奇しき蓮華の台にて 〜紅〜 四 (完)

 弘仁七年は、最澄にとって、大きな節目の年になった。
 奈良の僧綱の隠微な厭がらせによって、天台一乗の布教は進まず、その上、奥州に在る法相宗の僧・徳一が、天台の教義についての疑問を記した『仏性抄』を送ってよこしたのだ――法相は、南都六宗の中でも大きな力を持っており、その学僧である徳一の論難に、最澄は、裏に南都の僧綱の意図が働いていると、そのように感じずにはいられなかった。
 ――何故、私ばかりを攻撃するのだ?
 南都に属さぬ新しい教えを広めようとしている、と云うのなら、密を布教しようとしている空海とて、同じことであるはずなのだ。
 それを何故、最澄ばかりに鉾先が向いて、向こうにはそのような気配すらないと云うのだろうか。
 ――東大寺別当を務めた男は扱いが違う、か……
 最澄空海の違いなど、そのようなことしか思いつかぬ。
 否、あるいははじめから、奈良は最澄の立場を危うくするために、帰国して間もない無名の空海に、東大寺別当の職を与えたのではあるまいか? 最澄があの男に密の教えを受けたいと願い、やがて空海の云う様を容れずに別れることまでを予測して――
 ――否。
 そこまでのことがわかるものなど、ひとの身であろうはずはない。
 そもそも、空海が受けている“本当の扱い”など、最澄が知り得るはずもないのだ。あの男とて、あるいは知らぬところで法相や三論の学僧から、論戦を挑まれているのかも知れないし、今は長老と仰がれている東大寺においても、蔭口を叩かれていないとは限らないのだ。
 ――そうであれば良い。
 そうであれば、すこしは溜飲も下がろうと云うものだ。
 最澄は、このところ――正確に云うならば、桓武帝が崩じてよりこの方――蹉跌続きであったので、少々心が狭くなっているところがあったのかも知れないが――しかし、空海の順風満帆な様子を見るにつけ、己の今の八方ふさがりとも云える状況を恨めしく思う心が湧きあがってくるのを抑えきれなかった。
 それは、あるいは昔があまりにも幸運であったが故の思いであったのかも知れぬ。
 桓武の帝の存命の頃は、最澄の立場は確たるものであった。内供奉十禅師の一として、また帝の寵篤きものとして、得意の絶頂にもあった。
 否、自分としては、決して得意になどなっていなかったと思っているのだが――しかしそれでも、例えば奈良の僧伽のものたちから見れば、己がひどく増上慢であると見られたかも知れぬ、とは思い至らぬわけにはいかなかった。
 つまり最澄は、そう思われても仕方がないほど幸運に恵まれていたのであり、その幸運が、桓武帝の崩御とともに去った後には、奈良の僧伽との確執ばかりが残った、と云うのも仕方のないところであったのかも知れなかった。
 だが、かれ自身としては、やはり身におぼえのない妬みを受けている、と云う感覚が強く、理不尽だと云う気持ちになることを止められなかったのだ。
 ――つまらぬことをする……
 論戦を挑み、また批難の言葉を投げかけてくることに、苛立ちがこみ上げてくる。
 それは、確かに、自分が蒔いた種であったかも知れないが、しかし、仮にも成道を目指す僧侶ともあろうものたちが、他人の足を引っ張ることに血道を上げると云うそのことに、腹立たしさを感じずにはいられなかった。
 ――やはり、信頼できる片腕が必要だ。
 奈良の僧伽・僧綱とのことを考えると、そう思わずにはいられない。
 最近になって、叡山には、かつて最澄とともに入唐した義真が、相模国から戻ってきてはいた。ともに天台山にも入った義真の存在は、確かに心強いものではあったのだが――しかし、かれには泰範のような閃く才智はない。天台については頼もしい味方であったが、密についてはさほど期待はできそうになかった。
 今、高雄山寺にある円澄は、密にも通じつつあり、義真の至らぬところを補ってくれるだろうとは思われたが、何しろ“弟子”であり、最澄と対等にものを考えるには足りぬところがある。どちらもが、帯に短し襷に長し、と云う態であった。
 ――やはり、泰範を呼び戻さねばならぬ。
 そう決意した最澄は、話し合う機会を作るために、自ら高雄山寺の北院にまで出向いて行ったのだが。
 泰範は、空海の命によって但馬国へと勧進の旅に出ていると云うことで、会うことすらできなかったのだ。空海も、奈良へ出向いているとかで、顔を合わせることがなかったのは幸いだったが――目的を果たすことができず、がっくりとした気分で帰山する。
 ――ともかくも、書状を認めねばなるまい。
 泰範のためにと入手した茶もある。それにつけて送ってやれば、いかな泰範とても、返書を寄越さないと云うことはあるまい。
 墨をすり、紙を広げると、かれはゆっくりと、文意を練りながら筆をおろした。


