」と云われ「そうみたいですねー」と返す、生物学的には女のはずの生き物。ええ、まだこの歳でもすっぴん&手入れすらしてませんが何か? 手を入れたって、劇的には変わらない(骨格変わるわけじゃなし)んで、やる意義が見出せないんですよ――口紅つけるとケバくなるしね。っつーか面倒。それが一番。



で、6:25ごろに表に出ると、声をかけに来たお坊さんに、「上の本堂に上がってて下さい」と云われる――上。ああ、確かに上だ、階段上がって上に、本堂らしい建物が。
えーと、恵光院の御本尊は阿弥陀如来です。まァ、確かに曼荼羅の中にはいるよね、阿弥陀如来も。
時間になると御住職+二人のお坊さんが入堂され、勤行がはじまります。
真言宗なので、あがる御経はもちろん理趣経。生理趣! ふふふふふ……『こころの法話』CDで(一部を除いて)聴いてはいたのですが、やっぱ生は違うよね!
出だしのところで“薩摩訶薩(さんばかさ)”と云うフレーズのリフレインがあり(←正確には“〜菩薩摩訶薩(ほさんばかさ)”のくり返しなのですが/“〜”部分は菩薩の名前と云うか)、そのすぐ後が例の十七清浄句なのですね。
別に不埒なことを考えたわけではありませんが、CDで聴いてたのを生で聴けるのは嬉しい。後ろの方の“善哉善哉”のくり返しとかね。ふふふふふ。
理趣(途中で焼香)の後に般若心経を読経、で、御住職のお話の後、御本尊にお参り。御本尊の左手に愛染明王(だっけ?)、右には阿闍梨の像――うむ。



でもって、勤行の後は、道路際にある毘沙門堂護摩焚き。早めに堂内に入ったので、護摩壇の奥から全部手順が見えるようなカンジ。
お坊さん(御住職ではない)は、薪=護摩木を護摩壇の炉の中に組み上げていき、香油を注ぎ、細い護摩木に蝋燭で火を点けて、護摩を焚いていきます。その間々に、袈裟(あれは、大衣と云うのかな)の下で印を組んでいる様子――袈裟にそう云う使い方があったとは! 確かに印形は密教の秘事だとは思いますが、そうか、袈裟の中で組むのか、と、頷くんだか何だかな気分になりました。
でもって、火が炉の中に入ると、もう一人のお坊さんが太鼓を打ち鳴らし、護摩行スタートです。
えーとえーと、複数の真言を唱えながら(聞き覚えのある真言だったんだけど――あ、そうそう、ひとつは不動明王の火界呪だった)、供物を火中に投じていきます。
しかし、真言宗の数珠が水晶とかが良いはずだ――っつーか、真言宗の数珠って、すり合わせたり、金剛杵とかで擦って音を出したり、いろいろ酷使するのですね。これだけいろいろに数珠を使うって、ちょっとないなァ(真宗は下げてるだけだもんなァ)と思いつつ見ておりました。
供物は穀物とか豆類とか葉っぱ(樒とか?)とか、いろいろあり、香油もさらに注いだりとかしてましたね。
っつーか、そう云えば、真宗須弥壇とかって、最近のはすっかり電球で蝋燭もどきの明かりを点けてる感じなのですが、真言宗は全部(お経を読むための明かりですら)蝋燭でしたが――やっぱ、“火”に対するウェイトが、真宗真言宗では違うのかなァと、ちょっと思いました。や、もしかしたら真宗でも、本願寺とかでは蝋燭なのかも知れませんが――しかし、大谷廟とかの納骨堂とかのアレコレ見てるとね、電球使ってたって不思議はない感じはあるのですよね、真宗って。その辺、真言宗ってのは、まだ火のちからに対する信仰みたいなものが残ってるカンジが致しました。
こちらでも護摩焚きの後、毘沙門天(かなり古いらしい)と不動明王(舵取り不動と云うらしい)、それとあと一尊(何だっけ/汗)にお参り。でもって、護摩焚きは終了です。


