北辺の星辰 53

 出航当日、及びその翌日の昼までは、概ね天候も良好で、航海は順調に進んでいた。
 相馬などは相変わらず船酔いに苦しんでいたが、それでも、箱館が遠ざかるにつれて徐々に緊張感が高まってきたのか、はじめのような惨憺たる有様ではなくなってきていた。蒼褪めた顔ながらも、甲板に見張りに立ち、砕け散る波濤の彼方を睨んでいる。
 一方の野村はと云えば、こちらも波の彼方を見つめてはいたが、こちらはむしろ、己が今度の戦いに参加できないことを残念がっているばかりのようだった。
「何だって、俺は蟠龍の方に乗ってないんですかねぇ。斬り込み隊の方に入っていりゃあ、存分な働きをしたってのに」
 と、歯噛みしながらぼやいている。
「云うな、俺だって、斬り込みに行きてェんだ」
 歳三は、そう云って野村を宥めたが――実際、それは自身の正直な気持ちでもあったのだ。
 それを感じ取ってかどうか、野村は、ぶつぶつとこばしてはいたものの、それ以上は文句を云う様子もなかったのだった。
 と云うよりも、それどころではなくなった、と云うのが正確なところではあっただろう。
 二十二日の午後あたりから、海上では雲行きが怪しくなり、若干の波と、風も出てくるようになった。
 とは云え、実際の航行に支障の出るほどでもなく、艦隊は、近隣海域での南軍の動向を探るため、八戸付近で一度停まり、陸の方へ斥候を出した。近くの漁村のものを艦内に引きこんだりもしていたようだったが、大した話は聞き出せず、結局、定かなことはわからずじまいだった。
 ともかく、南軍は、こちらの動向に気づいてはいないらしい、と結論づけて、三隻はまた南へと進路を取っていったのだが。
 その夜から、海上は大荒れの天候で、回天ですら、波に揉まれる木の葉のような有様だった。
 歳三たち陸軍組は、船倉の中にいたのだが、その耳にすら、甲板を洗い流すかの大波の激しい音と、風に負けぬよう叫びかわす乗組の士官や水夫たちの声が届くほどだった。
「このまま俺たち、海の藻屑になっちまうんじゃあないでしょうね……?」
 船には割合強いはずの野村ですら、青い顔で柱にしがみついている。
 相馬に至っては、真っ白な顔で床に爪を立てているだけだ。
「回天は、割合に安定しているから、転覆するこたァ考えにくいたァ、甲賀さんに聞いたがなァ」
 歳三も、自分は船に強い方だと思っていたのだが、この揺れには流石に閉口した。
 そう云えば、船に乗ったことは幾度かあったのだが、ここまで天候の荒れた時にと云うのは初めてのことだったのだ。ひどい船酔いで嘔吐する、と云うところまではいかないが、心地のいいものではないのも確かなことだった。
「高雄や蟠龍は、どうなってるんだかなァ……」
 回天は比較的大きな艦船であるが、高雄や蟠龍は“小型船”である。この暴風の中では、二艦は回天以上に高波に翻弄されているに違いない。
 このような嵐の後で、果たして彰義隊や遊撃隊の面々は、斬り込みに際して存分な働きができるのだろうか。
 などと考えていられるのは歳三だけで、後の面々はひたすら柱や床にしがみついているばかりだった。
 波はますます激しくなっているようで、船体に波が当たって砕ける、どぉんどぉんと云う音がひっきりなしに続いている。それに合わせて船が大きく軋むので、皆生きた心地がしないようで、蒼褪めた顔で天井を見上げている。
 こう云う時は、ともかくも体力の消耗を抑えるに如くはない。嵐が往き過ぎれば、その先は戦いなのだ――もっとも、その前に船が砕けてしまえば、一同海の藻屑となるばかりだったのだが。
 歳三は、他の面々に、二、三人で身体をくくりつけ合って眠るように云い、自分も柱に身体をくくりつけて目を閉じた。
 どれほど眠っていたものか――ふと気がつくと、揺れはまだ大きかったものの、それでも眠る前よりも穏やかになった波音が耳に届いてきた。
「晴れてきたのか」
 誰にともなくそう呟くと、聞きつけたらしき野村が、
「いえ、大分風はおさまってきたようですが……」
 と答えてきた。
 ふと見ると、しっかりと眠れたのは、どうやら歳三のみのようで、他は野村ですらが、疲れ切った面持ちでうなだれていた。
「副長、よくあの中でお休みになれましたね。俺ですら、恐ろしくって一睡もできなかったってのに……」
 げっそりした顔で野村が云う。
「まァ、することがねェなら、きちんと休息しておかねェとな。のちのちに差し障りが出る」
 そう云って、歳三は皆の顔を見回した。
「そろそろ風も収まってきたんなら、ちっとァ眠れるだろう。今のうちによく休んでおけよ。敵に遭遇したら、その後は寝てる暇なんざねェからな」
 云い置いて、船倉を出る。
 外に出てみれば、風はおおむね収まっており、波も、甲板を洗うほどではなくなっている。
 疲れた面持ちの水夫や士官たちのいくたりかが、のろのろと足を引きずって歳三の脇を通り過ぎていった。かれらはこれから眠るのだろうか――野村や相馬たちのように。
 だが、艦長である甲賀は、まだ乗組員たちに指示を出すために声を張り上げている。小柄なあの身体のどこに、それほどの力を秘めているのかと驚くほどだ。
「――甲賀さん」
 指示が終わったところで声をかけると、かれは、くるりとこちらを振り返った。
「ああ、土方先生」
「波風は収まったようですな」
「ええ、何とか乗り切れました。――しかし、どうやら随分流されてしまったものらしい」
「と云うと」
「どうもこのあたりは、宮古湾の南の方のようなのです」
 宮古湾の南。それは、本当に随分流されている。
「とは云え、我々は運が良いと云えなくもありません。元々、宮古湾への襲撃は、南に大きくまわりこんで、南軍方の船の振りをして近づく、と云う予定でしたから」
 それに、とかれは言葉を続けた。
「万が一荒天ではぐれた時には、宮古湾の南方にある、山田港で落ち合う手筈になっておりましたので――山田港は、ここからそう遠くはないはずです。一旦そちらへ向かい、蟠龍、高雄と合流後、改めて宮古湾へ北上することに致します」
「そうですか」
 艦船に関してはまったくの門外漢である歳三に、その計画を四の五の云うことはできなかった。
 船首を西へ向ける回天の甲板に立って、行く手を眺めやる。
 と、彼方に黄色の色彩が広がっているのが見えた。
 ああ、本土だ、と思う。今時期の黄色と云えば、菜の花だろう。では、本当に随分下ってきたものか――蝦夷地はようやっと、根雪が緩みはじめたほどであると云うのに――
「ああ、あれが山田港です」
 海辺にわだかまるかのような屋根屋根を見て、甲賀が云った。では、ここで他の二艦待ちと云うことか。
 山田港は波も穏やかで、ここ暫くの荒天に疲れたものたちが休息をとる場としては、最適であるように思えた。流石に船を降りることこそ適わなかったものの、陸海両軍の士官や兵卒たちは、つかの間の休息を愉しんでいるようだった。
 やがて、高雄もこの港へ入って来、二艦は再会を果たしたのだが――
 蟠龍のみが、待てど暮らせどその姿を見せはしなかったのだ。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
そろそろそらそら交戦開始? もうちょっとあるか……
文が荒れ荒れなのは、眠いからですよ……