「……老僧最澄生年五十、生涯久しからず。住持未だ定まらず。同法見を各にして、六和都て無し。獨り一乘を荷いて、俗間に流連す。
但、恨むらくは闍梨と別居することのみ。往年期する所、法の爲に身を忘れ、發心して法を資けんと。已に年分を建て、亦長講を興す。闍梨の功は片時も忘れず。又、高雄の灌頂では、志を同じくし道を求め、倶に佛惠を期するに、何ぞ圖らんや、闍梨は永く本願に背きて、久しく別所に住せんとは。
蓋し、劣を捨て勝を取るは世上の常理なり。然るに、法花一乘と眞言一乘、何ぞ優劣や有る。同法同じく戀う、是を善友と謂う。我と公、此の生に縁を結び、彌勒に見うるを待つ。儻若、深き縁有らば、倶に生死に住して、同じく群生を負わん。
來たる春節を以て東遊頭陀し、次第に南遊し、更に西遊北遊し、永く叡山に入りて生の涯りを待たん。去來、何ぞ日日を廻遊し、同じく徳本を殖え、譏誉を顧ず、本意を遂げん。此れ、深く望む所なり。
謹んで便信に附して状を奉る。不宣。謹んで状ず」


 ただ、泰範と離れていることが辛いのだと、切々と訴える。自分の人生もあまり長くはない、かつての誓いを思い起こし、ともに世間に天台一乗をひろめようではないか――


「茶十斤、以て遠志を表す。謹空」


 そのように書き添え、茶の包みとともに貞聡に託して送り出す。
 数日後に、貞聡は戻ってきたのだが――泰範は、未だ但馬より帰っていないと云うことで、茶と書状を寺主の実慧と云う僧に預けて戻ってきたのだと云う。
 実慧のことは、最澄も憶えていた。高雄山の灌頂の折に、いろいろと取り仕切ってくれた男であり、空海のごく早いころからの弟子でもあった。寺主を務めるだけあって、見るからに賢俊の材であると思われたが、その分だけ、狷な性も備えているようにも見えた。
 かれならば、よもや最澄の書状を握りつぶすような真似はするまい――己が不利になるとわかっているだろうから。ならば、泰範は、あの書状を必ず読む。読めば、返書を認めぬわけにはゆくまい、帰りの使者などおらぬが故に。
 最澄がじりじりとしながら待っていると、月の半ば過ぎになって、高雄山寺からの使いがやってきた。
 すわ、泰範からの書状が、と胸を躍らせた最澄は、しかし、書状の表書を見て凍りついた。
 そこに記された文字が、どう見ても空海の手になるものだったからだ。
 ――何故、あの男が……
 その疑問は、書状を開いて衝撃に変わった。
 表書のみならず中の文字もすべて、空海が書いたことが明白だった――すこし右肩上がりの、流れるような草書。かつてあの男から送られてきたのと同じ手になるものと知れる。
 否、そればかりではない。


「泰範言す。伏して今月一日の誨を奉け、一は悚れ一は慰む。兼ねて十茶を貺ることを蒙り、喜荷するに地無し。仲夏陰熱たり。伏して惟るに和尚法体や如何。……」


 この華麗な文はどうだ。これは、泰範の手になるものではあり得ない。泰範は、もっとそっけないほどの文しか書きはしない。これもまたあの男、空海の手になるものに他ならぬではないか。
 空海が、何故“泰範”の名を騙って書状を書いてきていると云うのか。


