狂恋

男×男の性的描写シーンが出てきます。閲覧の際は、自己責任でお願い致します。



 紙片の落ちる音が、耳朶を打った。
 見れば、脇息に寄って書状に目をとおしていたはずの鎌倉殿の手のうちから、当の書状がすべり落ちている。
 鎌倉殿はと云えば、書を読む姿勢のままで、こくりこくりと舟をこぐ風情である。
 ――お疲れであるのだな。
 無理もない、と思いながら、大江広元は、鎌倉殿の肩にそっと袿を着せかけた。
 伊豆の地で挙兵してから五年、鎌倉殿は、その勢力の保持と拡大、そして御家人たちの統制と朝廷との折衝に力を注いできた。
 広元は、そのはじめから鎌倉殿と行動をともにしてきたわけではない。三年ほど前に、義兄・中原親能や、既に鎌倉に下向していた三善康信――かれはもともと、鎌倉殿の乳母の甥であった――などの勧めによって、こちらに下ってきたのだった。
 ちょうど、京でのつとめに嫌気がさしていた――従五位下、安芸権介と云う官職など、吹けば飛ぶようなものでしかない――ところでもあり、運だめしのような気分で下向してきたのだったが。
 ――中々やりがいのある仕事に就けて、幸いではあった。
 と思える程度には、あの時の選択は正しかったのだろう。
 昨年、鎌倉殿が政所と公文所を開いた時、広元は政所の別当に任じられた。
 関東近隣の武士を統括する鎌倉殿の、政を司る政所の長、と云えば、京においては左大弁あたりにでも相当するだろうか――むろん、“政所”と云うものは、公卿の、荘園管理などにあたる役所のようなものであったから、三位以上の貴族であれば皆開けるものではあったのだが、
 ――何しろ、ただの“政所”とは規模が違うからな。
 “鎌倉殿”の“政所”は、所領からの租税の徴収のみならず、公事――つまりは訴訟ごと――の一切をも取り扱う。そこには、東国武士たちから、所領の境界問題から相続、果ては些細な喧嘩の仲裁まで、あらゆることが持ちこまれるのだ。
 鎌倉殿は、そのすべてに目をとおし、公事なども自ら決裁している。疲労するのも当然のことだった。
 この春、西海・壇ノ浦にて平家が滅び、これで鎌倉殿の肩の荷もひとつ減った――と思いきや、平家掃討の功を賞すなどと云う甘言に乗り、勝手に朝廷の官位を得たものが出、それに対する譴責などで、また負担が増え。
 挙句が、実弟たる九郎義経の、一の院による抱えこみである。義経は、平家掃討の功によって、検非違使庁の尉から左衛門尉へと職をかわっていた。
 むろん、左衛門尉――位官としては、従五位下でしかない――など三等の官であり、鎌倉殿が配流前の幼少期に得ていた右兵衛佐――“佐”は二等の官である――よりも低く、まして鎌倉殿が無官とは云え二品となった今となっては、まったく歯牙にもかからぬ官位でしかない。
 だが、鎌倉殿にとっての問題は、官位の軽重などではなく、実弟である義経が、恩賞の官位についてはすべて鎌倉殿を通じて朝廷に奏上すると云う取り決めを破って、直接に院から官職を受けた、そのことに他ならなかったのだ。
 ――九郎殿も、わからぬ方だ。
 兄である鎌倉殿が、何故、朝廷から直接官職を得てはならぬと厳命したか、その意図をまったく理解していないのに違いない。
 武士が、朝廷の走狗ではなく、ただ荘園の管理者と云うでもなく、確固とした所領の主として公に認められるためには、個々に朝廷と対峙したのではうまくゆきはしないのだ。大勢がひとつにまとまって、大きな組織として、朝廷と相対してゆかねばならぬ、そのためには、足並みの乱れこそが最も忌むべきものとなるのだ。