えーとえーと、幕末明治オンリー(右のリンク集からサイトに跳べます)に参加することになりましたので、現在もそもと製本中。
しかし、同人誌に工芸製本のやり方を持ちこむのは、そろそろ限界か……マジで死にます。っつーか、今回会場製本禁止とか云うことなので、最後の粘りがきかん……! まァ、向こうで出来ても2〜3冊なんだけどさァ。1冊1時間強かかるからね、製本だけでね。
っつーか、はっと気がついたら、総扉のタイトル変換間違ってる……! 内扉は合ってるのに……! 奥付すら間違ってるって、どう云うことだ。しかし、もう時間がなーい!!! いいや、このまま行っちゃいます……


しかし、何だかんだで『龍馬伝』をちらちら見ているのですが――
どうも、あれのキャスティングと土佐の面々の描かれ方が嫌い。
ハンペン=瑞山先生はあんないい人じゃないし、エロ隠居=容堂公はあそこまで外道じゃないよ。って云うか、君主なんだから当然外道だけど、あそこまでじゃない。
一番厭なのは、以蔵を使い捨てたハンペンを、ああ云う描き方してることだ! 佐.藤.健ははっきり云ってどうでもいいのだが、以蔵にハンペンがしたことは忘れてねェぞ。
身分が低い連中に対する態度は、正直杉の方が百万倍いいよ! 上士に虐げられてるんだか何だか知らねェが、それだからってさらに下の身分の連中を虐げていいってことにはならないはずだ。ハンペンは、マジでかっしーより嫌いなので、死.ね.ば.い.い.の.に(京.極.夏.彦?)って思います――殺さないけども。
っつーか、藩主の皆さん老け過ぎです! エロ隠居も春嶽さんももっと若いよ! っつーか、龍馬キレイすぎてどうも……やっぱ好かん、っつーか、土佐勤王党きらーい。


この項、終了。
次は――イベント後に、考察か、歴史散歩、か?