北辺の星辰 63

 四月九日、歳三は、先行していた伝習隊や衝鋒隊などを追って、二股口へと出発した。添役として、安富才助や大島寅雄などを伴っての出陣であった。
 歳三の守備するべき二股口は、敵の上陸予想地である乙部からは、もっとも短い距離で箱館に進むことのできる経路であり、この戦いにおいて、最も重要な戦場のひとつになると予想されるところでもあった。何しろ、二股口を抜かれれば、特に幕軍側の拠点もない道を、十里足らずで箱館に攻めこむことができるのだ。
 それ故に、敵がここを進軍してこないなどと云うことはあり得ぬ話であり。その二股口を守ると云う任務の重要性と、そこを寡兵で守らねばならぬと云う条件の厳しさとが、歳三を奮い立たせていた。
 大野から市渡へと進み、寄宿したところで、自軍の伝令兵が二股口方面からやってくるのに行き合った。
 掴まえて話を聞くと、
「南軍の第一陣が、乙部に上陸致しました!」
 それを知ったが故に、この兵は、江差からこの市渡までを駆けてきたのだと云う。
「そうか。御苦労だが、そのまま五稜郭へ伝えてくれ。俺はこれから二股口の守備に入る」
 そう云って伝令兵を送り出し、歳三は、安富と大島を振り返った。
「聞いたか。“あちらさん”は、さっそくお出ましになったようだ。中々、ゆるりと準備、とはいかねェようだな」
「それが戦でございましょう」
 大島寅雄は苦笑して云った。
 大島は、元は伝習第一大隊で秋月登之助の配下であったのだが、宇都宮の戦いの後、大鳥の指揮下から離脱、その後はもっぱら旧新撰組と行動をともにしてきており、歳三にとっても、割合に気心の知れた男であった。
「まァ、そう云っちまやァそうなんだがなァ」
アルビオン号の松木殿から話を聞いていた割には、猶予が与えられぬものだとおっしゃりたいのでしょう」
 安富が、くつくつと笑いながら云う。大島とは会津以来の付き合いなので、安富も、割合になじんだ様子の口ききだ。
「まァ、確かに九日に乙部に上陸するってェ話じゃああったんだが……ちったァ手間取ってくれるかと思ったが、虫のいい願いだったようだなァ」
 歳三たちが蝦夷地に渡航してきた時や、松前に進軍した折、あるいは宮古湾海戦時も、予定通りにものごとが運んだためしがなかったのだが――どうも、天が味方する時には、万事滞りなく進むものであるらしい。
 ――となれば、俺たちァやはり、天に見離されてるってェことか。
 苦い笑みをかすかにこぼし、歳三は、二人の前に地図を広げた。
 二股口や、その周囲の台場山や天狗岳、三角山から、中山峠、峠下あたりまでを書き記した地図である。二股口に出陣が決まった時に、配下のもので地勢の読めるものをやって、大急ぎで作らせたものだった。
「二股口のあたりは、他に間道もねェ、来るんなら稲倉石、峠下、中山峠を越えて、この――と、地図に記された道を指し――大野川沿いの道を、ここまで来るしかねェんだ。逆に云やァ、俺たちが抜かれりゃあ、五稜郭まで一気に攻め寄せられちまう。気を引き締めてやるしかねェ」
「……責任重大ですな。して、布陣はどのように?」
「とりあえず、台場山ってェ、ここの低い山地に本陣を築かせてる。すこし峠よりの、この天狗岳に、見張り台を兼ねた小せェ砦を築かせて、前衛隊をやる手筈になってるのさ。ここから峠の様子を偵察させて、こいつらで撃退できればよし、できなけりゃあ、本陣で戦うってェ寸法さ」
「銃や弾薬、糧食などは足りましょうか? 敵方は、恐らくは最新式の銃を携えているのでしょうが……」
 安富は、かつて勘定方であったものらしく、装備品のあれこれなどが気になるようだ。
 確かに、こちらの装備品は、割合に新しいスナイドル銃とスペンサー銃だが、敵の装備がどのようなものであるかは、一戦交えてみないとわかりはしないのだ。むろん、銃弾などは、敵の方が大量に用意しているとは思うのだが――ともかくも、戦ってみなくては何とも云いかねることが多すぎた。
「……ともかくも、こっちは地勢を押さえてる分だけ強みがある。寡兵だってのにァ変わりがねェが……敵がどう行軍してくるかを絞れるだけでも、有利になるってェもんだ」
 そう、兵の多寡では勝てぬゆえに、地の利だけでも得ておかねば、あっと云う間に攻め崩されてしまうことになるだろう。
「……とは申されましても、敵はその数、我らの倍は下らぬかと――それでどのようにして、勝ちを得られましょうや?」
 大島が云うのへ、歳三は、ぴんと指を弾いてやった。
「今からそう云う気分じゃあ困るってことだ。――いいか、二股口を通る道は、中山峠越えのこの一本のみだ」
 云いながら、地図の上を、峠下から台場山辺りまで、道沿いに指をすべらせる。
「ってェこたァ、どんなに大軍だろうと、この狭ェ峠道を越えてくるってェことだ――つまりは、人員が多ければ多いほど、細長ェ隊列にならざるを得ん」
 そうだろう? と云って、二人の顔を見てやれば、はっとしたような表情になるのがわかった。
「わかるな? その細い隊列の横っ腹に、例えばこの天狗岳のあたりを通る時にでも、鉄砲玉食らわしてやりゃあ、向こうは大慌てになるぜ。寡兵でも充分にやれる、そうじゃねェか?」
「……なるほど」
 大島が、腕を組んで唸った。
「確かに、それならば寡兵でも戦えましょう。――しかし、敵も、おそらくは最新式の銃を装備しているかと思われます。射程を考えれば、こちらの損害も決して少なくて済むとは思われません。そのあたりはどのように?」
 大島の問いに、安富も頷く。
 確かに、地の利を得れば、こちらが優勢に戦いを進められようが、しかし、あくまでも寡兵は寡兵、数で攻められれば、守るにも限度がある。そのように、二人は云いたいのだろう。
 薩長を中心とした敵軍は、数万の兵で蝦夷地に攻め寄せてくるだろう、と松木は云っていた。対する旧幕軍――五稜郭府軍は総勢三千ほど、今回歳三が率いる二股口守備軍は五百人足らずでしかない。
 万の兵が、一気にここに攻め寄せてくることはない――他にも、江差松前など、攻略すべき拠点はいくつもある――だろうが、しかし、一度敵を退けてそれで終わり、と云うわけにはもちろんゆくまい。
 幕軍の最終的な勝利などない、と云うことは、信じたくないと思ってはいるだろうが、この二人も感じ取っているのだろう。
 だが、今、そこまで先を考えることなどない、と歳三は思っていた。
 全体の“勝ち”など、考えてしまえば戦うことはできぬ。
 二股口を守備すると云う自分に課せられた責務は、“勝つ”と云うよりも“負けない”ことだ――敵を、二股口の前で足止めし、ここから先へは攻め込ませぬ、それだけを考えれば充分だ。それ以上の思案は、邪魔にしかならぬのだ。
 そして、そのための策は、むろんないはずはなかった。
「……長篠の戦い、さ」
 歳三の言葉に、二人はわけがわからぬと云う顔になった。
「信長公と神君・家康公が、武田の騎馬隊とやった、あるだろう、あの戦いだ。わからねェか?」
「――長篠の戦いは存じておりますが、それが此度の戦いと、どのような関係が?」
 安富の問いに、歳三は片頬だけで笑い返してやった。
「見てみりゃあわかる。――まァ、行こうぜ」