部屋に戻って朝食(布団は片付けられてた――早い)。
ちなみにメニューは、ご飯、麩とワカメの味噌汁、がんもどき、海苔、梅干し、沢庵。シンプル。
ご飯3杯おかわりして、いざ壇上伽藍へ。
てくてく歩いて、ついたのは8時ちょい過ぎ――で、根本大塔の中が受付(入壇料は¥3,000-)だったのですが、既に1500番近くで、なお且つ入壇は9:20の予定……どんだけ。
とりあえず暇なので、伽藍内をふらふらし、そう云えばと金剛峯寺へ――こっちは、秀吉が建てたと云う、高野山本坊的なお寺です(阿闍梨の建てた“金剛峯寺”は、壇上伽藍を中心にした、高野山全体のこと。でも、創建当時は全然建物なかったっぽいけどね)。
えー、金剛峯寺に行ったのは、中に真然の廟があるからです。や、智泉の廟にお参りしたのに真然のに行かなかったら、何かこう、僻まれそうじゃないですか。
ってわけで、金剛峯寺の伽藍内に入ったのですが。
えーと、何々、真然の廟って、え、本堂の奥にあるの! 拝観料払わなきゃじゃん!
……流石に急いで拝観はしたくない(金剛峯寺は結構大きい)し、¥500-は安くはない(いや、真然の墓参りだけ、って考えるとね)ので、仕方がないから結縁灌頂終わってからにしよう。
ってことで、壇上伽藍に戻って、ちょいと時間潰し。



で、9:20に入壇なわけですが。
えーと、案内してくれたお坊さんが、笑いを取ってくれました。「私のようなイケメンのお坊さんがたくさんいますから」って! いや、そこは笑うとこだろう! まァそこそこカッコ良かったけどさ。
っつーか、高野山のお坊さんって、全般にひょろっとしてるよね、決して頭でっかちなカンジではないはずなんだけど。「高野山顔ってあるよな」って云ってる年配の方がおられましたが、うん、何かわかる。真宗には少ないタイプだよね。もちろん禅宗とも違うんですが。
ともかくも、笑かしてもらって、いよいよ入壇。一度に30人くらい入壇するカンジ? ってことは、多分3日間(3,4,5日の3日間で、胎蔵界結縁灌頂は行われます)で2,000人くらいか……すげェ……
まずは金堂内の一角で、阿闍梨(空海じゃなくて、位としての阿闍梨ね)から三昧耶戒を授けられるのですが。それを待ってる間とか、ずーっと“南無大師遍照金剛”と唱え続けろって――どんなか!!!
っつーか、ずっと思ってることなんですが、私、真言宗の考え方は非常に好きだし、当然のことながら性に合ってもいるのですが、あの“阿闍梨、神!!!”だけはどうにもね……何か、アレ見ると、祖師崇拝は真宗レヴェルでいいかなー(名号唱えたりしないもん)って思うのですがね。阿闍梨だけ命日が縁日になってるって、ホントマジぷち仏陀だよな……あれさえなければ、そっこーで真言宗に鞍替えするんですが。き、厳しい……
そんなあれやこれやとは拘りなく、儀式はさくさく進みます。
ひとつだけ真言と印形(何の真言&印行だったかなー)を教わって、それを結び、唱えながら入壇。の前に目隠しされて、3人ずつくらいで入るのですが、結んだ印行の指先を前の人の背中に当てて、って――いや、私は先頭だったので、お坊さんに指を掴まれて入壇しましたが。
で、指の間に樒を挟まれ、「腕をいっぱいに伸ばして、ぱっと放して下さい」とか云われたのですが――いやいやいや、それで大日如来(曼荼羅の真ん中)には落ちんだろう、幾らそれ用の小さい曼荼羅でも! っつーか、二人同時に投花したのですが、二人とも大日如来はないから! あれは、結構伝統的にそうらしいのですが、しかし阿闍梨の時は違ったじゃん! (高雄灌頂記参照のこと) 誰が始めたんだよアレ! 責任者出てこい!!
……でもって、その後は非常に事務的でした。多分大阿闍梨だろうと思われる年配のお坊さんの前に進み(「はい、3番でお願いします」って)、宝冠的なものを被せられて灌頂を受け(しかし水はちょみっと)、よくわからないままに法具を掌で受け、最後に鏡で自分の姿を――ひぃ! 何か一気に現実に引き戻された感じが致しました。
いや、まァ3日で2,000人って1日700人くらいさばくわけだから、大変なのはわかるんだけどさ。わかるんだけど、入壇までが結構盛り上げすごかったから、最後の灌頂のところはちょっとアレでした。まァ、結縁灌頂だから仕方ないのかも知れないけど――しかし、昔からあんなんだったら、最澄だって怒るよね。何かもう。



