奇しき蓮華の台にて 〜紅〜 二

ぬるいですが男×男描写がございます。最澄がお好きな方及び天台宗の方は、お読みになられない方が宜しいかと思われます……


 叡山へ戻って一息ついた十一月五日、最澄は、泰範へと文を出した。


比叡山の老僧・最澄、敬って白す。
受法灌頂すべき事
右、最澄、昨月廿七日を以て、頭陀の次に乙訓寺に宿し、空海阿闍梨に謁を頂く。教誨慇懃にして具に其の三部の尊像を示し、又、曼荼羅を見せしむ。倶に高雄に期う。最澄、先に高雄山寺に向かわん。
同月廿九日を以て阿闍梨乙訓寺を永辭し、高雄山寺に永住す。即ち告げて曰く、空海生年四十、期命盡く可し。是を以て佛を念ずるが爲の故に、此の山寺に住む。東西欲せず。宜しく所持の真言の法を最澄闍梨に付属すべし。惟、早速に今年の内に付法を受け取れ云々と。其の許すところを討むるに、諸佛の加する所なり。来る十二月十日を以て、受法の日と定め已畢んぬと云々。
伏して乞う、大同法、求法の故に、早く叡山に赴け。今月、其の調度を備え、今月廿七日を以て高雄山寺に向かえ。努力々々、我が大同法、思い留まること莫れ。
委曲の状は光仁佛子に知ら令む。謹んで状ず」


 空海と対面したことやその言葉、最澄に付法したいと云ったこと、そのための灌頂を十二月十日に定めたことなどを記し、泰範もともに受法しようと誘いかける。
 ――これで、私が天台と密と、双方の正統となるのだ。
 そうなれば、もはや奈良に四の五の云われることもない。大手を振って、新たな大法の具現者は自分であるのだと、僧綱にも朝廷にも云うことができるのだ。
 ――そうなった暁には、奈良など死に体となるだろう。
 己の密を粗放であると論った奈良の長老たちに、目にもの見せてくれようとも。
 弟子の光仁に書状を託し、近江・高島郷の泰範の房へと遣る。
 すると、翌日光仁が、籠いっぱいの葛の根を抱えた男を伴って、叡山へ帰ってきたのだった。
「泰範闍梨から、お納め下さるようにとのことでございます」
「おお!」
 葛の根は、薬として、高熱を発した時に用いもするのだが、その他に、葛粉を取って食用にもできる。最澄は、葛粉で作った餅が好きだった――泰範はおそらく、それを憶えていたが故に、このようにたくさんの葛の根を贈ってくれたに違いない。
「……して、泰範はどうしたのだ。書状の返事などはないのか?」
「それが……」
 光仁は、云い辛そうに口ごもった。
「範闍梨は、こちらを和上へ、と云われたのみでございまして――」
「返書もないと云うのか!」
「はい、和上によしなに、と、それのみでございました」
 それは、もしかすると、最澄のために光仁がついた嘘であったのかも知れぬ。これまでにも、泰範が返書をよこさないのはしばしばであったのだから――だが、最澄には、まだ諦めることができなかった。
 再び筆をとり、泰範への文を書く。


「屢好物を垂れ、深く欝情を慰む。風寒し。伏して惟るに、闍梨、道體安和なりや。最澄、免を被るのみ。
近く今月十三日許りを以て、高雄山寺に参向し、且に其の儀式を受學せんとす。伏して乞う、我が大同法、早く來たりて、倶に受法の庭に進まんと。努々力々、邪縁すること莫らば、幸甚幸甚。
謹んで、道継近士の還に附して状を奉る。不宣、謹んで状ず」


