北辺の星辰 64

 台場山は、市渡から二里ほど行ったところにある、小高い山だった。“山”と云うよりも“岡”と云った方がしっくりとするくらいの、ただこんもりとした小山である。
 幕軍の前哨地である天狗岳はここからさらに半里、中山峠はさらに半里ほど行った先にある。道は、川岸に沿って、小さな“山”の間を蛇行しながら抜け、中山峠を越えると、今度は異なる川の川岸を通って、峠下から稲倉石、鶉へと続いていく――その先に、江差があるのだ。
 台場山では、皆が戦闘の準備に余念がなかった。
 が、兵の半数ほどが、掬鋤を手に、山の斜面を掘り返している。
「……これは、何をしているのですか?」
 安富が、不思議そうに問いかけてきた。
「これは、胸壁を掘っているのさ」
「胸壁?」
「そうだ、胸壁だ」
 ここへ来る前に、歳三は、仏人士官のホルタンに問いかけてみたのだ、敵の銃撃を遮り、なお且つこちらの銃撃は妨げない、そのような方策はないものかと。
 するとホルタンは、“進軍するのではなく、砦を築いてそこに留まるのであれば、胸壁を作れば良い”と答えてきたのだ。
 つまり、半身が隠れるほどの高さまで土を積み上げ、その裏側は掘り下げる。掘り下げたところを通路として使えば、敵の銃撃に晒されることなく移動ができ、胸壁の上に腕をのせれば、銃身の固定も容易くなると、そのようにホルタンは云ったのだった。
「なるほど、それで“長篠の合戦”と云われたわけですか」
 安富は、腑に落ちたと云うように頷いてきた。
「……私には、まだよくわからんのですが」
 首をひねる大島に、歳三は笑いながら説明してやった。
「要は、長篠の合戦の柵代わりがこの胸壁だと云うことだ。胸壁の陰に予備の兵を潜ませ、一発撃ったらその兵と交代する。予備の兵が撃っているうちに、元の兵は弾を込めて準備を整える。そうすりゃあ、一列に並んで撃つよりも間断なく撃ち続けられるだろう。敵は隊列を組んで進軍してくるんだ、そこを叩きゃあ、結構な損害を与えてやれるだろうぜ」
「なるほど、それで“長篠の合戦”ですか」
 大島も、合点がいったと云うように頷いた。
 長篠の合戦で武田騎馬軍を迎え撃った織田信長徳川家康連合軍は、土塁を築き、柵を立て、そこから三隊にわけた鉄砲隊を交代に発砲させて、間断なく銃撃を加え続け、遂には最強を誇った武田騎馬隊を打ち破ったと云う。
 歳三の考えているのは、それに近いことを、この二股の地でやることができないか、と云うことだったのだ。
「中々面白いことを考えられましたな、奉行」
「昔に読んでた軍記物が、こんなところで役に立つたァ、俺も思いもしなかったがな」
 大島が云うのへ、歳三は笑いを返した。
「ホルタン殿のお蔭で、何とかかたちにできそうだ。まァ、三段撃ち、たァいくめェが、二段だけでも違うだろ」
「まぁ、相手は騎馬軍団でもありませんからな」
「力任せに突っ込んでこられねェってェだけでも、こっちにァ有利ってェもんだ。ま、うまくいくかどうかは皆の頑張りにかかってるがな」
 南軍に数では勝てぬ以上、云い方は何だが、兵たちの気力にすべてがかかってくる。伝習隊は、そこそこに戦歴を重ねており、その働きにはそれなりの期待ができそうだった。
 伝習隊の指揮官は大川正次郎、まだ三〇前の青年だったが、鳥羽・伏見の戦いから伝習隊の隊長を務めており、また昨年四月の幕軍脱走よりは、大鳥の副官のようなこともやっていた。作戦立案はともかくとして、その後の指揮にやや難のある大鳥を支えてここまで来たからには、それなりの才幹の持ち主であるだろうと思われた。
 と、その大川が、笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「これは奉行、お待ち致しておりました。胸壁の配置は、これで宜しゅうございましたでしょうか」
「ああ。期待以上に進んでいるようで何よりだ。それから、風呂や炊事場なんかの進み具合はどうだ?」
「風呂や炊事場まで築いているのですか!」
 大島が驚嘆するような声を上げた。
「ああ。長期戦になるだろうから、そう云うもんも要るだろう」
 どんどん行軍していく、以前の松前攻略戦とはわけが違うのだ。この二股口が破られれば五稜郭府は終わりと、そのような心持で挑まねばならない。そうであるからには、逆説のようだが、兵士たちの住環境は、ある程度快適なものにしてやらねばならない。死地に赴いて全力で戦うためには、逆に平時には充分に弛緩させてやらねばならぬ。緊張し続け、食事や睡眠が不充分となっては、いざと云う時に充分に働くことなどかなわないのだ。そのことは、京洛にあった新撰組時代に、よくよく身に沁みてわかっていたことだった。
 人間は、あまりに長い緊張に耐え得るようにはできてはいない。あまりに緊張が続くようであれば、弛緩するならばまだ良し、最悪の場合には、耐え切れずに脱走、などと云うことにもなりかねぬ。
 それを防ぐためには、あらかじめこちらが気をつけて、緊張が過ぎぬうちに意図的に弛緩させてやらねばならぬ。新撰組時代に、各隊の隊長たち――沖田や永倉、原田など――が隊士たちを連れて祇園や島原に繰り出したのには、そう云う理由もあったのだった。
 まして、新撰組もそうだったが、軍などと云うものは集団で生活する以上、細かなぶつかり合いも日々生じるものだ。それを緩和し、また調停するために、上司などと云うものは存在する――歳三はそのように思っていた。
 そうして、この戦場でできるだけ機能的に兵卒を動かし、犠牲を最小限にして最大の戦果を上げること、それこそが、指揮官として歳三が目指すべきことなのだった。
「どんな闘いでも、心組みが弱っちゃあ、勝てるもんだって勝てやしねェんだ。最前線で満足のいく暮らしはできるわけもねェが、せめて飯と風呂くらいは、な」
 それとても、充分に時間を割いてやれはするまいが。
「そう云う戦のやり方もありましたか」
 大島が感心したように云うのへ、歳三は手を振ってやった。
「感心されるようなご大層なもんじゃあねェよ。俺がそうしたいからしてるのさ。……ともかくも、南軍が侵攻して来ないことには、実際どうなるかは知れねェんだからな」
 そう、こうして拠点を作ってしまうと云うことは、逆に云えば、敵を待つことしかできないと云うことでもある。地道に斥候兵を出して、敵の動向を窺いつつ、いずれ始まる戦いに備えること、今できるのはそれだけなのだ。
 ――さて、どれだけの長期戦になるもんだかなァ。
 だが、見事ここを守り切ったとしても――例えば箱館市中に海からもって攻撃でもされてしまえば、この砦の意義もなくなってしまう。そのような事態に陥るまでに、どれほどの日数が残されているものか。
「……まァ、やるしかねェか」
 考えても仕方がない。とにかく今は、目の前の敵を退けることだけを考えなければ。
 歳三はまとわりつく思いを振り払い、大川のあとについて、陣の中を見て回った。



