半色 一

 濃紫と薄紫の間のいろを、“半色”と呼ぶのだと云う。濃くも薄くもない、半端な色と云う意味であるのだと。
 まるで、己のようではないか――平重盛はそう考えて、小裂をひねり回しながら、小さく吐息した。
 重盛は、武門のほまれ高き伊勢平氏の人間である。祖父・忠盛、父・清盛のふたりが、先だっての院と帝との争乱――いわゆる保元の乱――で帝方について勝利したため、除目にあずかり、遠江守などと呼ばれるようになったのではあるが、
 ――しかし、その実は、公家にも武家にもなれぬ、“端物”ではないか。
 無論、保元の乱の折には、重盛自身も出陣し、そこそこの武功を上げはした。平家の棟梁たる祖父や、父の名に恥じぬ戦いぶりであったと自負してはいる。
 その戦功故に官位を授けられ、こうして今、宮中にあるのも、平家がひとかどの家門であると、帝や院、公卿たちから認められているが故であることも、重々承知してはいるのだ。
 だが――
 重盛はどうしても、この内裏に伺候する己、と云うものが、心地よくは思われなかったのだ。
 別段、周囲の公卿たちのまなざしが白々しいと云うわけではない。
 今度の乱の戦功者に対する除目に関しては、源氏の棟梁である義朝よりも、功の薄かった父・清盛の方が昇進したので、それについてあれこれの噂が飛び交っていることは承知している。
 だが、父が、実は祖父・忠盛の息子ではなく、故・白河院落胤であると云うのは公然の秘密であった――実際、父は祖父にはまったく似ていない――のだし、そうである以上、より帝の血の濃い方に恩賞が手厚くなるのは当然のことであったから、陰でどう云われていようとも、重盛が気にすることなどありはしなかった。
 そうではなく――それでもなお、平家を名乗る己は、武門のものでしかあり得ないのだと云うそのことに、重盛は心乱されているのかも知れなかった。
 それは、譬えて云うなら、身に添わぬ衣を着せられているようなもの、とでも云えば良いだろうか。
 殿上人に列せられながら公家になり切れず、武門の出でありながら武士にもなり切れぬ――まるで、この半色と同じではないか。
 重盛は、忌々しげに吐息して、手にした小裂を打ちやろうとした。
 と、
「やぁ、遠江殿はこちらにおわしたか」
 などと云いながら、蔀戸の向こうから顔を覗かせたは、右大将・藤原成親である。
「これは、右大将様」
 重盛は慌てて居ずまいを正し、妻の兄である男に頭を垂れた。
 それへ、成親はひらひらと直衣の袖を振った。
「何とかたいことを――遠江殿は、我が義弟御ではないか」
 と云われても、藤原摂関家に連なる正四位下の成親と、桓武平氏の裔である正五位下の重盛とでは、その立場に大きな隔たりがあったのだが。
 成親は、構わぬ様子で御簾をくぐり、重盛の前に腰を下ろした。
「それはそうと、お聞きになりましたか、遠江殿」
「何をでございましょう」
「源左馬頭殿の御子が、除目に与ったとか」
「左馬頭殿の?」
 源左馬頭義朝――平家と並び立つ武門の家、清和源氏の現在の棟梁たる人物である。もともとは故・鳥羽院の近臣であり、先だっての保元の争乱では当今に与力して、それ故に“左馬頭”の除目を受けた男である。
 実は、先の保元の争乱の、武功第一はこの義朝であったのだが――源氏は、その先祖である陸奥守・義家の頃より、その東国における勢力を危険視され、今回も勲功あるべきところを、清盛よりも数段低い“権右馬頭”に据え置かれていたのだった。
 義朝の再三の請願により、ようよう左馬頭に進められはしたものの、それ以上の昇進もなく、その子息たちにしても、長子・義平は無官、次子・朝長もごく低い――七位の微官にとどまっていたはずだ。
 それで、“除目に与る”とは――よもや、義平が官位を与えられでもしたのだろうか?
