左手の聖母 4

 ミケランジェロが画題に選んだのは、フィレンツェ軍がピサ軍とぶつかった、いわゆる「カッシーナの戦い」だった。
 百五十年ほど昔のこの戦いの図は、実は、フィレンツェ軍勝利の絵図ではない。
 一三六七年七月二十九日、ピサと戦っていたフィレンツェ軍は、アルノ河畔のカッシーナ郊外に布陣していた。指揮官が熱病で床に伏していたこともあって、兵士たちはのんびりと水浴びをしてくつろいでいた。
 そこへ、ひたひたとピサ軍が近づきつつあったのだ。
 フィレンツェ軍は緩みきって気づきもしなかったが、ある者がピサ軍の奇襲を察知し、「我々は敗れた」と叫んで、陣は混乱した――
 ミケランジェロが、画面の右端、すなわち絵のクライマックスとして選んだのは、まさにその場面――混乱し、裸で慌てふためく兵士たちの図だった。
 もちろん、フィレンツェは、この戦いに敗れたわけではない。ミケランジェロが参考にしたフィリッポ・ヴィラーニの『年代記』には、その後、ピサ軍の襲撃を三度耐え、遂には敵を敗走せしめた旨が記されている。
 それを、敢えてその場面で区切ったのは、大会議室の同じ壁――それも、ロッジアをはさんで向かって右手に、レオナルドの「アンギアーリの戦い」が描かれるためだった。
 五百人会議室は、上から見ると台形をした部屋だ。その一番長い壁――丁度、下底にあたる――の真ん中に、救い主イエスの像を戴くロッジアがあり、それをはさんで両側に、左にミケランジェロの、右にレオナルドの絵がくることになるのだ。
 レオナルドの「アンギアーリの戦い」は、フィレンツェ軍の出陣、軍旗争奪の戦いから、ミラノ軍の敗走とフィレンツェ軍の勝利という流れで構成されていた。
 それならば、ミケランジェロの「カッシーナの戦い」を、出陣、小競り合い、襲撃された混乱の図、と組めば――レオナルドの勝利の図は、そのままカッシーナでの勝利の図と読ませることもできるだろう。
 そう決めるや、ミケランジェロは、サント・オノフリオの病院の一室を借りて、そこを画稿のための作業場にした。
 そこは、染色業者のための施薬院で、つまりは基本的に、染色組合の人間と、病院の関係者しか出入りしない場所だった。画稿や素描を見られるのを嫌うミケランジェロにとっては、ここは秘密保持にもってこいだったのだ。
ミケランジェロは、「カッシーナの戦い」について、簡単なデッサンと構図を描きとめただけで、いきなり原寸大の下絵に取りかかった。既に画稿の完成しているレオナルドに追いつくには――まして、ミケランジェロは、その時、フィレンツェ大聖堂に納める彫像十二体や、ドーニ家から依頼された円形画など、他の仕事を抱えてもいた――、工程を飛ばすくらいのことはしなくてはならなかったのだ。
 ミケランジェロは、この画稿に心血を注いで取り組んだ。
 先に見たレオナルドの画稿が、脳裏から離れなかった。
 あの絵、戦闘の凄惨を描ききったあの絵の隣りに描くのなら――自分も、己が持てる力を振りしぼって当たるべきだろう。否、振りしぼらなくては、とても隣りに並んであることなど許されまい。
 ミケランジェロはひたすらに描き――行き詰ると、こっそりとパラツィオ・ヴェッキオへ赴いて、レオナルドの画稿や、時にはレオナルドその人を、こっそりと見た。
 レオナルドは、彼の描く絵と同様に美しかった。半ば白くなりかけた、波打つ茶色の髪と同色の髭、榛色の瞳は聡明な光を湛えつつ、時にやさしく、時に意地悪く輝いている。
 そして、その声ときたら! 彼が最初にミラノへ赴いた時、その肩書きが音楽家だったと聞いたことがあるが、それもむべなるかな、だ。深く美しい、その声音――聞くものを陶然とさせるその声は、彼がどんなことを語っても、聞き手の心を強く動かすのだ。そう、例えば他愛のない小話ですら。
 だが、ミケランジェロは、レオナルドが時折、仮面のような笑みを浮かべながら、人々の間で沈黙していることを知っていた。
 それは、大概は“学問”――lettereがあると自負している輩が、古の哲人や学者などの説を、さも己のものであるかのように語っている時に、よく見せるものだった。
 その連中は、話のしめ括りには、大概、こんな風に云い出すのだ ――
「ねぇ、そう思われませんか、マエストロ?」
 云われたレオナルドは、応えない。ただ、黙って微笑するのだ、何かを隠すかのように、ひどく曖昧に。
 それを見るたびに、ミケランジェロは叫び出したくなった。
 ――何故、阿呆を阿呆と云ってやらんのだ!
 レオナルドが、自らを“無学の人”と云い、また“経験の使徒
”とも称していることを、ミケランジェロは知っていた。
 そうとも、学問で――過去の他人の言葉でしか語れぬものなど、ただの阿呆でしかない。己の経験によって、己の言葉で語るものこそが、真の智者と呼ばれるべきなのだ。