外に出たら、1時間は経っており。
本当は、時間に余裕があったら、この日のうちに生身供を見に行きたかったのですが、壇上伽藍→奥の院御供所までは3km以上あるカンジで、ちょっと挫折……また明日で。
それならばと、すぐ近くの霊宝館へ。
金剛峯寺のお宝いろいろ見ましたが、印象に残ったのは阿弥陀来迎図(三幅一対の軸絵)と、萬日大師像でした。
まァしかし、この霊宝館って、益田鈍翁とか噛んでるのね。お茶畑の方で名前だけ知ってたのですが、こんなこともやってたとは……昔のお金持って、ホントに文化活動に力を注いでたのね。凄いよなァ、っつーか、今のヒ.ル.ズ族とかも、もっと文化振興に金使えよ。


それから、もちろん金剛峯寺にも参りました。
……何て云うか、桃山〜江戸初期の建物ってのは、何で廊下が鶯張りなんでしょうか。そんなに(寺の中でも)曲者怖いの?
金剛峯寺は、狩野派(だよね?)の障壁画と、あと上段の間の格天井の透かし彫りが凄かった。や、もちろん欄間とかも凄かったですがね。
途中のお茶とお菓子の接待を受け損ねたりしつつ、真然の廟前へ――屋内から、外の廟を拝むようなカンジの作り。
お参りして、台所をぐるっと見て(結構生で使ってるっぽい張り紙とかあったりして、その生活感が可笑しい――主に掃除用具とかですが)、外へ。
金剛峯寺を後にします。



空腹になったので、西利と云うカフェ? で、おにぎりセット(おにぎり2個に味噌汁がついてる)とあんぷ(麩まんじゅう的な)+抹茶を戴く。まわりは割とカレーうどんとか食べてる人多い――やっぱアレか、精進料理に飽きたとかか?
ちょっとまったりして、『奇しき〜』の続きを書いたりして(←こんなところで何てものを/笑)ちょいとまたり。
お会計後、外に出て昼休憩中の沖田番とちょこっと話す。
でもって、一旦恵光院に戻り、夕方からの阿字観体験の予約を。16:30〜だって。
じゃあそれまではと、奥の院へ。



えー、昼過ぎの奥の院は結構な明るさで、昨夜の異様な暗さが夢のようなカンジ。
とりあえず一の橋を渡って、昨夜と同じルートでGO。
まずは左手すぐ、仙台伊達家と宇和島伊達家の墓所が隣り合ってあります。でも、伊達の殿の供養塔は、もっと先にあるんだよね。
各地の大名家の御墓を中心に見て回るのですが。
昨夜脅かされた修業阿闍梨の像がありました――デフォルメされてるカンジの像ですが、何でこれが人に見えたのか。絶対おかしいんだよ、高さ的にもサイズ的にも。何かにからかわれたんだろうか――っても、昼の明るい日差しの中じゃ、答えなんか見つかるわけがねェ。
信玄の墓やら三成の墓、光秀の墓に法然上人の供養塔、覚鑁さんの密厳堂、なんかをたらたらとお参りして歩く。
“備後福山阿部家之墓”とか書いてある所にお参りにいったら、何故か前の藩主の水野家のお墓だったり――じゃあ、もっと先にあった“備後福山水野家之墓”って方が姫ん家のお墓なのか? ようわからん。玄蕃さんの主家の酒井家のお墓もありましたよ。
あ、“観世宗家之墓”ってのもあったので、音阿弥さん! とか思いながらお参りしましたよ。
あ、彦にゃんの供養塔にお参りするの忘れた――しかし、秀吉&信長&お江さん&謙信の墓参りはしてないので許して戴きたい――お願い。
途中の姿見の井戸(覗き込んで姿が映らないと、その人は三年以内に死ぬとか云う)や覚鑁坂(こけると三年以内に/以下略)を無事にクリアし、さて御廟の橋。