「そうではございませぬよ。それ、左馬頭殿の御嫡男でございまするよ、熱田大宮司殿の姫の生された御子の」
「……ああ」
 故・鳥羽院の肝煎りで娶った藤原季範の女が産んだ子は、確かそろそろ元服の歳を迎えるはずだ。先だっての争乱には、元服前と云うことで参じてはおらず、それ故に除目に与ることもなかったはずだったのだが。
「では、いよいよ元服と?」
「そのようでございまするな。しかも、此度は当今の肝煎りとかで、これが中々」
「――どちらの官に」
 思わず、重盛は声を鋭くした。
 成親は、声も表情も、明らかに面白がっている風である。この男がこのような表情をする時は、大概重盛にとっては面白からぬ事態になった時で。
「皇后宮にお仕えするそうでございますよ」
 案の定の答えを口にして、かれは扇を口許にあて、ほほと笑いをこぼした。
 皇后宮。それは、確かに大した問題だ。
 今の皇后宮は、当今の同母の姉なのである。つい先日、かの女を当今の准母となし、皇后宮とする旨が、宮中に知らしめられたばかりなのだ。
 その、なったばかりの皇后宮に、左馬頭の嫡男が伺候すると云うのは――当今の寵が左馬頭に傾いたか、あるいはその子がひどく見目良いかの、二つにひとつでしかあり得ない。
「左馬頭殿の御子は、ひどくかわゆいのだそうで」
 と、成親はまた含み笑った。
「当今には、ひどく御執心のご様子。流石に源氏の子を、いきなり殿上人にはなさらぬようでございますが――それでも、権少進になさるとなれば、この先はいかばかりかと」
「権少進に」
 それは、重盛にとって――また平家にとっても、実に由々しき問題だ。
 そもそも、皇后宮――帝の、妻ではないが、儀礼上“皇后”を務める女宮――に仕えること自体、帝の近臣となる可能性を孕んだ除目なのである。
 その上、それが当の帝よりの推挙であるとなれば、この除目の意図は明らかだ――当今は、ゆくゆくはその左馬頭の子を、己が近臣と為すつもりなのだ。
 当今は、今様狂いの風狂の人で、卑しい歌い女や猿楽師、白拍子などを宮中に集めては、一晩中歌いに歌うようなことも二度三度ではなかった。亡き父・鳥羽院に「帝位の器ではない」とまで云われた人ではあったが、しかし重盛には、当今がそれほどの暗愚の主であるとも思われなかったのだ。
 何となれば、当今は、先の保元の争乱よりこの方、信西入道と云う、低い出自の近臣を政務において重用しているのだが、この男がまた、中々ただ人ではないのだった。
 信西入道は、藤原の傍流の生まれで、のち受領の家である高階家に養子として入るも、遂に栄達するを得ず、出家して元の“藤原”を名乗り、出仕するようになった男であった。たまたま当今の乳母の一人がかれの妻であったので、そのつてで近臣となったのである。
 信西入道は、かつて “当世無双の宏才博覧”と云われたほどの秀才であり、当今に仕えるようになってからは、その智謀をもって、知恵袋的な立場を保っていたのだった。
 先の保元の争乱も、故・鳥羽院の定めた“直系”である現東宮と、その父である当今、故院に疎まれた前の院の間の、権力の綱引きとして起きたものであったのだが――その裏で糸を引いていたのが信西入道であると云う噂は、まことしやかに京中で囁かれていたのだった。
 とは云え、無論、信西入道が己の栄達のみを願う凡百の輩でないことは、かれと対立するところの多い摂家の人々にしても認めざるを得ないところであった。
 保元の争乱で勝利をおさめ、当今が実権を手にすると、信西入道がまず行ったのは、律令を今の世にあわせて改変し、その上で、諸人に新たな秩序を与えることだった。
 五十年以上行われていなかった正月の内宴を復活させ、宮中に漏刻を据え直して時間に合わせた行動をとることを促した。それらはみな、当今の御世になったことで、久しく失われていた律と令が再び――まったく新しいかたちでもって――行われるようになるのだと、諸人に知らしめるためのものであったのやも知れぬ。
 ――信西入道は、上古の帝の御稜威を取り戻したいと考えておるのさ。
 父・清盛はそう云って、嘲笑とも憫笑ともつかぬ顔を重盛に向けてきたものだ。
