熊野往還記。 一

久々に紀行。
ホントは神社系なので、紀行にできないんじゃないかと思ったんですが(出雲とか鹿島とか香取とか、全然書いてないもんな)、熊野はちょっと書かないと(自分が)おさまりがつかないカンジなので。
興味とお暇のある方は下からどうぞ。



ってわけで熊野。
家を出たのは六時ちょい過ぎ。7:30に東京駅待ち合わせなのです。
が、何かさくさくついた(7:10ごろ)ので、7:33ののぞみ(確か)で名古屋へ。乗り換えるのは10:01発のワイドビュー南紀。これで新宮まで行くのですが――しかし到着予定は13:37……おいおい、三時間半かよ!
ちなみに、7:33の電車にした(乗換案内では8時過ぎのが出てきます)のは、この3日間使う“南紀熊野古道フリーきっぷ”を、名古屋駅で買わねばならんからです……



ちょっと書いておきますと、この“南紀熊野古道フリーきっぷ”は、JR東海が発行しているフリーきっぷで、出発駅とJRのフリー区間(伊勢路or中辺路)によって値段が違います。フリー区間までの往復特急指定券と、3日間のフリーきっぷ、それに指定バス路線のフリーチケット引換券がついたものになります。
私たちのお宿は熊野市下車、熊野三社は新宮と紀伊勝浦で下車すればOK(そして那智と本宮はそこからバス)なので、これがあれば、三社巡りは充分と云う大変お得なしろもの。
但し、発行場所がJR東海区間内、出発駅及びその周辺の主な駅、及び主な旅行会社の支店・営業所、と云うことで――東京のJR東海ツアーズでは、フリープランの中に含むかたちでしか発行できないと云われたのです……しくしく。



なので、ワイドビュー南紀の乗り換え前40分ほどに名古屋に到着したら、そのままみどりの窓口へ。
チケットを買い、同時に南紀の指定もつけてもらったら、駅弁&飲みものを買い、いざ出発! 駅弁は、何となく買っちゃう柿の葉寿司、沖田番はサンドウィッチ&一口おにぎり。まぁ、シェアするんですけどね、どっちも食べたい!
と云うわけで、乗りこむとすぐに、早い昼ごはんに。だって朝は6時前だったんだ……!
もぐもぐしながら電車は進みます。が、ワイドビュー南紀は単線なので(またか)、何かあったら遅れます。案の定、上り列車に遅れがあったとかで、既に四日市の前あたりで5分程度の遅れが。まぁ仕方ない、そもそもこの前後にほとんど便もない(確かワイドビューは一日4本くらいだったはず)し、焦ったって仕方ないので、のんびりと構えます。大体、乗り換えがないから、焦る必要もないしね。



沖田番とだらだらとしながら過ごして、新宮市についたのは13:40過ぎでした。
さくっと駅のロッカーに荷物を預け、散策にGo。
まずは神倉神社へ参ります。
この神社、何でも熊野にはじめて神様が降り立ったところだそうで(「熊野権現垂迹縁起」によるbyうぃき、「古事記」「日本書紀」では、神武天皇の東征の時に登った山だとか)、まぁ巨石=磐座信仰の神社ですね。何かには、熊野速玉大社の古社だと云う説も載ってたな。
まぁとにかく、母が知人(大分すぴりちゅあるに足を突っこんでる)から“いいわよ!”と勧められたのだそうで、下見的に行ってみるかと云う。
が! ここの石段が!! 何かうぃきには助殿が寄進したって伝説があるとか書かれてますが(いや、助殿は東大寺でいっぱいいっぱいだったのでは?)、ともかくもそう云う伝説の石段はもの凄い急勾配でした。
行きあった地元の方曰く“ここは45度あるからね!”だそうですが、うん、ものっそい急。沖田番なんか「後ろにひっくり返りそうですぜィ!」とか叫んでる――うーん、田舎の古い家の階段みたいだよね。
それでも神護寺の石段よりは短いだろうと思ってたのですが、いやいや、流石にあそこまではないけれど、それでもそこそこ距離はありました。
山自体は標高120mだそうですが、多分巨石=“ごとびき岩”までの高さはそこまでないと思います。ハイキングコースがあって、大体一周二時間くらいだと、地元の方がおっしゃってたもんな。二時間でここと速玉大社回らなきゃなんないから、それはパス! と云いつつお参りして下山。