「……此に泰範、恩を蒙る。今月九日、馬州より還る便に、乙訓寺を過ぎ、卽ち北院に遊化さるを承る。便ち就いて謁せんと擬るも、客中の煩碎に緣りて、志願を遂げず。悚息何をか言わんや。故怠に非ざるを恕さば、幸甚幸甚。
告の中に云く、共に生死に住し、衆生を負い荷わんと。同じく四方に遊び、天台宗者を宣揚せんと。伏して慈約を奉じ、喜躍喩え難し。若し龍尾に附いて以て名を揚げさ使め、鳳翼に寄せて以て行を顯さば、卽ち蚊蛧の質、勞せずして雲漢を凌ぎ、無筋の蟺、功無くして芿泉を飮む。鄙陋の望、此に於いて足りなん。何をか亦更に加えんや。珍重珍重。
亦云く、法華一乘と眞言一乘、何れか優劣や有らんと。泰範、智は菽麥に昧し、何ぞ玉石を辨ぜん。敢えて高問に當りて、深く以て悚息するも、雷音忍び難く、敢えて管見を陳ぶ。
夫れ、如來大師は、機に隨いて藥を投ず。性欲千殊にして、藥種萬差なり。大小鑣を竝べ、一三轍を爭う。權實別ち難く、顯密濫じ易し。自ら智音に非ざれば、誰か能く之を別たん。然りと雖も法應の佛、差無きを得ず、顯密の教え、何ぞ淺深無からん。法智の兩佛、自他の二受、顯密説を別ち、權實隔て有り。所以に眞言の醍醐に耽執し、未だ隨他の藥を噉嘗するに遑らず。……」


 “ともに天台一宗を荷い、衆生を救おうとおっしゃいますが、自分は徳がないので手伝いにすらなりませぬ”と云いながら、“法華一乗よりも真言一乗の方が優れており、私はその醍醐を味わっている最中ですので、天台には戻れませぬ”とも“泰範”は云うのだ。
 それのみではない。


「……又自行則有り、化他位有り。澄瑩物に應ずること、時に非ざれば能わず。泰範未だ六淨除蓋の位に逮ばざれば、誰か能く出假利他の行に堪えん。利他の事は、悉く大師に讓りたてまつる。伏して乞う、寛恕を垂れなば弟子が深幸也。……」


 “未だ利他行を行うまでには至っておりませぬので、そちらはお譲り致します。どうぞおゆるし下さい”と続いてくる。まるで駄目を押そうとするかのように。


「……前に天台一乘を祟めんと期する所、今則ち諸佛加護す。國主欽仰し、百官崇重す。四部耽翫し、四海同仰す。三千の達者あり、先の願い已に足んぬ。踊躍踊躍、珍重珍重。
泰範、自行未だ立たず、日夕劬勞す。若し狂執を責めざれば、弟子が望み足んぬ。身は山林に避けれども、丹誠何ぞ忘れん。
謹んで、某甲に因りて状を奉ず。不宣。弟子泰範和南」


