左手の聖母 13

 右手が動かなくなる徴候は、実は冬あたりから出ていたのかもしれない。槌を握る手にかすかな違和感を感じたのは、もうかなり前だったような気がするからだ。
 本当に気づいたのは、三月ごろ――ウルビーノ公ロレンツォの柩にのせる“曙”と“黄昏”の整形をはじめた時だ。
 ミケランジェロはしくじった。それも、一つだけではない――四つの石塊を、鑿を入れ損なって駄目にした。四つも! 普通ならば、あり得ないことだった。
 事態はそれだけにとどまらなかった。騙し騙し使っていたのが悪かったのか、四月の末には、ミケランジェロの右手は痺れたようになって、何かを持とうとすると、ひどく痛むようになっていた。槌を持つことはもとより、ペンを握ることすら困難になっていた。
 ミケランジェロは、恐慌状態に陥った。
 槌を握れないと云うことは、すなわち彫刻家としてはおしまいだ。そうして――彫刻家でしかないミケランジェロが、彫刻することができなくなったなら、それはすなわち、彼と云う人間のおしまいも同然ではないか。
 ミケランジェロは怖ろしくて、誰にも右手のことを話せなかった。
 話して、何になると云うのだ? 周りの人間は皆、?彫刻家ミケランジェロ?に惹かれて傍にいるのだ。そのミケランジェロが彫刻をできないとなれば――彼らは皆、彼の傍から離れていくのではないだろうか。
 そう考えると、いよいよ黙っていることしかできなくなった。
 だが、右手が使えなければ、仕事も進まない。しばらくの間は、それで誤魔化しがきいたとしても、いずれことは露見する。そうしたら、彼は一巻の終りだ。
 ミケランジェロは、恐ろしさに耐えかねて、逃げ出した。
 クレメンス?世から与えられた、サン・ロレンツォ聖堂横の家を畳み、方々――法王と、ユリウス二世の遺言執行人、それから親しい友人たち――へ、仕事を辞め、金も返す旨の手紙を書いて、フィレンツェを去ったのだ。
 手紙を受け取った人々は、驚愕し、考え直せと返事を送ってよこした。彼らばかりではない、他の知人や職人たちからも、考え直すよう手紙が送られてきた。
 “考え直す”! それは、もしも自分が万全の状態で、仕事が進められるにも拘らず、厭世観などに駆られてすべてを投げ出したのであれば、有効な助言だっただろう。
 だが――考え直したところで、動かぬ右手は治らない。
 そしてそうであれば、考え直そうが直すまいが、結局は同じことなのだ。
 暫くは、フィレンツェ近郊をうろうろしていたミケランジェロだったが、引き止める声のあまりの多さに、国内にいては捉まるだけだと考えはじめていた。
 フィレンツェは駄目だ――あまりに顔が知られすぎている。ローマも同じ、ただ捉まるために行くようなものだろう。
 となれば、ミケランジェロの顔が知られていない、国外のどこかへ逃げ出さねばならぬ。
 土地勘のまだしもあるのはボローニャだが、あそこでも顔が割れている上に、ユリウス二世の銅像の件で、市民の心象は決して良くはない。一度訪れたヴェネツィアも、土地勘がないので、すぐに捉まってしまいそうだ。
 いや、そもそも、一度でも訪れたことのある場所は、法王や知人たちも逃亡先として考えるに違いない。
 どこか、誰もミケランジェロがいることを考えもしない場所――
 ――……ミラノ、は?
 ミラノといえば、レオナルド・ダ・ヴィンチの名が有名で、ミケランジェロとは何の繋がりもありはしない。
 そして、サライは云っていたではないか?
 ――先生、ミラノの端っこに、イル・モーロから貰った葡萄園を持ってるんだ。……
 そこに、サライは家を建てたと云っていたではないか?
 レオナルドは死に、遺産は養子が継いだのだろうが――そこに行ってみれば、サライのことを知る誰かがいるかも知れないし、うまくすれば、倉庫代わりに使っていたと云うその家で、レオナルドの画稿や素描の一枚でも、目にすることができるかも知れないではないか。
 そう思って、すこし浮き上がる自分の心に、苦笑がこぼれる。自分は最早、彫刻も絵画も、無縁の人間であると云うのに。
 それでも、行くあてができただけでも、ミケランジェロにとっては結構なことだった。
 思い立ったら、即実行だ。
 ミケランジェロは、もう翌日には、ミラノへ向けて旅立っていた。逃げ回るものの不安な足取りではなく、目的のある旅人の、しっかりとした歩みでもって。