 南軍の侵攻は思ったよりも速やかだった。
 歳三が二股口に到着した翌日の四月十一日午後、南軍の部隊が中山峠を越え、天狗岳の前衛に襲いかかったのだ。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
二股口の戦い、スタート?


えーと、先に白状しておきますが、私、箱館は何度か行きましたけれど、二股口には行ったことがありません。
なのでこの辺は、ぶっちゃけ写真と地図のみで書いております――2万5千分の一の地形図要るかしら……あった方がいいよね、買うか……
と思ったけど、ぐーぐるマップで対応することに。これ、航空地図もあるので便利だわ。まァ、実地に行くのが一番なのは確かなのですが、しかし、鶉川にはダムもできちゃってたりとか、ちょっとアレなカンジだし……歩いてみればいいんでしょうけどね、大野国道使えば、市渡⇔中山峠は12kmくらいなんだろうし……


今、書きながら大河『草燃える』総集編DVDを流しているのですが。
え、あれ? 中田譲治さんが出てるよ? 仁田忠常って誰だ??? って、佐殿の挙兵に加わった一人なのか――は? 挙兵時18歳? 若! (いや、佐原義連なんか、15歳(自己申告)だったみたいだけどさ……) あれ、結構今と雰囲気が違うなァ。まァ、これの放映時から、今みたいなどっしり悪役オーラだと、それはそれで怖いカンジですが(笑)。
と、それだけで早くも萌えております。
義時がマツ.ケン(サンバの方)ですが、イメージ違うなァ……陰険さがない。政子はいいわ〜、これくらい美人なら――って云うか佐殿……石坂浩司でもいいなァ、理想は勘三郎ですが。
完全版出してほしいものでございますね、ふふ……


ところで。
こないだから、職場の乙女ゲー好きさんと盛り上がって(?)いるのですが――『薄桜鬼無双』ってナニ!? 幕末無双じゃなくて薄桜鬼なの!?
あんじぇはおとめいとに(以下略)だわ、『薄桜鬼無双』は出すわ、こーえーさん、どんだけ……
とりあえず、来年2月発売でPSPだそうなので、手に……入れちゃうんだろうな、アニメ絵でもな……
できれば、南さんとぱっつぁんと源さんと崎と、仕方ないからかっちゃんも使えるようにして戴きたい。かっちゃんいいから、南さんとぱっつぁんだけでも!


この項、終了。ちょっと欝だったけど、何とか復活。夏の暑さで疲れてたのか、それとも……? 復活したからまァいいや。
次は坊主、っつーか最澄の話、第二話! (←え)