神さまの左手 42

※事後です。ご注意!!



 それに気づいたのは、気だるい熱が徐々に冷めてきてからのことだった。
 サライの手が、いつもと違っていた。
 それだけと云えば、それだけのこと。
 だが、レオナルドにとっては“それだけ”などではありはしなかった。
 これが、普通の、昼の日中に感じたことであったなら、またことは違っていただろう。この悪餓鬼が、どこぞで悪さでもしてきたかと、苦いと同時に面白がるような気分でもって、サライの鼻をつまみでもしただろう。
 だが、今はすっかり夜更けで、しかも、レオナルドが差異を感じたのは、閨でのこと、つまりは愛撫の手が異なっていた、と云うことで。
 ――それはつまり、
 浮気をされた、と思った瞬間、かあっとなった。
 ――お前は、私のものなのに。
 自分があの子を拾った、そしてあの子も、自分を神のように崇め、慕い、恋うてくれた、ずっとこの先もそうだと思っていた、それなのに。
 何がどうしてどうなって、自分以外の誰かと枕を交わしたと云うのだろう?
「――サライ
 呼びかける自分の声が、事後でなくとも硬過ぎるものだと感じながら、呼びかける。
「ん? どうしたのさ、レオ?」
 対するサライは、気だるさをまとわせたまま、問い返してくる。差し伸べられる手が頬に触れ、接吻を落とされる。
「お前……どこで誰と寝てきた」
 匕首を突きつけるように云うが、子どもはへらりと笑っただけだった。
「あ、わかった?」
 街中で声かけられてさ、と、まったく罪悪感のかけらもなく云われる。
「恋人がいるって云ったら、いっつも同じ手管じゃ飽きられるわよって。だから、まぁ、おベンキョーしてきたんだけど……どうだった?」
 相手は、女か。
 女と寝て、それで、それを自分に――?
 ざわりと、毛が逆立つような気分になった。これは、怒りだ。
「街中――商売女と寝たのか」
 声が軋るのがわかる。
「私以外の――女と」
 良かったか、と云いつのりかけるのを、かろうじて残った理性で呑み下す。これでは、まるで嫉妬しているようではないか。
「……よくなかった?」
 レオナルドの凍りついたような様子に、サライが不安げな表情になる。
 良いだのよくないだのと云う問題ではない。
 裏切られた、と思った。自分は他の誰かと寝たりはしていなかった――サライ以外と同衾したのは、はるか昔、フィレンツェの、ヴェロッキオ師の工房にいた時だ――し、美しい少年を視線で愛でることはあっても、手を出したりしたことはなかったのに!
 それは確かに、サライは場数を踏んでいるわけではないが、それはレオナルドひとりを相手にしているから当然のことだ。
 女に手管を習ったのだと云うが、女と男では、感じる場所が異なっている。そんなことも知らずに、行きずりの女と身体を重ねてきたと云うのか、この少年は!
「……レオ、怒ってる?」
 窺うような視線。
 そんな顔をするくらいなら、はじめから他所の女になど手を出さなければいいのだ!
 レオナルドはひやりと笑った。肚の底から冷たい怒りがわき上がってきた。
「……怒っていないとでも思うのか?」
 怒りに声が軋んだ。
 レオナルドをよく知らない人間であっても、今の声と表情を知れば、どれほどの怒りがそこにこめられているかがわかるような――まして、サライはもう丸六年も、かれとともに過ごしているのだ。この荒れ狂う感情のほどを、少年ほどわかる人間はいないはずだった。
「――ごめん」
 しおしおとして、サライが謝罪の言葉を口にする。
 “ごめん”とは。
 随分かるい言葉ではないかと、レオナルドは片頬をつり上げた。
「ごめん、悪かったよ、レオ――俺、その方があんたが感じてくれるかと思って……」
「女に学んだ手管でか?」
 我ながら意地の悪いもの云いだと思う。だが、それを止めてやるには、わき上がってくるどす黒い感情はあまりにも大き過ぎた。
 サライが絶句する。
「他の女に触れた、その手でか? ――お前は、私を何だと思っているのだ!」
 快楽がありさえすれば何でも良い、色情狂のように思っているのか。
「――だって……」
 その方がいいかと思ったんだ、と、すっかりしょげた顔で、サライは云う。
「俺が何にも知らないのも、場数踏んでないのも本当のことだしさ――それなのに、あんたは他の男も知ってるんだ、較べられたらどうしようって、それで飽きられたらどうしようって、思うじゃねぇか普通」
「……そんなものは必要ない!」
 確かに快楽は嫌いではない、と云うよりも、はっきりと好きだ。
 だが、それがなくては生きていけないほどではもちろんないし、手管があれば快楽であると云うわけでもない。
 ああ、お前は確かにものを知らないのだ、とレオナルドは思う。好きな人間の愛撫に勝る“手管”などないのだと、そんなことも知らぬほどに、この少年はものを知らない子どもなのだ。
 わかっている、だが。
「――お前は、何もわかっていないのだ……」
 それはわかっている、けれど、それでこの件を許してしまえるほど、レオナルドは心の広い人間でなどありはしなかった。
 ――お仕置きが必要だな。
 もう二度と、こんな馬鹿な真似を引き起こす気にならぬよう、きつく仕置きをしてやらなくてはなるまい。
 ――何が良いだろう?
 考えこんだレオナルドの脳裏に、ふと、解剖室のことが思い浮かんだ。
 サライは、このあたりばかりは普通の子どものように、解剖そのものを怖れていた。それならば、ともに解剖室に入って解剖の様を見せつけることは、この少年にとって、充分な仕置きになるのではないだろうか?
 ちょうど、これから解剖しようと思っていたのは、病死した若い女の死体だった――それも含めて、仕置きとするには都合がいいではないか。
「――サライ
 レオナルドは起き上がって、少年に告げた。
「出かけるぞ、支度をしなさい」
「え、今から?」
「いいから、早く!」
 渋る少年を急かして、自らも衣をまといながら、レオナルドはほの昏い笑みをその唇に刷いた。


