久々に。

書評って云うか、ここ暫くで読んだ本の感想とか。ま、小説メインですけどね(漫画の乏しい時代区分だからね……)。
ちょこちょこ書いてたのの取りまとめっぽいカンジになりますが。

まァ、阿闍梨の話ってったら、まずはこれでしょう。
しかし、司馬遼にしても書き方が迂遠と云うか、小説と云うよりは考察っぽい。しかし、割と生身の阿闍梨に近いノリなんじゃないかと思います。
でも、まァ阿闍梨の書き方はアレとして、最澄がさ……何か司馬遼、最澄の方が好きなんだろうなァと思います(ま、あとがきでもそれっぽいこと書いてたけどね)。っつーか、何かと最澄庇い気味だよね! “時候の挨拶をくだくだと冒頭にかく形式がまだこのころ成立しておらず”とか、最澄の最初の書状(=“借請法門之事”)について書いておりますが、しかしその後の最澄の手紙には“伏承垂書。深慰下情。……”とかあることを考えると、そもそもかなり失礼な手紙だったはずなんだけど、その辺するっとスルーなのね。
阿闍梨、凄いけど非道い”って云う今の一般的なイメージの半分くらいは、実は司馬遼が作ったんじゃないかと思いますよ……
でも、面白いのは事実。やっぱり勘違いとか創作とかも結構あるけど、まァ中では良くできてる話。流石。

かわってこちらは最澄の話。
とりあえず、永井路子は意外に乙女だと云うことがわかりました――いや、あの、“乙女ロード”“乙女ゲー”的な意味でね……まァ、北条義時に関しても、そう云う向きは見えてたんですけどね……
最澄について思い入れが過ぎると云うか、“最澄桓武を愛していた”とか書いちゃってたりとかね……いや、わかるんだけど、ただ、最澄を美化しすぎてると思いましたわ。あと桓武もね(桓武きらーい)。
だってさ、例の理趣釈借経の件のところとか、“上山春平氏の見解に肯首するところはある”とか書いてるくせに、“視点をずらせて考えてみたい”とか云って、最澄がいかに生真面目で人がいいかを強調して書いてるってのは――あばたもえくぼとは、まさにこのことですね(笑/ちなみに上山春平氏は、最澄があまりにも虫が良く、また無神経に、“法臘の長けた自分に経を貸すのは当然”的な態度で借経を要請していたので、理趣釈の件で遂に空海がキレたのだ、と云う説を唱えている)。
最澄も理解しなきゃダメかな、と思って読んだのですが、却って(最澄支持者もひっくるめて)嫌い度が上がっただけだったと云う……女子は所詮は女子でしかないのか。と思ってしまいました(←って、一応自分も女子……)。
最澄(特に、桓武最澄)好きの人にはいいんじゃない?

阿闍梨入唐から帰国までに絞って描いたお話。やはり、古代(?)中国と云えばこの方でしょう。
阿闍梨の性格は穏やか過ぎないか? (とても理趣釈の一件で、例の手紙を書くような人には思えない……)とは思うのですが、しかし、阿闍梨在唐時の長安の風景などは、この話のが一番くっきりと思い浮かべられるような気がする、のは贔屓の引き倒し?
最初図書館で借りたのですが、面白かったので結局自分で買ってしまったと云う――まァ逸勢が結構みっちり出てるのと、あと般若三蔵がいいキャラ!
結構、閻済美とか馬超とか、司馬遼も出してた(つか「御遺言」に出てくるんですけどね)史実の人物が噛んできたりとか、当時の長安の政治的なアレコレの中心人物が出てきたりとか、読みごたえは充分です! で、阿闍梨がそれに多少絡んでいったりとかね……よくできてますよ!
後述の獏さんの話を読む前に! ……って、前に読むと、獏さんのを薄く感じるか……

