北辺の星辰 29

 辿りついた蝦夷の大地は、一面の白だった。
 黒々とした海と、小さく砕ける白の波濤、その漣とも見まごう先に、白の大地が広がっている。
「他の船は……」
 呟いて、風雪の向こうを透かし見るが、あたりには長鯨一隻が見えるのみだ。他艦は、どうやらこの雪風に捲かれて、遅れをとっているものらしい。
 ともかくも、榎本の開陽丸が到着せぬでは、上陸をどのようにするかも決められはしない。
 歳三が、森や大江丸艦長などと話をし、ともかく諸艦の到着を待つことにしようと取り決めると、艦長は、それを手旗を用いた信号で、長鯨のものに伝えたようだった。
 視界の悪い風雪の中で、手旗の信号がどこまで見えるものか、歳三などは疑問に思っていたが、船乗りたちには意外に見えるものらしい。艦長は、信号を送り終えると望遠鏡を覗きこみ、やがて、通じたようですと呟いてきた。
「そうですか」
 歳三は頷いたが、正直、内心は気が気ではなかった。
 この海は波が荒く、風もひどく強い。この雪まじりの風が、開陽や回天などの航行にどれほどの支障を与えるものか、かれにはまったくわからなかったからだ。
 最悪、いずれかの船が座礁するのではないか――そんな不安を口にすると、艦長は、唇を捻じ曲げるようにして笑い飛ばしてきた。
「そんなわけはありません。開陽は、日本最強の軍艦です。そして、操船するのは阿蘭陀帰りの沢殿、その腕に間違いはないのです。心配召さるな、じき、開陽もその他の艦船も、このあたりに到着いたしましょうぞ」
「――お心強いお言葉です」
 歳三は頷いたが――艦長も、不安を感じていないわけではないのだと、その無理に明るい口調に、思い致らぬわけにはいかなかった。
 開陽も、その他の船も、これほど北の地への航行は、未だかつて経験したことのない事態だろう。まして今は十月も下旬、雪と、これほどの強い風だ。この北の黒い海の上では、何が起こっても不思議はないだろう。
 そして、だからこそ艦長も、歳三の不安を笑い飛ばして見せたのだろう。不吉な予想が外れてくれと、かれこそが願っているから。
 ともかくも、大江と長鯨は、この先の浜に近づくことをせず、大分沖合のこの位置で、まずは碇を下して船を停めた。どのみち、この風では、小舟を下して上陸する、乃至は偵察を試みる、などということも難しい。かれらはいずれも蝦夷地の詳しい知識はないのだし、迂闊に動いて、藩意の明らかでない松前藩――旧知の仲間の本国である――を刺激したくはなかったのだ。
 暫の時が過ぎ――やがて、風雪の向こうから、艦影がひとつ、ふたつと近づいてくるのが見えてきた。
「……開陽だ、それに回天、蟠龍も」
 艦長が、安堵を滲ませた声でそう呟いた。
 本当だ、もう、歳三の眼にも、それぞれの艦影がはっきりと見えてくる。外輪船である回天の特徴のある艦影、それより小型の蟠龍、そして、他を圧する威容を誇る、開陽丸の艦影も。高雄、千代田などの艦船と思しき影も、その向こうに小さく見える。
 開陽と蟠龍は、ゆっくりと大江に近づいてくると、巧くこちらに船体を寄せ、舫い綱を甲板上に投げ入れてきた。
「……土方さん!」
 開陽丸の甲板に、榎本の姿が見える。そのまわりには、松平、沢などの人びとの姿も。
「榎本さん!」
「大江と長鯨の姿が見えなかったのでてっきり遅れているのかと思えば――よもや先に到着とは、思いもしませんでしたよ!」
「他の艦は、皆無事に?」
「ええ、じきに集結するでしょう――とりあえず、上陸の手筈を打ち合わせたいので、開陽の方に移って戴けますかな!」
 と、榎本は云うが――見下ろした黒い水面は、かなり波立っている。この距離とは云え、小舟を下しての移動では、着水した途端に、波にあおられて転覆、と云うことにもなりかねないだろう。
 歳三が躊躇していると、開陽と大江の間に幾本もの舫い綱が投げ交わされ、双方の船体の距離が、先程よりもさらに近付いたのがわかった。
 そして、その広くもない船体の間に、長い板がさし渡される。幅は一尺にも満たぬほど、よもやとは思うが、この“橋”を渡れとでも?
「どうぞこちらへ、土方さん!」
 榎本が、にこやかに云ってくる。
「舟を出すよりは、この方が早いでしょう――さあ!」
 と、云うのは簡単だろうが、渡る方の身にもなってほしい。
 甲板の高い開陽へ、のぼるようにさしかけられたその“橋”は、双方の船体が波に揺られて上下するとともに、不安定に揺れ動いている。
 水面までは二丈ほど、もしも落ちれば、そのままこの黒々とした海の藻屑となるだろう。
 とは云え、ここで尻込みしては、新撰組の鬼の名がすたる。
 ――えェい、ままよ!
 歳三は覚悟を決めて、狭い板の上に足を踏み出した。
 予想どおり、薄く長い木の板は、双方の船体の揺れるに合わせ、上下し、あるいは捩れるように動いて、上にあるものを振り落とそうとするかのようだ。
「副長!」
 島田が叫び、板の後方から、強い力が加わったのがわかった。島田が、その体重をかけて、頼りない“橋”を支えようとしてくれているのだ。
 “橋”がわずかに安定を得たその隙に、歳三は一息に、開陽の甲板へと駆け上がった。
「さて、無事に再会相成りましたな」
 榎本が、にこやかに手を差し出して、歳三を支えてきながら、云う。
「そうですね」
 頷きながら見れば、居並ぶ人びとの中には、大鳥の姿もある。さらにその他にも、幾たりかが、歳三と同じように、あの不安定な“橋”を渡って、開陽へと乗り移ってきているのが見えた。
 いずれも衣の襟を立て、あるいは襟元を掻き寄せて、吹きつける雪風に身を震わせている。
「さて、では、船室の中で話し合いと参りましょうか」
 榎本は、にこやかに笑むと、先に立って船内へと歩み入った。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
いよいよ上陸〜。の前で終わった……


