京都古典紀行 1

はっはっはー、また紀行です、スミマセン……
お暇と心の余裕のある方は、下からどうぞー。



えー、一去年熊野行きを決めた時には、既にこの時期に京都、は決めておりました。
今回はともかく石清水八幡に行く!


と云うわけなので、今回の宿は、交通の便&私の好みでロイヤルホテル&スパ。
東京駅を7:00発ののぞみで出発、9:20には京都駅でした。家を出たのは5:30なので、まだ眠い……
が、そこは気力をアレして! まずは荷物を置きにお宿まで。普段は選ばないのですが、今ならまぁそこまで渋滞しないかな、と思いつつ市バスに乗ります。前回来た時(2012年)は、まだJR以外ではsuica使えなかったのですが、今はICカード何でも使える(母の持ってるはやかけんも!)のでフル活用。事前に\4,000-もチャージしてきたもんね。
で、お宿の傍でバスを降り、荷物を預けたら、三条京阪から、まずは伏見稲荷へ!


伏見稲荷は沖田番がいかなくてはならない場所なのですが、私もお山巡りが好きなので、行くと何となく一周しちゃいます。
が、まぁエキゾチックな写真が出回ってるせいだと思いますが、外国人観光客多い……つか、中韓欧米のみならず、中央アジアっぽい人とかもちらほら……スカーフかぶってるご婦人+トルク帽の男性、って、キルギスとかそっち? みたいな雰囲気ですよね。
さくさくと本殿→千本鳥居→奥の院とお参りし、三つ辻の三玉屋さんでまたうどん&お稲荷さんを戴く。このお店好き。
十時くらいだったのですが、しかし朝食は五時ちょい過ぎだったし、小雪も舞う寒い日だったので、カロリー補給しておかないと山とか回れない……(しかし、翌日はもっと過酷なお山が……)



お腹もいっぱいになり、ぬくぬくになったので、いざお山巡り。
実は雪がちょっと強くなってきたので、沖田番が「どうします? 回るの止めますかィ?」とか云ってたのですが、ここまで来て、回らないとかないだろう、と云うことでGO。
時計回りだと途中の階段が登りになっちゃうので、ここは逆回りの下りルートで。
さくさくっと回って、あちこちお参りし、お山を降りると雪はほぼ止んでおりました。
次は石清水。



再び京阪に乗り、八幡市へ。
途中淀を通るので、気になって、千両松の慰霊碑(←2009年 幕末・戊辰戦争追想行参照のこと)を探しながら窓の外を見てたのですが――あれ? 駅が高架になったせいかどうか、慰霊碑みつかんねェよ?
ううぅぅん? と首をかしげているうちに、電車は八幡駅に(←淀の次)。
とりあえず帰りにもう一度探すことにして、石清水へ参ります。



駅すぐから出てる男山ケーブルに乗るのが一般的らしいのですが、地図(最近はガイドは買わずに普通の地図見る)で見るとそう高い山でもなさそうだし、沖田番運動不足気味なので、それ解消のためにも、歩くを選択。
ちらっと見た男山ケーブルは傾斜がゆるいので(←比較対象 高尾山、高野山、箱根)、使うほどでもなさそうだよねー、と云いつつ、駅前で道を訊く。


「え、歩いて登るの」


登りますとも、健脚商売だもの! (←違う)
「そこの白いビルを曲がって、右の方にまっすぐ」と云われ、お礼を云ってそのとおりにGO。



えー、石清水八幡宮は、古典文学を読むと必ず出てくる有名な神社ですね。っていうか、何だっけ、今昔物語か何かの“仁和寺にある法師”か何かで有名なんでしたっけ。
もともとは例の宇佐八幡を勧請したもので、京都の裏鬼門を守るお社としても尊崇されたそうです。確か、天皇が即位して最初にお参りするんだか、上皇になって最初にお参りするんだかな特別な神社だったはず。でもって、清盛が高倉天皇の時、厳島に強引にお参りさせたので、高倉上皇の寿命が縮まったとか何とか。まぁ、あの当時の交通手段を思うと、京から厳島ってのはもの凄く遠いので、病弱な人なら寿命縮むかもねーとは思いますが(余談)。
ここの麓の方には頓宮というお社? があるのですが、うん、昔神仏習合だったんだなーと云う、何かお寺っぽい作り。
つか、そもそも八幡様ってのは、仏教伝来の昔からずっと、仏教大好き! な神様なんだよね。僧形八幡とか云う神像があるとおり(これのモデルの片方は阿闍梨だと云う噂ですね)、もともと神仏習合だの本地垂迹だのに親和性が高いと云うか。だから社屋も(神輿の御旅所的なものらしいですが)お寺風なのかなぁと思いました。



