北辺の星辰 25

 歳三の許を訪れたのは、桑名藩士・森常吉と云う男だった。
 森は、京都所司代で公用人を務めた人物で、年齢も歳三よりはかなり上――おそらく十ほどは上――であろうと思われたが、その立場などなかったような腰の低さで、頭を垂れてきた。
「お久しゅうございます、桑名藩士、森常吉でございます。かつての名、彌一左衛門で御記憶と存じますが」
 確かに、そのような名であったように憶えている。
 鳥羽・伏見の戦いの直前、新撰組の進退などについて、幾度かこの人と折衝した記憶がある。
「お久しゅうございます、森殿」
 こちらも低く頭を垂れた後、おもむろに歳三は切り出した。
「して、私に御用とは、いかなることにございましょうや」
「はい、実は――御存知のこととは思われますが、蝦夷渡航の件でございます」
 森は、低い姿勢のままで、そう云ってきた。
軍艦奉行の榎本殿より、蝦夷渡航に伴い、我らが主の随員は三名までと告げられた由。本日、私どもは、殿よりの御申し渡しにより、進退を自ら選ぶことに相成り申しました。しかして、我ら十七名は、幕軍とともに渡航致し、主とともに、徳川家の御為、戦い抜く所存にございます。しかしながら――」
「榎本殿は、桑名藩としての渡航は認められぬと、かよう仰せになった」
 榎本は――あるいは、その背後に控える松平太郎は。
 森は、強く頷いてきた。
「さよう。如何にしても渡航を望むと云うならば、諸隊の隊長に掛け合った上、その隊に加わって渡航せよと仰せになったのです。諸隊を見回しても、我ら寄るべきところもなく、あるいは貴殿の許であれば、と……」
「相わかりました、貴殿がそうおっしゃるならば、こちらとて尽力するに吝かではございません」
 歳三は、力をこめて頷いた。
 森は、京都所司代の公用人、しかもその筆頭だった。桑名藩主・松平定敬は、京都守護職会津藩松平容保実弟で、ともに京の都を警護するものだった――そうであれば、その公用人とは、すなわち会津の公用方と同じこと。新撰組など、かれらにとっては、麾下の一部隊であるにすぎなかったはずだ。
 それほどの人が、歳三ごときにこれほど低姿勢で願うとは、どれほど切実に蝦夷渡航を望んでいるか知れようと云うものだ。
 その心に、応えぬわけにはいくまいと、歳三は思った。
 幸いと云うべきか、新撰組の員数は、仙台到着時より半減している。桑名藩士十七名を加えても、元の数にも及ばぬほどだ。
「どうぞご安心あれ。我々は、いつでも桑名藩の方々をお迎え致しましょう。……しかしながら」
 ここで、懸念があるのだ。
 もしも桑名藩士十七名が、このまま新撰組に加入するとなれば、
「……新撰組の隊士となられるからには、桑名の方々には、我々の隊紀に従い、私の命を第一に従って戴かなくてはならぬ――その旨、他の藩士の方々には、お申し含み戴けましょうや?」
 そうだ、それこそが問題だ。
 桑名藩士たちを、新撰組に迎え入れること自体は、一向構わない。だが、それはあくまでも“新撰組隊士として”であって――いつまでも“桑名藩士”の気分ばかりでいてもらっては困るのだ。
 榎本たちが、藩主たちの随員を三名までと絞るからには、かれらは、藩主たちにあまり権限を握らせまいとしているのだろう。藩主たちなしでは、この軍は幕府脱走軍の域を出ないが、藩主たちがあれば、その行動には何らかの根拠が与えられる――だが、かれらに力を与えては、徳川家恢復と云う当初の目的から外れる惧れがある、それ故の措置であろうとは歳三にも察せられた。
 であるからには、あくまでも幕軍の人間である歳三としては、榎本らの思惑から外れるわけにはいかないのだ。
 森へ問いかけたのは、そのような意味も含めてであったのだが。
「もちろんのこと」
 かれは、そう云って頷いてきた。
「我らとて、貴殿の下につくことがどういうことであるのかは承知致しております。きっと、貴殿の期待を裏切らぬ働きを致しましょう。――どうぞ、桑名藩士十七名、新撰組への加入をお認め下され」
「案じられまするな。速やかにお迎え致しましょう」
 歳三が繰り返して頷けば、森は、心底安堵した表情を浮かべた。
「ありがたきお言葉。土方殿、否、土方隊長、どうぞよしなにお願い申し上げます」
 深々と頭を垂れてくるのへ、歳三も、慌てて頭を下げた。
「こちらこそ――今後とも、よしなにお願い致します」
 そうして顔を上げた森に、明らかな安堵の色を見てとって、歳三もまた、この人の何がしかの役に立てたことに、ほっと胸をなで下ろしたのだった。