 レオナルドが、自身を“無学者”と云うのにも、そのあたりのことを含め、やや誇らしげな意味ですらあるに違いないと、そう確信していたと云うのに。
 ――俺と話すなら、あんな顔などさせはせんのに……
 ミケランジェロにも、lettereはない。
 だがそれ故に、彼もまた“経験の徒”と云うべきものだった。
 同じ“経験の徒”とは云え、その経験そのものは、人それぞれに異なっている。
 その、おのおの異なる経験の主が互いに意見を戦わせれば、もっと様々なことが明らかになるだろう。殊に、それがミケランジェロと、あのレオナルドであれば、より一層。
 だが――
 現実には、レオナルドは遠くで阿呆どもに囲まれて、あの曖昧な微笑を浮かべて佇んでいて、ミケランジェロは、それを歯噛みしながら見ているだけなのだ。何と云うこと。
 けれどまた、ミケランジェロは、あの男が決して、理解されぬ苦い思いでばかり生きているわけでもないことに、残念ながら気づいてもいた。
 サライ――あの“小悪魔”とともにある時のレオナルドは、ひどく愉しげに笑っているのだ。まるで、この上ない理解者とともにいるかのように、顔だけが取り柄だろうという、あの青年と語らっている。
 だが、思い返してみれば、やはりサライは顔だけの男ではないのかも知れなかった。
 ――あんた、先生と同じくらいすげぇよ。
 あの日、サライの口にしたその言葉は、世辞ともへつらいとも違ったまっすぐさで、ミケランジェロの肚の底まですとんと落ちてきた。
 多分レオナルドは、“小悪魔”サライの、あの不思議な率直さを愛しているのだろう。
 二人の間に流れる、あの濃密な空気は、彼らが互いに愛し合っている――それは、決して俗な意味ではなく――ことを示していた。垂直な神の愛(アガペー)ではなく、水平の愛(フィロース)に似た――その、最も美しいかたちが、そこにはあった。
 二人の愛の間に、自分も身を置くことができたなら、それはどれほど幸福なことだろうか。
 ミケランジェロは、そんなことを考えながら、レオナルドとサライの顔を描き、その横にこっそりと“Leonardo”と書きつけた。余人に見られても、それが誰だか知られぬように、あの豊かな髪と髭とを取り去って。
 レオナルドと、いつか対等に話をしてみたい。そうして、サライに“やっぱりすげぇな、あんた”と云わせてみたい。
 そんなことを思いながら仕事をしていたためだろうか、ふと気がつけば、円形画の聖家族の下絵は、聖母マリアサライの顔に、聖ヨセフの顔はレオナルドに、それぞれ似てしまっていた。
 ――……まぁ、いいか。
 元々、マリアのモデルはサライにするつもりだった――あの美しい顔は、本当の女の中にもそうはいない――のだし、そうである以上、ヨセフの顔がレオナルドに似たところで、不思議はないと云うより、むしろ当然であるように思われた。
 そう思って画面を見直すと、円形の「聖家族」は、中々よく出来ているように思われた。
 もちろん、レオナルドの「聖アンナと聖母子」とはまったく違う。あんな柔和な女らしさは、ミケランジェロの得意とするところではなかったし、また好むところでもありはしなかった。
 ミケランジェロが好んだのは、男性の崇高な理性と、神への愛による調和の世界――レオナルドのよく描く“魂の双生児”など、この世の中にはないのだから。
 レオナルドの“魂の双生児”の観念は、ひどく甘美なものに感じられたが、それが現実には存在し得ないことを、ミケランジェロはよく承知していた。
 だから、「聖家族」の中で、マリアは土の上に坐り、幼児イエスを肩の上にもたげ、ヨセフが背後からそれを支えるような構図に三人を描いたのだ。そう、聖書の中に記されたとおり、神の定め給うたように、男女一対の夫婦として――ミケランジェロ自身は、その律に従えぬのだと知りながら。
 そうとも、ミケランジェロは、どこにあっても無粋な闖入者だ。神の定める男女の対も作れず、さりとてプラトンの云うような、性別に拘らぬ対を作ることもできぬ。彼は独りだ――どこまでも、ただ独り。
 だが――
 例えば、レオナルドが父で、サライが母であるような、そんな対の下でなら、自分も、独りではない子供としてあれるのではないか?
 ミケランジェロはそう思いながら、幼児イエスの顔を描いた。
 マリアの肩の上で、母を見下ろすイエスに、暗褐色の巻毛を与える。自分と同じ質の髪を。
 ――うん、これでいい。
 現実はどうあれ、絵の中では何でもできる。絵の中では――自分はキリストにも、あの二人の子供にもなれるのだ。
 ミケランジェロはにっこりと笑うと、その下絵を板の上に写し取っていった。



