めぐり逢いて 28

「……そろそろ、大垣へ戻ろうかと思うのですが」
 明治五年の春が巡るころ、鉄之助は、主にそう切り出した。
 日野にやって来てから、二年余りが過ぎ、新政府による旧幕軍の残党狩りも、そろそろおさまる気配をみせていた頃のことだった。
「まだ、危ないのではないかね」
 主は、そう云って鉄之助の身を案じてくれたが、世の中も落ち着きをみせはじめた今となっては、そうそう厚意に甘んじているわけにもゆかぬ。
「残党狩りの噂も、ここのところないようですし、いつまでもこちらにご迷惑をおかけするわけにも参りませんので」
 鉄之助は、この年明けに十九になっていた。
 十九といえば、世間的にはもう、一人前と認められる年齢である。その自分が、いつまでも働きもせずに食客として居続けるのは、さすがにどうかと思ったのだ。
 それに――
 鉄之助は、ちいさくこほりと咳払いした。
 気にかかることもある。いつまでもここにいては――どんな迷惑をかけることになるかもわからない。
「私たちは、構わないのですよ」
 主の妻女――副長の姉であるひとは、宥めるような笑みを浮かべて云ってきた。
「歳三も――随分と長いこと、うちに入り浸っていたのだし、それを思えば、何ほどのこともありません。大垣まではとおいのでしょう、まだ、もうすこし世の中が落ち着いてからの方が、良いのではありませんか」
「いえ――お言葉はありがたいのですが、もう決めたのです」
 後を濁さぬうちに、ここを去るのだと。
「そうか――わかった」
 主は、遂に頷いた。
「だが、やはりひとりで帰すには忍びない――下男をつけて送らせよう。無事、大垣まで帰ったと知れば、私たちも安堵できる」
「何から何までお気遣い戴き、御礼の言葉もございません」
 鉄之助が深く頭を垂れると、主は、いやいやと云って手を振った。
「私たちとて、君のことを、歳三の代わりのように思っていた――その君が帰るとなれば、そのくらいのことはしたいのだよ。そうでなければ、私を頼って預けてくれた歳三にも、申し訳が立たないしね」
「本当に、何から何まで……」
 鉄之助は、ただ頭を下げるより他なかった。
 だが、主の温情は、そればかりではなかったのだ。
 主は、鉄之助が箱館より持参した二分金三百両を横濱の銀行まで行って両替し――箱館で発行されたものは、質が悪かったため、五十円分減額されたと聞いた――、その上で五十円を足して、合わせて三百円を、
「持っていきなさい」
 と渡してくれたのだ。
 その他に、また五十円を、餞別として持たせてさえくれた。
「ですが、あの三百両は、主殿にお渡しせよとて持たされたものですのに」
 流石に驚いた鉄之助が云うと、主は笑って首を振った。
「そうでも云わないと、君が金を受け取るまいと思ってのことだろう。私たちは、どうにか暮らしていけるけれど、君はこれからが大変だ。妙な遠慮などせず、持っていきなさい」
「……あ、ありがとうございます」
 何と礼を云ったら良いのかわからなかった。
 二年以上を匿ったもらった上に、餞別まで与えられ、供までつけてもらって郷里へ帰ることになろうとは――それなのに、鉄之助は、その恩を返すあてとてないのだ。
 ともかくも、その年の三月、鉄之助は、日野・佐藤家を辞し、大垣の実家への帰途についた。
 中仙道を西へ、西へ――陸路行く道は、果てしもなく遠いように思われた。
 こうしてみると、大坂から江戸への海路での旅は、何と早かったものかと思われる。もちろんあれは、乗りこんだのが幕府の軍艦であったからの船足の速さではあったのだろうが、それにしても、一足一足歩いてゆくのは、ひどく骨の折れることだった。
 あの慶応三年の春、京へ上る折の足取りと、それは何と違っていたことだろう。
 あるいはこれは、心持の違い故であったのだろうか? あの頃より身体は大きくなり、踏みしめる一歩もまた大きくなったはずであると云うのに、中々進まぬように感じる、この心持は。
 あの時――鉄之助は、希望と期待に胸を膨らませていた。郷里を追われるも同然に出てきていたにも関わらず、その足取りは軽かった。
 だが今、この胸は失意に沈み、進む足とても鉛のように重い。生きて帰るものの喜びなど、この胸にはない、それ故のこの足取りの重さなのだと?
 いや、それとも――?
 鉄之助は、小さく喘ぎ、けほりと咳払いをした。
 甲斐や信濃、伊那の山々を越えて、美濃へ――懐かしい故郷へ。
 浮かぬ心を抱え、それでも歩く。
 やがて、日野を発ってより半月あまりの後、鉄之助は、美濃・大垣へ辿りついた。
 兄は――果たして、あの旧い家に戻っているのだろうか? それとも、もっと違う土地に移ってしまっているのだろうか――
 不安に胸を震わせながら、かつての我が家の前に立つ。日野の本陣ほどの威容はない、小さな、懐かしい家の門。
 と、中からひとりの男が出てきた。
 衣の裾を尻端折りにし、鍬を担いだ年若い男――その顔がこちらを向いて、鉄之助の姿を捉え。
「……鉄之助!」
 驚愕に開いた唇から、自分の名がこぼれ出た。
「兄さん……!」
 鉄之助は、それだけを叫んで、懐かしい兄の身体に、倒れこむように縋りついた。