 葛の根の礼と、重ねて高雄山寺での灌頂への誘いを記し、籠を運んできた男――泰範の近士男だと云う、道継――に託して返す。
 だが、その書状も返信のないままに、十一月十四日、最澄は弟子たちを伴って、高雄山寺へと赴いた。
 かつて住していた北院に入り、荷を解く。灌頂にまつわる費用は受者が持ち出すことになっているということであったので、米などの食糧を担いでやって来たのだ。
 空海は、最澄の到着を知るや、性急に灌頂を勧めてきた。
「まずは、金剛界の受明灌頂からに致しましょう」
 そう云って、空海は、小さめの曼荼羅図を最澄の前に広げて見せてきた。
「順暁阿闍梨は、善無畏師の高弟であられた故、大日経系のことはおわかりでしょう。金剛頂経は、それとはまったく異なる系統の経でございます――智の働きをあらわす曼荼羅でございます故に。この曼荼羅をご覧なされませ、九会に分かたれておりましょう。中央が“成身会”と申しまして、ここから下の“三昧耶会”、左下の“微細会”、“供養会”、“四印会”、“一印会”、“理趣会”、“降三世会”、“降三世三昧耶会”と進んでゆくかたちになります」
「それが智の働き、とは、どのような……」
「“成身会”の諸尊が、無相の三昧耶形になり、音と云う不壊の微細な智恵となり、供養の力となり、統合されて五尊になり、一尊になり、煩悩が即ち菩提となり、三毒を降伏し、それすらもが無相となる――おわかりになられますか」
「……よくわかりませぬ」
 曼荼羅の諸尊の並びや姿が、変転していっているのはわかる――九会がそれぞれ、ある意味において独立しているところから見ても、この曼荼羅が、大日経のそれ――胎蔵曼荼羅――とは異なる理によって描かれている、と云うことはわかる。
 しかし、
 ――“煩悩が菩提となり、三毒の降伏すらが無相となる”だと?
 それは一体どういうことなのか――それが“智の働きである”とは、どういう意味なのか。
 考えこむ最澄に、空海はふと吐息した。
「――やはり、金剛界は受明灌頂から、と云うことで宜しいようですな」
「……申し訳ござりませぬ」
 金剛頂経は、割合早くに書写していたはずであるのに――その時にはわかったと思っていたはずであったのに、いざ曼荼羅を前にしてみると、童子のように“何もわからぬ”ことしかわからぬとは。
 空海は、最澄大日如来の印形と真言を教えると、すぐに灌頂の場へと入壇させた。
 空海が云っていた“受明灌頂”の意味は、すぐにわかった。最澄や他の弟子たちの他にも、俗人の官人たちや童子などまでが、同じ場に入壇したのだ。要は、かれらと同じように、初学者のようにして灌頂を受けたのであり、期待していた伝法のそれではなかったのだ。
 最澄は気落ちしたが――仕方がない、金剛頂経はまだきちんと読みこんでもいないのだ、まだこれから学ばなくてはならぬ。
 ともかくも、入壇して投花し――花は、金剛因菩薩の上に落ちた――、灌頂――香水を頭上に注がれて、金剛界の灌頂は終わった。
 次は胎蔵曼荼羅であったのだが――その前に、差し迫った問題が現れたのだ。
 それを解決すべく、その日の夜、最澄はまたしても、泰範に宛てて書状を認めた。


「謹んで啓す、消息の状
一、最澄、今月十四日を以て高雄山寺に参向す。
一、高雄山寺、食料都て無し。同法禅師に米を乞う。持ちて早く來り上れ。更に餘物を覓むる莫れ。尤も切に要む。若しくは他より米を借り、五斛許を付上せよ。至要に任えず。紀麿近士に附して以て啓す」


