京都古典紀行 3

京都紀行最終日、洛南(?)篇(っても、今回南っ方ばっかでしたな……)。
お暇と心の余裕のある方は、下からどうぞー。



最終日の朝は8:00起床(確か)。
風呂にお湯溜めてたにも拘らず、やっぱり部屋が乾燥してて(空気清浄機のモニタでは、湿度65%とかだった――普段どんだけ湿度のあるとこで暮らしてるのか自分)、昨日うっかり上醍醐で冷やしたこともあって、どうにも風邪くさい。何か最近、京都来ると風邪ひいてないか……?
おまけに筋肉痛でふくらはぎ痛い。満身創痍過ぎです、もう歳か……
ともかくまたしても寺町の進々堂でモーニング。流石にモーニングセット二つは多かったので、足りない分はデニッシュで。でもってやっぱコティディアンが美味しかったので、まるっと一個買って帰る。



チェックアウトまでちょっとだらだらして、本日の予定を決める。
や、帰りの新幹線が15:00のなので、あまり遠出もできないのですよ。いつもだと、何となく八坂神社→高台寺あたりをうろうろするのですが、流石にそのラインももう飽きた……
と云うわけで、昨日行けなかった東寺と、沖田番お勧めの今熊野観音寺に行くことに。泉涌寺のとこにあるそうなのですが、確か観阿弥とか世阿弥とかが演能したとこだったはず。でもって、上醍醐と同じく、西国三十三カ所の札所のひとつですね。
泉涌寺は、JR東福寺駅(京阪もあるけど、いろいろ考えるとJRがいいでしょ、と云う話に)から歩いてちょっと、と云うことで、じゃあ京都駅のロッカーに荷物預けていくか、と云う話になり。
ホテルの横にある教会の売店で、ロザリオとかロザリオ用の十字架とか買った(←しかし、クリスチャンではない)後、バスでJR京都駅、でもって、コインロッカーに荷物預けて、さあ出発!



泉涌寺は、東福寺駅で降りて、北東の方に10分ほど歩いたところにあります。ちょっと北へ歩いて、そのまま泉涌寺道と云う東西の道を、ずーっと東へ。
藤原緒継が開創とのことですが、一説によると阿闍梨が立てたとも。まぁ近い時代の人らしい(774〜843、阿闍梨は774〜835)ので、まったく無関係でもない、かも知れませんが、修験道の寺とかによくある、役行者が建てて阿闍梨が再興したって云うアレに近い伝承なのかも知れません。藤原緒継が建てた説だと、神修上人と云う人物が開創だと云う話になってます。所謂"聖"系の行者とかなのかなぁ? まぁ、とにかく藤原緒継関係と云うことですね。式家。
後堀河天皇四条天皇後水尾天皇から孝明天皇までの歴代天皇の陵があるそうで、確かに宮内庁の事務所もありました。
が、泉涌寺本体にはお参りせず、塔頭のひとつの戒光寺(丈六釈迦如来で有名)にお参りした後は、まっすぐ今熊野観音寺へ参ります。
あ、そう云えば、戒光寺には、例の御陵衛士の墓があるそうです。昔、東福寺に行ったついでに、探して彷徨った憶えがあるなー。でも、東福寺泉涌寺って結構離れてるんだが、あの時どの辺を彷徨ったのか……(今ぐーぐるまっぷでその辺見たら、東福寺塔頭に"即宗院"と云うお寺があり、多分そこと"即成院"を混同して彷徨っていた可能性が)
ちなみに、戒光寺に祀られてるのは、かっしー、毛内、服部、平ちゃんと、茨木司とか中村五郎とかその辺ですね。かっしーは好きじゃないが、他は結構アレなのでお参りしといても良かったかなーと思いつつ、しかしまぁ今さらなぁ(いろいろ)と云う気もしたので、するっとスルーで。まぁ、風邪気味で気力萎えてたってのもある。
戒光寺のすぐ横の即成院は那須与一の墓もあります。合格祈願とかすると良いとか。ホントか。



