北辺の星辰 56

 回天は、夜を徹して北へと航行した。
 並走する船影はない――ただ一隻、北へ北へと進み続ける。
 漆黒の空には、爪跡のような細い月が浮かんでいる。それを背に、北辰を標に、回天は進んでゆく。
 海を渡る夜風の音と、船首が波を砕く音、帆を支える檣竿と、それに巻きつけられた策条の軋む音。甲板の上を、水夫たちが慌ただしく行き交う靴音と、哨戒兵が時折発する“異常なし”の声。
 それらの音を聞きながら、歳三はひとり、船橋の上に佇んでいた。
 野村や相馬たち、即席斬りこみ部隊のものたちは、武装をかため、出撃を待っている。その数、わずかに二十ばかり。
 この人数と、接舷のままならぬ外輪船の回天とで、
 ――このまま甲鉄艦と交戦して、果たして勝てるのか?
 闇の彼方を眺めながら、歳三は胸中でそう自問し――首を振って問いそのものを振り払った。
 ここまできてしまった以上、“勝てるか”と問うことは馬鹿げている。勝てるか、ではない、勝たねばならぬのだ。
 確かに、歳三の最終的な目標は“幕軍の敗北”だ。
 だが、ただ敗北したのでは、戦いの後にも憾みは残る。戦い抜き、遺恨を越えてこの先の未来へ踏み出させるために、幕軍はここで勝たねばならぬのだ――やがて来る敗北に“勝つ”ために。
 と、船首に走った水夫が、そこに星条旗を掲げるのが見えた。あれは米国の旗、と云うことは、そろそろ宮古湾が近いのか。
「――土方先生」
 と、声をかけてきたのは、回天艦長・甲賀源吾だ。
「じきに、宮古湾に到達致します。そろそろ、出撃の御準備を」
「――あの旗は、亜米利加のものだろう。偽装して入港するのか」
「ええ。そうでもなければ、甲鉄艦に近づくことも難しいでしょうからね。……御心配なく、正しい徳川の旗も用意してあります、攻撃開始時には、きちんとそちらを掲げますよ」
 正しい――日章旗をか。
「……騙し討ちみてェなもんだなァ」
「それが戦と云うものでしょう」
「それは確かにそうなんですがねェ……」
 軍艦と兵卒とでは、やはりその重みと云うか何と云うか、に、大きな差があるように思われてならないのだ。奇襲をかけるのも、船籍を偽装して敵の至近に近づくことも、同じ“騙し討ち”であると云うのに。
 ――どうも、俺は海戦は向かねェようだ。
 新撰組副長として京に在った時分には、集団戦法をこととしていた歳三は、武士の風上にも置けぬ浪人者よと蔑まれることも多々あった。浪人や町人あがりの隊士たちを死線に送り出すには、集団で襲いかかることによる恐怖心の軽減と、戦闘の高揚感による陶酔とが必要であった――だからこその、集団による戦い方であったのだが。
 海の上はややこしい、と歳三は思わずにはいられなかった。
 船の属するところ――国や、藩や、船主など――を明らかにせねばならず、また彼我の艦船の大きさやかたちによっても、戦況を大きく左右される。その上、風雨や嵐などにたやすく翻弄され、自在に進路を変えることもままならぬ。やれ機関が壊れたと云っては大騒ぎし、挙句にそのまま航行することもできなくなってしまうとは、まったく何と不便なことだろうか。
 確かに、大砲を何門も積みこむことができる、その戦力は大きなものではあるだろうが、しかし、その戦力も、自在に使えぬとなってはどうにもならぬ。いっそ、へっぴり腰の一兵卒の方が、ともかくも武器を握って戦場に臨むことができる分、使いものになるのではないかとすら思う。
 ――思うままにならねェってなァ、こんなにももどかしいもんだったのか。
 陸の上が恋しい、と思う。
 歳三は、決して戦術に明るい方ではなかった――どちらかと云えば、攻め込むよりは防御の方が性に合っている――が、それでも、この海上での作戦よりは陸上での攻防の方がはるかに易いものだと思わずにはいられなかったのだ。
 ――果たして、この戦いは勝てるものなのか?
 再度浮かぶ疑問を振り払う――振り払わねばならぬ。
「――じきに戦場ですな」
「ええ、宮古です」
 右手――東の空は、海のきわから白くなりはじめている。
 ――朝か……
 戦いの朝が明けてゆく。
 その、白々とした光の向こうに、かすかに陸が見えてきた。
 と、回天がゆっくりと舵を左に切った。
 船体が、大きな弧を描きながら、西へと頭を向ける。
 往く手には陸と陸の間に口を開けた水の道、その上に、ぼんやりと見えるは敵の船影か。
「来たか……!」
 その中に、ひときわ偉容を誇る、あれが甲鉄艦であるに違いない。
 歳三は、段を駆け下りるや、船室への戸を開け放ち、中にいるものたちへと叫んだ。
「構えろ、じきに突入だ!」
「応!!」
 戦支度を済ませた男たちが、一斉に返してくる。
 船酔いで参っていたはずの相馬ですらが、戦いに臨むぎらぎらとしたまなざしを向けてくる――かつて、京洛において、出撃前の新撰組がそうであったように。
 歳三は、かれらの闘気にあたり、ぶるりと己が身が震えるのを感じた。
 そうとも、やらねばならぬのだ。
 甲鉄艦を奪わなければ、箱館府に明日はない。それができるのは、今や歳三たち、回天乗組の陸軍兵のみなのだ。
 手にした佩刀・和泉守兼定を腰に差す。
 いよいよだ。いよいよ、戦が、はじまるのだ。
 そうして振り返った先――宮古湾上に停泊する薩長の艦隊の中を、星条旗を掲げた回天は、ゆっくりとすり抜け、甲鉄艦へと近づいてゆく。
 敵は、夜明け時分で油断しているものか、あるいは星条旗に騙されたものか、警告の銃声すらも上がらない。
 甲鉄艦が近づいてくる、あとすこし、わずか、今、今接舷する――
 その時、舳先に掲げた星条旗を、水夫の一人がさっと畳み――徳川の旗標、日章旗をかわりに掲げた。
「――敵襲……!」
 甲鉄艦の甲板の上にいたものたちが、狼狽したように叫ぶのが聞こえ。
 鈍い衝撃とともに、回天が甲鉄艦に接触する。
アボルダージュ!!」
 ニコールが、腰のサーベルを振り上げて叫ぶのに。
 歳三の背後からわき上がった陸軍のものたちの鬨の声が、波のうねりのように応答し。
 疾風が、甲鉄艦へと奔った。