いやいやその前に、岩のこと書かなきゃだろ自分!
えーと、“ごとびき岩”は、もの凄くでっかい岩でした。でかい岩と云うと、広島・宮島の弥山の磐座を思い出しますが、あっちが白っぽい、乾いた感じの岩だったのに対して、こちらは緑の山中にあり、色も黒っぽくて何か湿った感じがします。その辺は、瀬戸内海に面した宮島と、太平洋に面した熊野の気候風土の関係なのかなぁ。何となく(熊野全体に云えることなんですが)、五来重『熊野詣』(講談社学術文庫)の冒頭にあったとおり、“シュヴァルツ・ヴァルト”って云う語感が似合うカンジ。往き惑う森、みたいな。
うん、“ごとびき岩”に神様が降りて舞を舞った、とか云われたら、ええ〜って感じだなぁ。弥山のは、そうかもねと思えるような感じなのですが、こっちはごとびき=ヒキガエルの名のとおり、昔神様の乗ってきたヒキガエルが、ここでそのまま岩になりました、って云われた方がしっくりくる。何か、そう云うことを云われても納得できるような雰囲気がある場所です。
が、正直、ここを気軽に“オススメ!”とは云えないなぁ……
それを云うには、石段の傾斜がきつすぎます。帰りがけに行きあったちっさい子なんか、手ぇついて登ってたもんな、近所の子だと思うけど! あと、石段は熊野古道と同じような石畳なのですが、石が動くことはないんだけど、上の面の角度がまちまちでね! 足をかける石を選ばないと、大変なことになります。今年に入って、もう四人が転落したそうですよ……



ちなみに。
この神倉神社は、二月六日の御燈祭(おとうまつり、と読むそうな)が有名だそうで。
そう云えば、何かTV(多分NHK?)で昔見たような気がしますが、松明を持った“上がり子”たちが、石段を一気に駆け下りる祭りなのだそうで。ここ←から画像見れます。
たまたま、今回のお宿でチェックインを担当して下さった方の知人が参加されたことがあるそうなのですが、「あれは殺し合いだよ」と云う感想が返ってきたのだとか……まぁ、何かこう、推して知るべし、ですな。



さて、でもって、時間もないので速玉大社。
国道42号線(考えてみたら“しに”だよ、すげぇ番号)を北へたらっと歩いて7、8分ほど、熊野川にかかる橋の手前で左折してちょっと行くと、もうそこが速玉大社です。近い。
新宮駅で見た熊野三社萌えキャラ化ポスターでアレなとおり、熊野速玉大社は、三社の中では末っ子的なカンジ。多分一番新しい(っても、神倉神社の創建が西暦128年だそうなので、いろいろ差っ引いても古いはず)んじゃないかなー、って思うのは、社殿が新しいからかも知れません。戦後に再建されてるそうなので。でも、やっぱり新しい社殿の那智大社はもうちょっと落ちついてるカンジだったから、やっぱキャラか? まぁ、この辺昔から“新宮”って云ったのだと思うと、やっぱり新しいお宮だったんだろうなぁ、相対的に。とは思います。
境内には、平重盛が植えたと云う梛の木があって、シンボルみたいになってます。
とりあえず社殿にお参りし、お守りを物色。ガイドとかに紹介されてた梛の葉守り(金属のチャーム付根付的な)が可愛いのでそれと、それから紐守りと云うミサンガっぽい腕守りをGet。
沖田番は、同じく梛の葉守りと紐守り、それから家族用にあれこれ物色しておりました。山南役への土産物は、紐守りと災難厄除け笛守り。災害時に便利。



でもって、ちょっと時間もあるので、大まわりになりそうですが、熊野川と並行して走る道をたらたらと。
途中にこんもりしたものがあるなー、と思ってみたら、何と城跡でした。“丹鶴城址”とか書いてあって、どうやら公園になっている模様。あれ、ここ、行家叔父じゃなかった新宮十郎行家の関係の城なんだ。ここを築城しようとしたのが、堀内氏と云う土地の豪族らしいのですが、その祖先が行家叔父なのだそうで(byうぃき)――そうか、新宮十郎の“新宮”って、新宮市の新宮か。そう云や、確かに熊野別当とも関係があったっぽいもんな。
まぁ、実際に築城したのは元の紀伊藩主の浅野氏の重臣、っつーか多分一門? の浅野忠吉だそうなんですが。堀内氏は関ヶ原の戦いで西軍についたので駄目になったっぽい。その後、計画を引き継いで実際に築城したのが浅野忠吉で、さらにその後、紀州徳川家が入国した後は、付家老だった水野氏の居城になったのだそうです。
海に近いせいか、鳶がたくさん飛んでいる。ちょうど登ってきた月と一緒に、城跡をぱちりと一枚。うむ、ちょっと良い。