 であるにも拘らず、武家の棟梁たる鎌倉殿の実弟が、まっさきに朝廷から官職を得たとなれば――御家人たちのなかからは不満の声が上がることだろう。悪くすれば、せっかく築き上げた“武士による武士のための政”の基盤が、脆くも崩れ去ることになるやも知れぬのだ。
 義経が、兄である鎌倉殿の激怒のわけを理解していないことは、先だって広元が受け取った書状からも明らかだった。
 義経主従は、鎌倉殿の命により、平家の総大将である平宗盛・清宗父子を鎌倉へと送り届けるために、この五月、関東入りしていた。しかし、鎌倉へ入ることは許されず、目と鼻の先である腰越で足止めされたまま、つい先日の六月九日、宗盛父子を伴って京へと戻っていったのだった。
 腰越に留められていた義経は、鎌倉殿へのとりなしを求めて、切々とした書状を広元に送ってよこしたのだが――
 ――わからぬ方だ。
 身内であればこそ、朝廷から勝手に任官されたことが許せないのだと、何故義経は理解しようとしないのか。
 鎌倉殿が確立しようとしている武家のための政権を、弟である義経が率先して揺るがした、そのことに対して鎌倉殿は激怒したのだと、何故気づこうとしないのか。
 それで自らの功を誇り、血の繋がりを言上げしたところで――火に油を注ぐことにしかならぬのは、知れたことではないか。
 あの書状が、義経本人のものであるのか、あるいは主の意を汲んだ家人の誰かが考えたものであるのかは定かではないが、いずれにせよ、そのものは、鎌倉殿の真意を全く理解してはいないのだ。
 ――お気の毒なことだ……
 疲れたような面ざしの鎌倉殿を見つめ、溜息をつく。
 義経のみならばまだしも、やはり母の異なる蒲冠者・範頼や、阿野全成なども、鎌倉殿の思うところなど知りもせぬままに、ただ己の地歩を固めることにのみ意を注いでいるように見える。
 武家のための政を目指す鎌倉殿にとって、弟たちの身勝手なふるまいは、足を引っ張られているに等しく感じられているだろうことは、想像に難くなかった。
 ――何とか、力になって差し上げたいものだが……
 しかし、何と云っても一族の内のことである故に、広元などが口を出してどうにかなるというものでもない。歯痒いこと極まりなかった。
 と、脇息に寄っていた鎌倉殿の上体が、大きく揺らいで倒れこみかける。
「殿!」
 慌てて支える広元の胸許に、鎌倉殿の顔が押しつけられる。かすかな寝息が耳をくすぐり、広元は、何ゆえにか、胸の底がざわりと波立つのを覚えていた。
「殿、きちんと寝床にお休みになられませ」
 それを抑えこみながら、完全に預けられてきた身体を抱え直す。
 と、白く細い首筋が目に入り、ざらりとどこかを逆撫でにされたような心地になった。
 腕の中の身体は広元よりも小柄で細く、とても荒くれた坂東武者の棟梁のものとは思えぬほどだ。
 むろん、鎌倉殿が柔弱な平家の公達とは異なっていることは良く良く承知していたし、弓を引く腕の強さや、それに見合った気性の激しさも、傍にあって身に沁みて感じている。
 だが、いつもは厳しく鋭い双の眸がこうして閉ざされているだけで、ひどくいとけない風情になることに、驚きとともに、何やらあやしげな気分を感じてしまうのだ。
 かつて幼少のみぎり、鎌倉殿は一の院や二条帝などに寵愛されたとは聞き及んでいたのだが――なるほどと思わせるものが、年を経た今も、片鱗を残しているのかも知れなかった。
「――殿」
 お風邪をお召しになりますぞ、と云ってみるが、夢うつつであるものか、曖昧な声が返るばかりだ。
 どころか、鎌倉殿はひどく無防備に、広元に身体をもたせかけてくる。
 ざらり、とした心地が、さらに大きくなった。
「――殿……」
 ここで眠られてはなりませぬ、などと云いながら、衣の合わせ目に手を滑りこませ。
「――……殿」