あ、僧形八幡のモデルが阿闍梨云々は、確か五来重氏の『空海の足跡』(角川選書)に載ってたはず。かなり後期の伝承に、阿闍梨八幡神が、身体をとっ替えた? 的な話があるそうです。
何でそうなったのかよくわかりませんが、五来氏曰く、修験道系の聖地では、山の神と開山の狩人、それから狩人に聖地を譲られた僧侶が三位一体、じゃないや、まぁそんな感じの神として祀られることが多く、つまり阿闍梨高野山の神の一人なので、みたいなことがあり。それで何かあるのかなぁと思ったりします。が、理由を読み飛ばしてるだけかも知れません。
とにかく八幡神と仏教って縁が深いよね、と云う話なのかも。



えー、頓宮のところから本殿までは、複数の参道があるっぽいのですが、せっかくだから行きは表参道を、と云うことで、だらだらと上がります。今思うと結構楽だったのですが、その時はそれなりにきつかった……楽に思えるのは翌日があったからですね(苦笑)。
とは云え、実際、平安時代とか、貴族の女性が壺装束とかでお参りしてたわけですし、山岳修行のアレコレほどはきつくありませんです。正直ケーブル必要ない。
が、上がっていくと結構それなりに――標高が124mくらいだそうなので、見晴らしは良いです。まぁ、伏見稲荷は標高233mだそうなので、それよりは低いですが。
だらだらっと上がって、本殿前に行くと、節分だからか、参拝するところの両脇に巨大な矢が――すげぇ。
見てると、破魔矢を戴いた人が神楽殿へ行き、巫女さんに何か云うと楽の音がして舞がはじまると云う。うむ、この時期で良かった、のかも。
お参りし、山南役への土産=お守りを物色。奴、忙しいらしいので。
鳩守りがある。多分杉の片抜き? に彩色してある、可愛い! ので、それをGet。つか、鶴岡さんだけじゃなく、石清水も鳩がお使いか――もしかして、宇佐も、って云うか八幡神社全体がそうなのか? 秋は宇佐行きの予定なので、そこで確かめてみたい。とりあえず鳩。



で、裏参道をだらだらと下り、再び京阪へ。
駅前で買ったクロワッサン鯛焼き(←確か)を食べつつ待っていると、ちょいとして電車到着。
乗りこんで、淀駅、の先、高架下を見る――が、やはり慰霊碑が見えない! っつーか、慰霊碑があったはずのところに隔壁ができてて、立入ができなくなっている。何だろ、花必要なくなったのかな? それにしても、たかだか六年で撤去? ホントか???
首をひねりつつ、三条京阪に戻り、ホテル近くのイタ飯屋(?)でお茶(お茶だけも可だった)。五時くらいになって、やっとチェックイン。
ちょっとだらだらして、今日は寺町のbistro A table! でご飯! と云うわけで出かけるが、18:00 openらしいので、暫く寺町をだらだら。
途中、インド更紗とかアンティークビーズとか扱ってるお店を発見。くるみ釦作りにはまっている沖田番、ここでインド更紗の端切れをGet。私はブルーが綺麗なガラスビーズをGet。40個しかないので、ロザリオは作れないが……
このお店、発掘品らしきオリエントの印章指輪とか扱ってて素敵です。印章指輪(瑪瑙とかの半貴石に印面が彫ってある)は野望なのですが、とても手が出ず。いずれ、お金ができたら……! できるかな……(汗)



ほどよく時間をつぶしてA table! へ。
以前は肉料理込みの取り分けコースがあったのですが、今回いったら魚料理のみになってた……ので、誕生日も近いしと、奮発して普通のコースに。確か\5,300-じゃなかったかなー。それに、私のみグラスワインをつけて、戴きました。
えーと、脳細胞が死滅してて詳しいメニューが思い出せないのですが、今回も珍しい野菜が多く使われていて美味しかった! 根セロリ(だっけな)とか、前菜系美味しかったですよ。以前すぐきのポタージュとかもありましたが、ここの野菜の使い方はホントに面白いですと云うか美味しい。懐には若干優しくないですが(ふふ)、まぁ満足するからいいや。
満腹満足して戴きました。
しかし、この近くにあった蕎麦屋が消滅して、別のお店になってたのは……(泣) A table! は、長く続けて戴きたいですね……



でもって、帰って、ちょっとお茶を飲み、風呂に入って就寝は10:30頃! 早い! (普段はAM2:00ごろ)
風呂にお湯をちょっと張って、ドア開けて寝たのでやや乾燥は抑えられたはず……



と云うわけで、一日目終了。
二日目の醍醐寺篇に続きます。