仏蘭西革命四方山。

はいはい、と云うわけで、予告どおり、フランス革命の話。
話じゃないのは、あと一週間足らずで一章分とか上げられるわけないからです。とか云ってたら大晦日になっちゃった……ゴメンナサイ
でも、フランス革命も、かれこれ二十年ほど引っぱってるので許して……



まぁ、久々にそんなとこに首を突っこむ気になったのは、佐藤賢一の『小説フランス革命』のせい、ではまったくなく(あれのロベスピエールサン・ジュストはへなちょこ過ぎる)、単に例のタイムラインにロベスピエールサン・ジュストが浮上してきたからです。
が、そもそもフランス革命にはまったのは、実は大河の『信玄』がもとだったのです、って云うか、もっと云うと『あぶ刑事』? つまり、S田K兵氏にはまったので、大河を見、そこから信玄&謙信にいき、資料をあさっているうちに“病跡学”つまりパトグラフィーと云うシロモノに出会ったのでした。
“病跡学”の詳しいアレコレはまぁうぃきとか見て戴くことにして(病跡学(びょうせきがく、英: pathography 独: Pathographie)とは、歴史的に傑出した人物の生涯を精神医学及び心理学的観点から研究分析し、その活動における疾病の意義を明らかにしようとする学問←うぃきより)、これ系の名著と云えば! と紹介されていたのが、エルンスト・クレッチュマーの『天才の心理学』(岩波文庫)だったので、宮城音弥とか福島章とかの著作も読みつつ(福島氏の方が読みやすいが、宮城氏の方が面白い、ような)、Getして読んでみたらば――その中にロベスピエールがいたわけですよ!
第九章の「英雄と君主的人間」がメインなのですが、いや、正直、読んで戴いても、何でこれでロベスピエールにはまったのかわかんないと思う――結構な書かれ方してるもんな。これよりも、井上幸治氏の『ロベスピエールフランス革命』(誠文堂新光社)の方がよっぽど(以下略)だったわ。
でもまぁ、何故かその人物描写(引用が中心)で、ロベスピエールに興味を持ったわけですよ。サン・ジュストじゃなかった。テルミドール200年の記念イベント(サン・ジュスト中心)で、“ロベスピエールが好き”とか云って、C塚先生に“こう云う人が増えてくれるとねぇ”的なことを云われましたが、本国フランスだけじゃなく日本でもビミョーなんですよねぇ、ロベスピエールの人気って。まぁいいけど。



で。
まぁ私のきっかけは! ともかくとして。
今回、例のタイムラインにのっかることが判明した時に、つらつらと考えてみたんですが――
何故、ロベスピエールが失脚したか、ですが、簡にして明にして単純な理由はですね、ロベスピエール一派に、“完全に掌握している武力”がなかったせいなんじゃないかと。
と云うのは、そもそもフランス革命の発端ってのが、女たちの暴動からスタートしてるせいだと思うんですが。
「パンをよこせ!」ってアレ、日本で云えばアレって、米騒動に端を発して、時の政府だけじゃなく皇室まで倒れた、って云うと近いカンジなのかな……日本では考えにくいですが。
皇室とカペー朝じゃ歴史が違う、と云う向きもあるかと思いますが、しかし、ヨーロッパの王室と云うのは、何だかんだであちこちで繋がってるもので、ヴァロア朝カペー朝の間にも、確か血縁はあったはずだから、そして王権神授説の後だから、そんなむちゃくちゃウェイトが違う、ということではなかったと思うのです。まして“太陽王”ルイ十四世のちょっと後だもんな。その辺、中国みたいな“革命=命が革まる”思想のあるところとはちょっと違いますよね。前王朝と縁もゆかりもない人間が皇帝の座に立ったりってことはしないもんなー、ナポレオンは除いて。



まぁつまり、研究者が何と云おうと、フランス革命ってのは、中国の辛亥革命とかとはかなり違って、ぶっちゃけ行き詰った国家を俺たちの手でぶっ壊せ! な暴動に、後づけで“自由、平等、博愛”(最後の一語は、直訳すると“友愛”だそうですね)とか云う理念的なものをくっつけて、それっぽく仕上げただけなんですよねぇ。そうとしか思えない。
でもって、そう云う暴動の果てに成立した政府ってのは、割と簡単に暴動で覆され易いんですよね、民衆が、暴動起こせば政府潰せるぜってわかっちゃってるから。
だから、ナポレオンが最終的にフランス革命終結させ、安定的(まぁ、それまでよりは)な政権を築き得たってのは、当然と云えば当然なのでした――ナポレオンは軍人だから、市民が暴動起こしても、手持ちの武力で鎮圧できるからね……