 読み終えた最澄の手から、書状が落ちた。
 ――泰範……!
 こみ上げてきたものに、喉をふさがれる。
 それは、怒りや憎しみなどではなく――ただ、哀しみであった。
 ようやく、最澄は認めた。認めざるを得なかった――泰範が、心底から自分と離れたがっていたのだと云うことを。
 この書状を出すまでに、空海が泰範に同意を求めなかったはずがない――そう云う意味において、あの男は周到であり、また慎重でもあった――のだ。つまりは、この書状は、概ね泰範の意に反してはいないと云うことであり、泰範自身の意思を表していると云っても良いものである、と云うことなのだ。
 だが、思い返してみれば、そう、泰範は以前から“暇を戴きたい”と云っていたではないか。弘仁二年のあの夏から、“辭書を奉る”と云っていたではないか。
 それを本気と取らなかったのは最澄だ――泰範の心がすっかり離れてしまっていたのだと、気づきたくなかったが故に。
 だが、最早認めざるを得まい。泰範は、完全に自分と袂を分かちたいと考えているのだ――このような書状を空海が認めることに、おとなしく同意するほどに。
 ――泰範……
 はらはらと涙がこぼれ落ちた。
 何故、ここまで心が離れてしまったのか、そのわけを未だに最澄は知らなかった。泰範は、何も語りはしなかったので――だが、いずれ最澄に愛想尽かしをした、と云うことだけは、疑うべくもない確かなことであった。
 空海のことなど、その後のことに過ぎぬ。最澄に愛想尽かしをしたからこそ、泰範の中に、空海に仕えると云う選択肢が出てきたのであって、決してその逆ではあり得ない。さもなくば、弘仁二年のあの段階で“辭書を奉る”などと書いて来はしなかっただろう。
 ――私の何に愛想を尽かしたのだ……
 帰朝してよりこの方、天台の教義を開陳し切っておらぬことにか、それにも拘らず密の教えを得ようとしていることにか、あるいは――叡山のものたちをうまくまとめることができていないことにか。
 確かに、泰範が山を下りることになった元となる一端は、最澄の、僧伽のとりまとめの拙さにもあっただろう。最澄がうまく山内のものたちのとりまとめをできていれば、泰範が僧伽の中で孤立することもなかったのだろうから。
 孤立――そう、孤立だ。泰範を求めるものは多かったが、その分、かれを同輩と見做しているものはいないに等しかったように思う。良くも悪くも泰範は美し過ぎ、また聡明に過ぎた。かれを崇拝するか、妬み憎むか、どちらかしか選べなくなるほどに。
 また、最澄としても、泰範の同輩と云うべきは己ひとりだと云う意識があったので、敢えて気にかけてやらずにきたところはあった――他のものと親しくしている泰範の姿を、自分が鷹揚に構えて見ていられるとは思わなかった――のだが、あるいはそれが、泰範の中に不満として燻っていたのだろうか? そのような質であるとも思われなかったのだが。
 あるいは、同輩として遇していたことそのものが、かれには重荷に感じられていたのやも知れぬ。
 理由が何であれ、泰範は叡山を去る決意をし、そして今、完全に袂を分かつ決意をもしたのだ。それ故にあの“辭書”を送ってきた、その事実は変わらなかった。
 ――これ以上は……
 これ以上は取りすがれぬ。
 これまでの執着が、一層泰範の心を離れさせていたのやも知れぬ――ならば、これ以上の哀訴は、ただ泰範の厭倦を増させるだけに終わるだろう。手を離してやらねばならぬ、二人の最後を穢さぬために。
 それに、空海のこともある。
 泰範の意思――最澄との縁を切りたいと云う――を、空海がこのような書状にしたと云うことは、つまりは空海自身も、最澄との絶縁を考えたと云うことではないか。
 ――円澄を呼び戻さねばならぬか……
 空海が絶縁を考えているのであれば、かれの許へと遣っている円澄も、叡山に呼び戻してやらねばならぬだろう、
 円澄が伝法灌頂を受けたとは聞いていなかったが、しかし、かれが高雄山寺に出向いてからは、既に三年が過ぎている。俊英である円澄のことだ、密の肝要はある程度身につけているに違いない。
 ならば、最澄空海が完全に縁を絶って、円澄の身のおきどころが高雄山寺になくなる前に、かれを叡山に呼び戻してやらなくては。
 そのための書状を認めようとして筆をとり、最澄は、こみ上げてくるものに喉をつまらせた。
 叡山へ呼び戻す――そのための文を、泰範のために書くことは、今後、決してありはしないのだ。
 遠く隔たってしまったその距離を思い、最澄は、別れの涙を流して俯いた。