実は、この次の『高野開山』を読んでからこっちを読んだので、少々もの足りなさが……
とりあえず幼少時から入定まで、阿闍梨の一生を描いた話、なのですが、どうもさらっとして、なお且つがたがたした印象しか残りませんでした。
多分、一生をとおして、行動とか思考とかに筋がとおってるカンジがあまりなかったのが問題かと……司馬遼とかに較べると、アクの強いなりに一本とおったカンジってのが弱いような。もの足りない……

で、こっちを先に読んだ、『高野開山』。
こっちは結構面白かったです。
阿闍梨だけじゃなくて、結構実慧視点が多かったりして、政治とあまり関係のない、純粋に密教布教にまつわるあれやこれやとか、高野山を開くに至るまでの、天野の村とのやりとりとか、が他にない視点で面白かった。
泰範も当然出てきますが、阿闍梨のえげつなさを撓めるためかどうか、ちょっと優柔不断っぽい仕上がりになってたのが、どうも……ま、泰範が優柔不断でも、阿闍梨のやったことはえげつないけどね!
でもまァ、概ね楽しく読めましたよ。

結構面白く読めました――前半は。
後半、っつーか4章目の「最澄との間」からはガタガタ。
アクが強いくせに恬淡とした阿闍梨の遍歴時代〜入唐帰国、まではとっても良かった(司馬遼よりも!)のですが、最澄との関係や奈良との関係をよく固めて書かなかったっぽい感じが芬々と。それで、どうも阿闍梨の行動や何かが前半に較べて一貫していなく、続いているだけにそれが際立っちゃったカンジが致します。まァ、依頼から半年強で書いた(映画公開と同時に刊行する、と云うのが依頼の条件だったらしい)そうなので、後半は時間がなくてよく改めなかったのかも知れませんがね。
あと、この作者、仏教系はきっちり押さえてるのですが、世界史や平安初期の服飾史なんかはさっぱり、っつーか中学生以下? 9世紀初頭の在唐ネストリウス派の宣教師(?)が“アダム・スミス”はねェわ! (イギリスは829年にようやくイングランドが統一されたくらいの時期で、キリスト教化もそれほどされてなかったはず。ましてや唐まで行ったネストリウス派ってのは、もともとエジプトのアレキサンドリアが本拠地なので、当時のイングランドと関係があるとは考えにくい) とか、金髪碧眼の白人娘の名前が“ナンシー”とか(これも↑の理由で以下同文。白人をコーカソイドと云うくらいだから、コーカサス地方近辺〜中央アジアまでのどこかっぽい名前にしときゃ良かったのに)。あと、薬子(“薬子の乱”の)の衣装を“十二単”と書いちゃったり(十二単は、遣唐使廃止以降の国風文化発達の中から出てきたもので、少なくとも薬子は、天平の影響を引きずった衣を着てたはず)、畳の間を出しちゃったり(畳は、当時は座布団的な意味合いのもので、部屋に敷き詰めるようになったのは多分桃山時代前後?)。中高生の使う国語便覧にも載ってるくらいのことは、作家なら押さえろ! 鯨統一郎みたいなゆるい歴史ミステリでもないんだし!
それから、唐の人名・地名に恣意的に現代中国読みがカタカナルビで振られているのも駄目! “恵果”を“ウェクワ”と読ませるのに、“白居易”は“はくきょい”なんだぜ。何それ!
あ、泰範がキモチワルイ……空×泰っぽい感じなのですが、どうもイマ三つくらいダメ……ナヨい泰範って……
と云うわけで、この本が早々に重版未定になったわけは、とってもよくわかりました。興味のある方は図書館で。

  • 『最勝王』 上・下 (服部真澄 中公文庫)