 ――ふふ、哀れなり、信西入道……世はもはや、律や令では動かし得ぬものを……
 確かに、今この世を動かしているのは、金――宋銭――と武の力であるのだ。
 とは云え、その父とても、信西入道をかるく見ていたわけでは決してなく、むしろその手腕を高く買っていたが故に、その限界のあるを惜しんでいたと云った方が正しかっただろう。
 そして、当今は、その信西入道を信頼し、政を任せようと思うほどには、人を見るまなざしに優れたものがあるのだと、重盛などは考えていたのだ。
 とは云え、源氏はその昔、その坂東での勢力を恐れられ、時の白河院に勢力を分断され、またそれ以降、特段中央での昇進もないままにされてきた。最盛期ほどではないとは云え、未だ関東にて権勢を誇る左馬頭・義朝に力を与えるような除目を、当今や、ましてあの信西入道がなすことはあるまい、と思われるのだが――
「当今は、かわゆい御子が御好きであらせられますから」
 成親の指が、檜扇の札を玩ぶ。
「何でも、左馬頭殿の御子を見初められたは、先だっての内宴の折であったのだとか。あの左馬頭殿のこと、当今の“ご趣味”をご存知で、御子をお連れになったのだとは思われませぬが……結果としては、運をお掴みになったようでございますなぁ」
「……まことに」
 重盛は、定かな返答をすることができなかった。
 確かに、風流も風雅も解するところの少ない、ただ好男子であるのみの左馬頭に、己の息子を当今に差し出そうと云う知恵が働くとも思われぬ。
 だが、左馬頭自身の思惑はどうあれ、その子は当今の寵を受けることは確実なのだ――すなわち、重盛たちの敵になることは。
 何しろ重盛の最初の官職は六位の蔵人であったのだが、それとても、祖父・忠盛や父・清盛が故院の近臣であったが故で――しかもそれも、十四の歳でのことだったのだ。
 それを思えば、今度の左馬頭の子の除目は、いかにも早いものと思われた。
「――左馬頭殿の御子は、お幾つにおなりでしたか」
「十二におなりとか」
「十二……」
 十二で権少進、と云うことは七位か――だが、当今の肝煎りとあれば、早晩かれは、蔵人にでも推挙されることになるだろう。重盛が除目を受けた時よりも早い年齢で――源氏の子が。
 ざらりとした不快感――所詮、自分たち平家は、武家にも公家にもなり切れぬ、端物でしかないのだろうか。
「……怖いお顔でございまするな、遠江殿」
 成親が、ほほと笑う。
 それを睨みつけかけて、重盛は、意志の力でもってどうやら笑みらしきものを浮かべて見せた。
「さようなことは」
「まぁ、私とても、うかうかとしておれぬのはまことのところでございますけれど」
 と云った成親の瞳が、剣呑な光を湛えてこちらを見る。
「当今が左馬頭殿の御子にご執心、とあっては――我らの立場も危うくなるやも知れませぬもの、なぁ」
 ぱしり、と、檜扇で掌を叩く。
 重盛も、その言葉には深く頷いた。
「まことに」
「ただでさえ、当今にあらせられましては、水無瀬参議殿にひどく入れこんでおいでと云うに――この上、源冠者の君までご寵愛となれば、如何致せば宜しいものか……」
「まったくもって、お言葉のとおりでございます」
 当今は、参議・藤原信頼と云う男を、ひどく寵愛していた。
 信頼には、政治の能も音曲の才も、武芸も文才もない。ただ、その見目が当今の好みにかなっていたと云うその一点で、二十六歳と云う異例の若さで、参議にまでのぼりつめることになったのである。
 信西入道などは、そのような無能の男を、寵愛があると云うことのみで参議に除目した当今に対し、“和漢に比類なき暗主”と罵ったと云う。
 無論、重盛や成親とても、当今の寵を受けての今の立場であったから、信西入道のようには信頼を疎むことはできなかったが、それにしても、かれが目障りであることには違いはなかった。
 その上さらに、自分たちよりも十近くも若い左馬頭の子が、この寵愛争いの中に入ってくるとなれば、手をこまねいて静観している、と云うわけにもゆかぬ。
「それにしても――参議殿は、それほどまでに“具合”が宜しいのでございましょうか、なぁ」
 “悪左府藤原頼長を骨抜きにした己よりも?