 呼びかける声は、もはや吐息のようだった。
「殿、お目醒めになりませぬのか……?」
 衣をくつろげ、その肌に唇を、舌を這わせる。
 それでも、鎌倉殿は目醒めようとはしなかった。
 そのことが、広元のなかの何かに火を点けた。
 眠る人を、床の上に横たえる。
 衣を大きく肌けさせ、袴の紐をも解いてやる。
「殿……」
 ひどく、この人が欲しかった。
 武都・鎌倉の主、坂東武者の頭たるこの人の、時折見せるいとけなさが、そのような心を起させるもとであったのかも知れぬ。眼光ひとつで歴戦のつわものをも黙らせる、そのような人が、時に天涯孤独の子どものような顔をする。
 それを、抱きしめて守りたいと思うのかも知れず、また――押しひしいで己がものとしたいと思うのかも知れなかった。
「――殿がお悪いのですぞ」
 胸許に唇をつけ、指を這いまわらせてやりながら、広元はそう囁きかけた。
 そうとも、鎌倉殿が悪いのだ、自分の目の前で、このように無防備な姿を晒すから。
 唇の、舌の、指の触れる肌は、武家の棟梁に相応しく引き締まったものであったが、御家人たちのそれよりもむしろ京の公家に近いなめらかさと肌理の細かさがあり、触れる広元を楽しませてくれる。
「――殿」
 肌のすべてに己を刻むように、接吻と愛撫をくり返す。二の腕の内側の、内腿のつけ根の、肉の意外なやわさとなめらかさに、己自身が昂ってゆくのを感じる。
「――殿……」
 熱い吐息が唇からこぼれ落ち。
 滾る己の欲望を、下肢を絡ませ押しつける。
 と、
「――ッ……!!」
 鎌倉殿の身体が跳ね上がった。
 その眼がやにわに見開かれ、己の姿を知った、と思った次の刹那、顔色が一気に白くなる。
「――い…厭だ……」
 震える唇が、拒む言葉を紡ぎ出す。
「いやだ、いやだ――広元、止めてくれ……」
 弱々しい腕が、広元の胸を押してくる。
「何をおっしゃるかと思えば」
 広元は、熱い息を吐き出し、己の欲望をさらに強く押しつけてやった。
「かようになった男は止められぬものと、ご自身でもおわかりでございましょうに――子どものような戯言を」
 鎌倉殿の顔は、白をとおり越して青くなった。
 小さく歯が鳴り、双眸には澄んだ滴がこぼれんばかりになっている。
「――いやだ……」
 呟くように云う唇をふさぎ、震える舌を絡めとる。
 それでも鎌倉殿は、拒むことを止めようとはしなかった。
「――っやだ……厭だ、厭だ、いやだ……」
 咒言のように、そう唱えれば広元の動きを止めることができると信じるかのように。
 くり返して、呟く。押しのけようとする腕、震えて、力もない。
「いやだ……いやだ、いやだ、広元……」
「私を怖う思われまするか」
 首筋にかるく歯を立てながら、問う。ああ、このまま鎌倉殿を貪り喰らい、永遠に己ひとりのものとしてしまえたなら良かったのに。
「こ、こわい……」
 鎌倉殿は、うまく舌がまわらぬものか、子どものような声音になった。
「こわい、こわい…いやだ、いや、やめて……ひろもと、後生だから……」
 涙まじりの声。
「――そうは申されましても、もはや止まりませぬ」
 己の笑顔が鎌倉殿の目にどう映ったものか、広元にはわからなかった。
 涙をためた双眸が大きく見開かれ、両の腕ががむしゃらに広元を押しのけようとする。
 抗うその身体を、広元は、返して床に組み敷いた。
 男の身体のどこをどうすれば良いかなど、同じ身体であればよくわかっている。
 指を、爪を、舌を、唇を、全身を使って弄ってやれば、
「――いや、だ、ぁ……ッ……!」
 鎌倉殿からは、むせび泣くような声。
 指が虚しく床を掻く、その様を可愛らしいものと感じながら、広元は、鎌倉殿を追い上げて云った。