で、今熊野観音寺です。
西国三十三カ所の第十五番札所で、真言宗泉涌寺派(そう云うのもあるのね)のお寺です。本尊は十一面観音ですが、五来重氏によれば、昔は千手観音だったんじゃないか、とのこと。何でかと云うと、割と海や川に近いところ,、水に関係のあるところに千手観音は多く、山や磐は十一面観音が多いから、と云うことらしい。観音寺には湧水=“五智の井”があるから、水絡みでそうなんじゃないのかと云うことみたい。昔の巡礼路は川(流れてる)沿いだったらしいしね。しかし、上醍醐准胝観音だし、如意輪観音聖観音を祀ってるところも結構多いんだが……どうなんでしょうか。
そう云えば、今回外からですが革堂(第十九番札所 行願寺)にもお参りしてるし、六波羅蜜寺清水寺青岸渡寺興福寺にもお参りしてるので、これで三十三カ所の札所のうち、七か所は制覇したと云うことに、って、巡礼じゃないがいいのかな。まぁいいや。
ちなみに、今熊野観音寺の名前のもとは、例の熊野大好き後白河が、ここに熊野権現を勧請したから、と云うことらしいです。頭痛持ちの後白河が、ここにお参りして平癒したので、頭痛封じの寺としても有名らしいです(頭痛封じの枕カバーとか売ってる)。
昔ここで、観阿弥世阿弥(当時は子どもだったので"鬼夜叉"か――考えてみたらすげぇ幼名)を連れて演能し、それで金ぴか将軍義満に見染められたんでした。
どこらへんで演ったのかなーと思って見るのですが、それなりに広いところじゃないと能舞台とか設えられないと思うので(しかし、今の概念での"能舞台"ではなく、床板敷いただけの可能性は高いです)、本堂の前のエリアに作ったかなーとか、今の客殿のところならちょっと高くて現代の舞台っぽいよなーとかしか考えられない――尤も、その今熊野の演能から、かれこれ六百年以上経ってるわけで、伽藍ももの凄い様変わりしてる可能性はあるのですが。
ともかくも本堂、大師堂なんかにお参りして、五智の井の水を飲んで(そう云えば、上醍醐と云い、今回のお寺は名水のあるとこが多かったかも)、今熊野観音寺は終了。



そう云えば、ぐーぐるまっぷで(即成院とか戒光院とか東福寺とか)見ててふと気がついたのですが、地名に"今熊野"ってつくところが、泉涌寺の北から智積院の東まで、かなりの範囲にわたってあるのですね。よもや、この"今熊野"ってついてるとこ一帯が、観音寺の寺域だったんだろうか――高倉天皇陵のある清閑寺と云うお寺の近くが、"清閑寺〜町"とつく区画になってますが、えーと、この辺から清水寺あたりまでって、昔の葬送地、鳥辺野だよね? 実際、この辺って天皇陵多い(地下鉄東西線の御陵って駅の近くにあるのは天智天皇陵だし)けど、やっぱそれって昔からそう云う場所だったってことだよねぇ。
五来重氏(今回たびたび引き合いに出してますが)によれば、鳥辺野の権利を争って、今熊野観音寺(当時は泉涌寺より観音寺の方がメインだったらしい)と、確か六波羅蜜寺? がもめてた的な話が載ってました(昔の六波羅蜜寺は天台系だったらしい)が、まぁそれで観音寺が勝ったそうなので、それで"今熊野"とつく地名が多いんでしょうね。西は東山通りから、東は東山ドライブウェイのあたりまで、南は今熊野観音寺、北は渋谷通のあたりまで、って、結構広いぞ。まぁ、争いたくもなる広さだわね……これに、葬送に関する諸々の利権までついてくるとなるとね……いつの世の中も、利権争いってもの凄いものがありますよね……



