北辺の星辰 62

「――市村君を、お出しになったそうですね」
 自室へ戻った歳三をそのような言葉で迎えたのは、どこか苦さを含んだ表情の島田魁だった。
「……早耳だな」
 歳三が苦笑すると、
「よもや、市村君がおとなしく出されるままになるとは思いもしませんでしたよ」
「まァ……“おとなしく”たァいかなかったなァ」
「あぁ」
 やはり、と云う顔で、島田は頷いた。
「子どもらもお手許から離されて、これで心おきなく出陣なさることができると云うわけですな」
「――まァな」
 確かに島田の云うとおりだ。
 頑固な市村鉄之助は、アルビオン号の松木に託して箱館を落ち延びさせ、愛嬌があって人好きのする田村銀之助は、榎本総裁付の小姓として己の下から出した。もうひとりの小姓、玉置良蔵は既にこの世になかったから、歳三の下にいた小姓たちは、これですべて、何らかのかたちで手離したことになる。
 この後すぐに箱館を出立して、二股口へ赴かねばならぬ――その前に、小姓たちの身の振り方を決め、それなりの手を打つことができたのは、歳三にとって、幸いと云うべきことだった。
「確かに、これで心おきなく発てるってェもんだ。安富が戻ったら、早々に発つ」
「では、私どもも出立の準備を致しましょう」
 島田のその言葉に、歳三は眉を寄せた。
「まさか……おめェも同行するつもりでいるのか?」
 そう問いかけると、島田は驚いたような顔になった。
「当然でしょう。我々が行かずして、誰が身辺をお守りするのだと?」
「今度の出撃は、伝習隊の大川さんを副官として連れていくんだ。新撰組をそう際立たせたくはねェ。安富だけを連れていく」
 安富才助は、陸軍奉行添役であったから、歳三の副官のひとりとして連れていく分には、特に問題もなく他隊――今回は伝習隊、衝鋒隊、砲兵隊――にも受け入れられるだろう。
 だが、島田の例の“守衛隊”を連れるとなれば、古参の新撰組隊士からなる組だけに、他隊との軋轢が生じぬとも限らない。
 歳三としては、そのようなことで、前線に立つ兵たちの間に揉め事を起こしたくはなかったので、安富一人を伴うことに決めたのだったが。
 案の定、
「安富先生は、算術には秀でておられるが、武術となると心許ないではありませんか!」
 島田は、不満そうにそう云ってきた。
「それを補うためにこそ、我ら守衛隊があるのではありませんか! それを、何ゆえ遠ざけようなどと……」
「おめェらがいると、俺が他隊の連中の手腕を疑ってるように取られちまうからだ」
 強い調子で歳三は云った。
「他隊の連中では身辺が危ないと、そう思ってるように取られちまうからだ。――確かに、おめェらの方が実戦慣れしているし、心強く思うところもあるさ。いや待てって」
 口を挟もうとする島田を制止する。
「確かに、俺ひとりの身のことだけ考えれば、おめェらがいた方がいいに決まってる。だがな、戦場で、俺に信じられてねェと、部下に思われたらどうなるか――おめェだって長いんだ、わかるだろう?」
 歳三の言葉に、島田が沈黙した。
 そうとも、島田はよくわかっているはずだ。京洛で不逞浪士相手に闘っていた時に、身に沁みてわかったはずだ。
 ともに戦場に立って生き延びるためには、信頼こそが絶対に欠くべからざるものなのだ。
 まして、幕軍は装備も薩長軍に較べて古いものが多い。その穴を補うためには、士卒との信頼こそが絶対の条件だった。
 だが、島田ら“守衛隊”を伴うとなれば、それは自分たちを心許なく思っている故だと、伝習隊や衝鋒隊のものたちは受け取るだろう。そうなれば、歳三と士卒との間に溝が出来、それがやがては部隊そのものの崩壊を招くことにならぬとも云い切れぬのだ。
 であるからには、島田たちを連れることなく、伝習隊や衝鋒隊のものたちを身辺に置く方が、部隊としてのまとまりは維持されるだろうと、そのように歳三は考えたのだ。
 それに、
「……それに、相馬のこともある」
 歳三は、弁天台場の守備を任せた相馬主計の名を上げてやった。
「わかってると思うが、相馬は、宮古湾から戻ってから、ちっと意気消沈しているようだ。あいつにァ弁天台場を任せたが、守備隊長があんまり沈み込んでるようじゃあ、台場全体の士気にも関わる。おめェには、あいつの傍にあって、何とか支えてやってほしいんだ」
 僚友・野村利三郎を宮古湾海戦で失ってのち、相馬は鬱々としているようだった。
 むろん、歳三にもその気持ちはわからぬでもなかったが、しかし、今は戦時であり、実際に薩長軍に蝦夷地上陸を許してしまっている時でもある。いずれ負けるにせよ、今ばかりは心を奮い立たせて戦わなくては、実際に敗北した後に、わだかまりを残すのみになるだろう。
 沈み込んでいる相馬を、島田であれば、何とかすることができるのではないか――それは、あまりに楽天的な望みであったかも知れぬ。
 だが、島田は池田屋事件前からの古参の隊士であり、年齢も歳三よりも上で、地位こそ伍長以上に上がることはなかったものの、他の隊士たちからは頼りにされることの多い男であった。実際、京にあった頃には、野村や相馬も、島田に何かと相談することがあったと聞いている。そのような島田が傍にあれば、相馬も、何とか立ち直ってくれるのではないかと思ったのだ。
 否、相馬だけではない。
 現在の新撰組の大半を占める、桑名、唐津、松山出身のものたちは、先日の主の箱館退去によって、取り残されたような心地になっているだろう。籏下に入れずとも良い、ただ同じ戦場に立つことができればと、そう思い定めて蝦夷地までやってきたものたちである故に、主に去られたその消沈ぶりは、哀れなほどでもあった――その三藩のものたちを、世知に長けた島田であれば、あるいは慰め、力づけることもできるのではないか。
「だから、おめェには、弁天台場へ行ってもらいてェんだよ」
 二股口へ出撃せねばならない歳三の代わりに、島田にかれらの支えになってもらいたいのだと。
 そう云ってやれば、島田はしばし沈黙し、やがて、半ば渋々とではあったが、頷きを返してきた。
「……土方先生が、そこまでおっしゃるのであれば、已むを得ません、弁天台場へ参ることに致しましょう」
「そうしてくれるか」
 歳三は、ほっと安堵の息をついた。
「おめェがついてやってくれるんなら心強い。向こうのことは任せたぜ」
「お傍にあれないことは心残りですが――必ずやお心に沿うようにお役目果たしましょうぞ」
 島田の言葉に、ただ頷く。
 これで、気がかりのいくつかは、解消とまではゆかずとも、かなりかるく感じられることになった。
 島田は、そう云う意味では、きっちりと己の役目を果たしてくれるだろう。かれは、そうと決めれば仕事を任せるのに不足のない人物ではあるのだ。ただ、あまり大役を任されるのを嫌うのと、特に昨今、歳三の傍を離れたがらないのが難であると云うだけで。
 そうこうしているうちに、
「――戻りました」
 安富が帰ってきた。
「市村君は、無事に松木殿とともに、アルビオン号に乗り込みました」
「そうか」
 安富がそこまで見届けてくれたのなら、ひとまずは安心だ。
 これで、本当に心おきなく二股口へ出ることができる。
「――それじゃあ、出立するとしようか」
 佩刀を手にした歳三に、安富と島田は、それぞれの表情を滲ませながら、頭を垂れてきた。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
さていよいよ二股口!