「や、いやだ、いやだ、いや……!!」
 恐怖の響きに艶色がまじり、身体の震えが怖れ以外のものを見せ――
 やがて、
「……ッぁ――……!!」
 大きく身体を波打たせ、鎌倉殿は気をやった。と思うと、その身体がずるりと崩れる。どうやら意識を手放してしまったものらしい。
「――殿……?」
 ほぼ同時に気をやって、大きくひとつ息をつき、広元は、鎌倉殿の顔を覗きこんだ。
 頬に、涙の跡が見える。かすかに開いた唇、泣き疲れて眠ってしまった子どものような。
 ――想いを遂げることは叶わなんだか……
 最後まで完遂することができなかったのは、鎌倉殿のあまりの怯えように、心が萎えたところがあったからであるのかも知れぬ。
 ――ともあれ、皆にわからぬように繕っておかねばなるまい。
 武家の棟梁たる鎌倉殿に、家臣が無体を為したなど――鎌倉殿の権威に傷をつけかねぬことだ。
 しかし、元より衆道嫌いで知られる鎌倉殿のこと、疑念を持つものなどありはすまいが。
 それにしても、
 ――随分怖がらせてしまったか……
 あの鎌倉殿の泣きじゃくる声が聞けようとは。
 だが――この無体によって、自分は職を失うことになるやも知れぬのだ。
 愚かなことをした、とは、思わぬでもなかったが、しかし、悔いる心はありはしなかった。
 鎌倉殿は、知れば良いのだ。自分のことを皆がどれほど欲しているのかを――武家の棟梁としても、それ以外としても。
 広元のみではない、三浦介義澄も梶原景時も、安達盛長三善康信も、皆が鎌倉殿を求めているのだと。
 ――あなたが望むのであれば。
 五生の先の、その先までも、鎌倉殿のために生きるのに――もっともその時には、鎌倉殿は“鎌倉殿”ではなくなっているのだろうけれど。
 衣を整えてやりながら、広元は、誓いを刻むように、眠る人の首筋に小さな紅を刻みつけた。



 広元が鎌倉殿に呼ばれたのは、それから数日あって後のこと。
 あれ以来、顔を合わせることすら避けられていたような有様であったので、いよいよ職を失うか、と思いながら、その御前に進み出たのだったが。
「――広元よ、お前は確か先年の秋に、朝廷より因幡守の職に任じられておったな」
 脇息に寄った鎌倉殿は、いきなりそう切り出してきた。
「……はい、確かにそのとおりではございますが」
 面食らったまま、広元は頷きを返した。
 因幡守に任じられたのは昨年九月のことで、もうずい分前の話になる。その時は、鎌倉殿は配下の昇進を喜んでいたし、それは、今年春の、正五位下への叙位の時も同様であったのだ。
 それなのに、一体どうして、今更その話を持ち出してくると云うのだろうか。
 鎌倉殿は、じっと広元を見据えている。
「――今、儂が、“鎌倉殿”を通さぬ叙位叙目を禁じておるのは承知しておるな? ……ところで、お前の“因幡守”は、儂が上奏しての叙目ではない」
 何が云いたいか、わかるな? ――鎌倉殿のまなざしは、そう問いかけてきていた。
 広元は、瞬間、呆気にとられ――ついで、笑い出したい気分になった。
 ――この方は。
 鎌倉殿は、単に拗ねているのではないか。
 否、拗ねていると云うよりも――これはまるきり、先日の広元の為した狼藉に対する仕返し、あるいは嫌がらせのようなものではないか。
 武家の棟梁たる鎌倉殿が、このような子どもじみた仕返しをすることに、笑いがこみ上げてくる。
 だが、
「……では、免官の願いを奏上致しましょう」
 躊躇なく、そのように云う。
 むろん、この程度のことで、鎌倉殿に対する心が揺らごうはずはなかった。
 意外な返答であったものか、すこし驚いたような顔になる鎌倉殿の首筋には、まだ薄く残る、紅の刻印。あと数日すればすっかり消えてしまうほどの、はかない紅にまなざしを注ぐ。