さて、京都駅に戻って、それから東寺です。
十二時も過ぎて空腹なんだけど、イマイチ良さげな店が見つからず。
まぁ昨日よりはまし(結局、昼飯は仁和寺近くで三時過ぎ)かなぁと思いながら、てくてくと歩く。
まぁ東寺も三回目(?)だし、講堂の立体曼陀羅見て、金堂の薬師三尊をお参りして、五重塔の中を拝観して、でもって食堂の売店(?)で、数珠玉を戴きます。赤瑪瑙と柘植玉! が、家に帰ったら、赤瑪瑙のはすでにあった……くっ!
とりあえず、東寺、神護寺仁和寺のは手に入れたので、あと真言系のどっかでひとつふたつ手に入れたら、自分で数珠を作りたいのですが……(何で真言にこだわるかと云うと、単にそう云うコンセプトで作ろうと思ってはじめたからです。天台は天台で作ってもいいんだけど……叡山とか三井寺とか、滋賀のが多いからにゃー)
まぁとにかく、今回の目的はほぼ達した!
駅に戻って、結局昼食はとらなかったので、駅弁をGet。のぞみの車内で、沖田番は何か牛肉系の弁当を、私はちりめん山椒とかの弁当を戴きました。うまー。
でもって、帰ってから暫く風邪で撃沈。しかも職場の大量の蛍光灯替え(totalで250本くらい替えたんじゃなかろうか……)で連続早出で、二月はホントに死にました……
あ、醍醐寺に行ったのに、下醍醐の清瀧宮の演能跡地見てくんの忘れた……
上醍醐にリベンジしたいので、また来年の秋くらいに!



† † † † †



って感じで、京都旅行記終了。



そう云えば、最近いろいろ歴史系(?)コミック読んでますが――
まずは『神のごときミケランジェロさん』(みのる 秋田書店)。
先生出てくる漫画は結構あったが、みけらにょろは『白のフィオレンティーナ』くらい? って感じでしたけれど。これはがっつりみけちゃんです。って云うか、愉快で楽しいみけらにょろ。うん、大体あってる。
個人的には、先生がカッコつけ過ぎ! と思いましたが、人前ではまぁあんなもんかな……先生チキンだから、みけにあんなこと(巻末四コマ)は面と向かって云えなかったと思いますが。みけ強面だからな。先生の方がガタイいいけどな。
ラファエッロが女好き過ぎてははははは! でも多分大体あってる。
みけも愉しいですが、ユリウス二世とパウルス三世も愉し過ぎたので、みけお好きな方は是非! 面白いですよ!



それから新撰組、っつーか幕末関連もちらほら……
まずは岡田屋鉄蔵『無尽』一巻目(少年画報社)。すみません、お客さんと争っちゃった……でもすぐ買ったもん、溜めてないもん。だから許して下さい……
えーと、伊庭の幼少期から描かれておりますが、冒頭は箱根のあれこれ。腕斬り落としたとこからですね。
個人的に、伊庭の過去なんかまったく知らなかったので、これから愉しく読ませて戴く所存です、が……
正直、岡田屋さんの絵ってとてもごっつり男臭いので、幕末三大美男(だっけ)の伊庭を書く絵面では……(ごにょごにょ) ただ、お話は絶対的に安定しているのはわかっているので、気長に次巻を待ちたいと思います。正直、以蔵とかの方が絵柄的には合ってると思うんですがね……



でもって!
こいつが異色と云うか何と云うか、樹なつみ『一の食卓』一巻目(白泉社)! 何故か樹なつみが、明治初年の一ちゃんで料理系の話、と云う。
……えーと、正直、『無尽』と作者チェンジ! と云うか、想像はしてましたが、きらきら過ぎるよ……! 一ちゃんは顎です顎! 「風雲新撰組」(ゲーム)の一ちゃんこそ理想! 美化しても『るろ剣』!
と云うあれこれはおいといて、それでも結構面白く読めちゃうところが流石と云えば流石、吃驚と云えば吃驚……
っつーか、何でホントに新撰組なの……樹さん、そう云うキャラじゃないと思ってたのに! まぁ、出てくる仏人パン屋さん(美形)のキラキラ具合が樹さんっぽいけども!
あと、おっさんがやはりらしくおっさんで、そこは流石。しかし、岩倉具視がどうにもアソウタロウに見えてしまい(そこまでは似てないかな)、別な意味でこう……
とりあえずこっちも、次巻を待っときますよ……



しかし、『神ミケ』読んで、そろそろ発奮しないとヤバいかなーと思ったので、ここからさくさくとみけ話は上げていきたいと思います。
ってわけで、次はさくっと(希望)、みけの話で〜。