 新撰組への加入の申し出は、桑名藩からばかりでは終わらなかった。
 幕軍が松島へ転陣した翌日の九月二十日には、唐津藩士、及び松山藩士が、加入の打診をしてきたのだ。
 唐津藩は大野右仲――以前、歳三が会津入りした直後に、幕軍の様子を問いにきた松野精一と云う男――が使者になり、新撰組へ加わりたいと申し入れてきた。
 歳三には、もちろん否やはなかったが、驚いたのは、加入希望の藩士の中に、小笠原胖之介の名があったことだった。
「――この方は……?」
 思わず問うと、大野はにこりと笑って、
「はい、前の藩主が御子息にてあられます。此度は、義叔父にあたられる壱岐守様とともに、徳川の御為に戦いたいと思し召され……」
「しかしながら、我らが隊に加入されたいとお望みであれば、平隊士として扱われることもあろうが、その段は……」
 藩主の子息であれば、命令されることになど慣れてはいるまい。それで果たして、唐津藩士たちは、歳三の命令に一糸乱れず従うことなど適うのだろうか。
 だが、大野は、変わらずにこりと笑んだだけだった。
「御懸念召さるな、胖之介様、いえ、胖様も、そのことについては重々御承知でございます。されば土方殿、何とぞ、我ら唐津藩士二十三名、麾下にお入れ下さいませ」
 そこまで云われては、頷かぬわけにはいかなかった。
「……相わかり申した。では、ご加入お待ち申し上げておりますと、皆様にお伝え下さいませ」
「確かに。以後、よしなにお願い申しあげまする」
 また、松山藩は、藩主・板倉勝静の随員となった辻七郎左衛門より、依田織衛以下七名加入の打診があり、こちらも歳三は快諾した。
 この他に、伝習第一大隊より、内田量太郎配下の三十名ほどが、歳三のもとに加わりたいと申し入れてきた。
 かくて、新撰組は、八十名ほどの新規隊士を得て、一気に膨れ上がったのだ。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
桑名、唐津、松山の皆さん、ご加入です(って、ケータイか保険みたいだなー)。
あれ、松山藩士ともめたんじゃねーの、と思われるかも知れませんが、辻さんからの打診の段では、全然波風なしに決まってたのですよねェ。


えーと、考えてみると、森常吉さんって、鬼より九つ上&京都所司代公用人筆頭で、立場的にもかなり上だったのに、よくまァこんなに頭下げてくれたもんだよなァ、と。
対する(未登場ですが)松山藩の依田織衛は、結構なもの云いだったんですが。っつーか依田織衛、森さんとも反りが合わなかったとかありました(『新選組大辞典』新人物往来社)が、うぅうん、鼻っ柱の強い若造だったのかなァ、って、鬼とは1つしか違わないんですが。
とりあえず、森さんは骨のあるいいひとだと思いますよ。


そうそう、またしても勝さん関連の本をGET。
もう絶版の『勝海舟全集 18』――海舟日記1が、何故かN販Webセンターに! (時々、こう云うことがあるから侮れないんだよなー、Webセンって) ちょうどこないだ貰った店長賞の図書カードがあったので、発注して手に入れましたー♥ (Webセンは中2日で商品が入荷するのです)
結構状態がよく(古本屋でGETした海舟日記2(戊辰戦争あたり)の方は、¥700-だったけど、かなりヨレヨレだった)、これで¥2,835-はまァ安いなァと思いましたよ。
後の日記(3、4、すなわち全集の20、21)はまだ版元在有(しかし、多分在庫僅少)なので、まァ買うとしてもゆるゆると。ふふふふふ。
あ、そう云えば藤原書店の新刊案内見てたら、釜さんの伝記が出る、っつーかもう出てるっぽいですね。流石に釜さんはどうでもいい(←オイ)ので買いませんが。あと、来月末くらいに、学研の歴史群像シリーズから『幕末諸隊録』と云うのが出ます。こっちは買わなきゃ――新撰組奇兵隊以外の隊!
企画書(月一の学研との部数会議用資料)が来てたのですが、何だ、この“ますじと鳥さんの数奇な巡り合わせ”って! そりゃ同じ適塾だけどさ! 10歳違いだったけど、面識――あるっぽいなァ。どどどんな感じなんだろ、そう云えば。


ところで、沖田番から聞いた衝撃の情報なのですが。
「る.ろ.剣」の人斬り抜刀斎のモデルって、万ちゃん(違う)なんですか!?
……何か、同じ人から万斉さん(銀.魂の)ができたかと思うと、複雑なものが――っつーかそれ以前に、万ちゃん、「殺さず」なんてやらないもんなァ、無言実行で斬ってくるもんなァ、と思うと、ホントは桐野利秋(人斬り半次郎)がモデルだと――思いたいけど、やっぱ万ちゃんモデルらしいです……(『剣.心.皆.伝』見た) 何だかなァ……
とりあえず、剣心と万斉さん、黒鉄さんの彦斎さんと『無頼』(by岩.崎.陽.子)の彦斎さんを較べてみると、イメージのあまりの違いに笑えますよ……ふふふ。


この項、終了。
次は(ニーズイマイチですが)ルネサンス話二話目ですよ。