 刻んだ紅はいずれは消える、だが、刻んだ心は消えはしない。
 ――あなたがそう望むのであれば。
 朝廷の官職など、いくらでも投げ打とう。
 ――それしきのことで、あなたの傍に留まれるのであれば。
 官職ひとつ投げ打つなど、安いものではないか。
「鎌倉殿の権威に傷をつけるようなことは許されませぬ故、それしきは当然のことにございましょう」
 ――あなたが望むのであれば。
 そのとおりに振舞ってみせようとも。いつまでも“鎌倉殿の腹心”としてあるために。
 渋い顔になる鎌倉殿に、にこやかに笑みを返し。
 広元は、鎌倉殿の配下に相応しい、慎み深い態度で頭を垂れた。



 子どもの笑い声が、木々の間に響いている。
 あれからどれほどの時が過ぎたものか、夢うつつのようでわからないのだが――千年は、まだ経てはいないように思う。
 千年――その間に、様々なことがあった。鎌倉殿が薨じ、源氏が滅び、朝廷と鎌倉の戦いがあり、鎌倉の幕府そのものが倒れ――また幾たびかの戦いがあり、平穏な日々があり、さらに大きな戦いがあった。人は移ろい、街もまた移ろっていった。
 それらのことどもを、広元は夢うつつの中で見てきたのだ。
 むろん、己の身体がもはやないことはわかっていた。千年に近い時を、神仙でもないただびとが生き続けられるわけもなし、そもそも己が死んだ時のことも憶えている。この身が生者のそれでないことなど明らかだった。
 このながい歳月を、まどろみに浮き沈みしながらも、この場所に留まってきたのは、ただ“鎌倉殿”にめぐり会うためだった。
 めぐり会うと云っても、鎌倉殿が、かつてと同じ“鎌倉殿”でないことは重々承知の上だ。“鎌倉殿”は薨じられた――亡くなるまでの半月の間、よく枕頭に参じては、病の平癒を祈っていたのだが――遂に目を醒まさぬままに、鎌倉殿は五十三年の生涯を閉じたのだ。
 人の魂は輪廻するのだと云う。幾たびか生まれ変わり、死に変わり、そうして三劫の時の彼方で、遂に仏となるのだと。そうであれば、輪廻に身を投じることなく“この場”に留まり続ければ、いずれ“鎌倉殿”にめぐり会えることもあるのではないかと、そのように考えたのだ。
 もはや幕府もなくなって久しいこの土地に、しかし、人は途切れることなくやってくる。御所のあった地には子どもの集まる建物が建てられ、その子らが時折、裏の山を駆け回る。すこし西には鎌倉殿の墓所があり、まばらに人が参じているようだ。もっと向こうの八幡宮には、恐ろしいほどの人気が感じられる。かつて御所があったそのころに、鎌倉の地に集まったよりもなおたくさんの人の気配が。
 その中に“鎌倉殿”があったとしても、あの多さでは、とても見分けなどつかぬに違いない。広元のいるこの場所まで、あるいは近くの“鎌倉殿”の墓所あたりまで、その人が来てくれたなら――その気配を間近に感じることができたなら、広元にはすぐに、それが“鎌倉殿”だとわかるのだが。
 ――なかなかに、うまくことが運ばぬものだ……
 溜息まじりに思う。
 だが、既に千年近くを待ったのだ、これ以上待てぬと云うこともないし、待てば“鎌倉殿”が訪れることとてもあるやも知れぬのだ。
 ――仕方がない、まだまどろんでいるとするか……
 眠るような時の流れの中に沈もうとした、その時。
 ――これは……!
 広元は、ひどく懐かしい気配に、顔を上げた。
 待っていた人が、遂に現れたのだ。その人の気配が、己の留まる場へ至る石段を上ってくるのがわかる。
 “鎌倉殿”だ――否、ひとりではない、もうひとつ見知った気配、隣りを歩む、これは“義経”のものではないか?
