左手の聖母 1

ミケランジェロが説明してくれるでしょう」
 画家のその言葉を聞いた瞬間、かぁっと頭に血が上るのを感じた。
「あんたが説明すれば良いだろう、レオナルド!!」
 思わず怒鳴りつけてしまったのは、今から思えば、多分、恥かしかったからだ。
 この自分、売り出し中の彫刻家、ミケランジェロ・ブオナロッティが、実はこっそりと詩作をしていて――あの画家、“普遍の人”レオナルド・ダ・ヴィンチが、それを知っているのだとわかったから。
 それは、別段隠しだてするつもりもないことだったのだが、それにしても、他人の内面のことを、こんな――サンタ・トリニタ寺院の前などと云う――往来で、ダンテの詩などと云う学問的な――そういう“lettere”が必要な――話題を振ってくるだなど!
 ――俺をからかうつもりなのか!
 俗語(イタリア語)しか読み書きできぬ、この自分を!
 いつもの薔薇色の丈の短い上着を着たレオナルドは、困惑したように突っ立っていた。
 美しい顔、綺麗に波うつ長い髪と髭、すらりとした長身――この男は、短躯で醜い、無骨なミケランジェロの持たない美質を、すべて備えている。
 その顔に浮かぶ、曖昧な微笑――どこかごまかし笑いのような ――を見ていたら、無性に腹が立ってきた。
「あんたが説明すればいいじゃないか、青銅の馬を、原型だけ作って、鋳造することもできなかったあんたがな! みっともなく、途中で投げ出して……」
 叫んだ。突き上げてくる怒りのままに。
 レオナルドは、顔を赤くして立ちすくんでいた。その隣りで、着飾った、美しい女のような顔の巻毛の小僧が、鋭く目を輝かせるのが見えたが、ミケランジェロは構わず背を向けた。
 がつがつと歩き出し、だが、それでも怒りはおさまらない。
 それで、彼はまた、くるりと振り返って叫んでやった。
「あんたに、そんな大それた仕事ができると信じたなんぞ、まったく、ミラノの連中は馬鹿もの揃いだな!」
 そう云い捨て、今度こそ、振り向くことなく歩み去る。胸の裡を、怒りと、気恥ずかしさと、何とも知れぬ感情とでいっぱいにしながら。



 フィレンツェには、久々の“春”が巡ってきていた。
 サヴォナローラの専横から解放され、人々は、手の内に戻ってきた自由の味を確かめているようだった。
 一五〇一年、ミケランジェロは、四年ぶりにこの花の都、麗しい故郷へと帰ってきた。すっかり空気の変わった、けれど変わらず美しいこの都へと。
 彼を育てたメディチ家は国外に逃れ、フィレンツェは、共和制――本当の意味での――を取り戻していた。
 サヴォナローラ神権政治の陶酔は、確かにミケランジェロをも酔わせはしたが――つまるところ、ミケランジェロは神の僕であると同時に、ディオニュソスの杯の捧持者、ミューズの信徒でもあったのだ。
 サヴォナローラの教義そのものには、共感するところもあったのだが、しかし、どこかに反発する心がなかったわけでもなく。
 それで、若いミケランジェロは、フィレンツェからローマへと逃げ出したのだ、己の心の裡の美と信仰とが齟齬を来たさずともに在れる、サヴォナローラの声の届かぬ遠い街へと。
 「ピエタ」(現サン・ピエトロ大聖堂、ローマ)を彫り上げ、それによって一躍彫刻家としての名を上げた彼に、フィレンツェ政府から声がかかったのが、一五〇〇年の暮れのこと。
 翌年帰郷すると、ミケランジェロの許には、あちこちから依頼が舞いこむようになっていた。
 元々、ロレンツォ・イル・マニフィコの秘蔵っ子として、その力量を知られてはいたものの、当時はまだメディチ家お抱えの彫刻家ではあったし、またそれと知られるほどの大作もものしてはいなかったので、依頼があっても、小品をいくつかこなした程度のことだった。
 だが、メディチ家は追放され、ミケランジェロ自身は「ピエタ」を完成させた――お蔭で、今の彼はちょっとした売れっ子だ。
 タッディ家やピッティ家からは聖母子のレリーフを依頼され、また共和制になったフィレンツェ政府からは、四〇年近くも手付かずだった美しい大理石――カッラーラ産の――で、ダヴィデ像を彫る注文を取りつけた。
 一方、レオナルド・ダ・ヴィンチ――“普遍の人”、画家、技師、様々に呼ばれる美しい男――は、長く仕えたミラノ公ロドヴィコ・イル・モーロの没落によって、故国――そうだ、フィレンツェは、あの男にとっても故国なのだ――へと戻っていた。
 レオナルドは、帰国するや、「聖アンナと聖母子」――マリアの母・聖アンナと聖母子、そして幼い洗礼者ヨハネのいる――を発表した。
それは、気品と優美さとに満ちたすばらしい画稿で、色彩もないと云うのに、見るものを強く惹きつけた。
 ミケランジェロも、もちろん、それを見た――つめかけた群衆の中に紛れて、ひっそりと。
 母親の膝の上に腰をかけた聖母マリアが、幼いキリストを腕に抱いている。キリストは、母の腕から身をのり出し、聖ヨハネの顎を捉えて、祝福を授けている。聖アンナは娘の顔を覗きこみ、陰影のある微笑をたたえて、人差し指で天を示している――
 優美な、ひどく謎めいた絵画だった。
 まずもって、描かれている人々の年齢があわない。聖アンナは、聖母の母であるからには老婆であるべきだろうに、この絵の彼女は、ほとんど娘と同じほどの年齢に描かれている。
 聖アンナの、天を示す指の意味もわからない――微笑みながら、娘に何を教えようとしているのかも。
 だが、一番の不思議は、実は四人の人物の絡み方だった。マリアは母の膝の上にいる。それは確かなのだが、どう坐っているのかがわからないのだ。
 ミケランジェロは彫刻家だ。彫刻とは、見たものを見たままに、立体的に再現する技のことだ。もちろん、見たいと思ったようにものを作り上げることもできるのだが。
 当然、彼には、絵を見た途端、そこに描かれた人間たちが、どのような位置関係で、どのように絡んでいるのかを、立体的に――全方向から見るように――把握することができる、通常の絵であったなら。 しかし、このレオナルドの画稿ばかりは、その様子を立体的に捉えなおすことが、どうしてもできなかった。
 ――騙し絵のようなものか……
 と思いはするが、しかし、絵としてはまったく不自然さを感じないのだ。ひどく自然で優美な、確かに美しい絵であった。
 聖母は、やさしげな、美しい微笑をたたえている。画稿の横に佇み、人々の称讃の声に応えるレオナルドと同じ微笑を。
 畜生、と、何故だか思った。
 それは、画稿の隣りにある画家と、群衆の中にある自分との、越えがたい距離のことであったかも知れないし、また、その距離に象徴される、自分たちの力量の差であったのかも知れない。
 レオナルド・ダ・ヴィンチ、あの男は紛れもない天才だった。まだ若造の自分では届かない、悩みもなく美しい、すべてを兼ね備えた“普遍の人”。
 畜生、と重いながら、己の部屋に帰って、黒チョークを取る。
 あの聖母を己の手で再現してやるのだと紙に向かうが、どうしても、レオナルドのあの優美さは、甦ってはくれなかった。
 畜生――思うようにならない聖母子の構図は、手の届かないレオナルドと同じだった。
 自分は画家ではない、と、ミケランジェロは、敗北感を振り切るように考えた。
 自分は彫刻家であって、画家ではない。そうして、そうである以上、自分がやるべきは、目の前の彫刻と向きあうことであって、他人の絵の構図をこねくり回すことではない。
 自分に云い聞かせ、ミケランジェロは鑿と槌を手に取った。
 それからは、無我夢中だった。
 美しい大理石の中から、ダヴィデがゆっくりと姿を現す。片手に小石、片手に石弓を握りしめ、彼方を見据えて佇むダヴィデ――その見つめる敵は、ペリシテ軍か、それとも――レオナルドか。
 そうだ、このダヴィデはまさしくミケランジェロ自身だった。まだ小僧と云われるべき若さで、単身レオナルドと云う強敵に立ち向かうダヴィデ。
 だが、そうとも、思い返してみるがいい。ダヴィデは、ゴリアテに勝利するのだ。そして、ミケランジェロもまた。
 掘り出されたダヴィデは、緊張感を持った完璧な美しさで佇んでいた。
 ミケランジェロは、深い満足感とともに、この“ダヴィデ”が、フィレンツェ市民から歓喜の声をもって迎えられるであろうことを確信した。



