神さまの左手 43

「出かけるぞ」
 と云われて、サライは少々驚いた。
 時刻がもう夜の九時になろうかと云う頃合いだったからだ。
「今から?」
「今からだ」
 酒場に行くのかとも思ったが、それにしては少々よれた服を着ている。色褪せた上着、手には重たげな頭陀袋。酒場と云うよりも、むしろこれは、解剖に例の病院の地下室へ出向く時のような格好だ。
 しかし、レオナルドは“出かけるぞ”と云った――と云うことは、サライを伴っての外出と云うことで。だが、今まで、かれを解剖に伴って行ったことはなかったから、ではこれは、サライを助手に、まったく違う怪しげな実験でも行おうと云うのかも知れない。
 そう了解して、サライは服を“実験”用のものに着替え、松明を用意して、家を出た。
「どっちに行くのさ?」
 松明の灯を掲げながら問うと、
「向こうだ」
 と、目的地も告げられず、ただ方角だけを指される。
「へいへい」
 レオナルドは、どうやら少々ご機嫌斜めのようだ――こっそりと、サライは考える。
 大体において、レオナルドが不機嫌な時はわかりやすい。ぱたっと口を利かなくなるからだ。そしてそう云う時は、大体サライが何かやったか、あるいはサライの言動に、レオナルドが勝手に引っかかって不機嫌になっているかなのだ。
 ――何かやったかなー……
 あれこれ考えをめぐらすが、思い当たる節ばかりしかない。
 この間、レオナルドの財布から小銭をくすね、それで砂糖菓子を買ってひとりで食べてしまったことか、レオナルドお気に入りの上着を勝手に着て出たことか、書きかけの下書きを勝手に売り払って小遣い稼ぎをしたことか、弟子入りしてきた駆け出しの画家を、レオナルドにべたべたし過ぎるからと、さりげなく意地悪をして追い出したことか。
 ――どれなのかなー。
 それとも、もっと前のあれこれを、今になって思い出して、不機嫌になったとか?
 どれもこれもありそうな話だ――さて、今夜の“実験”はどう云うことになるのだろう?
 レオナルドの後をついていったサライは、やがて行きついた場所に、目を見開いた。
「……ここって」
 見上げた建物は、よく見知った――病院だ。そう、レオナルドがよく解剖のために訪れる。
 サライは基本的に、レオナルドの解剖に付き添うことはない。正直、死体に触ると云うのは気味が悪かったし、画家でもないから、いたって仕方がないと云うのもあった。レオナルドは、大概解剖の時はひとりだったし、そうでなければ、工房に来ている若い画家を伴うことが多かった――かれらも、人体の構造を知るために、解剖を見たがったのだ――から、解剖の道具や灯りの松明なども、かれらが持っていっていたからだ。
 だが、今日、ここにレオナルドといるのは、サライただ一人で。
 つまり、
 ――俺が、解剖に立ち会うってことか……?
 それでわかった、これは、これこそが、レオナルドがサライに科した罰なのだと。
「――来なさい」
 レオナルドは、ほとんど無表情のまま、建物の脇にあるドアを開ける。その奥には、ぽっかりと暗い洞が口を開けていた。
 足がすくむ。解剖を幾度もやってきたレオナルドの傍にいても、サライは実際に死体を切り刻んでいる場面を見たことはない。“悪魔の所業”と云われることも少なくないその場面を、動揺せずに受け入れられる自信はなかった。
 洞の中は階段になっていて、それはずっと地下まで続いているようだ。
 ひやりとした空気、湿り気を帯びた壁、かすかに饐えたにおいがする――もっと降りて行くと、これが死臭だとわかるのだろうが。それから、幾度も獣脂を燃やして染みついたのだろう、独特の臭気。
 足音の響く洞を降り切った先に、古びた扉があった。
 黒ずんだ板の間から、饐えたような、生臭いような、不快なにおいが漂ってきている。死臭だ、と云うのはすぐにわかった。わからざるを得なかった、と云ってもいい。解剖が行われる場所であるからには、あの扉にあるのは、つまり、死体なのだ。
 サライはぶるりと身を震わせる。
 レオナルドのやっていることは知っていた。かれが、世間的に云うならば、“死体を切り刻む”作業をしていることは。
 そして、今、この場所にサライを連れてきた、そのわけは。
 鍵の回る重い音、の後に、蝶番の軋む音がして、扉がゆっくりと開き、暗闇の奥から、より強い死臭が漂ってきた。
「入りなさい」
 レオナルドが振り向いて笑う。
 その顔は、揺らめく燈火のせいか、悪魔のそれのようにも見えた。
 ふらふらと、云われるままに足を踏み入れたサライの背後で、扉が閉ざされる。
「……さぁ、お仕置きの時間だ」
 その言葉とともに、扉に鍵がかけられた。


† † † † †


あけおめ期間はとっくに過ぎました(汗)。ぎりぎり一月!
ご無沙汰しております、久々の先生の話でございます。今回は“お仕置きだべぁ〜!!”――まぁ、そんなカンジでございます。



えーと、エル・グレコ展はじまってますが、まだ行っておりません。って云うか、一月はいろいろとあり過ぎて(職場の子が退職するので、描き溜めてた似非豆×ばをまとめて製本して記念に上げたのですが、その作業がね……とか、相続手続的なアレコレとか)、どうも頭のなかがとっちらかってました。それが高じて(?)実印押捺済の書類をなくしかけたりして、てんやわんや。部屋ね、うん、部屋は、某虎のおじさん並みのアレです。先生の部屋並みと云うべきか。推して知るべし、ですよ、ははははは……



しかし、ラファエロ展も3月からはじまるわけですが、得体の知れないイベントチケット(¥8,000−って!)はともかく、ペアチケットとかのお得券はないのか、Y売新聞社。
正直、ラファエロそんな好きでもないので、イマイチやる気がないのですが、まぁ見ておくか、くらいな?
その後の先生&みけらにょろの方が、もの凄く気になります。
って云うか、ラファエロパクリ野郎だからねー。聖母子像とか、見てるとみけのパク、先生のパク、その他のパクとはっきりわかれてて、その構図と雰囲気の違いが歴然なので、笑えますよー。聖母マリアの顔つきとかでもわかります。表情のつけ方というのかな。って云うか、あんなあからさまで良かったのか――金が入りゃ良かったのか本人。
多分、ラファエロので割と好きなのは、『アテネの学堂』と『小椅子の聖母子』だけだね。うん。



とりあえず、この項終了。
ものすごい放置プレイですみませんでした……
次は多分、ラファエロ展の感想+エル・グレコ展の感想ちらっと……多分。