確かこの作者、普段は経済小説とか書いてたよね?
えーと、阿闍梨が出張ってますが、実はこの話の軸は伊予親王伊予親王と神野親王嵯峨天皇、冬嗣、阿闍梨あたりが中心になって、そこに偸盗の赤麻呂が噛んで、歴史を動かしていこう、と云うカンジだったような――いや、どうも頭に入らなかったの……多分相性……
七星の剣とかの仕掛けはまァ面白かったけど、ただ、イマイチ話が散漫になってたような気が……いや、頭に入らなかったせいだったらすみません。ただ、もうちょっと伊予親王まわり寄りにするか、あるいは空海と赤麻呂の方に絞るか、にした方がわかりやすかったような。でもって、語り手が高岳親王らしいとなると、どうも何がどうなってるんだかさっぱり……私が頭が悪いから?
とりあえず、伊予親王と冬嗣あたりがお好きな方には宜しいかも。

  • 『沙門空海 唐の国にて鬼と宴す』 全四巻 (夢枕獏 徳間文庫)

えーと、『陰陽師』に読み口が似てる。
のと、非常に『曼荼羅の人』を参考にしたんだろうな、ってカンジが芬々と致しました。何か、そこここで陳舜臣が書いたのと同じような情景が描かれてるんだよね。あと、空海と逸勢の関係も似てる。そこら辺が『陰陽師』との違いになってはいるのですが、何て云うか、『曼荼羅の人』の二次創作っぽい感じすらするような雰囲気で、うむ、って感じでした(司馬遼を下敷きにしてるとか書いてるレビューがあったけど、いや、これは陳舜臣の方だろう)。
薄い薄いと『曼荼羅の人』のところで書きましたが、あのみっちりと歴史情報の詰まった話を読んだ後だと、『陰陽師』的エンタメはどうしても薄く感じますよね……
面白いのは面白い、けど、あれほどの枚数は必要だったのかな? とは思っちゃう――あと、あれほどの年月も。一冊で終わった話だったんじゃないの?
まァともかく、ここから入る入口としてはいいのかも。


この後のは図書館のを借りたもの。

芥川賞作家、空海に迫る! って感じなのかなァ、と思ったら、かなり創作色の強いお話でした。
とりあえず、阿弖流為やら坂上田村麻呂やら藤原内麻呂やら和気清麻呂やら、歴史的有名人てんこもりな遍歴時代の阿闍梨。だれにでも“おぬし”と呼びかける不遜な阿闍梨。何かこう、感情移入し辛い。
蝦夷討伐に介入しちゃったりするのは、まァ謎の12年間(くらい)の話としては面白いのかも知れませんが、しかし、あまりにも超人っぽ過ぎて、嘘くさ過ぎる(まァ、小説なんだから嘘だけど)カンジは致します。これならまだ『最勝王』の方が……読みづらいけど。
今この方『道鏡』とか書いてますが――どうなんだろう、黒岩重吾の方が面白いんじゃないのかなァ……


密林さんでの評価は高かったのですが、どうもこう云う軽い歴史ミステリは駄目かも……
つか、この人も服飾史とかアウト、って云うか、薬子の乱のあたりに、既に阿闍梨高野山に行ってたりするって……! 軽いにもほどがあります。ミステリ中心ならそれなりに、ごまかして書くって云うのもアリだと思うんですけど、下手に参考資料とか書かない方が良かったんじゃ?
っつーか、いろは歌の謎を追いかけるのが室町期の道士かなにかで、どうもシリーズっぽく他の話にも出てるんだけど、冒頭と最後にちょろっとしか出ないので、むしろ出さない方が良かったんじゃ、と思いました。だって、ホントに最初と最後だけなんだもん。タイトルのアレには必要なのかもしれないけど、全体としては要ったのか? ちょっとその辺気になりました。
っつーか、今どきの国産ミステリってあんななの? 海外ミステリ専門なので、どうも違和感が拭えないわ……