 高雄山寺に、これほどまでに食糧がないとは、思ってもみなかった――だが、自分がこの寺の住持であったころには、和気氏の当主は清麻呂であり、従三位民部卿であった清麻呂の財や、最澄の後ろ盾であった桓武帝の布施によって、それなりに寺は潤っていたように思う。
 だが、翻ってみれば、それは最澄が、その当時既に内供奉十禅師の一人であったが故のことで――帰国入京して間もなく、まだ名もさほど知られぬ空海では、そこまで布施も集まらぬと云うことか。
 後輩とは云え、密の師である空海が困窮しているのを、最澄としても放っておくことはできなかった。
 果たして数日の後、紀麻呂は米を担いで戻ってきた――ただ一人で。
「泰範はどうしたのだ」
 問うてみるが、聞かずとも答えは明らかであった。
「範闍梨は……米のみをお預けになりまして――」
 己の去就も、今度の胎蔵界灌頂に参ずるかどうかも、一切何も答えなかったと云うのか。
 ――泰範……!
 最澄は、泰範のよこした米に取りすがるようにして、涙を流した。
 来ると信じていたわけではなかったが、期待していなかったと云えば嘘になる。せめて、文のひとつでも託けてくれたなら――だがそれでは、泰範の心を動かしたことにはならぬではないか。自分は、泰範とともに受明灌頂の場に入りたかったと云うのに。
 泰範が来ないのならば、せめて空海に密の教えをよく聞いておきたい、と思ったのだが、生憎かれは、東大寺の法会に参加しなくてはならぬのだと云うことで、奈良へと出向いて行ってしまい。
 それだけならまだしも、奈良の僧綱に引き留められているとかで、十日までに高雄山寺に戻れない旨の書状が送られてきたのだ。
 ――奈良の僧綱が、私が灌頂を受ける邪魔をしているのか。
 とも思ったが、さすがにそれは考え過ぎだと思い返す。敵対しているとは云え、最澄が受明灌頂――すべてを伝える伝法灌頂ではなく――を受けることすら邪魔をするほど、僧綱は暇ではないはずだ。
 仕方なく、最澄は、経典を借り出して、学べるところはこの機会に学んでおこうと独習を進めていた。
 ところが。
 十二月に入って、ひょっこりと泰範が姿を見せたのだ。それも、当初の灌頂予定日であった十二月十日になって。
 最澄は驚喜した。
「泰範! よくぞ来て……!」
 手を取って云うも、感極まって言葉が途切れた。
 だが、泰範はうっすらと微笑むばかりで、それ以上最澄に寄り添ってきはしなかったのだ。
 ――泰範……?
 そうこうしているうちに、奈良から空海が戻ってきた。
 最澄は、灌頂への参加の許しを得るために、空海に泰範を引き合わせた。
阿闍梨、私の同法の泰範和上でございます」
 そう云って紹介してやると、泰範が、空海に向かって、にこりと笑みかけたのだ。
 空海も、応えるようににこりと笑んだ。
 それだけのことだ、と最澄は己に云い聞かせたのだが――泰範はそのまま、高雄山寺に居ついてしまったのだ。
 はじめは、自分がこの寺にある故に、ともにいてくれているのだと思っていた。だが、灌頂が無事終わり、最澄が弟子たちとともに叡山に帰山する――伝法までには三年はかかる、と空海に告げられたが故に、そこまで本寺を空けて長逗留はできぬと、一度戻って思案することにしたのだ――段になって、かれが引き続き高雄山寺に留まるつもりであることを知ったのだ。
「ともに叡山へ戻るのではないのか」
 と問うと、
「私は今すこし、密の教えのいかなるものかを、海阿闍梨にお訪ね致しとうございますので」
 と返ってくる。
 そう云われては、
「――では、私のためにも、よく阿闍梨にお仕えし、密の肝要を学んでおくれ」
 と返すよりないではないか。
 だが、そうして泰範を残し、叡山に戻った最澄の胸の裡は、どろどろとした疑念で満ち満ちていた。
 空海と初めてまみえた時の、泰範の笑みがまざまざと甦る。
 最澄もほとんど目にしたことのないような、心からの笑み――あれは、泰範が空海に心奪われたことを表していたのではあるまいか。
 だとすれば――泰範は、今度は空海に向けて、甘やかな言葉を紡ぎ、寶物を扱うようにその肌に触れ、接吻けて契りを結ぶと云うのだろうか――
 ――泰範……!
 そう考えると、密の独習も、天台を開陳するためのあれこれも、何も手につかなくなった。
 思いあまって、筆をとり、思いの丈を切々と綴る。


「辭して後甚だ寒し。伏して惟るに、道體安和なりや。最澄、免を被り、倶に山に登る。兄、恙無きやと此れ護念するのみ。
然るに、法花儀軌は深く室下に憑む也。伏して乞う、此の道を學び得て、永く後葉に傳えんと。此れ、深く望む所なり。
謹んで、善財等に附して状ず。不宣、謹んで状ず」