何かこう、艦船に関しては、本当にかなり適当に書いてるなァと……
正直、海上で船がどうやって接舷するのかとか、実際接舷して、こんな感じで互いの船を行き来できるのかとか、全然さっぱりです。
が、アボルダージュが可能だったなら、こんなこともできなかァあるめェよと云うカンジで、今回のあれこれに。
海事系詳しい方は、小説なんでと笑って流してやって下さいませ。
しかしホント、どうだったかな、この時……
そう云や、鳥さんとかって、どの船に乗ってたんだろ? 大江と長鯨ではないっぽいんだけど……


あ、そうそう、今日は姫のお墓参り(リベンジ)に行って参りました。当然、沖田番引きずって。
『すべて』読み返してたら、今日が姫の祥月命日(もちろん、旧暦ですので、新暦に直すと一ヶ月くらい先なんですけども)だったので。
日暮里で降りて、霊園内をてくてく歩き、こないだ行った渋沢さんのお墓まで。
行って、『すべて』の案内を見てみるが、該当の場所がない!
迷っていると、沖田番が「ボス、ぐーぐるだ!」――流石プロ(沖田番の仕事はサ.ポ.セ.ン系)。こう云う時、繋ぎ放題ってありがたいよね。
葵の御紋の入った立派なお墓(どなたのお墓?)の前で、ぐぐってみる。
と、何と! やっぱりこないだ入れなかった、門のついた墓域の中らしい。しかも、一般人も入れる、と、そこのブログ(のキャッシュを見た)には書いてある。
よし! と思って行ったら――何と先客が。6、7人の老男老女組。しかも門が開いてる――鍵なかったのか!
とりあえず、若い(一応ね)女二人、そっと墓域に入ってみる。確かに広い――おお、向こうに見えるのは、只今改葬工事中(違う)の徳川家墓地だね。アタマだけ見える墓碑が超立派。
で、姫のお墓は――正面の通路の一番奥、に行きつく手前、参道の左側にありました。老々組が去った後で、二人でそっと合掌。
何かね、私のわかる姫は、決して草.刈.正.雄ではないし、好きなのも(時期的にはあれですが)大河絡みでなかったのでアレなんですけども――何か、ああ、やっぱ昔の人なんだなァと云う、当たり前と云えば当たり前な感慨がありました。変なの。新撰組関連のお墓(っても、鬼とか中島さんとか碧血碑とか光縁寺とか壬生寺とかくらいですが)では、あんまりそんなこと感じなかったんだけどなァ。
ともかくも、お参りに来たのは確かだけど、あんま長居もどうよと、さっさと退散。
老々組と門扉のところでまたぶつかりましたが、沖田番いわく「めちゃめちゃ大河の話してた」そうで――そうか、大河組か、と思いながら谷中霊園を出ましたよ。
そののち、谷中銀座(小さなカフェでお茶)→千駄木→上野で国立博物館の常設展を。例の海外流失しかけた仏像が公開されてるので。
ついでに刀剣も見てきましたが――何かこう、最近の自分の刀を見る目が、すっかり使用者のそれ(即ち斬り易いかどうか)になってるのはどうだ……やっぱり、国立博物館の所蔵品は、いいのが多かったですね。ま、完璧儀式刀とかもありましたが(笑)。やっぱひと振り欲しいなァ、日本刀。ちょっと拵えに凝ってみたりね――いくらかかるの……
その後は中野へ移動、いつもの旨飯屋で飲み食いし(隣りのテーブルのおばちゃん4人の金額と、こっち二人の金額があんま変わらんって、どんだけ食ってるの……)、古本屋へ寄り道しつつ、帰宅。
楽しかった……♥
そういやァ、20日は鬼の命日(新暦換算)ですねー。没後139年? 姫は没後151年、って考えると、年齢の開きを感じますな……


この項、終了(力尽きた……)。
次はルネサンス話。