個人的には(密林さんでは評価低かったけど)こっちの方が『いろは歌』より面白かった、って云うか違和感なく読めた。
もちろん、相変わらず歴史的なアレは駄目(多分、平安初期の農民や山の民ってのは、ホントに名字とかなかったと思うよ)なのですが、しかし、空海の「御遺言」にある奇蹟をミステリ仕立てに、って云うのは買った。
短いミステリのオムニバスっぽいカンジで、最後に歴史も噛んでくる、ってのは、お話としては良くできてると思います。ミステリ好きの人には、イマイチ小粒過ぎるのかもしれませんがね……


† † † † †


って、こんな感じかな?
阿闍梨の話自体はなくはない(最澄よりはね!)けど、まァみんな司馬遼で概ね満足なんだろうなァ、って感じも致しますです。
実際、やっぱ司馬遼良くできてるしね! 司馬遼と陳舜臣、あと寺林峻の『高野開山』で大体阿闍梨の一生網羅、ってカンジでいいと思います、実際。
稲垣真美のは、3章目までは良かったんだけどなァ……あそこまでだったら、司馬遼のよりも好きだ。奇蹟を起こしてるんだけど、全部“偶然だ”とか云う阿闍梨。しかも真剣にそう思ってる阿闍梨。いいと思います。後半以外はね! 文庫落ちの時に、書き直してくれたら良かったのに。残念。
さてさて、この辺に対抗できる話が書けますかのう……


そう云えば、『檀林皇后私譜』上・下(杉本苑子 中公文庫)も買ったのですが、まだ読了しておりません。
とりあえず、入唐前の最澄が“清らかな、明澄な雰囲気をまとった青年僧”であるのに、阿闍梨は“俗臭ふんぷんとした大入道”って! 阿闍梨はわりと小柄だけど、最澄は180cm近かったっぽいと、円仁が夢の話で書き残してるっぽいのに! (円仁は、結構最澄の傍に長くいたので、実際それくらいの身長だったんだと思います、最澄) って云うか、みんな最澄ばっかり……!
あと、栗田勇の『最澄』全三巻(新潮社)、近所の図書館に入ってたんだけど、どうもちゃんと読めない、のは、最澄嫌いが昂じているからか。まァ、近所に入ってるから、気が向いたら……向いたらね……


あ、そう云えば、『弘法大師空海全集』(筑摩書房)Get! 状態ちょい悪、って書いてありましたが、正値の半額以下であの状態は格安だった! (普通は5万はする) かすかな書き込み以外は状態も良好で、しかも入金即送品(入金の日には送ってくれたっぽく、振込日の翌日に来ました)だったので、小躍りしております。
ふふ、阿闍梨の文……漢文が必要だったので、よかった。
しかし、『性霊集』はともかく、『高野雑筆集』は原文記載がないので、それはどっかで調達しなきゃ……ま、『雑筆集』だけなら、コピーするにしてもたかが知れてますしね。やれるやれる。
さァ、これで逸勢の話も続きが書けるわ……


しかし、国立博物館の「空海密教美術展」が近づいてきたからか、関連書がいろいろ出てきましたね。
とりあえず、ぴあの『おとなのカル旅 空海密教美術を訪ねる旅』は買いました。だって、高雄山寺、じゃなかった神護寺が載ってるんだもん! 実はよく京都に行ってたにも関わらず、東寺も行ったことがないので、いずれ東寺と神護寺に! 高雄には、他に智泉の建てた寺もあると云うことなので、そこにも行ってみたいです。来年の野望かな。ふふ。
その前に、もちろん国博ですけどね! 最低3回は行く! (展示の関係でね……) チケットもペアチケット2組買ったしね! 準備万端です! ふふふふふ……
あ、そう云えば、別宝の「まんがと図解でわかる空海密教」、表紙がきらきらしい阿闍梨(少女マンガっぽい!)で笑えるので、お近くの書店で是非ご覧ください! 買うほどのものじゃない(別に、そのきらきらな阿闍梨が漫画の主役ってわけでもないし――ちょっともしどら的な?)けど、ネタとしては面白いですよ、ふふ……


ってことで、この項終了。
次こそルネサンス