その後はさくさくと道を進み、新宮駅から熊野市駅へ戻ります。
今回のお宿は、ネットで見つけたリゾートクラブ的な「里創人 熊野倶楽部」。熊野古道エコツアーから見つけたのですが、ここ、宿泊プランに無料の熊野古道ウォークがついている(プランによりますが)。その他にも、もちろん中級者〜上級者向けのエコツアー(別料金)もあります。
事前に到着予定時刻は伝えてあったので、さくっと駅で拾ってもらい、お宿へ。結構山の中? とか思ったら、結構駅の南の方でした。敷地はもの凄く広い。ペンションみたいな独立した部屋もある、まぁ要するにリゾートクラブ的なところです。2008年開業らしいので、まだまだ綺麗。
お部屋は青龍と云う、まぁ普通の客室みたいな。ベッド(ツイン)と和室8畳、テラスがついてて、中々広々。ちなみに全室禁煙で、煙草はテラスにおかれたテーブルセット的なとこで吸うカンジ。まぁ、私にも沖田番にも関係ないですが、吸わないので。



到着が結構それなりの時間だったので、さくっと晩ご飯、と思って上着を脱いだ、ら!
ペンダントの紐が切れてた……細い革紐だったから、ヤバいかなーとは思ってたけど! これしてったら落としそうだなーとも思ってたけど! ううう、10/12のすぱーくで買った一点ものなのに! (ちなみにレジン) そりゃそんなに高くなかったけど、サークル名憶えてないから、次買えるかわからんのに……(泣)
が、もう仕方ない、それよりアメジストの数珠ブレスつけてこなかった自分を褒めたい(間違いなく炸裂してたと思う)。これはもう、これからの熊野滞在でいいことがあると云うか、無事に回れるってことだと思って諦め(でも、道々で探すんだけど……)。
とりあえず施設内を探検。風呂と食事は別棟(もちろん、内風呂もあるけどね)なので、そこらへんをちょっと見物がてら。
うむ、本当に敷地広い。砂利の敷かれた階段を結構下ると、風呂のある別棟に到着。綺麗で大きい――これは良い。うきうきしながら一辺戻り、時間を見て、夕食を食べに。途中で、野良兎が跳ねるのが見える――野良兎? あのシルエットは確かに兎……



えーと、メニューは良く憶えてない(メモ取らんかった&この日は一人二合呑んで酔っ払いだった)のですが、概ね美味しかったです。“概ね”なのは、出てきた秋刀魚の乾したのがね……関東の人間からすると、これは秋刀魚じゃない! 的な。何だろ、身欠き鰊を食べてるみたいなカンジ……しかし、熊野や新宮なんかでは、こう云うのが秋刀魚なのだそうで。南下してくるうちに、脂が抜けてきちゃうんですと。
しかし、おつくりは普通においしかった。かんぱちとか、キハダマグロ? とか。サービスで出てきたかんぱちの握りは、たれが雲丹醤油で、それがイマイチ……や、私が雲丹好きじゃないだけなんですが。どうも薬臭いカンジに思えちゃって。
ここのお料理は、一皿一皿は少なめなのですが、全部食べると腹がはちきれそうになります。がっつり肉ー!! の人には物足りないかもしれません(が、決して量そのものは少なくない)けど、たくさんの味を味わいたい人≒女性には嬉しいメニューじゃないかな。



食事が終わると21時過ぎ――酔っ払ってるので足許が危く、暗い中を階段下って風呂に入りに行くのはどうだ、ということで、内風呂に入ります。これも結構広い。普通の一般家庭の風呂場くらいあるよ。大浴場があるところって、大概内風呂は極狭なんだけど、ここはそうでもない。
沖田番が入ってる間に、部屋に備え付けの『世界遺産 神々の眠る「熊野」を歩く 』(植島啓司 集英社新書)を読んでいたのですが――これが何だか。うん、詳しくは後述しますが、うん、何か宜しくない。少なくとも熊野にくる前とか滞在中とかには読んじゃいかん。何かとりつかれそう。
補陀落渡海とかの怖い記事を読んで戦慄しつつも、この日は酔ってたし、普通に寝る。あ、22:30は、私にしては檄早。普段は0:30〜2:00くらいが就寝時刻。やっぱ普通じゃなかったか。まぁ、酔ってたからにゃ。



と云うわけで、一日目終了。
二日目に続きます。