 ミラノは、フィレンツェとはまったく異なる街だった。
 フィレンツェは、四方を小高い丘や山に囲まれて、他の街から訪れれば、ちょうど見下ろす盆地の中に、霧の合間に浮かぶように見える街だった。アルノ川が市中を貫き、幾つもの橋が、あちらの岸とこちらの岸とを結んでいる。街路は狭く、いりくんで迷路のよう、高い家々の間から、あちこちに教会の尖塔や円蓋が見え、そのかたちで方向を見定める、人も建物もひしめき合っているようなところだった。
 ミラノは、そのフィレンツェよりもかなり北に位置する街で、痩せた山々の間にあるようなフィレンツェとは、まったく趣を異にしていた。
 ――空が、広い。
 そう思ったのは、おそらくは、ミラノの街路が広く、また建物もやや低層のものが多かったためでもあろう。
 完全に石でかためられたフィレンツェとは違い、ミラノには、市壁の中にも緑がある。もちろん、その外にも、地平まで続くような、緑の野。
「初夏のミラノは美しいですよ」
 とは、ここまで荷馬車に乗せてくれた商人の言葉だったが――誇る言葉にも頷ける。
 木々の緑と、あちこちに咲く花の彩、北であるためか、フィレンツェのそれよりも涼やかに、頬を撫でてゆく風――不思議な、解放されたかのような、この気分。
 フィレンツェやローマなど、半島屈指の大都市を目にしてきたミケランジェロの目にも、ミラノは充分に大きく、また美しい街であると思われた。
 ミラノまでは、様々な商人たちの荷馬車に乗せてもらって辿りついた。
 背中がひどく曲がり、右手を庇うように歩くミケランジェロを、彼らは怪我を負った老人とでも思ったものらしい。親切に声をかけて乗せてくれ、次の荷馬車を探してさえくれた。
 本当は、まだ五十前なのだがと苦笑しつつ、彼らの心遣いが非常にありがたかったのは、本当のことだった。歩いてであったなら、あと一週間は余計にかかっただろうから。
 だが、商人たちのお蔭で、こうして早々に、ミラノの地に立つことができたのだ。
 それに――自分を老人だと思いこんでいれば、法王や知人たちの使いのものも、惑わされて追いついてはこれなくなるだろう。
 問われれば、商人たちはこう答えるはずだ――「彫刻家? いいえ、私どもの乗せたのは、右手の不自由な老人だけでございます」と。
 ともかくも、ミラノには着いた。さて、次はサライを探さねばなるまいが――手がかりときては、レオナルドがロドヴィコ・スフォルッツァから貰い受けたと云う、葡萄園の存在だけだ。
 そう云えば、レオナルドは昔、このミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ修道院に、「最後の晩餐」の壁画を描いたのだと聞いた。そこへ行けば、レオナルドの地所について、何か話が得られるかも知れない。
 道行く人に訊ね、サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ聖堂を目指す。
 修道院は、施療院や畑など、様々のものを備えていなければならないので、大概は市壁の外にある。ドメニコ会――サヴォナローラと同じ会派だ、そう云えば――に属するこの修道院も、ご多分にもれず、ミラノの市壁のすぐ傍に位置していた。
 訪ねていくと、僧院の修道士は、
「マエストロ・レオナルドの葡萄園なら、この傍の市門を抜けて、すぐのところがそうですよ」
 と教えてくれた。
 市門の向こう。それは、本当にミラノの端も端だ。
「マエストロ・レオナルドは亡くなったそうですが、従僕だった方が住んで、葡萄園を管理しているとか――譲り受けたとも聞きましたね。縁の方なのですか? でしたら、その方を訪ねられると宜しいでしょう」
「ありがとう」
 ミケランジェロは、心から礼を云った。
 残念ながら、「最後の晩餐」を見ることはできなかったが――まぁ仕方がない、彫刻家ではないただの老人に、修道院内の壁画を見せてくれるはずなどない。
 それよりも、まずはサライだ。
 修道士に教わったように、すぐ近くにある市門を出ると、市壁のすぐ傍に葡萄園が広がっていた。
 そうして、その端に、小さな家屋――これが、サライの云っていた?
 ミケランジェロは、その家の前に立ち、ほとほとと扉を叩いた。
 すると、
「はぁい!」
 と女――女?――の声がして、扉が開いた。
 中から顔を出したのは、初老の女。サライの妻? いや、そんな風には思えない。
「どちら様?」
 問われて、一瞬口ごもる。
「――俺は、その……マエストロ・レオナルドの……」
「ああ!」
 女は、みなまで云わせはしなかった。
「ちょっと待って下さいな。――あなた!」
 奥を振り返って叫ぶと、
「何だ?」
 今度は男の声がした。
 サライのものではない。やはり、この女は、サライの妻ではないのだ――かるい失望と、大きな安堵。
「マエストロ・レオナルドのことで訪ねていらしたお客様よ」
「またか。――おや、あなたは……」
 出てきた男は、やや太った、中背の男だった。ミケランジェロより年上であろう、灰色の髪とやわらかな茶色の瞳――サライではあり得ない。
 男は、驚きに目を見開き、握手しようと手をさし出してきた。
「マエストロ・ミケランジェロ! どうしてあなたがミラノなどに?」
 ミケランジェロは、痛む右手の代わりに、左手をさし出した。
「ちょっとあってな。――俺の顔をご存知か」
「もちろんですとも。私も、マエストロ・レオナルドについて、ローマにおりましたからね。――私はバッティスタ・デ・ヴィラニスと申します」
 と云って、すこし痛ましげに左手を見、握手をした。
 男の名には聞き覚えがあった。
「バッティスタ、と云うと、例の羊の腸の……」
 昔、サライの云っていた言葉を思い出して云うと、相手は苦笑いを浮かべた。
サライにお聞きになりましたか。そうです、私がそのバッティスタですよ」
 サライの名が、するりとその口から出てきたことに、ミケランジェロは心底驚いた。自分とサライがしばしば会っていたことなど、当人たち以外は知らないだろうと思っていたのだ。
「あなたもサライも目立ちますからね」
 バッティスタは、くすくすと笑った。
「まして、あなた方は、マエストロ・レオナルドの部屋でお会いになることが多かったでしょう。それは、いやでも目につきますよ」
「そ、そうか……」
 充分人目には気をつけたつもりだったが、それでも見ていた人間がいるということか。
 しかし、それならば、
「……レオナルドには、そのことは……?」
「マエストロはご存知ありませんでしたよ。幾度か、道で声をかけていらしたところなどは、見たことがおありでしたでしょうが。――それにしても、どうしてまたミラノなどに?」
「骨休めにな。――昔、サライに、このあたりに家を建てたと云う話を聞いていたので、寄ってみようかと思ったんだが――」
 この男がここにいるのなら、サライは別の土地へ行ってしまったのかも知れない。レオナルドのいないこの場所を捨てて、どこか、一人で自由に生きられるところへ去っていってしまったのかも知れない。
 バッティスタは、複雑な表情で微笑んだ。
サライに会いにいらしたのですか。それでしたら、この葡萄園の南側にある家におりますよ。サライが、マエストロのために建てた家に。マエストロは遺言で、この葡萄園を、私とサライに遺されたのです。サライは、家の建っている南側を相続したのですが――」
 そうして、暫、沈黙する。
 ミケランジェロは不安になった。
 もしや、自分は歓迎されざる客だったのだろうか? サライは  ――レオナルドと別れてから、すっかり変わってしまって、自分などが来るのを疎ましく思うのだろうか?
 みつめるミケランジェロの目の前で、バッティスタは小さく溜息をついた。
サライの友でいらしたあなたなら、あるいは……――ご案内致しましょう。サライは、こちらです」
 誘われて、ミケランジェロは頷いた――胸の奥に、不穏な風の渦巻くのを、不安な気持ちで感じながら。