 密の教えを学んでも、そもそもは最澄と同法であり、ともに天台を伝えてゆく間柄であると、そのことを忘れずにいてくれと、縋るように頼む。
 その書状の返信は、人のかたちでやってきた。しかも、待ち望んでいた泰範本人の姿でもって。
「泰範……!」
 出迎えた最澄は、てっきりかれが帰山してきたものと思い、さてはあの書状が功を奏したものかと感涙に噎んだのだが、泰範は、
「――海阿闍梨が、一度叡山に戻って、和上に御挨拶申し上げてから来るようにとおっしゃいまして」
 と、この帰山が一時的なものであることと、更には空海の勧めに従ったのみであると云うことを告げてきたのだ。
「……では、こののち、またしても高雄山寺に戻るのだと?」
「はい、まだ密の教えの入口にかかったのみでございますので」
「――……そうか」
 頷いたものの、心中は複雑だった。
 ――何ゆえ、空海殿に示唆されて、叡山に帰ってくる気になったのだ?
 あるいはそれは、最澄に真に暇乞いをするためではあるまいか――だとすれば、泰範はそれほどまでに、空海に心惹かれていると云うことになるのだろうか。空海と――自分がしたように褥をともにすると云うのだろうか。
 ――泰範……!
 泰範の手が、空海の衣をくつろげ、その引き締まった首筋に、胸許に、唇を落とす。最澄にしたよりも、もっと貴い何かにするように。
 空海は、避けるように身を引きながら、子どものようにくすくすと笑う。衣を掻き合わせて拒むそぶりを見せながら、その実、誘いをかけるよう。
「泰範!!」
 叫んで、空海を押しのける。
「お前が!」
 お前が、そうして泰範を誘い、自分から離れるように唆したのか――空海の身体を押しひしいで、思う。
 押しひしいだ身体が苦鳴を上げるのにも構わず、最澄は、袈裟を、法衣を剥ぎ取り、その肌をあらわにした。隅々にまでくまなく目を走らせ、泰範との情交の痕を探す。空海は、抗おうともがいているが、小柄なその身体では、長身の最澄を押しのけることなどできはしない。逃れさせなどするものか。
 あちこちに指を滑らせ、探り、弄る。どのような媚態で泰範を誘い、誑かし、どのような表情で受け入れたのか――己の眼ですべて確かめるために。
 と、後ろからの腕が最澄を引きずり離し、そのまま空海を抱えこむ。
「……泰範!!」
 狼狽する最澄をひと睨みして、泰範は、抱えこんだ空海にそっと衣を着せかける――貴い宝を守るように。
「泰範……!!」
 本当に自分を捨てるのか、自分を捨てて空海を取ると云うのか。そんなことは――
 ――そんなことは許さない……!
「許さぬぞ、泰範……ッ!」



 叫んだ己の声で、目が醒めた。
 ――夢……?
 夢か、と安堵すると同時に、恐ろしくもなる。もしもあれが夢告の類であるのならば、泰範は本当に、空海に心変わりをしてしまったと云うことであろうし、そうでないのならば――最澄が、空海に対して悋気を発し、あのように手酷く扱ってやりたいと思っていると云うことではないか。
 ――私が、あのような……
 泰範に求められる空海を見た瞬間、己の心の内に燃え上がった紅蓮の焔をおぼえている。あれは、嫉妬の焔だ。身の内側から出て、己を灼き尽くしそうなほどの劫火。
 僧として、嫉妬が三毒の瞋恚に連なる悪であることは承知している。“最澄”と云う己の名にかけて、三毒を降伏し、“最も澄める”ものとして、釈尊の弟子に相応しい人間になるのだと、そう思って励んできた。
 だが――だが。
 ――あのような心が、まだ私の裡に残っているのか……
 己の裡に燃え上がった、あの熾烈な焔の残り火が、まだどこかにあるのがわかる。あのような激しい怒りを抱えたものが、何で“最も澄”んでなどいるものか。
 ――私は……
 まだまだ、澄んだ心など持ててはいないと云うことか。
 だが、どうしてもこの妬心ばかりは消え去りはせぬ。泰範を求める心とともに。
 ともかくも、泰範を引き止めねばならぬ。そのためには、泰範の心が――夢の中と同じように――空海に獲られてしまわぬようにしなくては。
 どうしたものかと思案していた最澄は、不意に思いついた。
 ――もう一人、誰かを空海の許へ送りこめば良いではないか。
 そうだ、何故それを思いつかなかったのだろう。
 もう一人を高雄山寺へ送りこんでおけば、泰範の動静を掴んでおけるとともに、空海から密の教えを受けさせることもできるではないか。
 そうとなれば、人を選ばねばならぬ。光定や永智などでは、“最澄の代わりに”密を学ぶには足りぬだろう。
 となれば、
 ――円澄が良いか。
 円澄は、早い時期から最澄に師事してきた男で、かれが最初に受戒させた僧の一人でもあった。元は法鏡と云ったのを、最澄が特に愛して“澄”の一字を与えていた。蟖も長け、たしか齢も空海より上であったはずだ。中々の俊才で、最澄は、かれを次期の叡山座主にと考えていた。
 円澄であれば、“最澄の代わり”に相応しく、また、自分にも近しい故に、泰範についてもよくよく考えて、気をつけてくれるに違いない。
 最澄は、円澄を呼んで高雄山寺に参ずるように命じ、しかる後に、空海に宛てて、円澄を貢ずるの書状を認めた。