 だから。
 そう、ミケランジェロは、自分で思っていた以上に肩肘を張っていたのかも知れない。
 フィレンツェ市庁舎前に置かれた「ダヴィデ」を包んだ歓呼の声に、あの日「聖アンナと聖母子」の受けていたと同じか、それ以上の熱を感じ、レオナルドと並んだのだと錯覚したのかも。
 それで、ダンテの詩の話を振られた時に、どぎまぎしてしまったのだ。レオナルドが、自分の詩作するのを知って――あるいは、その一篇でも目にしたのかも知れないと思って、頭に血が上ってしまったので。
 混乱して、恥かしさを覚えて、かっとなって、それであんな風に怒鳴りつけてしまったのだ。本当は、対等に話をして見たいと熱望していたにも拘らず。――レオナルドの隣りに、美しい報復者がいると、気がつきもせずに。


† † † † †


お久し振りです。
すっかり放置プレイで申し訳……
えーと、新作、ではなくて、サイトにUPしてたのをこっちにちょっと。今、サイトも落ちてるのでね……
あと、ミケランジェロ展もやってるので。チケット買ってるのにまだ行ってないや……


この話は、実はこのブログを立ち上げる前に書いてたものです――つまり、イタリア旅行前。
なので、作中ヘンなことが書いてあるかも知れませんが、その辺はまァ、若さゆえの(以下略)ってことで……いや、こん時も若くはなかったんですけどね……
変なことと云えば、この章にはありませんが、史実のアレコレの挟み方がとても拙いです。ホントに拙い。
その辺にも目をつぶって戴けると、大変にありがたく……


この話、いろいろと世間に流布してるのと時系列が違ったり致します、が、その辺はあの、ロマン・ロランの『ミケランジェロの生涯』を元にしているからです。コンディヴィとかちゃんと読んでない……ヴァザーリもね……って云うか、ロマン・ロランが好きなんです。仏革命も、ロマン・ロランの戯曲が好き(しかし、仏革命でのバイブルは、何故かクレッチュマーの『天才の心理学』だが)なので!
田中英道氏の年表も使ってますが、基本の事件とかはロマン・ロランです。作家の勘を信じてる!


ってわけで、ちょこちょこと上げて行きたいと思います。
もう書き上がってるから、そう間は置かずに――まぁ、お茶を濁してる感は否めませんが(苦笑)。
22章+エピローグなので、まぁそれくらいの回数上げます。
ホントは箱館戦争続きとかも書きたいのですが。いろいろと余裕が出るまで、暫しお待ちを……