 その円形のテンペラ画は、依頼主であるフィレンツェの羊毛織物業者アニョロ・ドーニに無事に引き渡され、後に「ドーニの聖家族」と呼び習わされることになる。
 この絵に描かれた聖ヨセフがレオナルド・ダ・ヴィンチに似た容貌であることは、既にトルナイなどによって指摘されたことである。
 そしてまた、聖母マリアも、一人の青年をモデルに描かれたことが、カーザ・ブオナロッティに残る習作によって知られている。
 すこし上を見上げる美しい貌のその青年が、どこの何者であるのかを知るものはない――


† † † † †


はい、みけの話、続き。
ホントに拙いな……と云う、この作者目線の折りこみ方。
マジで拙い……最近の話だと、こう云う“the作者目線”は止めて、完全一人称的三人称乃至は一人称にしてるので、多分今書いてもこの辺のやり方は巧くないとは思うんですが。
誤魔化し方を知らないってさ……って気持ちになりますね、うう、拙い……


でもって。
「ドーニの聖家族」こと“トンド・ドーニ”は、フィレンツェのウフィッツィ美術館にあります(イタリア旅行記参照のこと)が、えーとですね、アレのヨセフ、生で見ると本当に先生です。面白いくらい先生です。先生とサラの夫婦。おかしい。
でもって、キリストはみけの頭みたいな、ブルネットのぐるぐる巻き毛。何かこう、みけの欲望じゃない欲求表れまくってる感じですね! 先生とサラん家の子どもになる! みたいな。可愛いっすよ、ふふ……


あ、そうそう、西洋美術館のミケランジェロ展行ってきました。
カーザ・ブォナロッティ絡みのでは、二十年近く前にやってた、今は亡き三越美術館のあれにも行ってるのですが、あの時の方がでかい彫刻が来てたような? が、あっちは習作って云うか作りかけもいいとこだったのに対して、今回のは完成品である「階段の聖母」が来てたので、こっちの方がアレかな……でも、みけのデッサンとかは、前回の方が多かったかも。
木彫の磔刑図は、思ってたよりも全然小さくて、何かこう、個人の持仏、じゃないや、日常の礼拝用に作ろうとしてたような感じかも。
クレオパトラのデッサンは、例の女友だち絡みのような気がしてたのですが、ガヴァリエッリにやるつもりだったとか何とか――でも、女友だちとガヴァリエッリって、確か知り合いって云うか、割と親しかったような気がするので、どっちもありなのかな、と。


で、そうそう、レダのデッサンですが。
“耳のかたちがサラ!”と、沖田番と盛り上がりました。
解説には、別のモデル名が書いてあったのですが、耳のかたちとでこから鼻のラインとか見ると、やっぱサラっぽいです。ちょっとね。
アレでしたら、“トンド・ドーニ”と見較べてみて下さい、笑えます。
レダのデッサンって、サン・ロレンツォ聖堂の、“夜”の彫刻のもとでもあるって話なんですよね。アレでしたらそれもどうぞ〜。


さてさて、この項終了。
まだまだこの話は続きますよ〜。