「貢す 修業滿位の僧・圓澄 大安寺
右の僧は久しい年、最澄の同法なり。深く眞言の道を仰ぎ、其の修業を欲す。
伏して乞う、子地の哀を垂れ、受法の庭に侍ら令めよ。至志に任えず。名を奉じ、和南して貢す」


 また、高雄山寺の三綱――先年、空海が、自身の弟子たちをして、寺の経営に当たらせるために任じていた――に宛てて、北院にある自分の厨子を泰範に与えてくれるように、また北院についても、自分が訪れる時にはそちらに滞在したいので、建具や木材などを処分しないよう、申し入れの書状を記す。
 それらをすべて泰範に託し、手を握って別れを惜しむ。
「海阿闍梨に宜しくお伝えしておくれ」
 そのように云い含めると、かれは一礼し、円澄を伴って叡山を下りていった。
 “海阿闍梨によくお仕えせよ”とは云ったものの――最澄の胸の裡は、どろどろとしたもの――認めよう、それは嫉妬だ――でいっぱいだった。
 叡山を下りていった泰範は、あとを振り返りもしなかった。それは、未練を残すまいと云う心からか、あるいは――高雄山寺の空海のことばかりを考えていたからか。
 ――泰範……!
 涙が滲むのをおぼえながら、いつまでもその背中を見送る。
 それからの夜は、嫉妬の見せる醜い夢ばかりだった。
 空海が、時には泰範が、誘いをかけて、褥をともにする――それを傍で見ながら、最澄は歯噛し、あるいは割りこんで二人を引き剥がそうとする。だが、いつも泰範のまなざしに怯むことになるのだ――批難を含んだ強いまなざしに。
 ――浅ましい……
 闇の中で目を醒まし、己の醜さを恥じる日々。
 ――泰範は、このような私を知って、それ故に離れていこうとしているのだろうか?
 そうであれば、かれはもう二度と、叡山に戻ってこないかも知れぬと云うことか。
 そんなことにはさせぬ、と云いたいのだが――しかし、下山の折、振り返りもしなかったあの背を思うと、心は乱れるのだ。
 実際、最澄が頻繁に書状を送っても、最近は十にひとつも返書がないようなありさまなのだ。それもこれも、泰範が高雄山寺へ移ってから、つまりは空海の下につくようになってからのことではないか。
 ――空海め……!
 嫉妬の焔は激しく燃え上がる、が、曲がりなりにも空海は密の師であるのだ。面と向かって罵るわけにもゆかぬ。それも――“私のものを盗った”などとは。
 あまりに返書を寄こさぬ泰範に焦れて、最澄はまたしても書状を認めた。


「謹啓 止觀弘决を返し給わんと欲し後進へ傳法せんとする事
右の書、今披讀す可く要む。件の書、太だ冩し難し。後進决無くば披讀するに由無し。
我が斷金の善友は、已に聞惠を越え、今修惠に進む。彼件の書は公に於いては無用なれども、我が宗に於いては深要の者なり。悉く此の理に照らし老僧に還し施せ。
至志に任えず。仁誓佛子に附して、謹んで啓す。
              棄て被れし老同法最澄 状上」


 泰範の持っていった『止観弘決』を返してほしい。空海の下で密の修行に励んでいるだろうかれには不要なものだろうが、最澄と天台にとっては欠くべからざるものなのだ――と、すこしばかり拗ねたような文面になったが、こうでも云わぬ限り、泰範は返答して来ないだろうと思ったのだ。
 しかし、この書状を送って数日の後、返ってきたのは『止観弘決』のみで、泰範はやはり書状を寄こしはしなかった。
 最澄に返書すら認めない、と云うのは、そこまで空海に入れこんでいると云うことなのか、それとも――そこまで最澄に関心がなくなったのか。
 ――考えるな……
 泰範の心の裡を、遠く離れた叡山で考えても無駄なことだ。
 高雄山寺には、円澄がいる。何かあれば、円澄が知らせてくれるはずなのだ。
 それよりも、最澄にはなすべきことがある。空海より密の経典を借用し、その理解に努めて、遂には密を己のものとしなければ。
 振りきり切れぬ想いを抱えながら、最澄はひたすらに経典を読み進めていった。