 ふたりは、何かを語りながら、石段を上へと上がってくる。かつてのように仲違いしているのではない、このふたりは、親密な関係にあるようだ。囀るように“義経”が語り、“鎌倉殿”がそれに相槌を打つ――かつて、かれらがかくあれかしと望んだような穏やかさ。
 と、“義経”が顔を上げ、こちらを見据えたように思った。
 そのまなざしに応えるように、
「――ああ、そこにいたのか」
 笑みを湛えてそう云いながら。
 広元は、身を乗り出すように、懐かしいかれらを手を広げて出迎えた。


† † † † †


鎌倉話――予告どおり、カジキマグロ=大江広元と佐殿のあれやこれや。
また7,500文字とかだよ……
今回も、前に夢で見たのをアレンジしてるカンジで。


えーと、ちなみにカジキマグロは完遂(……)してないですよ。
完遂してないのに官職返上って、酷いような気がしないでもないですが、しかし、この当時の男色ってのは、身分の高い方が攻なので、カジキマグロは部下で歳も下(佐殿の方がひとつ上)だって考えると、例の悪左府殿をひっくり返した義賢みたいな感じなんですよね……無礼ってことになるよね……
とりあえず、カジキマグロの官職返上は、実際に腰越状の直後にされてます。官位が進められたのも、叙目があったのも文中のとおりでございます――それで、あの時期に官職返上って、何か微妙だよね。別に例の平家掃討のあれこれとは、カジキマグロの叙目は関係ないわけだし、駄目なら駄目ってもっと早くに云ってたら良かったのに。
とか、官職は辞したけど、位階はそのまんまだよね、ってことを考えると、これはどう見ても、佐殿のカジキマグロに対する嫌がらせかなー、と。それ以外に考えられないですよねェ、ねェ?


そう云えば、例の『東大寺辞典』(東京堂出版)、名古屋の店でコゲついてた(だって、棚番が“店用ストック”って……!)のを買ったのですが。
聖武天皇や困った阿闍梨はもちろんなのですが、佐殿の記事も当然あり(重衡に焼き打ちされた後の大仏殿再建で、佐殿が大施主だったからにゃ)。
そこの中に、「承久の乱の時、後鳥羽帝が東大寺の僧兵を徴用しようとしたけど、東大寺側は“平家に焼き打ちされたのを佐殿が救ってくれたので、源氏に肩入れしたいから、僧兵全部は出しません”と云ってそのとおりにしたので、結局後鳥羽帝は勝てなかったのだ」と云うようなことが載ってました。ふふ、何だ、承久の乱の勝敗も、結局は佐殿の影が色濃く落ちてるのね、と思ってしまう……ふふふふふ。


あ、そうそう、こないだまたも鎌倉に行ってきたのですが(今回は、山南役に覚恩寺の腕守りを戴かせました――“君”だったよ。「人を敬いなさい」だそうです/笑)。
例の“よしときさん”(今回は、ゴミはなかったよ)、近くの藪の中にやぐらを発見しました――但し、ちょっと高い位置にあったのと、藪が繁ってるのとで、中は覗けませんでしたけどね。
あの位置とかアレコレ考えると、藪の中のやぐらが元の墓で、元ゴミ溜めが改葬後の墓なんじゃないかと――やっぱ、カジキマグロの墓を整備するあたり(安政五年にあそこの石灯籠は建てられてますからね)に、ついでに改葬されたんじゃないのかなァ……
長州藩的には、カジキマグロは藩祖の先祖だけど、義時は赤の他人(カジキマグロの地位=政所別当、を考えると、特に義時=当時は佐殿の親衛隊、を重んずる必然性も感じなかったろうし、そもそも北条氏自体が滅んでるし)なので、改葬してもあの程度の扱い、ってことになったんじゃないかと。
そんなカンジに愚考するのですが、如何なもんでしょうかのう?


さてさて、この項終了。
次はルネサンス、パチョーリ師登場、か?