† † † † †


鬼の北海行、続き。
やっと宮古湾……


えーと、何かこう――文体に、ここんとこ読んでた『終わりのクロニクル』(川.上.稔 電撃文庫)の影響が出てますね、ビミョーに……キャラにまで出てないのが幸いと云うか何と云うか。いや、佐山はヒジョーに好きですが、鬼が佐山みたいになっちゃったら、イロイロ台なしだもんなァ……
っつーか、その場合の新庄って誰よ。該当ないじゃん……


そう云えば、来月は、私をピンポイント爆.撃な本が、講談社から――東大寺の管長さん(確か)著の『聖武天皇』って! た、愉しみすぎます!
今は、相変わらず観阿弥を追っかけてる(もちろん、同時進行で聖徳太子聖武天皇徳川吉宗も)のですが、梅原猛の『うつぼ舟』の1が“翁と河勝”で、河勝=秦河勝って、そう云やァ聖徳太子の側近って云うかそんなんだったそうですが――この人が芸能のはじめだったって云う伝承があるそうですね、遊行芸能民の持ってる由緒書とかで。実際、宮中で舞楽とかがはじめて行われた時に、秦氏が舞を舞ったんだか何だったかで、信憑性があるんだかないんだかですが。
とすると、観阿弥は間接的に聖徳太子にも繋がるわけさ。面白いねェ?
しかし、秦河勝と云うと、どうも学生時代に恩師・相川師から聞いた“常世神”の話に出てくる人、ってイメージしかなかったんですが――最近は、何かイメージが島田魁≒安達藤九郎っぽくなってきた……これで“聖徳太子のブレーン”(by Wiki)って、何かなァ……


っつーか、世間的に、世阿弥とか聖徳太子とか、じわっと何か来てるっぽいですね……先日、別冊太陽で「世阿弥」とか出たし(「うつぼ舟」の3、「世阿弥の神秘」も出た)、今度の朝日の「新マンガ日本史」、2巻の特別付録に「厩戸皇子の華麗なる日々」book in bookって……!
そもそも、↑の新シリーズはホントにヒドい。何だあの執筆陣、っつーか、何なの高橋ツトム……!
そしてまんまと踊らされる自分も見えてイヤ……っつーか、馬子がいて不比等がいないのは何故。
とりあえず、仁徳天皇と馬子と政子と観阿弥と伊達の殿と吉宗と杉は買うわよ……! って、マジ踊らされてる……!!!!!


この項、終了――とりあえず。
次は――一拍置いてみますよ〜……ふふ。