† † † † †


最澄の話、二話目〜。
結局全四話になるカンジです――って云うか、下書き、三話目終わってまだ続いてるからね!
っつーかアレです、三話目、阿闍梨の例の「叡山の澄法師 理趣釈経を求むるに答うるの書」とかを全文入れてるから長いんですよね――いやまァ、あれはあの二人を語る上では無視できない書状なんだけどね! 何せ長いんだよね……


とりあえず、最澄の妄想男子(?)っぷりが炸裂中。
でもでも、『伝教大師消息』の半分くらいはこんな感じの様子を伝える書状ですよ!
っつーか、最澄が唐から帰ってきて、死ぬまでの間が十八年あるわけですが――こんだけあって、天台の教えを開陳し切らないとはどういうことだ! 禅や密を取り込んだからったって、阿闍梨が密の教義を大まかに固める(しかも、自分で金胎両部を合一せにゃならなんだ)のに四年くらいで済んだ(らしいですね)ってことを考えるとさ……何やってたんだ最澄、って思わずにはいられないんですが!
だって、教相判釈とかやんなくてよかったのに! マジで泰範にうつつ抜かしてたから、とか云わねェだろうな……?


しかし、この話書いてる間に、講談社学術文庫から『密教経典』が出まして、当然GETしたのですが。
理趣経』読んだ後に『理趣釈』チラ読みしたら、何で阿闍梨が貸し出し拒否したかがわかりました。ちょいとネタバレ気味なので、三話目上げた後に書きますけどね。
しかし、『理趣経』そのものも、中々すごいお経だと云うことが実感できました。
これで、『理趣経』の元ネタ? 『大般若経理趣分』とやらがどれだけ違うのか、ちょっと読み較べてみたいです。
どうせ『蘇悉地経』の絡みで国会図書館に行くので、ついでに『大般若経』も見てみるか。とっても内容が気になりますよね……


ところで、本日入手した教育社の『最澄と天台教団』(歴史新書)に、最澄越州で得たのは金胎両部を合揉したものに何か加えた三部のもの云々的なことが書いてあったのですが――いや、あの当時はまだ『蘇悉地経』が第三の部として中国密教界を風靡してたわけでもなかったんだし、文中の“新資料”は最近の本では触れてない(↑は30年以上前に出てるのです)ってことを考えると、胡散臭い資料だったんだよね?
っつーか、順暁阿闍梨って善無畏師の弟子なわけで、まァそれなら『蘇悉地経』が三部目は有りかな(『蘇悉地経』の漢訳は善無畏師の手になる)とも思わなくはないのですが――どっちにしても、滞在一ヶ月ほどじゃあ神髄極めたわけでもなかろうしな……
ってわけで、うちの最澄は、大日経系をちょこっと齧ったカンジで。


そうそう、『空海密教美術』展、二回目三回目行ってきました。あと一回行くつもりです……ふふ。
えーと、飛行三鈷杵見ました! 結構いいかも! しかし、あれは飛ばないと思うんだよね、唐からじゃなくてもね……夜の闇の彼方で聞いたところでは、阿闍梨と実慧と泰範が高野山に上った時に、飛んできた三鈷杵を拾った、と云う話だったそうな……阿闍梨が飛ばしたんじゃないんだ!
でもって、後期に入って、『聾瞽指帰』下巻見ましたが――あれ、もしかして阿刀大足が後生大事に持ってたとか云う落ちじゃああるまいな? いや、流石に二十四の時に『三教指帰』に書き直してるわけだし、そもそも読ませた相手は阿刀大足だけだろうって思うとね……そうかなってカンジがするんですが、どうでしょう?
あ、『風信帖』はそこまで笑えなかった……『金剛般若経開題残巻』の方が面白かったかな。
あと、西新井大師が持ってる、有名な阿闍梨像が♥ しかし、次は違う阿闍梨像なんだよね……まァ、三点見れるのはおいしいんですけども……
あ、真言七祖像、「龍智」「金剛智」「不空」像見ましたが――「金剛智」の飛白体は、阿闍梨の字じゃないんじゃないか? ちょっと書体が違うみたいな気がします。まァ「龍猛」「龍智」以外は請来品らしいので、向こうの人の飛白な可能性もあると思うんですが。
そう云えば、千手観音の横にあった薬師如来? も入れ替わってたような気が……『蘇悉地儀軌契印図』も入れ替わってた……曼荼羅は血曼荼羅金剛界でしたが、高雄曼荼羅胎蔵界って見たっけか……?
ラス1、ちゃんと見たいです!


さてさて、この項終了。
次はルネサンス、折りたたみ記事か……