† † † † †



みけの話、続き。
何故かミラノ、なのは、まぁアレですアレ……


この辺のアレコレは、ロマン・ロランの『ミケランジェロの生涯』(岩波文庫)を参照に。何かこの時期、みけトンずらしてたそうですよ、他の本には出てませんけどね。
バッティスタ・デ・ヴィラニスは、『レオナルド・ダ・ヴィンチの空想厨房』(東京図書)書いた人っぽいカンジ。いや、←この本ホント面白いっすよ! サラが草食わされてたりとか、夜中に厨房でポレンタに卵挟んで食ってたりとか。すっげバッティスタっぽい。お勧め!



ところで、昨今の阿闍梨まわりのあれこれに触発されたと云うよりは、何かやっとかたちになってきたので泰範の話を書きたいなぁと思いはじめているのですが。
それに先立って、岩波文庫の『インド思想史』(J. ゴンダ)を読んでみました――ウパニシャッドとかヴェーダンタとかが非常にわかり易く、これ読んでから『仏教の思想』シリーズ(角川ソフィア文庫)読んだらわかり易かったんじゃね? と思いました。
とりあえず、龍樹は凄いらしい。そして、ウパニシャッドとかがわかり難いのは、そもそもの理論の立て方がいい加減だかららしい。じゃあわかんなくても仕方ないじゃん、ウパニシャッド
あと、夜の(以下略)の奈良の坊主どもが、般若心経の解説で「上座部の云うような実体などなく!」とくり返すのもよくわかった。なるほど、“無色無受想行識無眼耳鼻舌心意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得”(。なし)なんだわね。
ブクログのレヴューでは、“著者の云ってることは意味がわからん”とか云うのがありましたが、何でや、ものすごく端的でわかり易いぞ。……しかし、西洋哲学の方が禅問答よりわかり易い人向け、と云う意味でのわかり易さか……(←禅問答はさっぱりわからん) でも、普通にわかり易いけどなぁ。うむ。


とりあえず、泰範の話は、青、紅に較べるとくだけた文になる予定。子どもっぽい阿闍梨を存分に書きたい、そしてちぃも!
しかし、多分二期やるたいばにもかきたい……自分三人下さい……


とりあえず頑張ろう。
次もみけの話で〜。