† † † † †


鬼の北海行、続き。
二股口出陣!
大島寅雄は、秋月さん配下(宇都宮まで)→内田量太郎さん配下(会津戦まで)、で、蝦夷地制覇以降は“陸軍奉行添役”だった、はず。多分そのはず……
っつーか、秋月さん配下の時も、直近の上司は内田さんだったんじゃないかな……多分、多分ね……


ところで、今回は『新撰組日誌』下巻(新人物往来社)を参考にしているのですが。
その本の間から、古い(このブログはじめたあたり)メモが出てきまして。そこに“会津のエラい人(家老?)は、昔、何かのテストが厭で家出したことがある”って云うのが書いてあったのですが。
えーと、誰の話、っつーかホントにあった話なの?
ちなみに、同じメモに“会津にすごい美形がいた”ってあって、これは王子だな、ってわかるんですが……↑の“エラい人”って、誰だ???


あ、こないだの『ヒストリア』、中島三郎助さんでしたね! 皆様ご覧になりました?
私は、見ながらうひゃうひゃ笑ってました。だってだって、“清廉潔白”って! 誰が! 誰が清廉潔白!? “真面目が取り柄”とか、本当に誰の話だよってカンジでいっぱいになりましたわ(笑)。
サスケハナ号の乗組員に“粗野で図々しい”とか云われてた人なのに! 江戸脱出の時に、“幼い弟と母や義妹だけでは心配だから残る”って云った恒太郎(長男)を、刀(多分抜き身)持って追っかけまわした人なのに!!
いや〜、切り取り方で、人はどんな風にも見えるもんなんだなァ、と、何かこう、生ぬるく笑えましたわ……(笑)


この項、終了。
さてさて、次は坊主話、最澄登場で〜。