えーと、何か『全史』(新人物の方ね)を出すのが面倒になってきたので、相変わらずの歴読箱館戦争特集号を参考にしてます――気合ができたら、『全史』出すかも。……とりあえず、『日誌』の下巻は出してきた。
しかし、二股口に実際に行ったことはないので、この先いろいろ不安かも……いやまァ、アヤしげな記憶の糸を手繰れば何かいけちゃうような気はするんですけどね(苦笑)。
とりあえず、島田がね……島田もある意味鉄ちゃんと変わらんよな……


そうそう、駄目な阿闍梨のせいで手狭になってきた(←今にはじまったことじゃあないのですけどね/苦笑)ので、思い立って、新撰組関連資料をかなり処分しました。っても、新人物の『全史』と各資料集、日誌、子母澤寛の三部作とかはもちろん残してますが。
ちょうど、新しく入って来た子が新撰組スキーさんなので、まるっと貰ってもらうカンジで。小説も貰ってくれるそうなので、更に場所ができるぞ! (嬉)
しかし、出来たスペースがすぐ消滅するってのはどうなのか……阿闍梨の全集が欲しい(全巻セットがあったのよ……)のだが、買うと出来たスペースがね……しかし欲しい……
っつーか、ブクログ見て戴ければおわかりのとおり、既に資料+読み物系だけで600冊越えてるんだよね……ところで、まだ思想・哲学系や心理学関連書、文芸評論、普通の小説や漫画は含めておりません。密林にない本とかは登録されてないので、資料系もこれだけではありません。
うふふ、ホントに丈夫な家で良かったわ……


そうそう、例の『新マンガ日本史』、暴れん坊将軍の巻の絵が結構好きなカンジだったので、芭蕉(←描いてる漫画家さんが好きなのです)とかと一緒に買ってしまいました。
ふふ、アオリに“圧倒的な政治力”とか書いてあっていい気分だったのですが。
しかし、政治力の凄いタイプって、人物史としてはイマイチ面白味に欠けるんだよね――御堂関白殿とか佐殿とか太子とかもそうだよね……
とりあえず、このシリーズは、あと杉をGetすればいいかなー、と。
っつーか、どうなんだろう、第三弾、あるいは世界史編とかあるんだろうか……


この項、終了。
次は困った阿闍梨の話、ラスト!