† † † † †


鉄ちゃんの話、続き。この章では、終われないみたいだ……


えぇと、ところで、この話が終わった後のことですが。
実は、新しくルネサンス話を書こうと思っています――レオナルド・ダ・ヴィンチのお話ね。
鉄ちゃんの話は、加筆修正を加えつつ、本館Historyで更新していくことにして、こっちの連載は、鬼の北海行+小噺+『神さまの左手』(↑のルネサンス話のタイトル)、合間合間に新撰組のSSを、と云うスタイルでやっていくつもりです。
Blogタイトル(新撰組忘備録)にやや偽りあり、になりますが、自分の中では繋がりがなくもない(え)ので、すみませんが、宜しくお願い致します。


でもって、鬼の北海行が終わったら――いろいろ調べないと出来ないのですが、例の『明治維新をひっくり返せ! 脳外シミュレーション』を、お話として書こうかなァと……
いつものメンツ(含む、桂さん+杉)だけでなく、どどん、(大)久保(一蔵)さん、緑のタヌキ(=具視ちゃん)、龍馬や小栗さんも出てくるので、大変なことになりそうなのですが……勝さんを首相(つーか宰相)にするために、頑張るぜ! ……どんだけ先の話なんだか(汗)。
まァ、こっちは(いろんな意味で)気長にお待ち下さいませ。


そうそう、沖田番から「後輩から貰った」と云って、“あの子と同居バトン”を、「沖田総司」で(!)渡されたので、次項はそれで。何で勝さんじゃないんだ……
悔しいので、沖田番のバトン(人物指定はなかったらしい)は、鬼でやれと云っておきました。けけけ。
その次の阿呆話は、勝さんのネタ、と思ったけど、いきなりネタが来た(怒)ので、別な話で。大野右仲を苛めてやる……!


苛めると云えば、『風光る』の最新刊が出ましたね――あのお綺麗なかっちゃんのまま、かっちゃん好きな鬼のままで、どこまでいけるのかなーと、意地の悪い気持ちになるのは、八つ当たりなんでしょうけども(ああ、まったく格差社会だよねェ!!/怒)。
どこまで新撰組をお綺麗なままにしておけるのか、プロのお手並み拝見、ですね。みんな挫折したとこだもんなァ、油小路って。
どういう理屈で乗り切るのやら。さてさて。


……この項、終了。