 声をひそめた成親の問いに、重盛は苦笑して、
「さて……」
 と応えるにとどまった。
 重盛、成親と信頼は、いずれも当今の愛を受けたもの同士であった。“愛”――男色の、である。
 中でも、“悪左府”と呼ばれた左大臣藤原頼長にも愛された成親の房術は、当代随一のものであると、まことしやかに噂されていたのだ。
 “文にもあらず、武にもあらず、能もなく芸もなし”と云われながらも当今に愛される信頼は、その成親をも凌ぐほどの手だれでもあるのだろうか――とは云え、信頼などと枕をかわそうと云う酔狂の主は未だなく、事実は闇の中なのであったのだが。
「――とまれ、問題は左馬頭殿の御子でございましょう」
 重盛は、さらりと話題を元に戻した。
「さようでありましたな。――未だ花すら見ぬほどの若枝を手折ろうとは、当今も、まことにお好きであられる」
「手折られましょうか」
「さもなくば、御自らはたらきかけられて、皇后宮のお傍にお入れになったりなど、なさりますまいよ」
「……確かに」
 しかしながら、
 ――それほどであるのか、
 左馬頭・義朝のその子と云うのは。
「……右大臣様は、御覧になられましたか」
 その、当今に手折られる定めの、源氏の子を。
 成親は首を振った。
「内宴の折、遠くより眺めやったほどのもの。水干の色目すら定かならぬような有様であれば、かんばせなどは、とてもとても」
 とは云え、と、成親は扇を開き、その陰からそっと囁きかけてきた。
「……かの左馬頭殿と、熱田大宮司殿の姫との御子。むくつけき荒戎であろうはずはござりませぬわ、なぁ」
「――さようでございますな」
 熱田大宮司藤原季範は、はっとするほど美しいわけではなかったが、充分に整った面差しの主であったし、左馬頭・義朝は、東夷と陰口を叩かれつつも、その凛とした武者振りで、故院のみならず、当今や他の殿上人たちをも魅了して已まぬのだ。
 その二人の血を受けて生まれた子が、何の醜かろうはずがあるだろうか。
「……見とうございますな」
 重盛は、そっと独白めいた言葉をこぼした。
 見てみたいものだ、その、己と競うことになるやもしれぬ小冠者の顔を。
 成親にも、それに否やはないようだった。
「では、参りますかな」
「どちらへ」
「もちろん、皇后宮の御座所へでございますよ」
 そう云って、成親は薄く目許だけで笑み。
 投げかけられたまなざしに、重盛は、つり込まれるように頷きを返していた。


† † † † †


鎌倉話、と云うか、源平話。初!
あ、タイトルは“はしたいろ”と読みます。


えーと、何と保元三年(1158年)二月くらいからスタートで、しかも主人公って云うか視点キャラが平重盛と云う。
ちなみに、これと対の、佐殿視点の話もありまして、そっちは「秘色」(=ひそく)と云うタイトルになる予定。
あ、今回、(既にちらちら書いてるのでお分かりかと思いますが)男色の話がバリバリ出てきます、っつーか、ぶっちゃけ今後児童虐待及び性的搾取のシーンが出てきますので、苦手な方はご注意ください。
いや、そう云うシーンが出てくる時は、ちゃんと畳んではおきますけどね。
ちなみに、BLとかそういうぬるい(甘い)シーンにはなりませんので、腐女子の皆様にもあまりお勧めは致しません。
注意書きがついている回になりましたら、充分ご注意下さいませ。


とりあえず、この話は下書きありで書いてるので、不定期連載で。
いや、他のも不定期と云えば不定期なんですが、えーと、鬼→先生→佐殿→鬼、みたいに順繰りに回らず、鬼と先生の連載の間に、ちょこちょことランダムに突っこむ予定、ってことで。
佐殿の方は、重盛の話が終わったら、ちまちまと書いていくつもりですが。まァ先のことは先で考えるさァ。


ってことで、この項さくっと終了。考察とかは、また別項立てるかも。
次――次は、歴史散歩、か?