で、ロベスピエール一派(notモンターニャル)の中で、武力担当と云えばサン・ジュストですね。
サン・ジュストに関しては、“もしもかれが実権を握る日が来ていたら、ナポレオンの登場はなかっただろう”的な言説がありますが、確かにそう云う側面もあるとは思いますが、しかし、サン・ジュストはナポレオンのように、単独で権力を掌握することは難しいのではなかったかと思います。
って云うのは、現存しているサン・ジュストの書簡とか演説文見てるとね、あんま政治力はなさそうなんだよね、この人って。
いや、決断力とか判断力とか戦術能力とかはあると思います、が、何だろう、人望は(あんまり)なさそうって云うか。
いや、何かで見たとおり、兵士からの人望はあったと思いますよ。ただ、例えばダントンやマラー、カミーユ・デムーランやエベールやその辺(ミラボーとかロラン夫人も入れる?)とやり合うには、何か足りないって云うか、論客ではないカンジなんだよね。ただその分、ここぞと云う時の言葉の重さと云うのは半端なかったとおもうので、国王死刑を問う時のアレは、その辺から皆に感銘を与えたんじゃないかと思います。



サン・ジュストがもし実権を握ったらどうなったかって云うと、多分、暫く山嶽派独裁が続いたんじゃないかなぁ――多分、サン・ジュストは、政治的なアレコレはロベスピエールに丸投げしたんじゃないかと思う(政治的駆け引きとか厭がりそう←不得意、ではないとは思いますが)ので、当分ロベスピエール派の独裁継続、で、ロベスピエールだってそんなに何かを妄信しているわけじゃないと思う(例の“最高存在の祭典”ってのは、堕落した教会を更地にするための、とりあえずの受け皿として用意したんだと思うし)ので、フーシェとかをどうにか(リヨンの一件はひど過ぎると思う)した後で、ギロチンの稼働とかも緩めていくつもりだったと思います。
“徳なき恐怖は忌まわしく、恐怖なき徳は無力”ですが、そこまで気張らなくたって、つまり暴力に頼らなくともある程度安定性が出てくれば(あ、革命政府にね)、“恐怖”はむしろ不要になるわけなので、自然と縮小傾向に向かったと思うのですよね。って、日本と同レベルで事なかれ主義じゃないと難しいのかな、これ。
まぁともかくも、軍はそのまま残る(←多分……市民の義勇軍だから、どうなったかなー)わけだし、最低限の暴力装置だけで済んだんじゃないかと思いますが。



そこまで待てなかったと云うか、そこまで待ったらヤバい連中が画策して、先に手を打ってロベスピエール一派を斃した、ってのが、テルミドールの反動ですよね。例の“タリヤン夫人”に唆されたタリヤンが表には立ちましたが、フーシェとかバラスとかあの辺が黒幕(って云うには隠れてないが)で、ロベスピエール一派を失脚させ、“革命”は終了致しました。ホントに終わったのは、ナポレオンが帝位に就いた時らしいですが、まぁもうテルミドール以降は“革命”らしさはなくなったんで、終わりでいっかなと。
て云うか、テルミドールまでの“革命政府”ってのは、まがりなりにも“革命”って方向で一致はしてましたが、それ以降はそうじゃないしな。
って云うか、ダントンからフーシェまで、クセの強い連中をまがりなりにも御していたロベスピエールがいなくなったら、そりゃあ方向性がばらばらで迷走もするわ。って云うか、(後付けですが)思想的なものが一本通っていたからこその“革命”で、それがなかったら、暴動のなれの果ての変に平坦な更地、みたいなもんになっちゃうのは仕方ないことなのかも知れませんね。
よく、ロベスピエール一派が右も左も切ったのは間違いだった、とか云いますが、まぁ確かにそう云う部分はあるんだけど、なぁなぁでもやれる日本人と違って、特に革命期の“革命家”って無駄に熱いから(笑)、なぁなぁでいいじゃん、に持ってくのは難しかったと思いますよ。っつーか、フーシェとか先に切れなかったのが失敗のもと、だったのかも。まぁ、掴ませるようならテルミドールの反動なんか起こりようがなかっただろうけどね。


† † † † †


散漫になった……
とりあえず、考察はおしまい。
フランス革命は、学生時代からネタあっためてるのですが、人物把握がまだまだ(山嶽派以外がねー)なので、当分何も書かないです。



それよりも、来年はルネサンスの三巨匠が全部来る! 一番大きいのはラファエッロですが、みけらにょろと、先生はアトランティコ手稿がくる!! この機会に、ファクシミリ版出しませんか、岩波さん。買えませんけど(だって、多分数百万……)、図書館は買ってくれるはず! そしたら見るから!
でもって、来年はもうちょっと更新を……(汗) PC直打ちって、うっかり他のことしたりとか、気が散り易いので何とも……タイバニ(支部)は、一年で四十万文字くらい書いたのにね、ふふ……
とりあえず、来年の野望は『北辺』完結で(先生はまだ暫く長いから……)。が、頑張れ自分……


とりあえず皆様、よいお年を〜。
来年は、単発での初更新はできないような気が……とりあえず、早めにしたい! です!
宜しければ来年も!