 ふっと意識が浮かび上がる。
「――和上」
 と、覗きこんでいた顔が、かすかな安堵にほころんだ。
「……義真か」
「さようでございます」
 瞳を廻らせて見れば、義真の後ろには、円澄や光定、円仁などの姿もある。
 これからの叡山を支えてゆくべきものたちが一堂に、となれば、いよいよ自分は危ないと云うことのようだ――微苦笑がこぼれた。
 今すこし生き長らえられるかと思っていたのだが、五十六の齢で終わることになるらしい。
「――いろいろとあったなぁ……」
 この五十六年の間には。
 十二で出家してよりこの方、仏の道一筋に歩んできたと思っていた。叡山に一乗止観院を建て、桓武帝の庇護を受けて内供奉十禅師となり、泰範と出逢って、天台の教えを得るために入唐して――
 あの頃は、すべてが輝きに満ちていた。新しい都も、帝も、仏の教えも、自分自身も。
 あの輝きは、いつの間に消え失せてしまったのだろう? それとも、輝きだと思っていたものは、仏の言葉に云うように、すべて空であり、幻でしかなかったと云うのだろうか。天台の教えをひろめるのだと云う熱情も、すべての仏教を天台の下にまとめ上げるのだと云う気概も、桓武帝への敬慕も、泰範への愛執も。
 泰範はどうしているのだろうか――もう五年も思い出さずにきた人のことを想う。
 この五年と云うもの、知ろうとしなかったせいもあるだろうが、泰範の消息はまったく耳に入ってきはしなかったのだ。
 空海の方は、紀伊国の山中に修禅の道場を開いたことや、請われて讃岐国にある巨大な溜池の改修を請け負ったことなどが、風のうわさに聞こえてくる。泰範のことだ、自分は決して前に出ず、空海の行う様々のことどもを、蔭から支えてやっているのだろう。
 ――あの支えがあったなら……
 最澄はとうの昔に、天台一乗を堅固なものとして、後進に残してやることもできただろうに。
 だが、泰範は空海の許へと走り、天台の教えは、唐からもたらした経典も山積したままの状態で、その開陳すらも、弟子たちの手に委ねねばならないような有様だった。
 この五年――最澄は、天台法華宗確立と大乗戒壇設立のために、がむしゃらに走ってきた。
 だが、大乗戒壇の設立は未だならず、それどころか、せっかく得た年分度者の枠も、得度させる端から他宗に奪い取られてしまっている。
 ――奈良め……
 どこまでも邪魔立てしてくれる、とは思ったものの、かれらが天台から去っていった理由の最大のものは、最澄もよく理解していた。
 去ってゆくのは皆、遮那業の年分度者だった――かれらはおそらく、未だ不完全な天台の密に不満を抱いており、それ故に、奈良が誘いをかければ容易く天台を捨てて、他宗派へと流れていってしまうのだろう。その証拠に、天台の本道である止観業のものからは、ほとんど流出するものがない。
 天台の密を補完して、“天台法華宗”を完全なものに仕上げねばならぬ――だが、もはや自分には、そのための時間は残されてはいなかった。
「……円澄」
「はい」
 細い声で呼ばわると、円澄はこちらへといざり寄ってきた。
「遮那業は、未だ成ってはおらぬ――わかるな」
「はい」
「そなたが、遮那業を完成させよ――そうして、義真を支えてやっておくれ……」
 次なる座主を。
 義真を次の座主にと定めたのは、泰範が完全に叡山を捨てたとわかった後、僧伽内での蟖の長短を考えてのことだった。泰範がいれば、かれと確執のない円澄を座主に据えるのが、山内の平穏のために良かったのだが、いないとなれば、蟖の長い義真を優先せざるを得なかったのだ。
 だが、義真には、その性にやや狭隘なところがあり、膨れ上がった僧伽を、ひとりでよくまとめ得るとは思われなかったのだ。
 その点、円澄は温和な質であり、強い指導者にはなれぬにしても、人びとの心をまとめおさめるには向いているように思われた。
 ――かつて定めたように、円澄をこそ次の座主に名指すべきであったのだろうか……
 だが、あの時には、最澄の感情がそれを許さなかった。
 円澄は、三年あまりを師事した空海に親近感を抱いているようで、それが言葉の端々にも滲んでいた。空海と袂をわかったばかりの最澄には、そのことがどうしても我慢ならなかったのだ。遮那業を完成させることを思うならば、円澄をこそ座主に据え、そちらを充実させてゆくべきだったのだが――感情が落ちつき、冷静にそのことを考えられるようになった時には、すべてが遅くなり過ぎていたのだ。
 義真は、ともに入唐した自分こそが、天台の正嫡を受け継ぐべきであると、前々から声高に云っていた。かつて、相模国へと隠遁してしまったのも、最澄がかれの見を容れず、泰範こそを同法としたからだった。
 弘仁四年の遺言で、泰範を叡山総別当に、円澄を次期座主に、それぞれ定めていたのだが、泰範が空海の許に走って叡山を捨てたので、遺言そのものを破棄し、新たに義真を次期座主にと定めたのだが――
 泰範が、あのまま叡山に残っていてくれれば、すべては丸く収まったのではなかったかと思う。
 ――繰り言だな……
 もう時間の残されていない自分には、これから起こり得る内紛の種を、きれいに取り除いて逝くことなどできそうにない。ただ、争いの渦の小さからんことを祈るのみだ。
 心残りは山ほどある。義真と円澄のこと、未だ成らぬ大乗戒壇のこと、天台一乗の開陳遮那業の完成――
 だが、それよりも何よりも、泰範と別れたままになっていることが、ひどく心にかかってならなかった。完全に交流が途切れてしまってからですら、もう六年も経つと云うのにだ。
 ――結局のところ、お前と私の間には、“深き縁”などなかったと云うことなのか……
 恐らくそのとおりなのだろう。もしも“深き縁”があったなら――泰範は暇乞いしてくることもなかっただろうし、空海の許へ走ることもなかっただろう。
 そして、この人生ももう終わる。深く縁を結んだひとのないままに。
 この五十六年――ああ、何と長く、短く、鮮やかに駆け抜けた歳月だったことか。桓武の帝と出逢い、唐へ赴き、凱旋して。意気揚々と、天台の教えをひろめてゆくのだと、そう考えていたあの頃。あるいは、空海と会って、密の教えを得るのだと、その心に燃えていた頃。泰範のことがあってからは、浮かぬ日々ばかりが続いたが、それでもそう、自分の生涯は、幸福なことの方が多かったのではないか。
 だが、それももう終わりだ。これより先の日々、などと云うものはない。
 最澄は、深くひとつ吐息して、そっと両の眼を閉じた。
「和上……?」
 光定が呼びかけてくる、それに応えることも、もはや難儀だった。
 ――後は、お前たちが果たしてくれるのだろう……?
 大乗戒壇の成立も、天台宗の完成も。
 自分はもう逝かねばならないが、いずれ兜卒天ででも見えた時には、弟子たちから首尾を聞くこともできるだろう。
 その時に、朗報に喜ぶことができるように、
「頼んだぞ……」
 天台一乗の完成のために。
 吐息のように呟いて。
 最澄は、遠い旅路を歩むために、その一歩を踏み出した。