† † † † †


ルネサンス話、続き。
やっと続き――書き辛い……久々の更新……激しく放置ですね……すみません、すごく書きづらい……


えーと、この回は超↓黒歴史なので、先生に夢を見ている人(まぁ、この話読んでる人にそんな人はいないでしょうが)は読まない方がイイデス……
いろんな意味で児童虐待だよいやいや性的にではなく! 超黒歴史ですもうホント、書かないで済むなら書きたくないが、前回を書いちゃったから避けようが……(泣)
ああもう先生こんな人ですからね! どうしようもなく駄目で勝手だもう勘弁して下さいホント。予告しておきますが駄目な大人。今まででわかってた以上ですよ。あああああ。
あー、続き書きたくない〜、けど書かざるを得ない〜。
こんなカンジで、ルネサンスのこの次は、スーパーお仕置きタイムです。酷いな先生。


えーと、気を取り直して。
月末から先生の絵が来ますね! しかもアイルワース版モナリザも! わーい!
チラシ見たら、アイルワース版“世界初公開”だって! うふふふふ、見たい見たいと念じてた甲斐があったわ!
しっかり前売り買って、ついでに5月にある、束芋さんがパネリストの講演会+観賞会もチケ取りました! 前売りは、自分用に2枚買ったので、計3回見れるわけさ! うふふふふ!
アイルワース版に関しては、ミケ話=「左手の聖母」(本館歴史部屋でUP済み)にちらっと書いてますが、あれがホントの(以下略)だと思ってますので、じっくり見たいです。
写真見た感じでも、笑ってないなァと思うのですが、間近で見たらまた違うんだろうなァ。
とりあえず図録は買う! し、もし複製画とかあったら、それも買うかも――高くなければね!
展覧会開始時期が、桂さんの原画展と同じくらい(しかもどっちも渋谷)なので、両方見に行ってきますわよ、ふふ。
(↑行ってきた。でも感想は後日、別項で――5/13の講演会の感想と一緒に上げます)


この項、これでおしまい! これ以上は書けない!
次は(今さらな)展覧会鑑賞記!