御廟の橋のたもとに並ぶ水向け地蔵に水をかけ(禊の代わりなんだとか)、橋を渡ります。
昨夜は触らなかった弥勒石(おもかる石的な)を持ちあげてみる。うん、持ち難いけど、上の段に持ち上がるよ。まァ、ゼクシィ(1冊4〜5.5kg)に較べれば軽いよな、とか思ったら、後で職場の人に「ゼクシィの重さは結婚の業の重さなんだよ」と云われました――納得。
でもって、ちょっと奥まったところにある歴代天皇陵にお参り。いや、嵯峨天皇に御挨拶しておかないと(以下略)。ちゃんと宮内庁の立て札が立ってますが、もちろん閉鎖されてて中には入れないので、柵の外からのお参りですが。
でもって、いよいよ燈籠堂。
たくさんの燈籠が吊られてる――っても、やっぱり永坂氏の写真のようには。
でもって、護摩木とかももちろんあるのですが――いつも(=高幡不動とか)なら何か書いて納めるんですが、奥の院護摩木には“弘法大師”とか書いてあって、とっても書く気が失せる――だって!!
普通にかるくお参りして、御廟前へ。
阿闍梨の廟の前にあるベンチ(って云っていいのかな)に腰をかけ、まったりする。いや、頭は下げなかったけど、蝋燭は献灯したよ。
うん、ぼんやりしてると、家族連れだったりお遍路だったりが絶え間なくやってきては、廟に向かって手を合わせていく――信仰のちから、なんだろうか。
阿闍梨に夢も希望も持ってない私的には、その信仰は共有できないものなのですが――でも、この信仰のちからが、何だかんだで高野山を1200年支えてきたんだよね。
30分ほどまったりして、御廟前を後に。



御供所に戻り、せっかくだからとお土産に身代守と、自分用に銀指輪(桐箱に入った、フリーサイズ)をGET。銀指輪、表には巴紋と桐の紋+“奥の院”の文字が刻まれているのですが、裏面が! “南無大師遍照金剛”って刻んであるよ! うは!
買ったはいいけどつけらんねェ、とか思いつつ、休憩所の外のベンチでまたーり。お遍路さんとか御家族連れとかが行きかうのをぼんやりと見、14:30くらいにゆるゆると戻ります。
で、15:00過ぎたのでおやつ! と、恵光院近くの焼餅屋さんでイートイン。焼餅2つにお茶がついて¥210-、安い! 自分で店内のオーブントースターであっためて戴きます。割と素朴なお味。美味しい。