† † † † †


ってわけで最澄の話、ラスト!
お待たせしました!


しっかし、これ打ち込んでて、あまりの進まなさに何かもう……
ホント自分最澄嫌いなんだなと、改めて思いましたです。ええ、そんなに悪く書いてないとは思いますが、ホントに嫌い。
賺しやがってこの野郎とか、この××! とか、そう云う罵り文句山と出ました。
……うん、天台そのものは、別に好きじゃない(イマイチ教義に共感できん――W大師とか円澄とか増命さんとかは割と好きだが)けど、嫌いってほどでもないんですよ。まァ、修業ばっかだなーとは思うんですが。
でも最澄は駄目。ってことがよくわかった話でした、自分的に。終わったと思うと、解放感が! もう最澄書かなくていいかと思うと、ホント気が楽だ! やった!!


次の“白”は泰範の話で、泰範はまァサライとか総司とかそういう枠なので、らくちんに書けると思います。多分ね。
どっちかって云うと真言に移ってからが多いんじゃないかと思うので、ちぃ=智泉とか実慧とか杲隣とか、その辺との絡みがたくさんある話になるんじゃないかと。あんまり高僧物語にはなりませんね……ちぃが出張ってるんじゃね……はは。
まァ、ぼちぼち書きたいと思います。こないだ高雄山寺、じゃなかった神護寺に行った時に、何となくこんなカンジ、ってのが降ってきたとこなので、ちょっと間は開くと思いますが。
っつーか、阿闍梨の話も手を入れたい。司馬遼に騙されて(違)理趣のこととかでたらめ書いてるので、その辺直したいマジで。……その内、ひっそり訂正してるかも知れませんよー……


そう云えば、先日、廣済堂出版から『美坊主図鑑』ってのが出ましたね。
文芸・サブカル担当から「姐さん、これ好きでしょ」と注文書見せられたのですが、案の定購入しちまいました……はは。
とりあえず、坊主バーのマスター(F岡さん)が、(注文書の)表紙にいるなーと思ってましたが、やっぱりいた。まァそうだよね。“美”坊主かはともかく、メディア露出多めだし。
あと、この本、真言宗率&高尾山率高いです! 藥王院イケメン多いのか! まァ、何となくですが、真宗よりはイケメン率高いような気がする真言宗。って云うか、坊主らしい坊主が多いのか? それほどぎらぎらしてないカンジ。まァ、稀にやや肉食系? っぽいのもいますがね、恵光院のK林さんとかね……って云うか、他業種からの転職組って、何かああ云うタイプ多いような気がする。F岡さんもそうですね。草食じゃないよね。
でもって、時宗日蓮宗がひとりずついたのも新鮮でした。日蓮宗はどうしても(以下略/ガテン大師は好き)なのですが、ここに載ってた方は中々男前でした――既婚者だけどね。
何か、某社も『僧職男子』的な本出すとか云う企画あるみたいだし、きてるのか坊主。……利他に真剣に興味のある、動物性たんぱく摂取は乳製品のみ、な坊主なら好きだが……現代では絶滅危惧種、っつーか絶滅種? だもんなァ。
まァ、見かけたら読んでみたいなァ、いろいろと。


さてさて、この項終了。
次はルネサンス――先生視点の黒歴史か……また書き辛いぜ……
が、頑張りたい、です……頑張れ自分……(汗)