恵光院に戻り、16:30になったら、阿字観道場へ参ります。
昨日からいる人は、昨日やってるものなのね――「おや、受けられませんでしたか?」とか云われちゃった……いや、壇上伽藍にいってたからね!
えーと、阿字観道場は、本堂と同じ上にありました。だだっ広い空間に、座禅に使う丸い座布団(?)がおいてある――そこにぞろっと坐る。で、講師のお坊さんが入ってこられてスタートです。
やり方としては――座布団の上にお尻をのせて、結跏趺坐(仏像の坐り方と同じアレ)や半跏坐(片方の足だけ膝上にのせる坐り方)、普通の正坐なんかで坐って、法界定印(左手の上に右手をおいて、両の親指を摩尼宝珠のかたちにする)を組んで半眼になります。
で、息を鼻からゆっくりと吸い込み、身体中に回すイメージで。で、「あー」と云う声とともに口から吐き出す。それを三回やって、そこからは自分の楽な呼吸で。
“心を素直にして”坐る、って、えーと、雑念持たないと云うことですが、苦痛も雑念なのでそれもないようにして――って、寝ちゃうよ!!!
や、疲れてる(恵光院→壇上伽藍→奥の院→恵光院って6km以上だし、独りだとあんまり休まないし)上に、こういう刺激なしで半眼で坐るって、マジで寝ます! 実際、あちこちから鼾っぽいのやら何やらが……あれですってね、座禅とかってα波が出るそうなのですが(リラックス〜)、ちょっと押すと睡眠に入っちゃうらしいですね(って、『ファンシィ・ダンス』にあったよね)。うとうとしかけつつも何とか堪え、てるうちに30分の瞑想時間終了――瞑想してねェ! 眠気と戦った30分でした。駄目じゃん。
でもアレかな、瞑想してる感じって、ちょっと美容室で髪切ってもらってる時にやってることと似てるかも――いや、私、お喋りもしないし雑誌も読まないので。まわりの気配を感じつつ、雑誌の表紙を見るともなく見てぼんやりしてる、あの感じにちょっと似てるような気が。何かあるとふっと戻るんだけど、そうでなければ電話の音も喋り声も脳の中を通過してく、ああいうカンジで自分が透明に近いカンジになる、のが瞑想に近い、のかな? 感覚って共有できないから難しいわ……



さて、部屋に戻るとすぐに夕食。
本日は抹茶味のごま豆腐、茄子としし唐の炒め煮、筍とぜんまいと若布の煮たの、てまり麩のお吸い物とうどん、デザートはキウイでした。
夕食後、ちょいとまたーりとして(この日は、隣室は無人――明日、平日だからね)、9時前に風呂。
お風呂で話しかけてきた御婦人は、旦那さんを亡くされて、お参りしたい気持ちになって高野山へ来られたそうですが――
そうね、毎日話してた人がいなくなるって、辛いよね。
私はまだそういう相手を亡くしてはいませんが、沖田番を失った後のことはよく考えます。いずれなくすことはわかっているので、よくその後のことを思うのです。
例えば、例のタイムライン、「先生と阿闍梨と佐殿と鬼とハドリアヌス帝は、同じ魂の核を持ってる!」って云って、「そうですよねェ」って即座に納得してくれるのは沖田番ひとりだ。考えに行き詰った時に、抜け出す道を示してくれるのも沖田番一人しかいない、そう云う相手を失ったら、そののち、こう云う話はいったい誰としたらいいんだろうか――誰もいない。
でも、生きていかなくてはならないんだ。沖田番の代わりはいないけれど、そのかけらでもまわりの人の中に見出して、とにかく生きなければならないんだよ。
そう云う意味では、阿闍梨なんかは幸せだったのかもね、智泉と阿刀大足は亡くしたけど、でも実慧や泰範はいたんだもの。フランスに行った後の先生は孤独だったろう、サライを傍から離したから。まァでも、だから先生、あれ以上長生きしなかったんだろうけどね。メルツィがいても誰が居ても、魂の半身をなくすってのは痛手だ。はじめからいなければまだ何とか耐えられても、一度得てしまったら、辛いですよ。
でも、なくす覚悟はしなければならない。そうやって生きていかなければ。



淋しくなっちゃったので、部屋に戻って沖田番に電話。隣りに人がいないと、こう云う時気を遣わなくていい。
ちょいと血の気も足りないので、たらたら喋って、11時には撃沈。
明日こそは生身供〜。


† † † † †


2日目はこれにて終了。
最終日に続きます。